いただきます キッチンスペースには今日も対立する2人の姿があった。キッチンを守るように赤也が立ち、その反対側に柳が立っている。
「なぜだ赤也。どうして俺を入れない」
柳が悲痛そうな声音で赤也に訴える。切なそうに眉毛を寄せ健気な表情を浮かべていた。
「俺はお前を心配しているのに」
真剣に思い遣る様子に、赤也は胸が痛んだ。しかしここを通すわけにはいかない。背後では鍋がぐつぐつと煮え、いい香りを漂わせている。
「気持ちはありがたいんすけど、柳さんをここに入れることはできないっす」
「なぜだ。俺はお前の力になりたくて、」
「アンタがここに立つとアレもコレも入れてメシがマズくなるからでしょうがアっ‼︎」
一歩も引こうとしない柳に赤也は本音を炸裂させた。
♢♢♢
こたつテーブルの上にどんと鍋が置かれる。海鮮や野菜、豆腐などが煮込まれ、ほくほくとおいしそうな湯気をあげていた。出汁の香りが食欲をそそる。
いただきますをして、鍋にありついた。柳が器に盛ったスープを審査するように一口飲む。
「おいしい」
「でしょ。俺に任せとけば間違いないんすよ」
市販の鍋つゆとスーパーでパック詰めにされていた鍋食材を入れ、鍋で煮込んだだけの誰でもできるシンプル料理だが、それでも柳が作る料理よりかは幾分マシだと赤也は直感する。
同棲初日。引っ越しそばを作ろうと意気揚々にキッチンへ立った柳が作ったそばは、未知の味がした。
「グフッ⁉︎ 柳さんこれ、なに入れたんすか⁉︎」
「栄養価を上げるためにお茶を入れた」
「お茶ア⁉︎⁉︎」
当初食事は当番制を考えていたが柳の手料理を食べ赤也は自分が料理担当になることを決めた。だが柳は不服なようで、赤也が料理を作るキッチンに時折入ろうとしてくる。隣で何もせず見てもらう分には問題ないが、「栄養バランスが、」と言っては変な物を入れようとしてくるのだ。
以来、赤也は料理中柳がキッチンに侵入してくるのを阻止している。すべては自分の身を守るためだ。
柳が器によそった豆腐を箸で一口大に切り分けながら、不満そうに話す。
「俺だってレシピ通りに作れば……」
「そう言って柳さんがレシピ通りに作ったこと、ありましたっけ?」
「……新たな発明のためには、アレンジも必要なんだ」
「ここで科学者っぽいこと言わないでくださいよ」
やはりこの人をキッチンに立たせるわけにはいかない、と赤也はそう強く心に決めた。
♢♢♢
「うーッ、さみい」
冬の冷たい風に吹かれながらしんと沈んだ夜の道を歩く。今日は予定が立て込み、いつもより帰宅が遅くなってしまった。柳はもうとっくに家に着いていることだろう。
頭の中で冷蔵庫にある食材を思い浮かべ、チャチャッと出来上がる炒め物でも作るか、と今夜の献立を考えながら赤也は家路へ歩みを早めた。
鍵を回し、ドアを開ける。予想通り部屋の明かりはついていて、玄関には柳の靴が揃えてあった。
「ただいまー。愛しの赤也くんが帰ってきましたよー」
冗談めかして帰宅を告げれば、こちらにやってくる足音がトットと聞こえる。
「おかえり」
赤也のボケを完全にスルーして玄関まで出迎えにきてくれた柳に、赤也はギョッとした。なんの変哲もない部屋着の上に、普段は赤也がつけているはずの布をまとっている。
「や、柳さん……その格好、もしかして……」
柳がよくぞ聞いてくれたとばかりに晴れ渡った表情をする。ちょっとテンションが高くなっているのか上機嫌そうな恋人のレアな姿にかわいいなとときめく心の余裕は、今の赤也になかった。それくらいの非常事態が訪れている。
赤チェックのエプロンを身につけた柳が自信ありげな笑みを浮かべた。
「今日はお前に代わって、俺が夕食を作ろう」
絶望の予感がした。
♢♢♢
