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    Chigiri_idv

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    Chigiri_idv

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    観用少…パロ
    ありとあらゆる解釈と戦っている。何なら商人ポジの時点で詰んでいる。
    2024/09/10 書き足しました。まさに牛歩の如く。
    2024/09/28 また書き足しました。いつ終わるんや……
    2024/10/02 一山越えました。後はもう少し。
    2024/10/06 まだやってる。

    フロマティ観用少…パロ。「貴方様は本当に、豪運の持ち主ですよ」
     もうわかっています! と、純白のヴェールを被った店員は、金細工の仮面の下で静かに微笑んでいる。
     豪奢な調度品で揃えられた店内。
     頭の芯がクラクラとする程に焚かれた甘い香。
     そして、この店で商品として扱われているのは、
    「よくご覧下さい、少々古いタイプではありますが……極上品で御座います」
     まるで生きている人間そっくりの生き人形、観用少年・観用少女である。
     幼い少年少女の姿を模した彼らは、”名人”と称される職人の手によって一体一体が丹精込めて育て上げられ、皆一様に見目麗しい容姿を持ち、特別なミルクと甘い砂糖菓子だけで育つという。
     また人形本体は勿論、購入後の食餌代や被服費、身の回りの品々その全てが一般人には手が届かぬ程に高価であり、貴族の嗜みと揶揄される事もある。
     その、庶民お断りの店で。
    「此方は”双子星”、二人で一つの”観用少年”。その彼らに揃って気に入られるなんて十年に一度、……いえ! 百年に一度あるかないかですよ」
     上等な革張りの接客用ソファの上、左右の腕にそれぞれ一体ずつの観用少年からひしっと抱きつかれながら、フロリアンはゴクリと生唾を飲み込んだ。


     フロリアンは街の火災保険会社に勤める青年で、けして裕福という訳ではない。
     ただ今宵、退勤途中にたまたまにこの店の前を通りがかり、ショーウインドウを飾る観用少女の美しさに目を奪われただけである。
     何段にも重ねた繊細なフリルのスカート、足元まで届く程に豊かなふわふわの金髪。
     すっと伸びた鼻梁には高貴さが見て取れ、自分には生涯縁のない趣味の世界だな、とフロリアンが視線を下げたその先に。
     クスクス、と。
     ショーウインドウの背景となるカーテンの裾を捲り上げ、此方を覗き込む瞳が三つ。
     まるで天使の様に愛くるしい顔立ちに、悪戯っ子と呼ぶに相応しい笑みを浮かべた少年達が、店の中からフロリアンに手招きをしていた。



     それからあれよあれよという間に見目胡散臭い店員によって店内に引きずり込まれ、ソファに座らされて一通りの説明を受けて今に至る。
     出された高級茶の味など、とうに分からなくなっていた。
    「えっと……、説明してもらった所で悪いんだけど、僕……見ての通りお金が無くてね」
     まるで購入する事が決まっているかの様な待遇に、フロリアンの背中に嫌な汗が伝う。
     幼い頃に火事で両親を亡くし、自身も右目を失った。
     先日育った孤児院を出て、今の会社に就職したばかりの、駆け出しも良い所だ。
     法外に金のかかる趣味とされる観用少年を、それも一度に二人も面倒を見るなんて事、到底出来るとは思わなかった。
     だから他を当たってくれ、とフロリアンが腰を上げようとすると、両脇に座る人形達がぎゅっとその腕に力を込めた。
     お揃いの鳶色の髪に、長い睫毛に囲まれた、夢見る様な琥珀色の大きな瞳。
     陶器の如く白く滑らかな肌の上、すんなりと通った細い鼻筋に、つんと拗ねた様に尖らせた小さな唇。
     そのどれもが極上品の名に恥じぬ完璧なバランスで配置された顔立ちは、直視すら憚られる程の愛らしさだった。
     そう、思わず誰だってそのお願いを聞いてしまうような……、
    「……ダメだよ、僕じゃキミ達を幸せに出来ない」
     だからこそ、だ。
     片方ずつ丁寧にその小さな陶器細工の様な手を取って離させ、フロリアンは席を立って店の出口へと向かう。
    「お茶、御馳走様でした」
     今度は自分の様な甲斐性のない人間ではなく、もっと裕福な家族を選んで欲しい、そう告げ、ドアに手を掛けたところで、
    「――……困りましたねぇ、そうすると、この子達……枯れてしまうのですよ」
    「……え?」
     ぽつりと、それでいて聴力に難のあるフロリアンにもしっかりと聞き取れるような声音で、店員は呟いた。
    「見てお分かりの通り彼らは少々、いえ相当の”理由有り”の少年となりまして……、先日、店に戻されてしまったのです」

     聞いてはいけない、と頭の何処かで警鐘が鳴っているにも関わらず、フロリアンはふらふらとソファに戻って来てしまっていた。
    「お客様はチェルニンの劇場火災をご存知で?」
    「えっと、勿論……」
     フロリアンの仕事柄は勿論、この街に暮らす者なら知らない者はいないだろう。
     一ヶ月程前に起きた、街一番の人気を誇る人形劇団のショーの最中に起きた火災事故だ。
     幸いな事に生身の人間の死傷者は出なかったが、劇場は焼け落ち、劇団の所有する人形達も大半が焼けて失われてしまったという。
    「……まさか!」
    「そう、そのまさか……彼らこそ、一座の花形演目であった”チェルニンの双子の舞踊人形”、「ルイ」と「マティアス」なのです」

     幼い頃、孤児院へと寄せられた慈善活動で一度だけそのショーを観劇する機会があった。
     操り手も糸も必要なく、それでいて洗練された所作で、まるで鏡合わせの如くしなやかに舞い踊る一対の舞踊人形。
     暗いステージの上、スポットライトを浴びて浮かび上がるその容姿、その微笑みの愛らしさに、一瞬で心を奪われてしまった事を覚えている。

