ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第2話「茨の魔女との出会い」 マレフィセント亡き後、大鴉のディアヴァルは、荒野を彷徨いながら彼女と出会ったときのことを思い出していた。
そう、あれはもう十数年も前のことだ。あの頃、自分はただの鴉で、魔法のことなど何一つ知らなかった。妖精のことも。人間のことすらも……。
ディアヴァルは、窮地に陥っていた。
畑に植えられた豆を掘り盗ろうとして、農夫の仕掛けた網に掛かってしまったのだ。
「この悪戯カラスめ!ぶちのめしてくれる!!」
粗野な怒声と共に棍棒が振り下ろされる。
ディアヴァルは必死にもがいて致命的な殴打を逃れたが、網に絡め取られて飛び上がれない。網の中でもがく彼に向かって、農夫の犬が吠えかかる。思わずガァ!と悲鳴が漏れる。
と、「人間になれ」という声が聞こえ、ディアヴァルの身体はぐんぐん大きくなり始めた。全身がぐいぐい引き伸ばされるような異様な感覚にのたうち回っているうちに、気がつくと彼は人間の姿に変身していた。翼は羽毛を失い手となり、脚は美しく黒光りする鱗も消えて無様に長い人間の脚へ。
彼が網をかぶったままよろよろと立ち上がると、農夫は悲鳴を上げて逃げていった。犬が慌ててその後を追ってゆく。
まとわりつく網を苦労して身体からはずし、しげしげと両手を見つめていると、木陰から背の高い女が歩み出てきた。美しいがどこかしら人間とは異質な容貌。縦長の緑の瞳。頭に生えた角。これは……人間ではない。妖精だ。何故か翼がないけれど……。
と、女が口を開いた。
「お前、名は?」
「私の名前ですか? 聞く方から名乗るのが礼儀では…?」
「ふ…。口の減らない鴉だこと。命を助けたのは誰だと思っているの?」
「助けてくれたことには感謝します。でもこの姿は……ちょっとあんまりだ。飛ぶことすら出来やしない」
「贅沢ね。お望みならいつでも元の姿に戻してあげるわ。私はマレフィセント。人間は『茨の魔女』と呼ぶけれどね。さて、お前は?」
「……ディアヴァル」
「そう。ではディアヴァル。私には私の代わりに国々をめぐり情報を持ち帰る者が必要なの。お前には私の目になってもらいます。ついていらっしゃい」
有無を言わさぬ言葉だったが、ディアヴァルは黙って一礼し、それを受け入れたのだった。
その時から、カラスの姿で国中を飛び回り、見聞きしたことをマレフィセントに伝える日々が始まった。マレフィセントはめったに感情を表に出さず、淡々とディアヴァルの報告を聞くことが多かった。
だが、人間どもの城の様子を伝える時だけは美しい顔に陰が落ちるのを、ディアヴァルは見逃さなかった。
彼は常々、自分の主がなぜ城の人間どもの動向を気にするのか不思議だった。あんな矮小な存在など、強大で長命な妖精族の前では風に吹き飛ぶたんぽぽの綿毛にも等しいのに。
そんなある日、ディアヴァルが人間観察から帰ってくると、マレフィセントは泉に身を沈め沐浴をしていた。ディアヴァルは慌てて目をそらしたが、その前に見てしまったのだ。主の背中にある無残な傷痕を……。
マレフィセントは泉から上がると、衣を羽織り、ディアヴァルに声をかけた。
「見たのでしょう。隠れることはないわ」
木陰に潜んで背中を向けていたディアヴァルは、気まずい気持ちのまま彼女の前に歩み出た。
「どうして、って思っているのでしょう?」
と、自らの背中を振り返る瞳には深い悲しみと怒りが浮かんでいた。
「いいわ、話してあげる。いつかは話そうと思っていたことだから」
そしてディアヴァルは知った。マレフィセントがどのように人間と恋に落ち、騙し討にあって翼を奪われ、強大な力を削がれたのかを。強欲な人間どもが妖精の土地で産出する宝石や貴金属、土地そのものまでも狙っていることを。その欲望のためなら森を焼き妖精や動物を殺すことも厭わないことを。その人間たちの王になった男が、かつてマレフィセントから翼を奪い取った者だったということを……。
だから、だったのだ。彼が人間どもを、とりわけ人間の城を見張るよう命じられていたのは。
「彼らには必ず復讐する。その好機が来たなら、お前にも一働きしてもらう」
そうつぶやく彼女の前で、ディアヴァルは膝を付き深々と頭をたれた。
「御意。いつでもご命令を……!」
その脳裏には、さっき見た痛ましい傷痕がこびりついて離れないのだった。