マチルダは微笑む「花垣く~ん?
またDVDの中身が違うと苦情が来たんですが洋画のコーナーは君担当でしたよねぇ~?」
答えなくてもわかっていると言わんばかりに年下の店長がねっとりした口調で責め立てる。
愛想笑いしながらすみません、と頭を下げれば「はいまた口だけぇ~」とあてこすられる。
謝る以外に道がないが、謝らなければ謝らないで「どうしたんですかぁ~その口は飾りですかぁ~考える脳みそないんですかぁ~」と嫌味が倍増すること請け合いである。
なんでこんなところにいるんだろ。バイトならいくらでもあるのに。
でもなぜだかここから離れられない。若い店長は使えない年上のバイトなんかさっさとクビにしたいみたいだが。
いつも店に最後まで残るのは武道だ。DVDの中身のチェックを終えると一番最後に見るものがある。お気に入りの洋画。腕利きの殺し屋がアパートの隣人の少女を汚職警官から庇い、共に過ごしていくうちに絆が芽生えるストーリー。端的に言えばハッピーエンドではない。殺し屋なんて生業である以上、主人公は幸せになるべきではないんだろう。少女に金を遺し、自分は少女の家族の仇を道連れに死ぬ。
そのDVDは月に1回は必ずレンタルされる。自分もお気に入りの映画だから少しうれしい。毎回それを小さなテレビで流していると、少女が殺し屋の部屋の前で『お願い、助けて』という場面を見た後、記憶がない。かなり序盤である。
そして気が付けばボロアパートの荒れた部屋で目を覚ます。
不思議なことに店の戸締りを怠らないし、ちゃんと家に帰りついているので困ることはない。夕食代が浮いてよかったというくらいだ。朝猛烈に腹が減っているが。
きっと自分のリラクゼーションのスイッチなんだろう。月に1度のことだし、気にも留めなかった。
そして今日も。
『お願い、扉を開けて…』
少女が涙を流しながら懇願する。男は躊躇の末、扉を開けた。
「うん、母さん」
武道はそう呟くと、DVDを停止し、取り出す。そして自分のバッグに放り込み、戸締りを始めた。
普段のどんくささを感じさせない機敏さで颯爽と店から出ると、店の裏に停まっていたワンボックスカーに乗り込んだ。
「標的は頭に入れたな」
運転席からの問いに、静かにうなずく。
用意された服に着替え、ポケットのナイフの柄を握る。仕込まれているナイフは一つではない。両手の袖口、ズボンのすそ、上着の内側。
組織は青年を殺し屋に仕立て上げた。
幼少期に遡るが、青年の親はわかりやすく底辺だった。父親はいなかった。母親は他人をあてにしないと生きていけない女で、男を絶やしたことがなかった。
産んだ子供は部屋の隅でじっとしているか、団地の外に追い出された。
厄介な家庭環境であろう子供に関わりたがる隣人はいなかったが、痴呆の入った老婆――団地の傍の一軒家に住まう老夫婦だった――だけは、孫のように扱ってくれた。
違う名前で呼ばれたが饅頭やみかんをくれたし、お手玉やあやとりで遊んでくれた。トイレに行くのを手伝えば、ありがとうねぇと笑ってくれた。
だけどそれは長く続かない。老婆は死去し、その夫は娘夫婦と同居するためその家は空き家となった。優しかった老婆のぬくもりを求めて、その家に忍び込んでは耐える毎日。
いつもは武道を邪険にする母親も、機嫌のいい日は構ってくれる。
「あたしにはあんただけよ。あたしを助けてね武道」
そう言って抱きしめられるたびに、「うん、母さん」と答えた。母親はママと呼ばれるのを嫌がった。なので武道は一度も母親をママと呼んだことはない。
そして武道が10歳の頃、運命の日が訪れた。
一年ほど前に団地を出て、とある男の愛人におさまり中古とはいえ一軒家に暮らすようになった。片田舎である新しい住居に母親は早々飽きていたが、武道は自分のことを知る者がいない町で友達ができることに希望を抱いていた。
新しい父親、と言っていいのかわからないが、その男は借金をこさえていたらしい。