    「……観用少年だったのか」
     驚きに目を丸くするフロリアンの視線の先で、「マティアス」と呼ばれた方の少年が居心地悪そうに身じろぎする。
     その顔には半分以上を覆う様に包帯が巻かれており、その理由についても容易に想像がついた。
     恐らく、店に戻されてしまった理由も同じだろう。
     俯くマティアスの髪を優しく撫でながら、店員は説明を続ける。
    「観用少年はとてもデリケートでして、ここまで大きな損傷を受けてしまっては……恐らく長くは保ちません」
     そして片割れを失ってしまっては、「ルイ」の方も時を置かずして枯れてしまうだろう、と。
    「せめて、職人の元でメンテナンスを受けさせようと思って「眠らせた」のですが、二人はお客様を選んで目覚めてしまった」
     観用少年の一番の栄養は、少年本人が選んだ人間から受ける愛情。
     古びた御伽話の様だが事実らしく、深い愛情を受け続けた観用少年が何十年も老いる事も朽ちる事も無く生き続けたという記録もあるらしい。
     ならば、マティアスにも愛情を注いでくれる者がいれば、枯れずに済むのではないか。
    「…………でも、僕には」
     既に話に飽きたのか、ルイは店員の膝に乗り上げて大きく欠伸をしている。
     マティアスは行儀よくソファに腰掛けたまま、不安げに眉を寄せ、フロリアンの顔を見上げている。
     自分が買い取らなければ、彼らは枯れてしまう運命だなんて。
     頭を抱えたフロリアンの目の前に、店員は静かに一枚の色紙を差し出した。
    「……ッ!?」
     書かれた数字は、正に天文学的桁数。
     フロリアンは思わず目玉が飛び出るかと思う程に目を見開き、微笑む店員と色紙を交互に見る。
    「ごめん! やっぱり!」
    「……なのですが、お話ししました通り、彼らは枯れてしまう可能性が高く……、本来でしたらお客様にお売りする訳にはいかない商品ですので、」
     色紙を取り上げ、店員はその場でさらさらと価格を書き直した。
     改めて差し出された数字は、フロリアンの収入程度でも少しばかり背伸びすれば出せない事は無い額面であった。
    「……いいの?」
    「更には今なら、初回の身の回りの御品もお付け致しますよ」
     ローンも承っておりますが、とトドメとばかりに付け加えられては、フロリアンはがくりと折れるしか無かった。



     一人暮らしの寂しいアパートは、一気に賑々しい様相となった。
     基本的な生活習慣は身についているとは云え、幼い双子の兄弟が転がり込んで来た様なものである。
    「あっ! 駄目だよルイ君! 今回はマティアスが先だよ!!」
     小さなミルクパンをコンロにかけて手が離せない状態で、背後で発生している双子の喧嘩を仲裁する。
     双子星と銘打たれているものの、どうやら二人にはかなりの性格の差がある様だった。
     無邪気で明るく、悪戯好きな方が「ルイ」。
     内気で大人しく、物静かな方が「マティアス」。
     主にルイがマティアスにちょっかいをかける形での喧嘩が頻発しており、今も本来ならばマティアスが先にミルクを貰う番だというのに、ルイがそれに不満を訴えているようだ。
     予めカップに湯を入れて温めておき、火にかけているミルクパンの中の観用少年用の特別なミルクの縁にふつふつと小さな泡が立ってきたら、カップの湯を捨て、小さな茶こしを通して静かに注ぐ。
     このカップ一杯分だけで、フロリアンの昼食三日分の価値があると云うのだから驚きである。
     フロリアンがキッチンからテーブルへとカップを運ぶと、そこには胸元に黒のリボンを結んだ「マティアス」がお行儀良く席に着いていた。
    「……いや、ルイ君だねキミは……」
     どうして!? と驚きの表情を浮かべるルイを椅子から下ろし、ぐしゃぐしゃの丸結びになっているリボンも回収する。
     狭い室内を見渡せば、ルイにリボンタイを毟り取られ、部屋の隅で膝を抱えて俯いているマティアスがいた。

    「マティアス」
     視線を合わせる為にしゃがみ込んで声をかけると、華奢な肩がビクリと跳ねた。
     それからマティアスはおずおずと、こちらの機嫌を伺う様にゆっくりと顔を上げる。
     流石に泣いてはいない事にひとまず安堵し、フロリアンはにっこりと得意の笑顔でマティアスに声をかける。
    「マティの為にミルクを温めたんだ、飲んでくれると嬉しいな」
     マティアスの為に。
     その言葉に、曇っていた表情がぱぁっと明るくなり、マティアスはこくこくと頷き返す。
     脇の下に手を差し入れて立たせ、先の喧嘩で皺の寄ったベストとシャツの裾を直してやる。
     襟元にルイから取り返した黒いリボンタイを結べば、先程までの泣き出しそうだった少年の面影は何処にもなかった。
    「可愛いよ、僕の王子様」
     白い手を取って甲に軽くキスを落とせば、マティアスの頬がぽっと薔薇色に染まる。
     おや、と不思議がるフロリアンの脇を軽い足音で駆け抜けると、マティアスはよじよじと一人で椅子へとよじ登った。
    「あ、待って待って、マティアス!」
     追いかけたフロリアンが向かいの席に座ると、マティアスは両手で大切に持ち上げたカップをそっと傾けた。
     こくこくと小さな音を立てて白い喉が上下する。
     マティアスにとっての特別なミルクを、夢中になって飲み干し、そっとカップをテーブルに戻す。
    「美味しかった?」
     フロリアンに声をかけられ、マティアスはスミレの花が咲き綻ぶ様に、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。
     その幸せそうな微笑みの、なんと愛らしいことか。
     世の中にはこの瞬間の為だけに高額な観用少年を迎える者もいると聞くが、その気持ちも分からなくもないとさえ思い始めている。
     至福の時間に心を奪われていると、今度はコンコンと椅子の足を蹴る音がする。
    「あぁ、次はルイ君の分だね、分かっているよ!」
     フロリアンは先程と全く同じ手順で、今度はルイの分のミルクを温め始めた。

     これを一日三回、計六杯繰り返す。
     この他にもフロリアンは二人分の着替えを手伝い、湯浴みの世話をし、包帯を変えてやり、人形遊びに付き合い、喧嘩を仲裁し、寝かしつけまで行っている。
     無論、二人を養う為にこれまで以上に仕事に精を出しているのは言うまでもない。
     けれど。
    「本当に……、キミ達に出逢えたのは神の奇跡と言わざるを得ないよ!!」
     二人分の天使の微笑を前にすれば、彼らの世話や朝から夜までの仕事の疲れなど、一瞬で吹き飛ぶ様な心地になった。
     三人で暮らすには少々手狭なアパートの利点は、職場にまで走れば五分な点である。





     暗闇に、茫と炎が揺れている。
     記憶の中で見慣れたその炎に、これが火事だと思い至ると同時にぶわりと視野が広がり、自分が今立っている場所が黒煙に巻かれた舞台袖だと識る。
     倒れた照明器具から火が出たのか、舞台上の大道具達は既に炎に包まれ、重厚な舞台幕にも炎は燃え広がっている。
     燃え盛る轟火の音と光を前に、不思議と熱さは感じなかった。
     これは夢か、幻か。
     常ならば避難誘導に協力する事を最優先とするだろうが、得体の知れぬ肌感覚に、ひとまず周囲を観察する事にした。
     舞台上からは、恐慌に呑まれた観客達が我先にと出口へ殺到する様子がよく見える。
     ……小さな内開きの扉に大挙して群がっておきながら、扉が開かないと必死に拳を振り上げる姿は、冷静に状況を把握できる者からすれば、まるで出来の悪い茶番劇の様だった。

     ――……パパ!

