【2021夏イベ】天ぐだ♀/夢追う君に微小特異点、カリブ海の冒険も佳境を迎え、ベースキャンプに戻ってきたと思えばテントの入口に刺さっていたのは見覚えのある薔薇の黒鍵と小さな紙切れ。差出人は見るまでもない。こんな胡散臭い謎の怪盗、一人しかいないだろう。
聖杯怪盗天草四郎。あの時見た幻覚が再び脳裏をよぎる。漆黒のタキシードにストラを彷彿させる赤のストール。若干過剰な装飾に不敵な笑み。
お宝と言えば聖杯。それは分かる。わたしも以前の異聞帯攻略で存分に思い知らされた。聖杯といえば天草四郎。なぜなのか。いや、あれだけ頻繁に聖杯に関して罰を受けさせたサーヴァントもカルデア史上いないとはいえ……。
怪盗ライバル(?)のカーミラに訊けばまだジャングルの奥地から戻ってきていないとのこと。夢追う少年の相変わらずの執念にため息を一つ。仕方なく、みんなには「夕食までには戻る」と言って予告状に書かれた遺跡に向かった。
「あまくさー、夕ごはんの時間だよー。早く出てきなよー」
ランプを翳すと、遺跡の奥から人影が見えた。マントを翻す、細身のシルエット。少しだけどきりとする。「お待ちしておりました、マスター」と軽やかな声がひんやりとした遺跡に響き、彼が姿を現す。
「兵糧攻めですか」
「ご、ごめん……そういう意味で言ったわけでは」
「冗談ですよ」
――振り向く間もなく、入口が轟音を立てて塞がれる。
実のところ、この手の罠には慣れてきたのだが。対して、天草はというと。
「わかりました。これはきっと■■しないと出られない部屋ですね。……仕方ない。マスターのためであれば……早速ですが服を」
「都合の良い解釈すぎるよ!服を、ってキミの中では一体何がどこまで進んでるの!」
今回の冒険でもそんな黒髭やおっきー大歓喜なギミック無かったからね?天草は相変わらずテンションの振れ幅が大きすぎる。と言いつつも、天草とだったらわたしはどこまで許せるのだろう、なんて密かに考えてしまう自分もいて。そんなわたしの心を見透かされたかのように。
「……っ…………!」
無言で不意に抱き寄せられ、柱の影に身体を押し付けられた。身じろぎするも、マントで覆い隠すように抱きすくめられる。顔が近いよ、天草。耳元に息がかかった気がして、思わず目をぎゅっと閉じる。
「天草……!いくらなんでも……っ」
「マスター、お静かに」
顔を寄せられ、人差し指を口元に当てられる。革手袋の冷たい感触に背中がぞくりとする。だけど様子が違う?彼が視線で指し示す先には。
「残念ですが、今回はそういった縁は無かったようです。まあ、次の機会まで持ち越しということで」
「つまりは……」
「エネミーです」
上がる息を整える。これで目視できる敵は倒しきったはずだ。ルーラークラスはどうしても耐久戦になりがちだ。天草は何だかんだでアタッカーもこなしてくれるとはいえ。心なしか、普段より魔力の消費量が多かった気もする。もしかして天草も密かにフラストレーションが溜まっていたのだろうか。
「ご心配ありがとうございます。聖職者たるもの、自らの心を律するのも務めだというのに。すみません」
「そんな、いいんだよ。たまには」
「しいて言うなら、■■しないと出られない部屋での貴女の反応が見たかった」
「天草?聖職者って何だっけ?」
目的と手段が逆転してるよ、聖職者もどき。魔力以外に一体何を求めているのかと思えば。
それはさておき。聖杯怪盗、お目当ての代物は?
「まあ、聖杯はおそらく此処には無いと分かっていたのですが」
「騙した?!」
存分につぎ込んだ魔力を返してほしい。夕食前の運動にしてはちょっとキツすぎる。こんなことなら、新所長が作っていたおやつ持ってくればよかった。今日はサンドイッチで余ったパン耳で作ったラスクだったか。メープルシロップもついでに瓶ごと持ち出して……。というか、聖杯が無いならわたしが到着するまで留まっている意味もなかったのでは?
