八杉 34「八神さんもさ〜、なんかこう、かっこいい変装しないの?」
「……かっこいい変装?」
「そ。八神さんの変装ってちょっとなんて言うか、イロモノ多いよね」
部屋着に着替えたタイミングで不意にそんなことを言われた俺は、えっなんだよ急にと思いながら事務所に置いてある変装用のコスチュームの数々を脳内に浮かべる。
汚れた服、バーテンダー、作業着、追い剥ぎした田代くんのジャージ、パイロット。それから。
「……吸血鬼?」
「……ねぇおかしくない?吸血鬼ってなに。ハロウィン?」
「ブラム様。鮮血を捧げよ……!てやつ」
件の決め台詞を口にすると、杉浦が真顔になった。
何かで見たことのある、チベットなんとやらみたいな表情だ。傷つくだろ。
えっ何その決め台詞寒い、なんて言ってるけど、実物見たらきっと腹を抱えて笑うに違いない。
「おかしいでしょ。吸血鬼なんて変装じゃなくてコスプレじゃん……」
「まあそう……かな?」
なるほど確かに杉浦の言う通りかもしれない。
改めて思いつく限りの変装のコスチュームを挙げてみると、変装と呼べるものは作業着と汚れた服くらいしかなかった。
スーツ以外はほぼコスプレのラインナップだ。
「僕はね、かっこいいって言うか、普通っぽいって言うか。人混みの中に溶け込んでも違和感ないものを知りたいんだけど」
「あー……」
ベッドに座り込んでいた杉浦が「そこでこれです」とスマホの画面を向ける。
「え、なんだこれ、誰」
画面にはセーターとジーンズにスニーカー、眼鏡を着用した男のドヤ顔が映し出されていた。
体格はいい方で、たぶん、俺よりも上背がある。
記者か、あるいは同業者か何かだろうかと眉を寄せると、俺の思考を読んだように杉浦がくふふ、と笑った。
「誰だと思う?」
「誰、って……何、俺が知ってる奴?」
「さーどうでしょう」
「何だよその含み。こんな見た覚えも会った覚え、も……んんん???」
こんな奴見覚えがないぞと思ったものの、特徴的なもみあげと髭に、あ、と声が出た。
同時に杉浦が堪えきれないといった体で笑い出す。もしかして、と浮かんだものが正解だということだろう。
「海藤さんか⁉︎これ」
「だいせいかーい」
画面の中のその男は、仕事上の相棒として長年組んでいる海藤さんだった。いつものあの派手なシャツじゃないだけでこうも印象が変わるものなのかと感心する。
こだわりが強いからなのか、愛用する物は基本的に変えたくないタイプらしい。
だから、「今日は尾行するよ」と伝えてあっても、毎回忍ぶつもりが全くない、松金組時代から愛好しているド派手なチンピラシャツ(と世間では称されている)スタイルを死守する姿しか見たことがなかった。
一つ難があるとするなら、被っているハンチング帽のせいで、探偵と言うよりは胡散くさい記者に見えてしまうところか。
それでもこれなら問題なく町に溶け込めるレベルだし、すぐに見破られることはないだろう。
「……海藤さん、普通の格好できたんだなぁ」
本人が聞いたら「失礼だなター坊!」と憤慨しかねない言葉が思わず漏れた。
何せこんな普通のどこにでもいるような格好は出会ってから初めて見るのだから仕方ない。
「わかるよ。僕も最初コラでしょ⁉︎って返したもん。秒で東さんから怒りのお気持ちメッセージもらっちゃったけど」
「えっこれ東が撮ったのか。てか何で変装の画像なんてもらってんの」
さっきからやたらと変装にこだわってる理由はなんだと問えば、杉浦は「実はさあ、ちょっと困ってて」と肩を竦めた。
横浜九十九課では、うちと違って基本的に杉浦が尾行や張り込みの調査をほぼ一人で行う。
九十九はカメラやGPS、ドローンなどのガジェットを駆使してバックアップすることを主な役割としているから、それは当然なのだけれども。
そうなると、いつも同じ人間が似通った服装で尾行や調査に挑むことになる。
キャップを使って顔を隠してはいるがそれにも限界があって、見た目を大胆に変えなくてはいけない時期がきているらしい。
ターゲットを追っている最中に他の件の依頼人から声をかけられて、あやうく正体がばれそうになった──なんてこともあったと聞いて、確かにそれは……と納得せざるを得ない。