     幼い子供の悲鳴じみた声に、フロリアンはハッとして周囲を見渡した。
     ――熱いよ……! 怖いよぉ……! パパ……パパッ……!!
     何故気付かなかったのだろう、広い舞台の中央、天井のスポットライトの真下に、寄り添い合って震える二つの人影があった。
     それは豪奢な舞台衣装に身を包んだ双子の観用少年……「ルイ」と「マティアス」だった。

     心臓が一つ鼓動を打つよりも先に、フロリアンは動いた。
     これが夢かもしれない等と、考える暇は無かった。
     一分一秒でも早く、二人を保護して此処から逃げなければ。
     そう思い。
     駆け出そうとした足は、一歩も動けなかった。
    「……えっ、はっ……なんで!?」
     叫び、思わず足元を見下ろすも、青い作業服を身に着けた自分の足は、床に縫いつけられたかの如くビクとも持ち上がらない。
     どうにか上半身は動かせるらしく、腿を叩いたり、両手で脚を持ち上げようとしたりとするものの、一向に自由になる気配はない。
     遊んでいる猶予など一切無いと云うのに!
     わぁっというささやかな歓声に振り返ると、どうやら観客達がようやく扉を開く事に成功したらしい。
     同時にホールの中に新鮮な空気が流入し、舞台上の火の勢いが増す。
    「ああ! もうっ! 動け……! 動けよっ……!! マティアス!! ルイ君!!」
     ばきばきと音を立てながら、天井から焼けた梁が落下する。
     少年は悲鳴をあげ、一方の少年がもう片割れを庇う様に覆い被さった、その瞬間。
     ――……パパ!?
     その瞬間、反対側の舞台袖から飛び出した恰幅の良い中年の男性が、二人を抱き上げ、倒れ来る梁の下を駆け抜けた。
     上着こそ脱いでいたが、身に着けているシャツの仕立ての上等さや装飾の多さから二人と同じショーの団員……恐らく彼こそが二人の父親であるMr.チェルニンだろう。
     Mr.チェルニンは肩で息をしながら一旦立ち止まり、腕の中の二人の無事を確かめると、そのままフロリアンの方など見えていないかの様に、一目散に来た方向へと走り去った。
    「……良かった、ぁ……」
     一連の出来事に呼吸すら忘れていたフロリアンは、ようやくほっと肩の力を抜いた。
     成程、彼らはこうやってあのチェルニン劇場火災から生還したのか。

     演目の最中に炎の中に取り遺された双子。
     彼らを危機一髪の所で救助に成功した父親のMr.チェルニン。

    「……素晴らしい、まさに神の奇跡だ!!」
     この場の誰にも視えていない事を良い事に、フロリアンは思わず両腕を天に衝き、歓声を上げた。
     同時に、舞台上の大道具が大量の火の粉と共に崩れ落ちた。
     この勢いならば、炎はこのまま劇場を建物ごと燃やし尽くすだろう。
    あぁ、早く目を醒まし、双子をこの興奮の儘に抱き締めてあげたい。
     フロリアンが温度を感じない大火の中、思わず目蓋を伏せて己の身を両腕で掻き抱いていると。

     ――……パパ、どうして……?

     先程まで聞こえて来ていた声の主の、悲痛な嘆き声が、フロリアンの背後から耳に届いた。
    「……え、」
     意識が、浮上する。



    「「…………」」
     三つの瞳が、フロリアンの顔をじっと覗き込んでいた。
     或いは、魘されていたのを心配してくれたのだろうか、愛らしい観用少年の双子達は両サイドからフロリアンの胸元へと半身を乗り上げ、寝台に寝そべっている。
    「…………今のは、キミ達の記憶かい?」
     双子はきょとんと目を丸くし、示し合わせたかのように互いに顔を見合わせる。
     当然だ、あくまでフロリアンが勝手に見た夢の話など、話された所で彼らも困惑するだけだろう。
     片手を伸ばし、ベッドサイドテーブルの上の灯りを点ける。
     日頃鍛えている身だ、少しばかり腹筋に力を入れれば、羽根よりも軽い観用少年二人ごと上体を起こす事など容易い。
     きゃあきゃあと悲鳴をあげて転がる二人を捕まえ、ぎゅっと背中から抱き締める。
     ふわふわの焦茶の髪が頬をくすぐり、特有の甘い香りに鼻腔が満たされる。
     上質な夜着の袖口から覗く両手は、子供らしく小さく、ふくふくとしてやわらかい。

    (……分からない事がある)
     何故、Mr.チェルニンは二人を手放した?
     本格的に施設が燃え上がる前とは言え、彼は二人を助ける為に炎の中に飛び込む程に溺愛していた筈だ。
     ……育ての親としての愛情か、花形演目としての利用価値か、その機微は、親を早くに亡くしたフロリアンには判別出来ないが。
     それに、救助されたのならば、いつマティアスは火傷を負った?
     大の大人に抱き上げられた状態で、顔の半分を灼かれ、眼球を失う程の大怪我を負う事は考え難い。
     仮に避難の最中に崩落に巻き込まれたとしても、一緒にいた筈のルイが無傷である説明がつかない。
     そして、耳にこびりついて離れない、火災現場で父親を求めて泣き叫ぶ少年の声。

    「あの声は……、」
     無意識の内にぽつりと呟いた所で、はたと気がついた。
    「ッ、キミ達……喋れるのかい!?」
     夢の中では何の疑問もなく、ルイかマティアスの声だと思い込んでいた。
     双子と暮らし始めて数週間になるが、フロリアンは二人の声を聞いたことが無い。
     観用少年の彼らが話せるのならば、本人達に直接事情を聞くことが出来るのでは無いか。
     腕の中ではしゃいでいた二人が、ぴたりと動きを止めた。
     くるりと身体を反転させ、それぞれがフロリアンの膝の上に収まると、じっとフロリアンの隻眼を覗き込む。
    「うっ」
     きらきらと星の浮かぶ、琥珀色の潤んだ物言わぬ瞳。
     その瞳に見つめられるだけで、たった今彼らが隠し事をしているのでは無いかと疑った事を、後悔しそうになる。
     心臓が早鐘を打ち、何か言わねば、と思わず唇を開きかけたその時、
    「「…………!」」
     にぱ、と。
     互いに手を繋ぎ合わせた二人は、全く同じタイミングで、にっこりと微笑んだ。
     深夜の薄暗い室内さえぱぁっと明るくする様な、幸せそうな笑顔だった。
    「……駄目かぁ……」
     その笑みに思わず毒気を抜かれ、フロリアンはがっくりと肩を落とす。
     結局全てはフロリアンの夢の中の話である。
     これ以上考えていても答えなど出ない詮無き事か、とフロリアンは二人を抱き抱えたまま、寝台に倒れ込んでぽふりと枕に頭を埋めた。
    「……今度、店員さんに聞いてみようか」
     ただ一笑に付され、過労だと心配されるかもしれないが。
     ついでに、観用少年が喋れる様になるかどうかも尋ねてみよう。
     二人の小さな背中を優しくトントンとあやしながら、フロリアンは小さく欠伸を漏らした。
    「おやすみルイ君、マティアス」
     微睡む意識の中、おやすみなさい、と小声で返事があったような気がしたのは、きっと気のせいだっただろう。