「いえいえ、目的は達成されましたよ」
「それって」
「……また、貴女との時間を盗みたくて」
春の暖かな日差しが降り注ぐ庭園が脳裏に浮かぶ。花々の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
アフタヌーンティーなんてお洒落すぎないかな?なんて言ったけれど、本当は背伸びできるのが少し嬉しかった。髪も目の色も普段と違うわたし。エスコートみたいに手を引かれ、席に着く。彼の淹れた紅茶は少しだけ渋かった。すみません、慣れていなくて、と口直しの焼き菓子を勧められる。これって前にくれた教会式手作りクッキー?なんて他愛もない会話をして。だけど肝心なことはその時もわたしは言えなくて。それなのに、天草は。
わかってた、わかってたよ。聖杯を見たとき、何で天草のことが一番に思い浮かんだか、なんて。傷跡残さないでよ。こんな時に思い出させないでよ。
「マスターは危なっかしいところが抜けませんね。このような場所にサーヴァントも連れず、お一人で。流石に今度ばかりは来ていただけないかと思っていました」
「わかってないよ、天草は」
天草がくれる予告状なら、わたしはどんな無謀なことでも、何度だって取りに行くよ。
だって、わたしは……
「ありがとうございます。貴女の信頼、確かに頂戴しました。それはそれとして、こういったトラップには制限時間がつきものかと」
遠くで地響きが聞こえはじめる。今回何度となく経験した、終焉の音。
「では、手っ取り早く参りましょうか。……宝具で」
言われるがまま、魔力供給を始める。聖杯怪盗とのささやかなドタバタ劇はこれにて一件落着。終幕に一抹の寂しさを感じるのはわたしだけだろうか。
とはいえ、選択の余地などなく。天草の宝具で遺跡ごと文字通り『更地』にして脱出すると、外はもう黄昏時だった。天草に手を引かれ、待たせてあった熱気球に飛び乗る。抱きかかえられる体勢に頬が熱くなる。
熱気球はゆっくりと上昇していく。二度目の空中散歩だった。
高度が安定すると、天草は魔法瓶からカップに紅茶を注いでくれた。少しは上手くなったでしょうか、と照れ笑いと共に手渡される。カゴの中でお茶を飲みながら、しばしの遊覧飛行。お茶菓子代わりに今回の旅を振り返る。天草は時折質問をしながら、楽しそうに話を聞いてくれた。カルデアに来たばかりの頃は誰に対しても一歩引いた態度だった彼にも、苦楽を分かち合える仲間が増えたんだな、と頬が緩む。だけど、やきもちを妬くような発言がないのは少しだけ寂しくもあった。天草はどこまでも優しい。やっぱり本当は天草と冒険したかったな、なんてわがままも言えなくなるぐらいに。
カゴの縁に頬杖をつき、夕焼けを眺める。異国の少し冷たい風が吹き、熱気球を揺らす。
肩にふわっと重みがかかったかと思えばそれは天草のマントで、見上げると微笑みを返してくれた。照れ隠しに「夏なのに随分厚着で来たよね、天草」と茶化してみる。
「マスター、私の執念を甘く見ないでいただきたい。聖杯のあるところ、何処へでも参上しますよ。例え火の中、水の中、灼熱のカルデラの中。……それはさておき」
天草は息を一つ吐き、立香に向き直した。
「こうして貴女と会えてよかった」
「本当はこのまま、貴女を連れ去ってしまいたい」
夕日が沈む、地平線の彼方へ。誰も足を踏み入れたことのない、世界の平和の果ての果て。
天草はその旅路の終わりに何を視ているのか。夢追う少年の憧憬はあまりに壮大で、遠く霞んで見えた。
立香は逡巡した表情のまま夕焼けを見ていた。手を取り合う、それだけのことがこんなにも難しいのかと。
「天草、わたしは……」
「無理に答えなくてかまいませんよ。これはただの我儘ですから。俺はつい、貴女を試したくなってしまう」
主の教えに背いてでも、自分を見てくれていると確認したくなる。こんな不実な俺に応えてくれる貴女が愛しくて、何度も、何度も。
日は落ち、空は濃紺色へと変わりつつある。そろそろ別れの時間だった。熱気球の仕組み上、夜間飛行は危険ですからと言って、天草は着陸の準備を始めた。
「ベースキャンプには来ないの?」
「今の私は怪盗ですから。怪盗が皆と寝食を共にするわけには」
「律儀だなあ」
「それに、真夏の解放感にあてられた怪盗はまた貴女を盗みに来てしまうかもしれませんよ。たとえ皆が寝静まった真夜中でもお構いなしに……」
「もう日中じゃなくてもいいよ」
「……立香」
薄暗い夕暮れに、彼の影が覆いかぶさる。夜が来る。つぶれそうなくらい強く抱きしめられ、二つの影は一つになる。
彼がつくる暗闇は、きらいじゃない。
視界も言葉も失って、身体を彼に委ねる。
「天草……」
「今だけは、名前で呼んでいただけませんか」
頬を寄せたシャツ越しに彼の体温を感じながら、こくりと頷く。確かめるように彼の名前を囁く。
半年前は言えなかった言葉も、今なら言えるだろうか。四郎、わたしは……
「俺にもありますよ。あの時言えなかったことが、もう一つ」
「四郎にも?」
聞きたいけれど、勇気を出せなかったわたしがそれを受け取っていいのだろうか。
「それとも、同時にしますか?」
表現は違えど、きっと同じ言葉ですよ?と天草は笑う。
「じゃあ、せーの、で言おうか」
「はい」
これがひと時の逃避行に過ぎないことはわかっている。ホワイトデーの時も最後は聖杯を返してくれたし、天草のことだから今回もきっと頃合いを見計らってみんなの元に帰してくれるのだろう。
――それでも、今だけは同じ夢を見ていたいと思った。
(終)