「なんで来ないんだヒーロー!」
ばあん!と武道の住むボロアパートの扉が乱暴に開く。
「朝っぱらからなんだよ稀咲…ていうか近所迷惑だから声落とせ馬鹿」
テンションの低い武道と、その後ろでボサボサの金髪の隙間から殺気に満ちた視線を飛ばしてくるマイキー。
興奮している稀咲をとりあえず中に入れ、適当に座らせる。
「で、なんだって?」
冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を勧めるが、稀咲は目を据わらせたままだ。
「オレは橘と結婚した」
「うんおめでとう。
ていうかそれ半年前だし、オレたちも結婚式出席したし」
「なんで取り返しに来ない」
「だって今世のお前の頑張りじゃん。ヒナもお前も納得して幸せなら文句ねぇよ」
そう、稀咲とヒナは結婚した。
今回の世界線、皆に前世の記憶があった。
稀咲はそれを自覚した時、次こそうまくやると決意した。
矢先に。
顔を合わせたヒナからこんこんと「策をめぐらせて回りくどいことしないで。ちゃんと正面からぶつかってきて」と説教され、腹立ちまぎれに告白すれば即「ごめんなさい。でもお友達になろう」と言われやっぱり悪の道しかないと思っていたら。
出るわ出るわ前世の記憶がある連中。自分が殺したエマやそれを恨んでいたドラケン、怒り心頭のマイキー、場地や千冬、そして武道。
正直殺されると思った。実際殺す気があった(マイキーとか)だろうが、一発ずつぶん殴らせろで済ませたのは偏に武道のとりなしだった。
「納得できないだろうけど、今世こいつはなんもしてない。
これからオレがずっと見張るから、殴って終わりにしてほしい」
子供とはいえ喧嘩馬鹿たちの拳である。それはもうボコボコにされたが、それ以降は毎日のように武道とヒナ、そして東卍の誰かしらと行動を共にするようになった。
平たく言えば見張られている。窮屈だし偽善者めと反吐が出たが、ヒナと武道がそばにいることが無意識の欲求を満たしていて結果的に悪には染まらなかった。
前世夫婦として添い遂げた武道とヒナは、なんだか親目線で安心していた。
1回振られたくらいで諦めんじゃねぇよ。
前世地味にモテまくっていた武道には言われたくないセリフだったが、稀咲は諦めずにヒナにアタックし続けた。そして高校に上がり、ヒナと稀咲は付き合い始めたのだ。
今世も武道とヒナは結ばれると思っていた面々は唖然とした。稀咲も含めて。
「タケミチくんには幸せにしてもらったもん。
独り占めしちゃずるいでしょ?」
ヒナも武道もお互い納得した上のことだ。それが周知された後はちょっとした地獄絵図が繰り広げられたらしいが最終的に隣を勝ち取ったのはマイキーである。
「よりによってこいつとか…命知らずすぎるだろうが」
穏やかな暮らしを知ってしまったがゆえにマイキーの異常性が身に染みている。
「あ?
んだとコラ眼鏡カチ割んぞ」
朝早く押しかけて自分と武道の関係にケチをつける稀咲を静かに威嚇する。
頭カチ割るから眼鏡になっただけ譲歩したつもりでいるマイキーである。
「実際殺されそうになったし殺されたし、でもまぁ今回はそんなことしないでしょ」
マイキーをよしよしと撫でるさまはライオンを手なずける調教師だ。
不安なのだ。
これが正しいのか。いつまでこの幸せが続くのかと。
だからもう終わらせてほしい。
「タケミチくん、鉄太くんいるかなぁ」
扉の向こうから聞こえたのはヒナの声。
「ヒナ、うんいるよ。
扉開いてるから入ってきて」
軽い調子で促す武道とばつが悪くて俯く稀咲。
「ごめんね朝から…様子がおかしかったから気になっちゃって。
頼るとしたらタケミチくんだろうなって」
帰ろう鉄太くん。
自分に向けられた優しい声に、泣きたくなる。
それにすがっていいのだろうか。すがった後手放さなければいけなくなるんじゃないのか。
「ほら帰れ帰れ、ヒナに迷惑かけんじゃねぇよ」
「ついでにうちは出禁な」
諭す武道と煽るマイキー。
「鉄太くん、『実家に帰らせていただきます』みたいな感覚でタケミチ君頼るよねぇ」
くすくす笑うヒナの手をぎゅっと握る。実際実家に頼るという発想はなく、頼りたい相手が武道しか浮かばないのだからぐうの音も出ない。
「もう来ない」
「帰れ帰れ」
「今度は夫婦で来いよ」
「うるせぇちゃんと部屋片付けてから言え」
完全なる捨て台詞を残し、ヒナと二人ボロアパートを出る。
「鉄太くん、今日お休みだったよね。
このままデートしよっか」
ヒナはただの散歩ですらデートだという。数か月待ちのレストランとかきれいな夜景だとかかつて稀咲がこだわったものは全く必要なかった。
公園のベンチでしゃべったり、ペットショップを覗いたり、クレープを食べたりそんな穏やかな日常。
野心にあふれていた頃はそんなものはくだらないと思っていた。だからこそヒナはプロポーズを受けてくれなかったのだろう。
勝ち取りたかった恋は、愛へと昇華した。ヒナから受け取る愛は稀咲の望んだものとは違うかもしれない。それでもこの温かい世界が続いてほしいと願わずにいられない。
「ひな」
「うん」
ありがとう、のつぶやきに、ヒナは一瞬目を見開いて花が咲くように笑った。
了