     道を歩く時は、左右それぞれに一人ずつ手を繋いで歩く事にしている。
     双子がそれぞれフロリアンと手を繋ぎたがるからだ。
     特にマティアスは片眼を喪ったばかりというのもあり、フロリアンが視界から消えると不安になるのだろう、よくフロリアンの左側を歩きたがった。
     人通りが多い時や車道が近い時は二人とも抱き上げて歩く事になるが、腕の中できゃあきゃあと賑々しくはしゃぐ姿もそれはまた愛らしく、
    「……っと、」
     ピタリと、マティアスとルイが揃って歩みを止めた。
     つられてフロリアンも足を止め、前を向いたままの二人を見下ろして首を傾げる。
     目的地の観用少年店はもう目と鼻の先である。
     一体何がと尋ねる前に、双子はくるりと踵を返すと、ルイは前からフロリアンの腕をぐいぐいと引っ張り、マティアスは後ろからフロリアンの腰をぐいぐいと押し始めた。
    「ちょっ……ちょっと!? ルイ君!? マティアス!?」
    あれよあれよという間にフロリアンは路地脇に積まれていた荷箱の陰に押し込まれ、双子も追って飛び込んで来た。
     背中によじ登ってきたルイがびしりと指差す方向には、目的地である観用少年店と、
    (……あれは、)
     フロリアンは気が付いていなかったが、店の前にはこの場にそぐわない高級車が停まっていた。

     そう時を置かずして、店内から人影が現れる。
     上等な仕立ての紳士服に恰幅の良い身体を包んだ、一人の壮年男性。
    (Mr.チェルニン?)
     気に入らない事でもあったのか、随分と立腹した様子で店内へと何事かを喚き散らしながら、手にしたステッキで路面を小突く。
     しかし例の店員に対応するつもりは無いらしく、店頭に姿を現す気配はない。
     Mr.チェルニンもそれが分かってか、忌々しげに一度路面を強く踏みつけると、踵を返し高級車の後部座席へと乱暴に乗り込んだ。
     急発進して走り去る高級車の後ろ姿を見送り、フロリアンと双子はそろそろと物陰から出る。
    「あれは……、キミ達のお父さん、だよね?」
     少し言葉選びに悩んだが、フロリアンは二人へ尋ねる。
     当然の如く返事は無いが、服の裾を掴むマティアスの手に力が籠もった事が答えであった。
     何事かを言いたげな憂いを帯びた眼差しは、Mr.チェルニンを乗せて走り去った車の方向へと向けられている。
    (……やっぱり、帰りたい?)
     などとは。
     とてもでは無いが、フロリアンには聞く事が出来なかった。



    「チェルニン氏には連日御来店頂くのですが……正直、ほとほと困っております」
     金彩の施された陶磁器の茶器から茶を注ぎながら、立ち昇る湯気の向こう側で店員は深々と溜め息を吐いた。
     ふわりと広がる独特の香りは心を落ち着かせ、聞いてよかったのだろうか、と密かに緊張していたフロリアンの肩から力が抜ける。
    「えっと、Mr.チェルニンは何を探しにこの店に?」
     もしや二人に代わり新たなショーの目玉となる観用少年でも迎え入れるつもりなのだろうか。
     しかし、気高い観用少年達は自ら主人を選ぶ。
     主人に選ばれなければ、観用少年達は眠り続けたまま目を醒まさず、店主もいくら大金を積まれようとも彼らを譲る心算は無いという。
     ……Mr.チェルニンもあの様子では、望む物は手に入らなかった様だ。
     茶を配り終え、商談用のソファの対面へと腰を下ろした店員は、ちらりと双子の観用少年達へと視線を投げる。
     視線に気づき、ルイは何かを察したのかやれやれと芝居がかった仕草で肩を竦め、マティアスは怯えた様にフロリアンの陰へと身を隠そうとする。
     その様子を見て店員は頷き、金細工の仮面の下でにこりと微笑んだ。
    「チェルニン氏は、”双子星”の買い戻しを希望されています」
    「……え?」
     マティアスの肩が、ビクリと跳ねた。

     買い戻し、と思わず声に出して反芻する。
    「そんな事、出来るんですか?」
     ゴクリと生唾を飲み下し、恐る恐るフロリアンは問うた。
     もしも元の持ち主であるMr.チェルニンが望むのなら、そしてまた、観用少年の双子達が望むのなら。
     フロリアンに抱きつくマティアスの身にも、緊張が走るのが解る。
     そして、店員は薄紅の引かれた唇をゆっくりと開き、
    「いいえ、承っておりませんよ」
     小首を傾げながらきっぱりと否を告げた。
     意味もなく勿体ぶられた分の安堵から、がくりと肩を落とすフロリアンに、店員はコロコロと咲いながら言葉を続ける。
    「その辺りは観用少年も世の中の普通の商品と同じと申しますか……」
     せめて未だ店頭に並んでいる状態ならまだしも。
     一度この店で下取りを行い、購入者が中古品である事を了承した上で再度販売したのだ。
     当然ながら所有権は既にフロリアンの手に在り、いくらMr.チェルニンが元の所有者であったとしても何の干渉も出来ないだろう。
    「あ、何でしたら残りローン残高も確認しておきます? 購入した実感が湧きますよ?」
    「……いえ、結構です」
     存外、この店員も人が悪い事で。
     ようやく人心地つき、フロリアンはすっかり冷めた茶を啜る。
     ちらりと隣のマティアスを見下ろせば、未だ巻かれた包帯の下、片側だけ遺された琥珀色の瞳と視線が合った。
    「……マティは、残念だったかい?」
     父親の下に戻れると、期待していたのかもしれない。
     尋ねられたマティアスは、急いで首を横に振り、顔を伏せた。
     フロリアンの左腕を取り、ぎゅっと抱き着いてくる。
     ……どうやらそれが答えらしい。
     フロリアンも思わず眉尻を下げ、黙って右手で焦茶の髪に優しく指を通した。

