八杉 36「八神さんの味がする〜!」
「なんだそれ」
淹れたてのコーヒーをひとくち飲んで杉浦が漏らした感嘆の声に、俺は思わず噴きそうになった。いつもと何ら変わらないコーヒーだというのに大袈裟すぎやしないかと思う。
「そんな特別なことしてないけど?」
「そうなんだけどさ〜、そうじゃなくてさ〜」
俺からのツッコミに対して珍しく歯切れの悪い杉浦は、マグカップを覗き込んでごにょごにょと口ごもった。
かと思えば立ち上がってひょこひょこと机まで歩いてきてじっと見つめてくる。
手元の資料を見たいのかと傾けてやると、「ああううん、僕は目を通したから」と首を振った。
九十九曰く「横浜九十九課からのお遣い」でやってきた杉浦は、うちの事務所に着いてからこうしてどこか物言いたげな視線を寄越してくる。
最初に気付いた時は、ああ室内が寒いのかオンボロで効きが悪いし、とエアコンの風量を強くしたが、どうやら選択ミスだったらしく、不満げな表情を浮かべられた。
それなら常備してある好物のアイスをご所望かと勧めたら、「寒いからさすがに」と眉を寄せられて。それはそうだ、雪が降ってるんだから。さすがにないだろう、と自省した。
だったらコーヒーかと杉浦が好む豆を挽いて淹れたものの、喜んではいるがそれもどうやら正解ではないらしい。
詰んだ──。正直そう思ってしまった。
大体の選択肢は出揃った筈なのに、今なお言葉なく向けられる視線は何なのかと、脳内はめまぐるしく稼働している最中だ。
これまでに好意をもって接してきた女の子たちから揃って「八神さんは鈍い」と言われ続けた身としては、特別な間柄である杉浦の隠された気持ちに気付いてやりたいし、応えてやりたい。
探偵のくせにわからないのかその頭は飾りか、と自虐的な言葉を自身にぶつけたくなる。
「……八神さん、」
そろそろ考えすぎてオーバーヒートするんじゃないかと思うタイミングで、杉浦が甘く掠れた声で俺を呼んだ。
視線を落とすばかりで、黙読を初めてから十五分以上経っても内容が全く頭に入ってこない調査資料を持つ手に、杉浦の手が重ねられる。
マグカップを持っていたからか、いつも外気に触れるとすぐ冷たくなってしまう手は、ほんのりとあたたかい。
重ねるだけでなく、すり、と杉浦の指の腹が俺の指先をくすぐった。そのわずかな刺激に、腹の奥に仄かな火が灯るのを感じる。
「八神さ、」
資料を机に滑らせると、もう一度名を呼ぼうとした声を奪うように、うなじを引き寄せて赤い唇を食んだ。
倒れ込むように杉浦が膝に乗り上げ、弾みで椅子が軋む。
「ぅ、ン」
「杉浦、」
中途半端な体勢のままの腰を離すまいと抱いて咥内に入り込んできた舌を追いかけて吸うと、大胆に誘ってきたくせに慌てて逃げようとした。
お仕置きのように舌を甘噛みしてやると、腰が僅かに跳ねる。
「……っ、意地悪……!」
あまり強くない力が胸を叩いた。
いじめすぎたか、と唇を離した隙に拗ねたように呟いた杉浦の眼差しは、濡れて揺れている。
言葉とは裏腹に、続きをしてもいいと物語っているようだった。
「だけど、好き?」
鼻先を触れ合わせて問うと、う〜、と唸って、「……せいかい」と唇を尖らせる。
ああ、かわいいな。
思わず口にしていたらしく、かわいいってなに、と杉浦が頬を染めた。
「杉浦が」
「は、」
「かわいい」
待って、と戸惑う杉浦に「待たない」と返して頬を手で包んでやる。そういやブラインド下げてたっけ、と割り込んできた余計な思考をまあいいかと追いやると、甘やかに抗議の声をあげる唇を塞いだ。