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    samemomiya

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    3月29日

    都合の良い夢と破れた恋の墓場「お前はずるいわ」

     少女がそう声をかけたのは、ソファに座ったネアの頭の上からであった。

     もうすぐ春告げを迎えるウィームの森にはまだ雪が残っており、そろそろ衣替えの季節だろうかと家事妖精たちがそわそわするのもまだ少し先のことだろう。リーエンベルクの装いもまた、冬のそれであった。

     ネアを詰るように降ってきた声はそれでもどこか親し気で、丸みのある陶器の鈴が鳴るよう。愛されることが当然だと思っていて、実際そうされてきた人外者特有の、自尊と自信に満ちた媚のない声だった。

     顔を上げたネアの視界の隅で、さらりと秋色の髪が揺れる。
     きっと、美しい少女なのだろう。ソファの背もたれを掴む指先は細く嫋やかで、着ているドレスの刺繍も素晴らしいものだ。拗ねたように尖らせた唇は少女らしく色づいて、思わず可愛らしさに目を細めれば、むっと機嫌を損ねた気配がする。

    「……確かに私は強欲で狡猾ですが」
    「そんな今さらわかりきってることを言っているのではなくてよ!」

     ふすふすと可憐に憤る少女は言った。今さら、と。
     なるほど親しい間柄であればその感想も当然だろう。大なり小なりそれを許容する者しか、ネアの周りには残っていない。

     ふと、心の中で首を傾げる。
     果たしてこの少女は誰だっただろうか。

     どうにも思い出せないまま、表面ばかりは澄ましているネアに焦れたのか、少女はつんと顎を上げた。

    「手に入るものなら頑張ると言ったくせにいつまでも執着しないのだもの」
    「……しているつもりですよ」

     反論しつつ、机の上を見渡せば、一人分の紅茶が目の前にある。彼女の分を淹れなければ、と思い立ち、しかしカップがないのだから要らないのだろうとすぐ思い直した。

     カップを手に取れば、いつミルクを入れたのか、やさしい白茶色がとぷりと揺れる。普段はあまり嗅いだことのない、ほんのりとあおく甘い香りがした。

    「私の大事なもののために、私は私をうかつに諦められなくなってしまいました」

     ミルクティーに少女の影は映らない。口に含んでも温かくはないのだろうと何故だか強く確信して、ネアはソーサーにカップを戻した。

     そう。
     こちらの世界に来て、ネアは、自分のことを諦められなくなった。

     家族ができたのだ。

     幸運なことに素敵な脱出装置を使うこともないまま、空っぽだった手のひらにようやく抱え込んだきらきらの宝物。それを放り出して逃げることなど、どうしてできようか。
     ネアのお家はここだ。どこへ行こうとも、絶対に帰ると約束した、ただひとつ。

     この世のなにより大事な魔物を捨ててまで逃げる場所など、今のネアにはどこにもない。

     ふん、と少女がひとつ鼻を鳴らす。

    「どうかしらね。いつまでもままごとのようなじゃれ合いをして」
    「……否定はしません」

     嘲笑に、ネアはそっと目を逸らした。

     年月分の手練手管に長けた、老獪な魔物だ。なのに今でも愛情にためらい、ちょっとしたことで深く恥じらってしまうことがある。おねだりするご褒美と言えばフレンチトーストやささやかな口づけで、きらきらと綺麗な瞳を輝かせながら、目元を染めて受け取ってくれるのだ。

