泣き虫はもういない清掃バイトの重労働に嫌気がさして、そろそろやめたいなぁと思っていた。
しくしくとすすり泣く声が従業員用の階段から聞こえてきて、ぎょっとして覗き込むと男女の子供が階段に座り込んでいた。印象がよく似ているので兄妹、もしかしたら姉と弟かもしれない。が、背が高い方を年上と思っておこう。
泣いているのは兄の方で、妹は「ごめんってば」と謝っている。
「怒られるのはオレなんだぞ」
何かしでかしてしまったらしいが、ここにいられても困る。保護者の所に連れて行かなくては。
「ど…どうしたの?」
なるべく脅かさないように声をかけたものの、二人とも飛び上がって驚き、次には警戒心を見せた。
「えーと、お父さんとお母さんはどうしたのかな?
誰と来たの?」
「あのなっ、タケ兄と来たんだ!」
「こらっ知らない人としゃべんな!!」
はつらつとした妹はすぐに警戒心を解いたが兄はしっかりしているらしい。
「お兄ちゃんはここで掃除の仕事をしてるんだよ。
お兄さんとはぐれたなら迷子センターに行こうか。呼び出してもらった方が早いよ」
しかしなぜか少年はますます顔面蒼白になり、涙が盛り上がってきた。
あーもうこんな場面見られたら誤解される!
武道は飴玉かガムでもないかとポケットを探るが、落ちていたレシートやマジックしかなかった。きゅっきゅっと親指に顔を描く。
『何で泣いているんだい?
ボクに聞かせてごらんよ』
親指をピコピコ動かし、某アンパンのヒーローに寄せて声色を変える。女の子はツボに入ったらしく「なんだそれぇ」と笑ってくれたが、少年の方は子供扱いするなとばかりに睨んできた。
「タケ兄がな、映画見て来るからここにいろって言ったんだ。
お小遣いに500円玉くれたんだけど、ジブンがなくしちゃった…」
素直な妹はしょんぼりと肩を落とす。お金を落としたことで怒られると思ったのか。
「じゃあ遺失物案内…えっと忘れ物ありませんか~って聞きに行こう。
もしかしたら届けられてるかもしれないし」
行こう春千夜、と女の子が手を引っ張る。春千夜少年はのろのろと立ち上がった。
遺失物案内に届け出るも、やはり500円玉は届いていないという。
財布に入っていたのか聞くと、むき出しのままポケットにつっこんでいたらしい。
財布ならワンチャン特徴があるが、むき出しの硬貨はそのままパクられる可能性が高いだろう。
しかし500円玉一枚で時間を潰せとはしみったれすぎだろう。なんて、貧乏生活の自分が言えた義理はないのだけれど。
武道は心を決めて、二人を自販機に連れて行った。
「ジュース奢ってやるから元気出しな」
今晩食べるコンビニ弁当を我慢して、家にあるはずのカップ麺にすればいい。
レストランでおごるわけじゃなし、それくらいしてもいいだろう。
年下の子供と接する機会が少ないため、とにかく笑顔にしてやりたいと思った。
わぁい、と喜んで妹の方はこれがいい!とコーラを選んだ。
「どうする? 何がいい?」
兄の方に聞けば、武道の方を伺っておずおずとファンタを指さした。
がこんがこん、と出てきたジュースを二人に渡す。
「ほら、お礼」
さっそく蓋を開けようとする妹を促し、ふたりで頭を下げた。きちんとした礼儀正しい子たちだ。
仕事仲間に何も言わず抜けてしまった。しかしこの子たちを放っておけないしな。
悩んでいた矢先に、
『――からお越しの明司春千夜くん。明司千壽ちゃん。
お兄さんが迷子センターでお待ちです。
繰り返します――』
飲んでいたジュースのペットボトルをぎゅっと握りしめ、少年が全身をこわばらせていた。
「おい春千夜、2時間後迎えに来るから入り口で待っとけって言ったよなぁ!!」
背の高い、ガラの悪いロン毛の青年が少年の姿を見るや怒鳴った。
少年は気をつけ、の姿勢のように両手をぴたっと体の横で握りしめて、涙をこらえながら謝った。妹は少年のTシャツにすがったが、怒りの矛先は兄の方だけのようだった。
「ごめんなさいお兄さん、オレがジュース飲むかって誘ったから…」
武道とて二人の兄がこんなに柄が悪いとは思っておらず、正直ビビっていたものの少年が哀れで黙っていられなかった。
「あ? 誰だお前。変態野郎か?
おいこのデパートにはロリコンがいんのか」
そう言われてしまうとぐうの音も出ない。所詮は他人だからそういう嫌疑をかけられてしまう。
少年がますます顔色を悪くして首を横に振る。自分に申し訳ないと思っているのだろう。
恐らく、こんな風に怯えるようになるくらいいつも恫喝されているのだ。
いつぞやの自分の姿が重なる。あの頃の自分より、うんと幼い。
まだ、ガキじゃないか。
「おい、あんたいくつだ」
「あ? なんだよ」
「この子たちはまだ小学校低学年くらいじゃないのか。
小遣い渡してほっとくなよ」
「は? 逆ギレか?
そんなもん兄貴の春千夜が――」
「オレたちから見りゃこの子らはガキだろうがよ!
大人ならあんたがちゃんとしろ!!」
武道だったからいい。だが本当に変態に出くわしたらどうする気だったのか。
手遅れになった時、お前が兄貴なのにちゃんとしなかったとなじるのか。
いつの間にか少年が顔を上げていた。妹の方が、今度は泣きそうになっている。
「……すみません、言いすぎました」
ぺこり、と頭を下げれば、鼻白んだ風の男は踵を返し「帰んぞ!!」と怒鳴った。
ととと、と二人が走り出す。
青年と手をつないだ妹が、振り返って手を振る。武道が振り返すと、嬉しげに笑っていた。
少年も振り返ったが、もう泣いてはいなかった。
そのあと、仕事をバックレたと同僚にチクチク言われ、辞職が早まった。
そしてまたバイトを転々とすることになった。
数年後、武道はレンタルビデオ屋のアルバイトで食いつないでいた。しかし誰もがスマホでネット配信を見る時代、いつ潰れてもおかしくない。
次のことを考えるのが怖かった。
「ねぇ、あんた」
DVDを並べていたら、いつの間にか後ろに客が立っていた。
「はい、何かお探しでしょうか――」
「花垣さん、やっと見つけた」
立っていたのは、すらりと背の高い青年。長いプラチナブロンドに、まつ毛の密度が濃い目元。マスクで口元を覆っているが美人を隠しきれていない。
学ランを着ていることから学生らしい。が、名前を呼ばれる心当たりがなかった。
「あの後さ、あのクソ兄貴しばらくデパート連れて行ってくれなかったから会いに行けなくて。どうしてもあんたに会いたくて行ってみたけど、辞めたって掃除のババアが言っててさ。途方に暮れた。
あの頃、オレを庇ってくれたのあんただけだったから。
だから、ずっと探したよ」
みしり、と掴まれた腕が悲鳴を上げる。逃がさないと言わんばかりに強く。
「あの時と変わってない。髪の色くらいかな。
もうどこにも行かないでね」
泣き虫の少年はいなくなり、恍惚とした瞳が武道を映していた。
了