とらふゆ(未満)+「レンタルビデオ(DVD)」「千冬が観たいのでいい」
「だから、俺が観たいのはもう選んだので」
このやり取りも、繰り返すことかれこれ十回以上だ。
レンタルビデオ店の棚の前で、千冬はひっそり溜息をついた。
(まだ全然懐かねえなあ、この人は)
一虎が出所後になかなか就職が決まらず実家でボーッとしていると小耳に挟み、だったらうちの店を手伝って欲しいと迎えに行ったのが二ヵ月前。頭がお伽噺のような母親の庇護下で死んだ目をしている様子を見かね、ついでに仕事だけではなく住処も斡旋した。できれば社員寮など世話してやりたかったがその余裕まではなく、それならばと自分のマンションに迎え入れたのだ。
四畳半に足らない物置代わりにしていた部屋で、一虎は文句も言わずに寝起きして、今のところ毎日真面目にXJランドで働いている。
朝早く起きてきっちり身支度を調え、夜も早めに就寝するのは、まあ、十年間のお勤めで身についた習慣なのだろう。
給料を与えても特に無駄遣いする様子もなく、休日も自室にこもってベッドの上で膝を抱え、床を眺めている。何をしているのかと訊ねると、「カーテンの隙間から差し込む陽射しが少しずつ移動しているのを見ている」と言われて千冬は心底ゾッとした。
趣味とかないんですかと訊ねれば、「木工なら技能訓練で習ったから、何か作ってほしかったらやるけど」とズレた答えが返ってきた。「一虎君がやりたいことですよ」と言っているのに、そうすると考え込んで口を噤んでしまう。
困り果てた末、千冬は一虎をレンタルビデオ店まで引っ張ってきた。明日は店が休みだから、夜更かしして映画を眺めながら、酒でも飲もうと。それくらいの娯楽なら、一虎だって気構えせず一緒に味わってくれるだろうと。
(もうちょっとくらい、心開いてくれてもよくねえ?)
未だに一虎とは視線が合わない。千冬だけではなく、店に来るお客さんに対しても消極的な態度しか示さないので、接客は任せられず、動物の世話や品出しや掃除などの雑用を頼んでいた。一虎はよく働くので、勿論、とても助かっているのだが。
(オレくらいにはさあ……まあ、オレだから余計にやり辛いってのはあるんだろうけど)
一虎の面倒を見ようなんて考えたのが、余計なお世話だったのかもしれない。そう思うと千冬だって少し落ち込む。
「何でもいいんですよ、一虎君の好きなもの」
だがここで千冬まで黙り込んでは間が持てなすぎる。努めて明るく一虎に訊ねてみた。
「好きなもの……」
しかし一虎はまた棚の前で考え込んでいる。
「ええと、じゃあ、どんなジャンルが好きです?」
「どんなジャンル……」
「ほらこれ、去年ハリウッド興行収入ナンバーワンとか書いてる」
千冬が目についたケースをひとつ取って渡すと、一虎があらすじを確認して首を振った。
「……人が、死ぬのは、ちょっと」
恋人を殺された男が復讐のためにいろんな人間をぶっ殺しまくる話だった。千冬はサッと一虎の手からケースを取り上げて何ごともなかったかのように棚に戻す。
「あ、じゃあこっちどうですか。ホラーだけどコメディ要素もあるって」
殺された霊ではなく、妖怪の類が出てくる和製ホラーだ。B級バカ映画として千冬もタイトルだけ聞いたことがある。
「千冬が観たいなら、それで」
「いや……だから、オレが観たいのはもう選びましたから。お互い、一個ずつ好きなの選びましょうって話しましたよね?」
十一回目の問答になってしまった。
好きな映画を選んでもらえれば、一虎の趣味が少しはわかるだろうと思ったからこそ、わざわざ店まで一緒に来てもらったのだ。
しかし一虎は数え切れない映画のタイトルの羅列を前に、ずっと身の置き所のないような顔で俯いている。
「うーんと、たとえば、洋画と邦画ならどっちが好きですか?」
「……どっち……」
二択で選び易くしてやろうと思ったのに、なぜか一虎はますます途方に暮れたような顔になってしまった。
「……選ばなくちゃ駄目なのか……」
「い、いや、そんな思い詰めなくても。ていうか、ジャンル分け雑過ぎたかな。オレだって好きな洋画も邦画も色々あるし。すみません」