     ぴょこり、と視界の端で人影が跳ねる。
     ソファの肘掛けに登って遊びながら話に耳を傾けていたルイが、店員の座る側へと移動していた。
    「おや、」
     靴を脱いだルイは店員の膝の上へと大胆にダイブし、腿の上に頬杖をついてソファへと寝そべった。
     膝を曲げ、パタパタと爪先でソファの座面を蹴る様子は、親に甘える子どもそっくりだった。
    「ルイ君?」
    「……構ってもらえなかったから、拗ねてしまいましたね」
     クスクスと笑いながら、青年はフロリアンの代わりとばかりにその焦茶色の髪を指で梳いてやった。
     高貴な猫のようにうっとりと目を細めるルイを見、フロリアンは隣でうずうずとしているマティアスに気付いて苦笑する。
     いっておいで、と柔らかく背を押せば、マティアスはフロリアンと店員の顔を見比べた後、そっと席を立って反対側へと渡る。
    「観用少年に好かれるんですね」
    「そうでなくては、店員など務まりませんから」
     空いた手で優しく迎え入れられるマティアスを、ルイが面白くなさそうな目で見つめている。
     座面を蹴る強さを増して不満を訴えているが、流石に他人の膝の上で喧嘩を仕掛けるつもりは無いようだ。
     結果として天使の様に愛らしい双子が仮面の麗人の膝上で戯れているという、何とも眼福な光景がフロリアンの眼前で広がっていた。

    「……ブランドさん」
    「えっ、は、はいっ!?」
     不意に名を呼ばれ、フロリアンは目の前の天国の様な光景からハッと我に返った。
     この奇妙な店員から名前で呼ばれるなど、初めての事だった。
     先程の買い戻しの話に戻りますが、と青年は前置きをする。
    「所有権やローン等はあくまで法の上での話。……観用少女や観用少年は、自分自身の意思で主人を選びます」
     穏やかに、凛とした声で紡がれる言葉につい惹き込まれる。
     気がつけば双子も店員の両隣ですっと居住まいを正し、爛々と光る三つの眼が此方へと向けられている。
    「人間から愛されなければ生きられない存在の観用少女や観用少年が、あえてその対象を選ぶという行為……我々はそれを何よりも尊く、神聖な絆であると認識しております」
     ――……Mr.チェルニンは、その資格を自ら放棄した。
     その意味は分かりますね、と店員に嫣然と微笑まれ。
     雰囲気に呑まれ、無意識にフロリアンの喉がゴクリと鳴る。
    「類稀に、一度別離した後も再び同じ人物を主人と選ぶ個体も居りますが……”双子星”、いえ、「マティアス」君と「ルイ」君はブランドさんを選びました」
     店員を間に挟んだルイとマティアスが、ぴょこりと同時にフロリアンに向かって頭を下げた。
    「……どうかこの子達を、末永く愛してあげて下さいね」
     まるで呪文めいたその言葉に。
     何故だか軽々しく答えてはいけないような気がして、フロリアンは殊更恭しく、神秘的な青年へと頷き返した。



     観用少年専用の特別なミルクに、砂糖菓子。
     双子であるからには消費量も倍となり、フロリアンの少ない給料が容赦なく溶けていく。
     支払いも終え、暫く自身の食事はキャベツだけになりそうだ等とフロリアンが彼方の方角へと意識を飛ばしていると、
    「……ん? マティアス君、キミ……」
     双子の、観用少年としての肌ツヤや髪の潤いなどを診ていた店員が、訝しげな声を上げた。
     振り返るとそこには両脇の下に手を差し入れられ、猫の子の様に持ち上げられているマティアスの姿があった。
     本人も何事かと不思議そうに首を傾げていたが、思い当たる節があったのか、突然ハッとした様子でじたばたと暴れて店員の手から逃れようとし始める。
     抵抗も虚しく、華奢な身体を持ち上げたまま店員はその場で向きを変え、ルイの隣に並ぶ様にふわりとマティアスを床へ下ろした。
    「……少し、”育って”しまいましたか?」
     全く同じ規格の筈の双子の片割れと並べられてしまっては隠しようが無い。
     職人の手によって作り上げられた、比翼にして一切同一の容姿を持つ筈の双子は。
    「育つ……?」
     ――……ほんの少しだけ、マティアスの背がルイの背丈を追い越していた。
     アァ、バレちゃった! とマティアスの隣でルイがちろりと舌を出していた。





     観用少年が育つ。
     簡潔に説明してしまえば、何年何十年と同じ少年の姿を保ち続ける筈の観用少年が、ミルクと砂糖菓子以外の物を口にしてその味を知り、”少年が大人になってしまう”事を指す。
     無論、元より人の理には囚われない観用少年のこと、育つ要因としてはそれだけでは無いとの話であったが……。

    「……〜〜ッ!!」
     アパートに帰宅するなり、フロリアンは双子をソファに下ろすと、踵を返してキッチンへと駆け込んだ。
     食料品の戸棚と冷蔵庫を順に開き、顔を突っ込む。
     数枚だけ減っているビスケット、ばれない様に削られたチーズ、少しだけ目方の減っているオレンジジュースの瓶。
     自身で消費した覚えの無いそれらをひとつひとつ確認し、一度落ち着く為に冷蔵庫の扉を閉めながら深々と溜息を吐く。
    「……マティアス」
     リビングからキッチンをおずおずと覗き込んでいた双子の片割れがビクリと肩を震わせた。
     フロリアンはゆっくりとマティアスへと歩み寄ると、視線を合わせる為にその場にしゃがみ込む。
    「どうしてこんな事したの?」

     ――育ってしまう事の問題点は二つ、一つは単純に当店への返品を受け付けられなくなる事ですが、もう一つは……

    「……枯れちゃうかも、しれなかったんだよ?」
     孤児院で危険な遊びをした子どもに言い聞かせる時の様に。
     しっかりと目を覗き込み、怒っている訳では無いからと、優しく理由を尋ねる。
     マティアスが大切なのだから、危ない事をして欲しくないのだと。
     マティアスの片方だけの瞳が、うるりと涙を浮かべる。
     反省というよりも、叱られている事が怖いのだろう。
     普段ならばフロリアンも動揺したのかもしれないが、今回ばかりはそうもいかない。
     フロリアンがじっとマティアスと視線を合わせ続ける内に、マティアスはぐすぐすと鼻を鳴らし始め、そして、
    「あ痛っ!?」
     ――……そして、ルイが横からフロリアンの脚を強く蹴り飛ばした。
     非力な観用少年と云えど馬鹿にはできない。
     怯んだフロリアンの隣を通り過ぎ、ルイはマティアスの手を掴むと、二人してリビングへすたこらと逃げ出した。
    「あっ、もう……こらっ!! ルイ君! マティアス!!」
     ルイはソファと壁との隙間をこじ開け、先にマティアスを押し込むと、自分は一度フロリアンへと振り返り、ベーッと舌を出してからマティアスの後を追う。
    「ルイ君!!」
     よくない、非常によろしくない。
     けれど、
    (……理由を、話してくれないんじゃあなぁ……)
     これ以上問い詰めた所で臆病なマティアスを泣かせるだけなのは、簡単に予想がつく。
     仕方がない、とフロリアンは再び大きな溜息を吐くと、ガシガシと後頭部を掻き、二人のミルクを温める為に立ち上がった。



