ときかさね 尾形と勇作の異母兄弟2人は、都心の古い学生街の一角に在る喫茶店に腰を落ち着けていた。日曜の午後、勇作の資料用の古書に大量の領収書を切った帰りのことであった。
学生運動が盛んに行われていた頃より今に至るまで、脈々と明かりを灯し続ける店内には時間の蓄積がひしと満ちている。
ビル建造時の低めの天井に、黄枯茶を重ねた壁-----目を凝らしてみると、細々と伝言や信条など、雑多な書きつけが残されており、そこに居た誰かの存在が感じられた。
「で、どうしてオッサン2人で、仲睦まじく茶を飲まないといかんのですか。」
ーしかも貴方、そんな甘ったるいのをよく飲めますね。
視線を感じてしまう訳ではないものの、どうも視界に誰かの書付が入り込むと、大勢に囲まれている様で気が散る。
自宅はこの古書店街から数駅程しか離れて居ないにも関わらず、わざわざ此処で、しかもパートナーとして20年近く同居してきた自分たちがわざわざ時間をとって一服する意味も無いのではないか。
尾形はご褒美を前にした幼子の表情を浮かべる勇作と、クリームソーダの絵面に溜息を落とした。
「無事に資料が見つかったのは良いのですが、矢張り重くて疲れてしまいましたから。甘いものが欲しくなったのですよ。」
「…だったら通りを挟んだ向こうの路地裏に有るあっちの店にも、似た様なメニューがありますけどね。」
「えええ、折角兄様と2人なのですよ?しかも、今日は日曜でゼミ生の皆さんを連れてる訳でもないですから。そういう時は、例え似たメニューが有っても此方の方が気分に合うではないですか。」
貧乏学生時代を経て、給与額だって平均年収ラインの発掘調査の仕事に携わる尾形からすれば、もし休憩する場合でもセルフ式のチェーン店で十分なのである。彼にとって茶を飲む上で重要なのは、それなりの味のコーヒーが提供され、特段の接客もされずに独り静かに過ごせる時間が有ることである。
それは学生時代からのルーティンでもあり、身の丈、ひいては付き合い下手であまり他人に深入りしない自らの人間性に合う時間でもあるのだ。
にも関わらず今座しているのは、サイフォン式で丁寧に淹れたコーヒーと、ナポリタンやらクリームソーダやらの純喫茶の手作り王道メニューが並び、接客序に細々と積もる世間話をしていくマスター迄居る店である。なんでも今は准教授を務めている勇作は昔から学友達と出入りしていたらしい。その大切なお客様のお連れ様として、自分にまで立ち入ったフレンドリーな接客をして来られると、妙にむず痒い感じがする。
言ってみれば、こういう勇作の豊かな人間性やら育ちからくる気分とその行動に付き合うのは、時間が経っても馴染み切ることが無いのだ。
(気分に合う、ねえ。)
兄様も偶には甘いものでもどうぞ!と半ば強制的に代理注文されたウインナーコーヒーのクリームを義務的にスプーンで掬い上げて口に運ぶ。
コーヒーはブラック派の尾形にとっては、これですら甘ったるくてたまらない。コーヒー単体で口にしたならば、スッキリと余韻を引き上げていくのに対して、乳糖特有の風味が加わった甘さの感覚が暫く続いて残る。
こういうところで、つい自分と勇作其々が重ねてきた時間の性質が根本的に異なるのだと感じてしまう。
無論どちらが正義という訳ではないし、今更議題に挙げることもない。しかし歳を重ねた分、薄く諦めも感じながら勢いある勇作に引き摺られてやり過ごす、漠然と過ぎていく無為な時間になる気もする。
「そうですか。まあ勇作さんの気分が良くなるなら俺はどっちでもいいです。勿論ご馳走して下さるんでしょうし?」
と、ぼんやり頬杖をついた。
特に甘味を喜ぶわけでもない、何なら情緒豊かな余暇を積極的に求めようとしない兄である。退屈そうな様子を眺めつつ、勇作はぽつりと言葉を絞り出した。
「勿論どこのお店だって、兄様と過ごすのは大切で特別な時間ですよ。でもこうして『これまでの』時間を重ねてきた場所でご一緒すると、新しい時間をつくっていく気分にもなれるかな…と思って。」
だから、偶にはそういう事が有っても良いでしょう?と、勇作は淡色の花弁から零れたような笑顔を向けた。
ーああ、何年経っても、俺は、俺とこいつは。こうしてペースを握られたまま、時間を重ねていくのだろう。
「ったく、仕方ねえ奴ですな、勇作先生は。」
尾形はかさついた指先で、昔より少し広くなった勇作のおでこをぴん、と弾いた。
静かに燃えるランプの灯火が、浅く刻まれた目元の皺にやさしい影を落としていった。