ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部26話「山火事」 山が、燃えていた。
ドワーフ鉱山を擁するモルン山。その山麓に広がる豊かな森は今、一面の炎に呑み込まれつつあった。
パチパチと音を立て熱風と煙を吹き上げる炎の前線が山を這い上がってくる。木々の間の下生えを舐めながら這い寄る炎は一見ゆっくりにも見えるが、新たな樹木に取り付くと樹皮を燻ぶらせながら幹を這い上がり、唐突に巨大な炎となって躍り上がる。そうなると生木であってももう抗うことは出来ない。木々は次々と炎の嵐に揉まれ、呑み込まれてゆく。辺り一帯を焼き尽くす業火は激しい上昇気流を生み、生命を奪う熱風が荒れ狂っていた。
ドワーフたちは坑道に逃げ込んで水魔法で入り口を塞ぎ、炎を防ごうとしていた。だが、山腹を吹き上げてくる熱風は容赦なく氷を溶かし、逃げ場のないドワーフたちを追い詰めていた。
山からは、炎と熱の旋風に追い立てられた動物や鳥が駈け下ってくる。だが、逃げ惑う彼らを冷徹に観察し、狙う者もいた。空には猛禽が、地上には肉食獣が、炎に追われる獲物を待ち構えている。それは自らもまた業火に呑まれる危険と隣合わせの命がけの狩りだった。
そして、それら全てを更に上空から見守る影があった。
漆黒の羽毛。鋭い黄水晶色の目。
大鴉のディアヴァルの姿だった。
数刻前に時は遡る。
モルン山の向こうから昇る朝日を浴びて、一羽の大鴉が飛んでいた。
ディアヴァルだ。
嘴には一本の木の枝をくわえている。その先端には火種がついており、山に向かって吹く風に煽られて赤々と光っていた。
彼は、森の中に降りると枝を地面に突き刺した。そして自由になった嘴で、よく乾いた針葉樹の樹皮や松ぼっくり、小枝などを集め、松の根元に積み上げた。
それからおもむろに枝を抜き取ると、積み上げた火口の中に火種のついた先端を押し込んだ。そして頭をかしげ片目で覗き込む。
火付きが悪いのを見たディアヴァルは、翼を羽ばたいて風を送り始めた。間もなく火は積み上げた火口に燃え移り、次第に大きな炎になっていった。
ディアヴァルは少し下がって火を見守り続けた。
やがて炎は炙られた松の樹皮に燃え移り、小さく爆ぜる音を立てながら幹の上へと這い上がり始めた。
火勢が強まり松の幹全体が燃え上がるのを見届けて、ディアヴァルは翼を広げ空へと舞い上がった。
それから彼は、炎も煙も届かない風上の高みからことの成り行きを見守った。
最初はじれったいほど小さかった火は、いったん燃え広がると手のつけられない大火事になった。
だが、それこそが彼の望みだったのだ。
山裾の森は業火に包まれ、昼頃には山麓を覆い尽くす大火事になっていた。
ドワーフの坑道の周辺も例外ではなかった。ドワーフたちが昼休みに坑道から出ようとした時、既に出口は火に囲まれていた。逃げ道を失ったドワーフたちは、坑道の入り口を魔法で作り出した氷で塞いだ。しかし、氷はあっという間に溶けて消えてしまう。炎から身を守るためには、魔法を掛け続けていなければならなかった。
ドワーフたちの苦闘の様子は上空からでもある程度見て取れた。
坑道の入り口を塞ぐ氷が溶けては現れることで、ドワーフたちが猛火に抗っていることがわかるのだ。
ドワーフ鉱山を見張りながら、ディアヴァルは思った。
(ドワーフどもも、獣どもも、みんな、みんな、燃えてしまえ。あの方を殺したお前達みんなをこの炎が裁くのだ……。万一にも炎がお前らを見逃すのなら、俺もお前らを見逃してやる……)
もう少し粘ることができれば、もしかしたらドワーフたちは助かるかも知れない。果たして彼らは粘り勝てるのか。それは炎の勢い次第だった。
と、突然、坑道の入り口が吹き飛び、何か巨大な影が現れた。
上空にいるディアヴァルにまで伝わってくるおぞましい気配。
彼は、その気配に覚えがあった。脳裏にあの無残な記憶が蘇える。かつてマレフィセントがドラゴンに变化した時に感じたあの異様なピリピリする感覚と同じだ……。
巨大な影の前には一人のドワーフがいた。ドワーフと影の間をドロリとしたタールの様なものが繋いでいる。そのドワーフはそれまで向き合っていた炎に背を向けると、影と共に背後の仲間たちに襲いかかった。襲われたドワーフたちは坑道の中へと逃げ込み、影がその後を追っていった。
穴の中までは見ることが出来なかったが、ディアヴァルは上空から監視を続けた。だが、坑道の入り口に氷が現れることは二度となかった。
山火事は三日三晩燃え続け、山麓の半ばを焼き尽くした挙げ句に、突然の豪雨で鎮火した。
ディアヴァルは、まだ燻る木の残る山火事の跡を飛びながら地上を観察した。美しかった森は見る影もない炭と灰の覆う荒れ地に成り果て、あちこちに逃げ遅れた獣の焼死体が転がっていた。
坑道の入り口まできたディアヴァルは、地面に降りると用心深く入り口を覗いてみたが、中は静まり返り、なんの気配も伝わってこなかった。
彼の復讐は成ったのだ。だが、不思議と何の感慨もなく、深い喪失感だけが胸の底に沈殿していた。
彼は漆黒の翼を広げると大空へと舞い上がり、モルン山を後にしたのだった。
【豆知識】放火する鷹と火を運ぶカラス
オーストラリアには放火して山火事を発生させて獲物を追い立てて狩る鷹が3種類観察されているそうです。
「放火する鳥」とか「放火する鷹」などで検索をかけるとこの鷹についての記事が何本も見つかりますので、興味のある人はぜひ読んでみてください。
オーストラリアのアボリジニには、火を使った狩猟を鷹の行動から学んだことを推測できる伝承も残っているとのことです。
主な参考記事:https://logmi.jp/business/articles/322166
一方、カラスはというと、日本での報道で、墓場のお供えのろうそくを盗んだカラスがろうそくを落っことしてぼやが出た、というのがありました。
参考記事:https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1500R_V11C13A2000000/
放火する鷹だとカッコいいですが、うっかりミスでぼやを出すカラスだと「おっまぬっけさん♪」という感じですね(笑)