妻子には愛想をつかされ離婚済み。あてにしていた親の資産は思ったほど価値がなかった。そして重ねに重ねた借金の保証人に、母親の名前が使われていたらしい。
学校から帰って来た武道の耳に、ガシャンと何かが壊れる音と母親の悲鳴が聞こえた。
「だからよぉ、あいつトんじまったんだわ。
あんたを売り飛ばしても全然足りゃしねぇ。だけど取るものは取らねぇと」
「…ッ知らない…知らないったら…!!」
周りを林に囲まれた一軒家。田んぼのど真ん中で隣の家からは数百メートル離れている。つまりは音を聞きつけ通報されることがない。
「や…やめろっ母さんを離せ!!」
ランドセルの肩紐を握りしめ、母親の髪をわしづかみにする男を睨みつけた。
「あん?ガキがいたのか。
女だったら買いたがるペド野郎もいただろうに…まぁ男でも物好きはいるか…
お前こっちこい!」
逃げたい。見るからにガラの悪い男だ。腕力でかなうわけがない。
母親の目がきょろきょろと動き、武道を見た。
「助けてぇ!!」
母親の叫び声に応えるため、武道は台所に駆け込み包丁を握った。
気が付けば、腹から包丁を生やした男が倒れていた。母親はいつの間にかいなくなっており、夜になっていた。
「よぉ坊主」
倒れている男越しに、別な男が立っていた。猫背で手足が長く、まるで蜘蛛のような印象を受けた。
「そいつ、下っ端も下っ端だけどオレのおつかいだったのよ。
お前、すげぇね。大の男を一人ぶっ殺したんだ」
「お…おかあさん…は」
「あー…裸足で歩いてたから車に乗ってもらってるよ。
お前もおいで」
死神だと言われたら納得するような、顔色の悪い男。
だけど差し伸べられたその手を握るほかなかった。武道の小さな手は、血まみれだったから。
車から降り、人混みから外れて路地裏に入り込む。
灰色のパーカーのフードを被り、ふらりと歩く姿は誰の印象にも残らない。
それが武道の強みだった。
『いいかぁ、お前が弱者であることが強みなんだよ。
標的だって、あからさまにスタローンみてぇないかつい野郎が近づいてきたら警戒すんだろ? 緊張すんな、駄菓子屋にガムでも買いに行くガキだお前は』
男は武道を仕込む時にそう言っていた。
すたろーん?と小首をかしげたら、今時のガキャスタローンも知らねーか、お前は一般教養もねぇんだ映画で学べ、と一緒に映画を見るようになった。
男は映画フリークらしく、洋画も邦画も詳しかった。
邦画はどこか肌に合わなかったが洋画はB級も楽しく見ることができた。今でこそ濡れ場が控えめであるが昔の映画はよっぽど露骨で、恥ずかしくて目をそらせばニヤニヤ笑われた。なんとなく、父親ってこんな感じなのかなと思った。
銃は持たせてもらえなかった。ファーストインプレッションてのは大事なんだぜ、お前の初めての殺しは刃物だったろ。刃渡りが小さいナイフでも数回刺しゃ失血死させられる。
そんなふうに丸め込まれて、今まで来た。組織とのつながりの痕跡を残さないためでもあるだろう。いざ捕まるようなことがあれば武道はあっさり捨てられる。最悪自害しろと命じられるはずだ。
『お母さんもお前がちゃんと働けば喜んでくれるぜ』
男はことあるごとに母親を持ち出したが、すでに顔もあやふやだった。
ご飯を貰えなかったことは数えきれないし、優しくなでてもらったこともない。
男好きのする容姿だったようだが武道は似ていなかったように思う。
覚えているのは「助けて」という金切り声。
大丈夫、絶対お前を助けてやる。
それは誰に向けた言葉だったっけ。
男の好きな映画にターゲットのサブリミナル映像がつけたされ、それを見た武道は殺し屋へと切り替わる。フリーターの自分は社会に溶け込むためのダミーだ。
どちらが本当の自分か、なんて今更だ。殺し屋をやめてフリーターとして生きていくことなんてできない。組織が見逃してくれないだろう。