キッチンにじゃがいもやほうれん草などの野菜が所狭しと並んでいる。まだ料理は何一つ完成していないようで、赤也は安堵の息を吐いた。
まな板には丁寧にカットされたにんじんが並んでいる。その隣に板チョコがあるのはなぜだろう。コンロには水の張った鍋が用意されており、一体何を作ろうとしているのかきっと名探偵でも解けないくらいの謎が広がっていた。
「悪いがまだ調理途中なんだ。俺のことは気にせず、お前は着替えてのんびり待っていてくれ」
できるかよそんなこと。
果たしてこの状況を見てのんびり待つ人などいるのだろうか。身に迫る危険に焦るあまり口から乱暴な言葉が出かかった。しかし言いたい衝動をぐっと堪える。きっと柳は赤也のためを思って作ってくれているはずなのだ。
その指には今朝なかったはずの絆創膏が貼られている。おそらく食材を切っている時に怪我をしてしまったに違いない。それでも何かを作ろうとキッチンに立って懸命に励もうとしているのだ。何かは全くわからないけれど。
柳の健気な優しさに赤也は心がじんとした。それはそれとして、このポイズンクッキングを何としてでも止めなければ、という焦燥感もまた募っていた。
「なんか俺にできることがあれば手伝いますよ。柳さん1人に任せるのも申し訳ないし」
「いいや、これくらい俺にさせてくれ。いつもお前1人に任せきりだから、少しくらい役に立ちたいんだ」
だったらその板チョコをまな板に乗せて刻もうとするのをやめてくれませんか、と心の底から思う。下手に申し出てみたが柳もなかなか手強い。こうなったら。頑張ろうとする柳に胸が痛むが、赤也は強行手段をとることに決めた。
柳の背に体を寄せ、部屋着の中に手を入れる。外の空気で冷えた赤也の手が肌に触れ驚いたのか、柳がビクッと体を震わせた。
「っ、赤也、何して、」
「いやあ、実は俺、ご飯の前にもっと食べたいモンがあるんすよね」
巧みな言葉を吹き込み、柳の胸に手を伸ばす。冷えた手が柳のつんと硬くなった飾りに触れた。指できゅっとつまみ弄る。
「っ、……ぁ、あかや、今はっ……」
「俺の手冷たいでしょ?」
赤くなった耳に囁けば、柳が色めいた息をこぼしながら小さくうなずく。
「だから、俺のことあっためて」
唇を奪い深く口づけると、柳もその気になってきたのか、舌を絡めてくれた。濃厚にキスをしながら柳の体をすりすり触る。唾液を交わし、ちゅぷ、とキッチンに似つかわしくないいやらしい音が何度も鳴った。
「んぅっ……ぁ、」
キスの合間にかわいらしく漏れる柳の喘ぎに赤也の欲も高まっていく。唇を離し、ちゅ、ちゅ、と首筋に口づけると拒むことなく受け入れてもらえたので、勝機を見出した赤也は柳の手を引き寝室に連れ込んだ。そのままキッチンで致すのも男のロマンではあるが、現実的なことを考えればベッドのほうがいい。
赤チェックのエプロンをつけたままの柳が白いシーツの上に倒れる。
赤也は心の中でいただきますを唱えてから、その肌に唇を這わせた。
♢♢♢
下だけ衣服を身につけてからベッドに腰を掛けた赤也は、ふぅ、と一仕事終えたように息を吐いた。後ろには乱れたシーツに体を預け休んでいる柳がいる。
運動したからか途端に空腹を感じた。だいぶ夜は更けたが何か作ろうと立ち上がり、床に落としたシャツを拾う。その時馴染みの赤チェックのエプロンが目に入ったが、行為の一端として使用されたため濡れてぐしゃぐしゃになっていた。つけるのは諦め、もう一枚の青チェックのエプロンを引き出しから出す。
エプロンの下に着ていた衣服を捲って脱がせ「裸エプロン」などとコスチュームプレイに興じた結果、かなり盛り上がってしまった。新たな性癖に目覚めてしまいそうな己を自制し、寝室を出てキッチンに立つ。まずは板チョコをキッチンから除外した。