ある舞踏会の夜。
会場となっている大広間は、色鮮やかなドレスや豪華な装飾品を纏った人々で、まるで一皿のオードブルかのように爛々と輝いていた。
中でも、一際目を惹く貴婦人が、大きな窓を背に立っていた。
周囲の華やかさとは対極的に、装飾の少ない真っ黒なドレスに身を包み、腰まである黒髪は一つに結い上げられ、ただ一つの瞳までもが、魅力を引き立たせる黒曜石のようだった。
貴婦人は、ある人物をじっと見つめていた。
軍服に身を包んだ白薔薇-オスカルだ。
オスカルを見つめ、頬を赤く染める女は珍しくないが、この貴婦人は他とは異なる眼差しを向けている。そんな眼差しが、貴婦人をさらに美しくさせていた。
貴婦人に一人の男が近づく。
「失礼。」
声を掛けられた方向を振り向く。男の上がった口角から、不純な動機がチラついていた。
「次の一曲をお願いしても?」
貴婦人は差し出された手には応えず、軽く会釈し、視線を逸らした。
すると、男は強引に貴婦人の手を取り、詰め寄った。
「そんなに恥ずかしがらないで、漆黒の君。」
貴婦人の髪を指ですくい上げ、口づけを落とす。
真っ青な顔になった貴婦人は、力づくで男の手を振り払い、その場を離れようとした。
しかし、その行動は返って男の欲を搔き立て、再び男の手は貴婦人を捕らえる。
「さあ、こっちへ・・・」
「おいおい、無理やりは良くないぜ。」
男と貴婦人の間に、衛兵隊の軍服を纏った男が仲介に入った。
「なんだ、貴様」
「衛兵隊B中隊班長、アラン・ド・ソワソン。この舞踏会の警備を任されたんだが、たまたま目に入ったからよ。」
男はアランを睨むと、貴婦人から手を放し、あっという間に人の波へ消えていった。
あまりに呆気なく退散され、二人は豆鉄砲を食らったような顔をしたが、それも周囲の音が消し去った。
アランは、ハッと我に返り、目の前の貴婦人に向き合った。
「大丈夫でしたか?」
貴婦人と目が合う。アランは何かを考えると、周りの視線を気にしながら貴婦人に尋ねた。
「もし、ご気分が優れなければ、控室へ案内しますよ。」
貴婦人は頷き、アランの後ろに付いていくように歩いた。
*
「さ、どうぞ。」
貴婦人は、促されるままに部屋へ入った。
アランは扉を閉めると、部屋の中央に置かれた椅子にどっかりと腰かけた。
「……それで?あぁ…、なんて呼べばいいんだ……。アンドレ嬢か?」
「なっ………!!!」
貴婦人-アンドレは、一つ目を大きく見開きながらアランに近寄った。
「お前、気付いていたのかっ!!!?」
「気付くも何もねぇよ。」
「まさか……、オスカルにもバレて……」
「俺が知るか。つーか、何で女装なんかして舞踏会出席してんだよ。」
アランの座っている椅子の、ちょうど正面にある長ソファーにアンドレは腰を降ろす。
「オスカルと……、一度でいいから、正式な形で踊ってみたかったんだ。」
「は?」
「……笑いたきゃ、笑えよ。」
アランの視線から逃げるように、アンドレは後ろの窓をじっと見る。
「………。」
貴婦人の正体を察した時に、理由を聞いたら盛大に笑ってやろうと思っていたアランだったが、アンドレのあまりに素直で真っすぐな想いに言葉を無くしてしまった。
部屋の沈黙が重く圧し掛かる。
アランは、その空気に逆らうように、上体を大きく逸らして勢いを付けながら立ち上がった。
その衝撃でアランの座っていた椅子が沈黙を破ることになる。
その音に、アンドレはビクリと肩を上げ、音の根源を向いた。が、既にアランはアンドレが見ていた窓際へ真っすぐと歩いており、視線は擦れ違う。
そして、窓際に飾られていた花瓶から、薔薇を一輪抜き取り、茎を指先で短くした。
「アラン?」
アンドレは音の方向に言葉を投げる。
音の主を探している彼を驚かせないよう、アランは名前を呼んでからアンドレの肩を叩いた。
叩かれた肩から顔を覗かせ、アランの右手のものを見つける。
「どうしたんだ?それ・・・」
アンドレの質問には答えず、アランは長ソファーに座るアンドレの正前に膝をつき、下から覗くようにしてアンドレを見つめた。
先の沈黙とは異なる時の流れが、部屋を埋めた。
「アンドレ。」
アランに名を呼ばれ、ドキリとする。
彼の輪郭を確かめるよう、アランの頬に手を伸ばそうとしたが、頬に触れる前に、手を握り返され遮られてしまった。
手の温もりから、彼の心拍が波打つ。
そっと、アンドレは黒い瞳を閉じた。
部屋の外から、微かに聞こえるワルツの伴奏が、二人の鼓動の譜面となり、重なり合う。
ふわりと、アンドレの髪に何かが触れた。アンドレはそっと目を開け、髪に手を触れ確かめた。
それは、窓際に飾られていた薔薇であった。
予想と違う行動に驚きながら、自身が考えていたことの訂正印を押すように、ぽっと頬を赤らめる。
「……舞踏会に出る貴婦人が、あまりに質素だと可笑しいだろ?」
二っと笑うアランの目線が、彼の次の言葉を暗示する。
アンドレはその言葉を受け取り、はにかんだ笑顔で返した。
「さ、早くしないと、かの殿方が帰られてしまいますよ?マドモアゼル。」
「ふっ……、一体いつまで、ここで油売るのです?ムッシュー。」
「へいへい。」
よっこらせ、とアランは、わざとらしく立ち上がった。
「それでは、失礼。」
敢えて、畏まった敬礼をし、その場を立ち去ろうとする。
「アラン!」
名前を呼ばれ、振り返る。
再び視線が絡み合う。
「さっきは、ありがとう。助かったよ。」
「おう。次は、気を付けろよ。」
アンドレの唇は小さく動いたが、その言葉は音を出さず、代わりに扉の閉まる音が部屋に響いた。
*
兵舎の窓際で、“見慣れた姿の”アンドレが、手元の作業していた。
アランはアンドレの背に声を掛けた。
「アラン。」
アンドレは、作業を続けながら、目線をアランに向けた。
「何してんだ?」
「ああ。花を飾ってて。」
スープに使いそうな平たい皿に、水を薄く張り、その上には、茎が短く折られた薔薇が浮かんでいた。
それを見て、アランは口角を上げる。
「ちゃんと目的は達成できたか?」
「ああ。」
アンドレは依然と表情変えず、当たり前のことを当然に答えるような返事をする。
その態度に目を丸くし、思わず大笑いをした。
「こりゃあ、随分と傲慢なマドモアゼルだな!」
「それ以上、この話をしたら殺す。」
アンドレの落ち着いた口調に、言葉の本気を感じ取り、サッと顔を青ざめる。
「ほら、仕事に戻るぞ!」
アンドレはアランの肩を叩き、その場を後にした。
残されたアランは、じっと皿の上に浮いている薔薇を見つめ、昨晩のアンドレの姿を思い出す。
-綺麗だったな。
こんなことを口に出したら、本気で殺されそうな気がして、心に留めることにした。
アランは、ふっと薔薇に微笑んでから、彼の後を追って、兵舎を出た。