    「……”夢”、ですか?」
     困った様に首を傾げる店員の様子に、話した事を少し後悔していた。
     観用少年が過去に体験した出来事を持ち主に夢で見せた等、随分と馬鹿げた妄想話だ。
     行くべきは病院かもしれないな、とフロリアンがこの話を終わらせようと手を上げると、
    「……まぁ、あり得なくもない話、ですねぇ……」
    神妙な面持ち(と、言っても口許のみだが)で店員はフロリアンの見た夢の話を肯定した。
     曰く、観用少年とその持ち主は絆という形で精神的に繋がっているのだから、双子が伝えたいと願う何かがあり、それがフロリアンの夢という形で反映されたのではないか、と。
    「あの場面から、マティアスとルイ君が何かを……?」
    「口頭で説明してくれれば、早いでしょうにねぇ」
    「……え、」
     何気なく店員の呟いた言葉に、思わずフロリアンは食いついた。
    「観用少年……二人って、喋れるんですか?」
     店員を挟んでソファに座る双子が、同時にぎくりと肩を跳ねさせた。
     慌てた様子で両サイドから店員の服の袖を引っ張り、シーッと唇の前で指を立てる。
    「内緒だそうです」
    「いやいやいや!? 二人とも!? 店員さん!?」
     流石にそれは無いだろう、と隻眼を見開くフロリアンに、店員は苦笑しながら、至極言い辛そうに答えた。
    「でも、その……”チェルニンの双子の舞踊人形”はそもそも双子の観用少年が歌って踊るという演目だった訳ですから……」
    「あ」
     幼い頃に一度だけ観た舞台の記憶がフラッシュバックする。
     確かにあの時スポットライトの下、双子は二人一糸乱れぬ見事な舞踏と歌謡を披露していたが、あれは。
    「……あの時は二人ともチェルニン氏の人形だと、ばかり」
    「人形は人形でも、観用少年でしたねぇ……」
     つまり二人は言葉を話せる上に、フロリアンは過去に彼らの声を聞いた事がある?
     ちらとフロリアンが双子の表情を窺うと、二人は居心地悪そうに唇を尖らせ、それぞれに明後日の方向を見つめている。
    (話したくない理由が、あるのか……?)
     うんうんと唸り始めたフロリアンを前に、店員にはピンと来ることがあった。
    「その分でしたら、ひょっとして二人の舞踏も見せてもらっていないのでは?」
     折角の舞踏人形ですのに。
     双子がぎょっとして同時に店員へと振り返り、小さな拳を振り上げて両サイドからポカポカと店員を叩き始める。
    「何で言っちゃうの!? だそうです」
    「それは見れば分かりますよ!?」
     のほほんと、いつの間にか自分の分の杯を用意していた店員が、茶を啜りながら伝えて来る。
     威力は皆無だとしても暴力はよくない、とフロリアンは席を立って二人を引き離す。
     ジタバタと暴れる双子を抱えて席へと戻り、フロリアンが二人を膝に載せて座り直した所で、店員は改めて語り始めた。
    「彼らも、決して意地悪で行動している訳では無いのですよ」
    「……はい」
    「観用少年達はとても繊細でして……持ち主が変わったばかりで、不安で、何かと思うところがあるのでしょう……どうか長い目で見守ってあげてほしいのです」
     フロリアンも、そこは理解しているつもりだと、改めて膝の上の双子を背後から強く抱き締めた。



     さて、今晩はマティアスのミルクからだ。
     丁寧に温めたミルクをカップへと移し、フロリアンはテーブルへと運ぶ。
    「おいでマティ、仲直りしよ……」
     う、と言い切りかけた所で、すでに着席している少年とばっちり目が合った。
     焦茶色の髪にきらきらと輝く瞳、ふっくらとした愛らしい頬ににっこりと弧を描く唇。
    「……いや、ルイ君だねキミは……」
     何だろう、この既視感。
     やれやれと肩を竦めるルイに椅子から降りてもらい、室内を見回す。
     直ぐにソファ裏に蹲って隠れたままのマティアスの背中を見つけ、衣服の乱れがない事から今回は喧嘩では無かった様だとほっとする。
     フロリアンの体格ではソファ裏には入れない為、ソファの座面に登り、背もたれ越しに対話を試みる。
    「マティ、さっきは驚かせてごめんね……キミが危ない事をしたって聞いたから、僕も余裕が無かったみたいだ」
     仲直りして欲しいな。
     フロリアンの声に、俯いて丸くなった背中がもぞりと動く。
    「僕がキミの為に温めたミルク、飲んでくれるかい?」
    「……」
     マティアスはソファの隙間からフロリアンの顔をじっと見上げ、
    「……あっ!?」
     ふるふると首を横に振って拒否を示すと、立てた膝に再びぽふりと顔を埋めた。
    (まさかの反抗期!?)
     流石にショックが大きく、ソファの上で思わず仰け反るフロリアン。
     いつの間にか隣でソファに登ってきていたルイが、ポンポンとその肩を叩いて慰めてくれている。
     ――グー……キュルルル……
     タイミングよく、気の抜ける様な音色で、腹の虫が大きく啼いた。
     視線でルイに問いかけるが、ルイはふるふると首を横に振る。
     フロリアンは無言で頷くと、
    「ちょっとマティアス!! キミねぇ!! お腹空いてるじゃないか!! 観用少年ってお腹鳴らすんだね!? ほら! 怒ってないから!! 出ておいで!! マティアス!! マティ!!! マティ!!!」
     ぐいぐいと両脇に手を差し入れて持ち上げようとするフロリアンと、ソファと壁の隙間に懸命に手足を突っ張って抵抗をするマティアスと。
     ……マティアスの為に温められた筈のミルクは、ちゃっかりとルイが飲み干していた。