「いや……こっちこそ、悪い……」
「一番好きなものじゃなくていいんですよ、正解とか不正解とかないんですからね。クソ映画に当たったってそれはそれで楽しいじゃないですか」
「……そういうもんか……」
「そうそう。レンタルなんだし、気軽にさ。クソ映画なら一緒に悪口言いましょうよ。ほら選んで選んで」
精一杯盛り上げているつもりなのに、一虎はそれでもあまりにも真剣に、考え込んでしまっている。
「気楽に! はい、好きなものを指さして!」
「……」
一虎がのろのろと片手を挙げた。
「え?」
指さしたのは、千冬がすでに選んで手にしている、猫と老人がメインの邦画だった。
「あ、猫好きですか?」
それなら他にも、猫が可愛い映画を千冬は山ほど知っている。
嬉々として訊ねたが、一虎は「別に……」と煮え切らない返事だ。
「……老人の方?」
「いや」
「じゃあ、この映画のどの辺が好きな感じです?」
「……千冬が選んだから」
「……」
さすがに一虎には精一杯優しく接するぞと百万回くらい言い聞かせて、相当な決意を持って一虎を実家まで迎えに行った千冬だって、キレそうになった。
「だーから。アンタの好きの話をしてるんですよ、オレじゃなくて!」
「で、でも」
一虎がビクッと体を竦ませて後ずさるので、千冬は危ういところで元ヤンの血が相手の胸倉を摑みたくなる衝動を抑えた。
「でも?」
「……好きなのとか、気になるの、他にないし……」
「……??」
猫でもなく老人でもなく。
では他に、一虎は一体何が好きだったり気になったりするのだろう――と考えた千冬は、思い当たったことに、愕然とした。
「ええと……オレ?」
千冬が選んだのでいいよ、ではなく。
千冬が選んだのがいいよ、ということか。
「……うん」
小さく、一虎が頷く。
「好きなの、それしか、思いつかないから」
「――っ」
千冬は慌てて、一虎から顔を逸らした。
(や、やべぇ、顔が笑う)
懐いていない、なんて、とんだ勘違いだ。
一虎はずいぶんこっちを慕ってくれているらしい。
(やべぇマジで、遠巻きにしてた捨て猫が自分の猫からオヤツ喰った時って、こんな感じか……!?)
ペケは最初から千冬に懐いていたし、店で扱う生体についてはまた話が違うので、そんな感動を千冬が味わうのは生まれて初めてだった。
そして初めて理解する。懐いてもらえると、こっちだって、相手にものすごく情が湧くものだなあ、と。
「じゃっ、じゃあ今日はとりあえず、オレが選びますから。何本か観ていくうちに一虎君も自分の趣味とかわかるようになるかもだし」
平静を装おうとするのに、どうも早口になってしまった気がするし、顔もニヤついてしまって恥ずかしいが、幸い一虎は目を伏せたままだ。
「……次もあるってこと?」
その上、一虎が遠慮がちにそんなことを訊ねるものなので、千冬は妙に体というか顔が熱くなるような感じがして、慌てた。
「何なら休日前の恒例にでもしますか?」
「……ん」
頷いた一虎も、目許がわずかに紅潮して、口の端がほんの少しだが、持ち上がっている。
「よし、じゃあもう一本はオレが選びますね」
千冬は張り切って、自分が楽しめそうな、そして一虎も元気になってくれそうな映画を探した。最終的に、上映期間的に一虎が見たことがないであろうジブリ映画に決める。
「じゃあ、これ借りてきますね。帰りに酒と摘まみ買って観ましょう!」
「……うん、一緒に」
自分の言葉に、ニコッと一虎が笑うのを見て、千冬はその場に坐り込みたくなった。
(えー……何この人、すげぇ可愛げあんじゃん……)
「千冬?」
ニヤついて止まらない顔を片手で押さえていると、一虎が心配そうな顔になってしまった。
「何でもないです。すぐ借りてくるので、待っててくださいね」
慌てて、千冬はDVDのパッケージを握り、レジカウンターに向かった。小走りになってしまう。
いそいそと貸し出し手続きをしてもらいながら、振り返ると、一虎がじっと千冬の方を見ている。笑いかけると、一虎もぎこちないながら笑顔を返して、頷いてくれた。
楽しい夜になるといいな、と千冬は心から思った。