     もちろん、そんなところも愛おしく、慈しみたい気持ちは存分にあるが、第三者にままごとのようだと言われてしまえば、是非はともかくそれはそうですねと答えるしかない。

    「……見ていてもどかしくてしょうがないわ」

     ゆっくりと。ゆっくりと少女が身体を傾けた。
     そのとき初めて覗き込んだ瞳は、しかし陰になってしまい色もわからない。

     ただ、その微笑みを見て、ああこの少女は魔物なのだな、と強く思った。

     ちっぽけな人間など、容易く篭絡する、悍ましく美しい魔物の微笑みがそこにあった。

    「ちょっと誘いをかければ簡単に奪えてしまいそうじゃないの」

     つうっ、と、整った指先がネアの輪郭を滑り、甘い甘い声が鼓膜を震わせる。

     信奉者がいる、と言ったのは果たして誰だったか。
     この指先を、この誘いを、得るために命さえ投げ出す者はきっと少なくない。

     ネアは彼女のナイフしか知らない人間だったが、それでも、とこの甘い蜜を受け入れてしまう人間もいるのだろう。それでもいいから、と。

     それでも。

    「申し訳ありませんがもう差し上げられなくなってしまったのです」

     もはや譲るわけにはいかなかった。

    「あの魔物はもう私のものなので、それを奪おうとする方は誰であっても滅ぼさなくてはなりません」

     ソファに座ったままの姿勢で、ネアはしっかりと少女の眼を見据えた。

     もはや手放すことも逃げ出すことも考えられない。ディノは、ネアのものだ。
     今なお大半がネア本人のものだとしても、ネア自身を差し出しても構わないと思うくらいには、ネアにはディノを捕まえておくためだけに戦う覚悟がある。

     付き合いの長さも、想いの深さも、求める強さも。
     あのときとはちがうのだから。

    ──あのとき、とは、いつのことだっただろう。

    「……馬鹿ね」
    「むぎゅ?!」

     罵倒と共に、ぎゅっ、とすべすべの手で頬を包まれて、顔の真ん中にお肉が寄る。
     顔面を不細工にされネアは怒り狂ったが、少女は怯むことなく、溜め息のような苦笑を漏らして、言った。

    「だったらさっさと起きなさい。いつまでも寝ているのではなくってよ」

     あなたはわたくしから、あの方を奪ったのだから。

     泣きそうな顔でくしゃりと微笑む少女の瞳は、それはそれは美しい金貨色をしていた。










    「キュ! キュ!」
    「フキュフ……」

     胸元でぽふぽふと小さな生き物が跳ねる気配でネアは目を覚ました。鈍い覚醒の後、こちらをじっと見つめる水紺色と赤紫を赤紫を認め、細く息をつく。
     落ちないようにそっと片手で支えながら身を起こせば、ずん、と重めの頭痛がして眉を顰めた。それを振り払い、周囲に咲く花々からそっと顔を出して、ネアは息を呑む。

     そこは一面の、黄菊の花畑であった。

    (黄菊……)

     ざあっ、と冷たい風が真っ青な空を吹き抜けた。
     見えている範囲はすべてがみっしりと詰まって咲く黄菊のようで、さわさわと風に揺れる様がどこかもの悲しい。
     つやつやと咲き誇る黄菊はこちらの世界でも秋の花で、少なくともここが季節の運行から外れた場所であることをネアに思い知らせている。

    (ここは、黄菊の墓場なのだわ……)

     なぜだかそう思い、ネアは、夢の中の少女が誰であったのかをようやく思い出した。
     ネアのことが心配なのか、キュウキュウフキュフキュと声を上げる魔物たちをそっと抱きしめ、唇の端だけで微かに自嘲する。

     なんて都合の良い夢だろう。
     彼女とネアはあのように親し気に会話するような仲ではなかったし、そうなれるかもと錯覚する時間もないままあの魔物はいなくなってしまった。

     同性の友人を切望する今となっても、彼女とはうまくいかなかっただろうと想像することは難しくない。魔物という生き物はひたすらに狭量で、彼女はディノに恋をしており、ディノはネアでなければならなかった。故に彼女はネアに手を出さずにはいられなかったし、ディノは彼女を排さずにはいられなかっただろう。

     たとえば、出逢ったのがあのときではなく、今であったとしても。
     よりネアから遠いところで彼女がいなくなったであろうことは明白だった。

     それでも。

    「フキュフー!」

     肩の上で荒ぶるちびふわをそっと撫でて、ネアは呟く。

    「……大丈夫ですよアルテアさん、忘れていません」

     彼女だけが、ネアのせいで死んだ魔物ではない。

     彼女に出逢う前にすら、ディノによってその命や形を奪われた魔物はたくさんいて、ネアがディノの婚約者になり、伴侶になったことで、どちらを求めるにせよそれを許せないものがたくさん死んでいった。
     ディノがこっそり手を下した魔物も、ネア自身が手をかけた魔物も、ノアやウィリアム、アルテアが排除した魔物も、それぞれ片手ではきかないだろう。

     けれども。
     鋭いナイフを握りしめて、まっすぐに切りかかってきた彼女のことは、まだ、覚えている。

     忘れるな、と、アルテアにそう言われたが、それだけが理由ではない。

    「……忘れません」

     ここがどのような場所であっても、終わりはきっとおとずれるだろう。

     断ち切るために、立ち去るために、終わらせるために。
     ネアは鋭く、終焉の名を呼んだ。






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