     マティアスがミルクを飲まなくなった。
     店から帰った夜から数えれば、今夜で三日目になる。
    (……マティアス、どうしちゃったの?)
     温かなミルクを差し出した所で、くうくうと鳴るお腹を押さえながら、悲しげに眉尻を下げ、潤んだ瞳を揺らすだけで。
     こくり、と小さく唾液を飲み下したきり、するりとテーブルから下りて駆け去ってしまうのだ。
     その姿が、何とも哀れで、寂しそうで。
    (僕の食べ物を食べた事なんて、叱らなければよかった)
     ルイもマティアスに影響されてか、今朝は彼もミルクを口にしなかった。
     このままでは間違いなく双子は枯れてしまう。
     今夜もミルクを拒否するようであれば、明日は仕事を休んでもう一度店へと二人を連れていこう。
    「……あれ、」
     そうやって物思いに耽っている間に、習慣で出社手続きを終えて、自分のデスクに到着していた。
     そこにあったのは、希望を出していた書類の写しが完成した事を報告するメモ貼りで。
    (チェルニン劇場の火災調査報告書……!)
     この街の火災保険は、ほぼ全てフロリアンの所属する保険会社が契約している。
     フロリアンはチェルニン劇場の担当では無かったが、後学だのなんだのと理由をつけて、写しを作って貰ったのだ。
     これに目を通せば、双子が伝えたがっている内容の手がかりがあるかもしれない。
     フロリアンはメモを剥がすと、早速担当者の元へと足を向けた。

     ――……火災概要、出火原因、消火記録、実況見分……損失計算書
    (観用少年の焼損記録は、無い)
     見目に左右される事なく、書類上の彼らはあくまで高額家財扱いだ。
     Mr.チェルニンは彼らにも保険を掛けていた筈だが、マティアスの火傷による芸術品的価値への瑕疵に対して、補償が必要と判断された記述はない。
    (じゃあ、マティアスの火傷は一体いつ……)
     ふと、書類の終わりに形式外の添付書類がある事に気付いた。
     写し制作時に担当者が気を利かせてくれたのだろうか、事故当時の新聞記事のコピーが何枚か留めてあった。
     何か参考になるものがあるだろうか、とぱらぱらと捲くっていたフロリアンの手が、ある写真のページで、止まる。
    「……えっ、」
     それは紛れ込んでいたのだろう、新聞記事とも違う、チェルニン人形劇場の広告チラシで。
     一番大きな写真に写っているのは、人形を抱いて笑みを浮かべるMr.チェルニンと、トップスターである観用少年の「ルイ」、それから……、
    「……これ、マティアスじゃ、ない……?」
    「ルイ」と瓜二つの、然し、「マティアス」ではない観用少年の誰かが、満面の笑みでポーズを取っていた。




     ――おなかがすいた
     家主が留守のソファの上に横たわりながら、マティアスはぼんやりとしていた。
     投げ出した手足はひんやりとして冷たく、鉛の様に重い。
     天井を見上げる視界もぼやけているし、そろそろ本当に死んでしまうのではないかと思えた。
     ――おおきくなったら、あのひとにあいしてもらえない
    それは、少し考えればわかる、至極簡単な話であった。
     幼くて可愛らしい少年だったからこそ、無条件で愛して貰えるのだ。
     そしてその事に気付いてしまえば、あの温かくて優しいミルクでさえ、何一つ喉を通らなくなってしまった。
     いっそ、このまま飲まず食わずで……、
    「……「ルイ」?」
     不意に、自分そっくりの顔がぼやけた視界をジャックする。
     今は家主のフロリアンは午前の仕事中だから、喋ったって構わない。
     この家に来た時、二人で互いに約束した事の一つだ。
    「馬鹿な奴、お前まで僕に付き合わなくても良いのに」
     今朝はルイもミルクを飲んでいなかった。
     きっと自分程では無いにせよお腹を空かせているだろう。
     ルイは芝居がかった所作で溜息を吐く真似をすると、胸に抱えていた物をバラバラと人の枕元に撒いた。
     砂糖菓子にキャンディにクッキー、それからビスケット。
    「マティこそ、食べないと本当に死んジャウヨ」
     コツン、と最後に落ちて来たキャンディが額を打つ。
     ――あぁ、なんてうらやましいやつ
     昔から、「ルイ」と「×××××」が羨ましくて仕方がなかった。
     いつまでも大人にならない、永遠の少年達。
     ただ其処に在るだけで、無条件に愛されるだけの存在。
     ――……ぼくもパパにあいされたかった
     ごろりと寝返りを打ち、火傷を負ってからは随分と狭くなった視界を閉ざす。
     目蓋の裏に映るのは、ここ数週間自分達の面倒を見てくれている、心優しいあの人の笑顔。
    「……フロリアンさん」
     騙していて、ごめんなさい。
     許されるなら、一度だけでも、名前を呼んでみたかったなんて。



    「――ッ、マティアス!!!!!」



     ……三人で暮らすには少々手狭なアパートの利点は、職場から走れば五分な点である。
     安普請のアパートのドアが勢いよく開き、壁へと叩きつけられる。
     スリッパに履き替える時間も惜しんでフロリアンはリビングへと転がり込み、ソファに倒れているマティアスを発見した。
     抱えていた鞄を床に置くと、急いでマティアスの軽く小さな体を抱き上げる。
    「マティアス!」
     意識は無いが、脈も、呼吸もある……まだ生きている!
     改めて、顔が見える様に横向きでソファへと肢体を横たえ、跪いて頬を軽く叩く。
    「マティ、お願いだから……起きて、ねぇ、マティ……!!」
     包帯の下の頬は青褪め、薄っすらと開かれた唇は乾き果て、握り締めた指先は氷の様に冷たい。
     それでも何度も、何度も呼びかけ続けていると、やがて伏せられた長い睫毛が小さく震えた。
     瞼が持ち上がり、喘ぐようにかすかに唇が動く。
    「…………フロリアン、さん?」
    「マティアス……!」
     幾分か幼さの残る、甘く伸びやかな少年の声だった。
     まだぼんやりとしている様子だが、意識を取り戻したマティアスにフロリアンはほっと安堵の息を吐く。
     マティアスは何度か瞬きを繰り返し、目前のフロリアンが幻でない事を確認すると、
    「……ッ!?」
     ハッとして口を押さえ、慌てて身を起こそうともがき始める。
    「っ、大丈夫だよマティ……、もう分かってる、全部分かってるから……!」
     フロリアンはその抵抗を易々と抑え込むと、少年が落ち着ける様に小さな背中を優しくとんとんと叩く。
     そうだね、まずはミルクを温めてくるから、
    「それを飲んだら、これまでの事と、これからの事を話そうか……マティアス・チェルニン君」
     勿論「ルイ」君も一緒にね、とフロリアンはソファの肘置きの陰からずっと心配そうに顔を覗かせていたルイにも、優しく微笑みかけた。



     チェルニンの双子の舞踏人形の名前は、「ルイ」と「マティアス」だった。
     活発で悪戯好きな「ルイ」と、内気で優しい「マティアス」。
     Mr.チェルニンが傀儡人形をまるで生きているかの様に操るのに対し、彼らは観用少年……正真正銘の生きた人形だった。
    あの夜も「ルイ」と「マティアス」はショーの為に舞台に上がり、火災事故に巻き込まれた。

