あんたと君との5年間(仮)② 雄英高校の卒業式から一週間後。
長い空の旅を終え、爆豪は予定通りロサンゼルス国際空港に降り立った。
機内での窮屈な時間と時差の重さが体に残るが、彼は首を軽く鳴らしながら、何気なしに周囲を見回す。
空港には旅行者のざわめきとスーツケースを引く音、人の笑い声、遠くで響く英語のアナウンス。すべてが、異国の空気に満ちていた。
(……やっぱ、いねぇよな)
爆豪の視線は、雑踏の中を無意識に探る。
そこにオールマイトの姿はない。
だが、当たり前と言えば当たり前だ。
卒業式でのあの衝撃的なオールマイトの言葉を思い出し、爆豪は小さく舌打ちする。
あの時、確かに同じタイミングでアメリカに来るとは言っていたが、一緒に行く約束をしたわけではない。
ましてや、爆豪がそんな甘ったれたことを望むはずもない。
(……何を、気にしとんだ俺は)
自分に苛立つように、爆豪は乱暴に髪を掻く。
さっさと病院に向かい、リハビリと新たな生活を始めなければ。
それが自分の目的だと、スーツケースの持ち手を握り直し、出口に向かって歩き出そうとしたその瞬間。
雑踏の中で、見慣れた車椅子が爆豪の視界に飛び込んできた。
「私が爆豪少年を待ち伏せしていたぁ!」
目が合って、お決まりのセリフを使い回すオールマイトに、爆豪は唖然とする。
「オールマイト、何でここに……!」
「サプライズさ! ふふ、前乗りして君を待っていたんだよ?」
オールマイトまるで悪戯を成功させた子供のように、満足気に笑う。
爆豪は一瞬言葉を失った。
空港の喧騒が遠くに感じられるほど、目の前の存在感が強い。
「サプライズってあんたな……。それに何でわざわざ……」
爆豪の声に呆れと戸惑いが滲む。
なぜオールマイトがこんなことを? 彼は唇をへの字に曲げ、オールマイトを睨むが、オールマイトはそんな爆豪を見て楽しそうに笑うだけだった。
「爆豪少年のことだから時間に余裕もって来てるんだろう? それなら少しばかりおじさんに付き合っておくれよ」
「付き合えったって……」
戸惑う爆豪に、オールマイトは構わず続ける。
車椅子を少し前に進め、陽気な口調でまくしたてる。
「今日からしばらく君も私も病院生活。でもせっかくなんだから、ちょっと観光するくらいバチは当たらないさ!」
オールマイトの笑うその顔は、まるで太陽のように明るくて、眩しい。
爆豪はその勢いに圧倒されてしまう。
「ったく、しゃーねえな……」
爆豪はぶっきらぼうに呟いた。
渋々といった態度でスーツケースを引き、彼はオールマイトの車椅子の隣に立つ。
それにオールマイトは満足げに頷き、車椅子を動かし始め、ふたりは空港の外に向かう。
「爆豪少年、ようこそアメリカへ!」
オールマイトの元気な声とともに、爆豪はロサンゼルスの空港を出た。
太陽が眩しく、空の青さが日本とは一味違って見える。
周りには広大な駐車場に停められた車、そして高層ビルの合間に見える広い通り。
何より、空の広さが日本と全然違った。日本ではビルが立ち並び、空が狭く感じることも多いが、こちらはとにかく開放感がある。広い空が無限に続いているような感覚だ。
爆豪はこれまでI・アイランドやオセオンに行ったことがあったが、アメリカは初めてだった。
何もかもが大きく、鮮やかで、さすがの爆豪も目を見張るものがある。
そんな爆豪に優しい眼差しを向けるオールマイト。
「さ、行こうか」
オールマイトが予約していたらしいタクシーに乗り込む。
オールマイトが運転手に行き先を伝えると、車は発進する。
「で? どこ行くんだよ」
「それは、着いてからのお楽しみさ」
そんなことを言いながら、オールマイトはウィンクをして茶目っ気を出す。
躱すオールマイトに心底呆れつつ、爆豪は窓から見える景色に目を向ける。
高くそびえるヤシの木が規則的に並ぶ大通り、低層の建物が横に広がる街並み、そして通り沿いには色とりどりの看板が目に飛び込んでくる。
オールマイトが頼んでもないのに隣で「ここらへんは映画によく使われている街なんだ」とか「あそこのお店のバーガーは美味しいよ」とかのガイドをするから、どうしても心が浮つく。
遊びに来たわけじゃない。
この腕を治すために、実戦経験を積むために。
ヒーローになるためにここへ来たのだ。
でも、それでも、今この時くらいは、オールマイトの言う通り観光に身を委ねてもいいだろうか?
