八杉2 某配達業者のスタッフである俺は、さまざまな家に荷物を届けている。
それゆえに老若男女問わず色々な客と接するのだが、好みのタイプの女の子や、目の保養になる美人の部屋への配達がある日は、テンションが段違いに高くなるのだ。
仕方ない、だって人間だし。男だもの。
それに大変な業務だからこそ、一つや二つ楽しみがあったって許されるだろう。
そんな不純なやる気に満ちている俺は、マンションのエントランスで制服であるポロシャツの襟を正してキャップの位置を何度も直していた。
何故って、今から配達する先の住人に少しでもかっこいい姿を見せたいから。
これでもウチの会社はS川男子などと言ってルックスも世間から騒がれるレベルのスタッフが多数いて、自慢じゃないけど俺もそこそこファンがついている。
ジムに通って鍛えた肉体とそれなりのルックスは、女性客の目を引くらしい。
過去には、若い男の子に好きですと告白されたこともあった。
そんな中で、あまり頻繁に利用する客ではないけれど、配達の度に可愛らしい笑顔を向けてくれる子がいて、気になっている。
それが、『杉浦文也』という青年だ。
年齢はおそらく二十代半ばだと思われるその『杉浦くん』は、身長もそこそこあって決して女の子っぽいわけではないが、とにかく笑顔が可愛い。
何より必ず労いの言葉をかけてくれるところが、受け取って目の前で扉を閉めて即鍵をかける女性客とは比べ物にならないほど好感度が高い。
それと、もしかして俺に気があるのでは?と思わせる眼差しを向けてくる。
別に俺はゲイではない。けれど、この子に言い寄られたらオッケーしてしまいそうだな、と思わせる何かがあった。
今日に限ってエレベーターのメンテナンスという不運に遭遇したが、この先に極上の笑顔が待っていることを考えるだけで七階までの階段も苦にならない。
やや汗だくにはなったが、これも「仕事に励むイケメンの姿」として映ってくれればいいな、などと考えて口元がゆるゆるとにやけてしまう。
咳払いをして、インターホンを押す。ピンポーンと反響している音が中から聴こえた。
けれど、反応がない。
おかしい。エントランスは解錠されたのに。
そう言えばいつもは「はーいいまあけまーす」と返答があるのに、今日はなかったな、と首をひねりつつもう一度押す。
すると、今度はガチャリと音を立てて解錠された音がした。
チェーンが外され、ゆっくりと開かれるドアに心臓が高鳴る。
「あっ、あの、お荷物を──」
「どうも」
えっ、誰。という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
いや違う。飲み込むより先に出てこなかった。出て来たのは、ヒュッという息を飲む音だけ。
中から現れたのは、『杉浦くん』ではなかった。
見た目は三十代半ばくらいで、気怠げな表情を浮かべる、顔立ちが死ぬほど良い男だった。
国民的アイドルだった某俳優に似た顔で、咥え煙草がいやみなほど似合っている。
それよりも気になるのは、シャワーを浴びてましたと言わんばかりの格好だ。
スウェットの下だけをはいて上半身は何も隠さず、髪を拭いていたと思しきタオルを首にかけている。
腹筋はばっきばきに割れているし、胸筋だって逞しく、腕も太い。それなのに全体のバランスが綺麗に取れている。
ところどころついた痣のようなものが気になるけど、 髪からこぼれ落ちて肌を伝う水滴さえも計算されているように見えて、「ジムで鍛えていてそれなりに整っているルックス」の文字がガラガラと崩されていくのを感じた。
「名前」
「ひ、ひゃい⁈」
ひゃいってなんだ、というセルフツッコミさえ追いつかない。
挙動不審な俺を見て、ふ、と微笑むと、正真正銘のどイケメンは俺のポロシャツの胸元からすっとボールペンを抜いた。
あっ、と思う間もなかった。その自然な所作すら絵になる。
「八神でいい?」
「……は、」
「杉浦じゃなくていい?」
重ねて訊かれて、ただ頷くしか出来ない。
記されたサインがこれまた達筆だったが、その情報はもう頭に入ってこなかった。
何もされてないのに打ち負かされる感覚を味わっていたから。
「どうもね」
ボールペンを返されて、慌ててドウモスイマセンと口が勝手に動く。
それ以上何も言葉が出ない俺から段ボールを受け取ると、「ごくろうさま」と『八神さん』は踵を返した。
そしてドアが閉まる寸前に目に入ったものに、俺は本日何度目かわからない衝撃を受ける。
先程気になった痣を思い出して、がっくりと膝をついた。
完全敗北というやつだ。
いやそもそも『杉浦くん』と何も始まっていないのだから敗北も何もないのだけれど。
SNSでよく見る「労いの言葉をかけたら俺のこと好きななんでしょって言ってくる奴がキモい」これだ。今の俺は。
よろよろと立ち上がろうとする俺を、外出するつもりだったらしい隣人がドアの隙間から不審な目で見ていた。
胸元に抱かれているチワワにもしこたま吠えられる。
おまけに、
『隆之さん、煙草だめって言ったのに!』
『悪い悪い、ちょっとな。今消すから』
『もう……髪も濡れたままだよ』
『ん、文也が乾かして』
仲睦まじい甘々な会話が中から聴こえてきて、俺は白目を剥いて壁によりかかるしかなかった。
かわいそう。