「僕も変装はするけどさ、基本をあんまりいじらないからね」
杉浦の尾行スタイルは、神室町では頻繁に調査の同行を頼んでいたから俺もよく知っている。
人目につかずにビルの屋上を行き来できる杉浦が尾行に使うルートは、地上と建物とで七:三くらいの割合だ。
だから、極力目立たないために使用するカラーリングは圧倒的に黒や灰色が多かったし、フーディーや動きやすいスポーティーな服装がほとんどだった。
ただ、それは夜が活発な神室町だから効果があったとも言えるようで、狭い場所に雑居ビルがひしめく神室町に比べて、異人町では昼の時間帯かつ地上での尾行を求められることが多いんだとか。
それに加えて、今までと同じような変装では逆に目立つこともあるのだという。
確かに学生やサラリーマンが多い街なら、やや堅めが基準となるかもしれない。
バリエーションを増やそうとして九十九と相談したもののなかなかいい案が出ずに行き詰まり、先輩である俺と海藤さんを参考にしようとしたけれど、「よく考えたらまともな変装ほとんどないじゃん」にたどり着いたらしい。
参考にならないのは本当に申し訳ないとは思う。
「やっぱり髪染めるしかないのかな〜」
「まあ、一番手っ取り早い方法だな」
「う〜ん……」
大袈裟に溜息を吐き出した杉浦はでもねぇ、とぼやきながら俺の髪をいじり始めた。
確かに明るい髪色は、それだけで目立つし記憶に残りやすい。
実際に俺も、待ち合わせる時には周りから頭一つ飛び出してる明るい髪色を探してしまう。
黒や落ち着いたカラーリングなら確かに目立たないかもしれないが、それには杉浦自身が難色を示しているようだった。
「八神さんはあんまり小道具使わないね」
「眼鏡とか?」
「そう、似合うのにね。あ〜……でもだめ。眼鏡とか絶対好きだもんみんな。するならいつもの胡散くさいサングラスだけにしてよ」
なんだそれ、と思わず笑う。似合ってると褒めておきながらしないで、とは。
杉浦は、だって、とくちの中でごにょごにょ何かを呟いた。よく聞こえないけど、と返すと、うう、と唸る。
「とにかく、そういうのは僕といる時だけにして」
「何だそれやきもち?」
「……そうだよ」
以前に一度、予備校への潜入調査で俺が講師で杉浦が予備校生を装ったことがある。
その時に「教師っぽくていいかもよ」と言う杉浦の勧めで眼鏡をかけたのだが、やたらと女子生徒に囲まれたし、女性講師まで執拗に絡んできたことを思い出した。
行く先々で捕まる俺を空き教室に引っ張りこんだ杉浦からは「眼鏡禁止!」と怒られたし、ずっと不機嫌で散々だった記憶しかない。
眼鏡一つで何でそうも盛り上がれるのかと、あの時はいまいち理解出来ないでいた。
けど、杉浦がプライベートで眼鏡をかけているのを初めて見た時は、いつもと違う姿にどきりとしたことがある。
自分しか見たことがないものなら、確かに他には見せたくないかもしれない。
「眼鏡もいいけどさ、こうして髪を後ろに緩めに撫でつけて……」
ぶつぶつ言いながら俺の髪を触る杉浦は真剣そのものだ。たぶん自分の変装の問題はもうとっくにどうでもよくなっている。
「こんな感じ……」
きっとまだ時間がかかるだろうなと好きにさせていたが、杉浦の手が止まった。それどころか息を詰めている気配がしてふと目を開ける。
「……杉浦?」
思っていたより間近に迫ってた杉浦は髪に触れたまま赤くなっていた。眉をぐっと寄せて口をぱくぱくさせているかと思えば、
「……八神さんさ、顔が良すぎるのずるくない?」
むかつく、と今度は髪を乱す。
照れると杉浦は幼げな面持ちになるし、拗ね方がかわいい。
「そんなの言われたことないけど」
「嘘だぁ」
くしゃくしゃにしておきながら今は丁寧に直していて、忙しい奴だな、なんて思っていると。
「八神さんは変な変装のままでいて」
その方が気軽にナンパしてこようなんて思わないでしょ、と唇を尖らせた。
「変て……まあいいけど」
腑に落ちないながらも尖らせている唇を吸ってやると、杉浦はよし、と満足そうに頷いたのだった。