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    detjes_8238

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    八杉 7月7日のお話

    八杉 7月7日(LJ後)「来たよ!」
     もうあと数十分で日付が変わろうかという頃。
     勢いよく事務所のドアを開けて入ってきたのは、横浜にいる筈の杉浦だった。
    「……ドッペルゲンガー?」
    「何言ってんの?僕だよ本物」
     ほら、と俺の頬を両手で包む。
     わずかに汗ばむてのひらと体温に、たしかに本物だ、と頷いた。
     でも何でだ、という思いがうまく働かない頭を駆け巡る。
     何せさっきまでスマホでメッセージのやりとりをしていたからだ。大変だったけどようやく仕事が片付いたよ、と杉浦が連絡を寄越してから五分も経っていない。
     子供はともかく、大人はあまり騒がない七夕の日の今日。
     実はこの日の前後も、地味に浮気と不倫の調査依頼が増える。
     帰る場所のある者同士、あるいは許されぬ相手と恋をしている者たちにとっては、「逢瀬を許されたい日」になるらしく、ロマンティックだ、とたいそう盛り上がるんだとか。
     そんな身勝手な言い分を耳にする側としては、何とも勝手でご都合主義な理由づけだなと鼻白んでしまうのだけれども、本人たちは大真面目で。
     俺たちは「はぁ……」と返すしかない。
    「あれって、要は怠けた夫婦が別居させられた話でしょ。それを自分たちの不倫や浮気にあてはめて盛り上がるのなんなの?ギャグなの?」
     依頼人とターゲットとその相手を交えた地獄のような話し合いに同席した杉浦が、そう言ってばっさり斬ったがために険悪なムードになりかけたことを思い出した。
     因みに俺が調査のために張り込んでいたホテルは、二箇所とも翌朝いっぱいまで予約で埋まっているとサイトに記されていたし、実際に一日中ひっきりなしに人の出入りがあった。お盛んなことだ。
     例年に違わず今年も依頼が多く、てっきり九十九課も同じだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
     聞けば九十九課は別件で時間がかかり、今年は浮気と不倫の調査を全て断ったのだという。
     だから思ったよりもはやく仕事が片付いて、こうして会いにこれたのだと杉浦は笑った。メッセージを送っていたのは、神室町に向かうバンの中からだったようだ。
     ビニール袋をごそごそと漁っていた杉浦は、机に広がるファイルをまとめて退けると、俺の前にコンビニの弁当やホットスナック、スイーツやお茶を並べた。
     自分はパイプ椅子を引っ張り出し、向かいに座る。
    「八神さん、どうせご飯食べてないんでしょ」
    「何でわかんの」
    「わかるよー。僕だもん」
     調査が立て込むと寝食を忘れがちになることを知っている杉浦は、事務所を構えた今でもこうしてたびたび横浜から飛んでくる。
     自己管理の甘さを見抜かれているなと恥じる気持ちよりも、疲れている時に顔が見られる喜びが勝ってしまうのが情けない限りだ。
     しばらくお互いにもくもくと弁当を食べていると、ビニール袋に目を向けていた杉浦が、あ、と声をあげた。中に手を入れて何かを取り出す。
    「見てこれ」
     そう言って俺に向けて見せたのは、おしぼりサイズの紙だった。
     色がついていて、パッケージには『願い事を書いて店内の笹に飾ろう』と書いてある。
    「……短冊か」
    「そうみたい。あー、だから店内に笹があったんだ」
     杉浦の話では、イートインコーナーの手前にそれなりに大きな笹が飾ってあったらしい。
     この騒がしい神室町のコンビニで、この短冊に目を向ける人間はほとんどいないだろうけれども。
    「願い事、ねぇ……。八神さんは、何かある?」
     食べる手を止めないまま、杉浦が訊いた。いきなりだな、と思う。
     願い事は?
     そう尋ねられて、思い浮かべるものがないかと言えば、それは嘘になる。
     離れ離れでも、年に一度でも逢えるなら幸せだろう。そう、思ったことがないわけじゃない。
     けれど、どうしたって取り戻せないものはあって。
     泣いて駄々をこねてねだったところで、誰かがどうにかしてくれるわけじゃない。
     それに。願い事を叶えてくれる存在なんてこの世にはいないんだと、もうとうの昔に俺は知ってしまった。
     この手から大切なものがすり抜けていきませんようにと願うのではなく、そうならないように自分自身が行動しなくてはならないということも。
     そしていま一番願っているのは──。
    「……明日はさ、依頼も何も入ってないんだけど」
    「うん?」
    「杉浦の明日の予定は?」
     身を乗り出して言葉を待っていた杉浦は、目を瞬かせたあとで僅かに頬を染めた。
    「……実は明日、お休みもらってきてる」
     それはつまり、そういうことだ。
    「七夕、捨てたもんじゃないのかもな」
     願い事叶ったし。そう笑うと、ええ、と不満気な声があがった。
    「てかこれ、別にお願いじゃなくない?」
     そうかな?と首を傾げる俺に、食べ終えた弁当の容器を袋に片付けながら杉浦は唇を尖らせる。
    「そうだよ。それに、なんかはぐらかされた気がする……」
    「なんで。はぐらかしてないだろ。だったら杉浦は?」
     俺にだけ訊くの、フェアじゃないだろ。
     そう言って頬杖をついて見つめてやると、言葉に詰まった杉浦が、ぐぅ、と唸る。
    「それはあとから八神さんにお願いするから、いまはひみつ!」
     それよりはやく僕んちに行こうよ、と急かされて、食べかけの弁当をさっさとしまわれた。
     手際よく荷物をまとめる杉浦は視線を合わそうとしない。けれど、髪から覗く耳は赤く、照れていることがわかる。
     悟られないように口元を緩めていると、「車回してくるからちゃんと施錠してね」と釘を指し、杉浦は弾む足取りで事務所を出て行った。
     机には開封されなかった短冊が残されている。
     捨てる気にはなれなくて、適当にファイルに挟み引き出しにしまうと、キーケースとスマホを手に立ち上がった。
     ブラインドを閉じるついでに見上げた空はいつのまにか晴れている。
     顔を覗かせている月は、穏やかに笑っているような気がした。





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