ジェイフロ波打ち際をはねる小魚が陸に取り残されてのたうつ。
びたびた。尾びれが砂の表面を無意味に叩いていた。皮膚呼吸もできない小さな生き物は、間もなく酸素不足で息絶えるだろう。
それまでに、波はおまえを迎えに来るだろうか。
フロイド・リーチは静かに笑い、塩気の強い風に煽られながら砂浜にしゃがみ込んだ。
消えかけた灯火を燃やす小さないのちが、海に見捨てられた哀れないのちが、フロイドの好奇心を強くくすぐる。元は同じ生き物だったはずのに、呼吸の仕方が違うだけで、陸に放り出されるだけで、こんなにもちっぽけに死んでいく。
まるで境界線のようだ。ゆらりとうごめき形を変えるそれが、慈悲もなく生と死を分かつ。
「あは」
砂粒がまとわり付く魚を指先で掴み、そのまま口内へ放り込む。弱々しい魚はそれでも、舌の上で懸命に命を賭していた。
骨が砕けるおと。舌をざらつかせるうろこと、塩の味。じゃりじゃりと混じる砂が不快で、顎を数回動かしたところでそのまま無理やり飲み込んだ。
「うぇ、まじぃ」
文明は人魚の価値観をも変えていく。例えば、魚は火を通した方が美味い。
熱という概念は驚くほどに多様な物質を変化させる。深海の底で暮らしていたウツボの兄弟もまた然り。
──イド、フロイド。
「なあに、ジェイドぉ」
遠くで聞こえた片割れの呼び声に大きく叫び返す。そのせいで、一際高い波が迫っていることに気が付けない。
あ。
そう声に出す前に、逃げ遅れた尾びれは脛の高さまで打ち寄せる水に包まれてしまった。
波はまるで自分を海に引き込むように爪先に絡み、沖へと流れ引いていく。転びそうになる体を踏ん張りながら、フロイドは胃の奥に消えていったひとつの命を思い出した。
先までの小魚はきっと、フロイドが手を出さなければこの波に乗って海へと帰れたのだろう。ほんの数分、空気に触れ水のない場所で苦に喘いでも、気まぐれに打ち寄せる波は死を許さなかった。
奪われた人生、もとい魚生の価値はあまりに軽い。世界の気分ひとつ。フロイドの気分ひとつではじけて消えゆく泡のようなものだ。たとえフロイドが見逃し生きて戻ったとて、いつかはなにかに食われて死ぬ。
ちっぽけな生命。フロイドの命もきっと、それらとさして変わりはない。
予想外の失態で水に濡れた足先への不快感と降下したテンションは、それでも小魚一匹への関心に劣る。
海水が染みた革靴はすぐに痛んでしまうだろう。水分でまとわりついた砂が重くて、濡れた靴下が張り付いて気持ちが悪い。
「ああ、フロイド。そろそろ帰らないとアズールに叱られます」
「ジェイド。オレの靴下びちゃびちゃになっちゃった。買ったばっかりだったのに」
「自業自得でしょう。なぜ最初に脱いでおかなかったんですか」
「ええー、なんでだろ。忘れたぁ」
「思いつきで行動するのは貴方の長所でもあり短所でもあります」
「でもそういうオレが好きなんでしょ」
「ええ。もちろん」
どちらかの笑い声がかすかに空気を震わせた。すぐに海の音楽に混じって消えていく。
首筋に寄せられたジェイドの唇が喉仏を優しくなでる。伝わった感触の奥で磯の味がした。
「お腹すいた」
「おや、ふふ。帰ったら軽食でもつまみましょうか」
「今日は魚の気分」
「煮物?焼き魚?」
「小魚一匹、丸噛りがいい」
波が砂浜をはねる。濡れた靴底が地面を叩く音は、瀕死の魚のヒレの音によく似ていた。