    「……僕はあの夜、舞台袖の……誰よりも一番近い場所でショーを観劇していました」
     奇しくも、その日はマティアスの誕生日。
     Mr.チェルニンは何も言わなかったが、日々多忙な父が自分の誕生日を覚えていてくれたのかと、マティアスはとても喜んだ事を覚えている。
    「……でも、火事が起きて、パパが一緒に逃げたのは……、」
     一度は避難したMr.チェルニンは「ルイ」と「マティアス」が舞台上で取り残されていると気付くと、自ら炎の中に飛び込み、無事二人を救出した。
     ――舞台袖で、実の息子のマティアスも、双子同様に逃げ遅れていたにも関わらず、だ。
    (観用少年の「マティアス」とルイ君、チェルニン家子息のマティアス君……)
     フロリアンの夢見での登場人物は、二人ではなく三人だった。
     恐らく、フロリアンが立っていた場所こそが、あの夜マティアスが一人取り残された場所だろう。
    「……熱くて、怖くて、動けなくなって……その内、天井が崩れて来て……」
     事故当時を思い出しては震え始める小さな背中を、フロリアンはそっと抱き寄せる。
     マティアスは包帯に巻かれた顔を両手で覆い、暫く震えていたが、やがてゆっくりと深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻した。
     冷めたミルクを一口啜り、その優しい甘さに眉を下げて微笑んだ。

    「分かりづらくてすみません……チェルニン家の長男は、代々それぞれ交互にルイかマティアスと名付けられるんですよ」
     双子の舞踏人形は、それこそマティアスの祖父、曾祖父以前の代から、チェルニン家に代々受け継がれている観用少年であるという。
     ……という事はMr.チェルニンのファーストネームはルイなのか。
     フロリアンは反射的に、マティアスの隣に座る「ルイ」の顔を覗き込んでしまった。
    「ナァニ? フロリアン!」
    「いや、何でもないよ……」
     考えている事がバレたようだ、脳裏に浮かぶMr.チェルニンの顔を追い払い、フロリアンはこほりと咳払いをする。
    「……辛い事を思い出させてごめんね? それから……そうだね、それじゃあ、観用少年の「マティアス」君は今何処にいるの?」
     マティアスは「ルイ」に振り返り、双子は互いにコクリと頷き合うと、「ルイ」が口を開いた。

    「人形の「マティ」はヒトリで枯れたヨ、……勝手なヤツだね」

    「ルイ」は俯き、ぶらぶらと小さな爪先を揺らしている。
     マティアスはそんな「ルイ」を哀しげな目で一瞥し、説明を引き継いだ。
    「……観用少年の「マティアス」は元々、僕の代わりにパパに助け出されてしまった事を気に病んでいたそうです……それから、病院を退院して来た僕の怪我の具合を見て、改めてショックを受けたみたいで……」
     元来、観用少年は精神的に繊細だ。
     輪をかけて臆病な性質を持っていた「マティアス」は、火事に遭った事で強いショックを受け、ふさぎ込んでいた。
     更には、炎に巻かれて半身を灼かれ、片目を喪う大怪我を負ったマティアスの姿に、心優しい「マティアス」は酷く慄き、泣き叫んだ。
     ――……本当は私が、……「マティアス」がそうなるべきだったのに!
     双子達とマティアスは、マティアスが生まれた時から三人で、まるで兄弟同然に育って来たという。
    「……ヒドイ奴」
     頬杖をついた「ルイ」がポツリと呟く。
     それから三日と保たずに、「マティアス」は枯れてしまった。
     困り果てたMr.チェルニンは観用少年の店へと、「ルイ」と、マティアスを連れて足を運んだ。
    「遺された「ルイ」のケアの相談と……綺麗な観用少年達を見て、少しは気晴らしになればと思ったんでしょうね……僕達の落ち込み様ときたら、酷いものでしたから……」

     例の店員とMr.チェルニンが話し込んでいる間、二人は店内の人形達を見て回った。
     例えば、肩まで届く灰色の髪の荘厳な雰囲気の観用少年、神秘的な気配のする三つ編みの赤毛の観用少女、金髪の巻毛でそばかすのある利発そうな観用少年……。
    (あの子は知ッテる)(ちょっとだけルイに似てるよね?)(ボクが一番可愛いシ!)
     大人達の会話を邪魔せぬ様に、声を潜めてクスクスと笑い合いながら様々な観用少年・少女を見て回る二人は、事情を知らぬ者の目には本物の双子の様に映っただろう。
     皆揃って人間離れして愛らしい観用少年・少女達は、片割れと兄弟を失った二人の心を一時とはいえ癒やし、慰めた。
     だからだろう、
    ――「ルイ」、「マティ」、此方へおいで
     だからこそ二人は優しく手招くその声色の、裏に潜む悪意に気づかなかった。
     Mr.チェルニンは自身の息子のマティアスを、愛称で呼ぶ事など無いのに。
     Mr.チェルニンは二人を呼び寄せると、二人の小さく軽い体を両膝に載せた。
     ――……一族に代々伝わる家宝を手放すというのは心苦しい事ですが、これも劇場の再建の為です、



     ――チェルニン家の双子の舞踏人形”双子星”、その下取りをお願いします


    「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
     堪らず、フロリアンは大声で遮った。
     聞き捨てならない言葉だった。
    「Mr.チェルニンが……売った!? キミ達を!? キミ達二人を!? どうして!?」
     否、理解していた筈だ、”観用少年が店に返ってくる”という意味を、二人が”観用少年として販売されていた”という意味を。
     ただ、当事者の口から語られるとそれは途端に現実味を帯び、非道な事実としてフロリアンに重くのしかかって来る。
    「お馬鹿なフロリアン! 枯れちゃったお人形になんて、イチエンの価値も無くなルからに決まってるデショ?」
    「でも……っ、」
     確かに初めて出会った夜、店員は云っていた……”片割れを失ってしまっては、「ルイ」の方も時を置かずして枯れてしまうだろう”と。
     急な資金の必要になったMr.チェルニンが、枯れる事が運命づけられているルイを、まだ観用少年としての美しさを保っている内に手放そうと考えた事は理解出来る。
     しかし、マティアスは――
    「……「ルイ」と「マティアス」は二人で一つ、」
    「要らなくナッタお人形は、捨てられチャウんだヨ!」
     マティアスは物悲しそうに、「ルイ」はケタケタと嗤いながら。
     片割れを失い、枯れる事が定められた観用少年と、損傷がある片割れが在り、まだ枯れるかどうか不確定な観用少年とでは、売却価格にも大きな差が生まれる。
     ましてや、二人が揃っている事にこそ価値のある双子人形ならば、尚のこと。
     ――良い子にするんだよ、「ルイ」、「マティ」
     最後まで、Mr.チェルニンがマティアスの名を呼ぶ事は無かった。





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