タクシーが海沿いの道を抜けると、街の空気が一気に変わった。高層ビルの影が遠のき、フロントガラスの向こうにちらりと海の気配が見えた気がして、無意識に目で追った。
タクシーが静かに速度を落とし、近くの小さな駐車場で止まった。
穏やかで、それでいてどこか弾んだような声で「着いたよ」とオールマイトが声をかける。
爆豪は頷き、ドアを開けて外に出る。
照りつける陽射しが肌を刺すほどだったが、どこか心地よい熱を含んでいた。
ふと、顔を上げる。
駐車場の先、少し距離はあるが、視線の先には確かに海があった。
まばゆいほどの陽光を跳ね返す水平線。そして、そのすぐ左手に、鮮やかに回る観覧車が見える。
空の青、観覧車の原色、そしてその向こうに広がる、どこまでも続く海。
「……」
爆豪はけして感嘆を漏らさない。
けれど、大きく開いている目が、その少年にとって初めて触れる景色なのだと物語る。
背後ではオールマイトが、柔らかな笑みを浮かべている。爆豪の視線を辿るように、同じ景色を見ていた。
「もう少しだけ、近くに行こうか」
爆豪はオールマイトの言葉に「……ああ」と短く返事をして、車椅子の取っ手に手をかける。
観覧車がすぐ横に見える位置まで来ると、景色は一段と開けた。
海が視界いっぱいに広がり、太陽の光が波に反射し、きらめいている。
まるで何かを祝福するかのように。
オールマイトは静かに目を細めている。
風に髪を揺らし、何かを懐かしむような、少し遠くを見ている目。
爆豪は黙ったまま、その横顔を見ていた。
「……これ以上は、時間が押してしまうかな」
海を眺めながら、オールマイトがぽつりと呟いた。
それは、どこか名残惜しそうな声だった。
風の吹く方へ目をやりながら、それでも背を向けるように車椅子を少し引く。
「そろそろ病院に向かおうか」
タクシーを待機させている場所に戻り、運転手への軽い挨拶とともに再びエンジンを唸らせて走り出す。
車内は観光の余韻と、これから始まる新たな生活への緊張感が混じる中、爆豪はふとあることに気づき、眉をひそめる。
「そういや俺、あんたに病院の場所言ってねえけど、今どこ向かってんだ」
その爆豪の言葉にオールマイトはきょとんとした顔をする。
「えっ? 私と一緒の病院だって相澤くんから聞いたけど」
「は??」
爆豪の驚きと苛立ちが混ざったその声が車内に響く。
オールマイトはそのまま言葉を続ける。
「行先はアメリカで、行く日も同じ日で、病院も同じだなんて、相澤くんと偶然ってあるもんだねーって言ってたんだよ」
(言えよ先生……!)
爆豪は頭を抱え、シートに深く沈み込む。相澤の無駄に口の堅い態度を思い出し、内心で毒づく。
車は信号で止まり、街の喧騒が窓の外からどこか楽しげに響く。
オールマイトの視線が、遠くを見つめるように柔らかくなる。
「でも、羨ましいなぁ」
「羨ましい?」
オールマイトの呟きに爆豪は怪訝そうに顔を上げた。
「私の頃はまだリモートで受けれる講義とか、前倒しで単位取れるとかっていうシステムなかったからさ」
懐かしさと、それからほんの少し恥ずかしさが混じったような声。
「じ、実は私、単位取れたのわりとギリギリだったんだよね……」
「……へぇ」
爆豪の声は、軽蔑や馬鹿にしたものではない。
ただただ純粋な意外さに自然と漏れたものだった。
教師まで務めた元No.1ヒーローに、そんな話があったなんて。
「街で悲鳴とか、事故なんかの通信が入るとどうしてもね……。いやぁ、友人と友人の車があって助かったよ」
オールマイトの指が、恥ずかしそうに絡まる。
その姿は、かつての堂々たるヒーローではなく、どこか人間らしい、親しみ深いものだった。
爆豪の脳裏に、ヒーロー仮免許を取得した日のことが蘇る。
街に敵が現れ、爆豪と轟が応戦していたあの時。
オールマイトは避難誘導をしていた。そんな中、倒れてくる街灯に気づかずふらふらと歩く女性を助けようと、既に力を失った体で、オールマイトは迷わず動いていた。
あの時オールマイトすでにマッスルフォームにはなれず、ただの無個性の男だったはずなのに。
考えるより先に、体が動いてしまう。
それは昔からきっと変わらない。オールマイトの性分なのだろう。
「……あんたはきっと、昔から変わんねンだな」
爆豪のその呟きはあまりにも小さく、車内のエンジン音にかき消される。
オールマイトが首をかしげる。
「爆豪少年、今何か言った?」
「あんたの連れが可哀想だっつったんだよ」
爆豪はそっぽを向き、ぶっきらぼうに返す。
「うっ。ら、ランチ奢るくらいしたさ……!」
「単位とランチじゃ割に合わねえだろ」
爆豪の軽い皮肉に、オールマイトが肩をすくめて笑う。
車内はささやかな笑い声と、どこか温かな空気に包まれ、窓の外は緑の木々と白い病院の建物が段々と近づいてくる。
やがてタクシーが病院のロータリーに滑り込んだ。
オールマイトが支払いを済ませると、どうやら運転手はオールマイトのファンだったようで去り際に握手をねだられていた。
去り際に握手を求める運転手に、オールマイトは穏やかに応じる。その姿を、爆豪は少し離れた場所から見つめる。
陽の光がオールマイトの金の髪を照らし、まるで彼がまだヒーローであるかのような輝きを放っていた。
病院のエントランスは、消毒液の匂いと人の雑踏がありながらも静かな空気が漂う。
爆豪は受付と手続きのために、今日のところはここでオールマイトと別れることになる。
スーツケースを握る手が、ほんの少し強張った。
「それじゃあ爆豪少年、頑張ってね」
オールマイトが浮かべていたその笑顔は、卒業式の時と同じ、温かく、誇らしげだ。
爆豪はその目に宿る光を見つめ、すぐに口の端を吊り上げる。
「ハッ! 当たり前だ!」
強気な笑みを浮かべ、爆豪は力強く言い放つ。
その声は、病院のロビーに響き、新たな決意をこの地に刻む。
カルフォニアに差す陽光がガラス越しにふたりを照らし、物語の新たなページを静かに開いた。
これは、彼らが再起するための物語。