ターゲットがバーの裏から出てきた。センターパートの黒髪にだぼっとしたオーバーサイズのシャツから覗く白い肩。見ようによっては女性的だが、肩の筋肉がいかつい。
佐野万次郎。名前と容姿しか知らされていない。
何をして狙われたのか、なんて。
「佐野さんですか」
無防備な後姿に声をかける。本来なら声をかけるべきじゃない。
だけど相手が勘づいている確信があった。
「うん、そうだよ。
タケミっち」
彼はそう言って、愛し気に微笑んだ。
花垣武道が見つからない。
前世、花垣武道は万次郎のために命を捧げてくれた。
タイムリーパーであった彼は自分の恋人のみならず、万次郎のことを救おうとしてくれた。結果二人ともタイムリープするという奇跡が起き、二人で悲劇を回避した結果ハッピーエンドを迎えた。
コンティニューがあるとは思っていなかったのだ。
環境も家族構成もそのまま、記憶があるのは自分だけ。ならば愛しい片割れである武道を探すしかない。とはいえ最初の頃は時期が来れば会えるだろうと暢気に構えていた。
しかし時期を過ぎても会える気配がない。不思議に思って彼の家を訪ねてみれば、以前と変わらぬ花垣夫婦がそこに住んでいたものの息子はいないと言われた。
何の冗談だ。花垣武道が存在していないなんて。
一気に何も見えない奈落に突き落とされた気分だった。
真一郎もエマも祖父も、イザナもいる。ドラケンも三ツ谷も場地も春千代もパーも一虎も。武道以外は全員いるのだ。
暖かなともしびを失った。オレはどちらへ進めばいい。
荒れる万次郎をいさめたのは もちろん家族と仲間たちだった。
タケミっちに会いたい。痛みと喜びを分かち合った片割れに。
ヒナや稀咲、溝中の4人も武道のことを知らなかった。武道を知らないまま彼らが普通に生活ができていることが苦しかった。
黒い衝動はなくなったはずなのに、自然と足は暗闇へ向いた。
今思えば片割れに呼び寄せられたのだろうと思う。
中学を卒業後、日本一周してくるなんて適当なことを言って家族や仲間たちと連絡を絶った。そして裏社会に身を沈めて十年過ぎた頃、唐突に彼の情報が入って来た。
殺しを生業としている珍しい組織がある。元は地方の暴力団の下部組織だったが、独立して殺しだけを請け負うようになったとか。
その組織の首領自ら育てた秘蔵っ子がおり、なんでも童顔で青い眼をした子供だったらしい。男は稚児趣味でもあるのだろうと下卑た笑いつきのネタにされていたのだが、青い眼をした子供というところは聞き逃せなかった。
蓋を開ければ殺し屋集団、とは名ばかりで素人を言いくるめて人殺しをさせるオレオレ詐欺のような連中だった。現役の殺し屋として長いのが武道で、その成功例を声高に宣伝しているだけだったのだろう。
腕力もなく泣き虫で、人殺しなんか絶対に出来なかった。
武道という青年は本当にタケミっちなのだろうか。
再会するまで渦巻いていた不安は、その顔を見た瞬間吹っ飛んだ。
変わっていてもいい、覚えていなくてもいい。
そこにお前がいる、それだけで。
組織に乗り込み首領を押さえ、武道と会うために自分への暗殺依頼をした。
半グレ一人に壊滅させられると思っていなかったのだろう。男は武道の情報をべらべら喋った。
10歳の頃、母親を守るために大人の男一人を殺して見せた。
ヒーローの呪いは健在なのだろう。助けて、と言われれば助ける。
前と違うのは倫理観の欠如。普通の両親と気のいい仲間に囲まれていた頃と違い、今の武道は孤立していた。
ぞくぞくした。この世でただ一人、武道を抱きしめてあげられるのは自分だけ。
やっとタケミっちをオレのもんに出来る。
暗殺が仕組まれたものと察した武道は、怪訝な顔で万次郎を見ていた。
大丈夫、これからはひとりぼっちじゃないよ。
万次郎は嬉しさでにこり、とほほ笑んだ。どれだけ昏い喜びであっても彼の美貌を歪ませることはなく、天使のようだった。
了