竹鉢:おくうのあい 三郎は濡縁の柱に寄りかかり、じっと地面を睨めつけて、しかめっ面のまま考え耽っている。南側のこの場所には暖かい陽射しが降り注ぎ、穏やかな風が三郎の頬を撫でた。疲労が色濃く残るこの身には柔らかい陽射しが快い。八左ヱ門からここで待っているようにと請われて諾と返してしまったから待っているが、一向に戻ってこない。いっそのこと眠ってしまおうか。けれどどうにも、胸がむかむかとして眠れる気はしない。
脳裏では昨夜の出来事を反芻している。閨でのことだ。行為そのものにも、閨での役割にも不満はない。この身の奥まで八左ヱ門が触れることを許したのは三郎だ。いつもは優しいばかりの八左ヱ門の手が熱を帯びて、三郎の体を開いていく。慈しみを浮かべる瞳が、ぎらぎらと食らいつくような色に染まる。三郎は昨夜の熱を思い出した体を抑えて、首を手の甲で擦る。違う、そうじゃない、ともかくふたりの間にある関係性になんの不満もない。不満があるのは閨をともに過ごした翌日、つまりは今のことだった。
「ぶすくれたりしてどうしたんだ、三郎。」
三郎を濡縁で待たせてどこへ行っていたかと思えば、八左ヱ門は黄金に光るきなこのかかったわらび餅が乗った皿を持って戻ってきた。確かに小腹は空いているが、三郎がいま欲しいものはわらび餅ではない。苛立ちの原因行動に対する意図を知りたい。
久しぶりの逢瀬にたかがはずれたのはお互い様だった。熱に浮かされるばかりで閨での記憶は曖昧だが、無理な体勢をとったらしく関節や筋に違和感がある。
朝餉のときに顔を合わせた友人たちからはすっかり呆れられてしまったが、違和感のある個所を悪化させないようにと緩慢に動く三郎に対して八左ヱ門は甲斐甲斐しく、ひどく気を使っていた。
(……気を使う、というよりは過保護?子どもあしらい?女人扱い?)
恋仲ではあるがそれ以前に級友であり互いに対等だと思っている。体調が芳しくはないとはいえなぜ、起床してから今ここまであれこれと世話をされなければならないのか。朝は優しく揺り起こされ、体を拭われ、制服への着替えを手伝われ、髪を結われ、朝餉の用意をされ、今日は授業も用事もないのだからと五年生長屋のもっとも陽当たりの良い濡縁に座らされている。目覚めてから今まで、三郎がおのれで行ったことと言えば食堂までの廊下を歩いたことと厠くらいだ。それだってどうにか八左ヱ門を説き伏せて、手伝わせなかった。
ぶすくされた三郎の隣に腰をおろした八左ヱ門は、わらび餅にかかっているきなこを箸で払っている。
「私はおとこだ。」
「知ってるよ。」
箸で摘まんだわらび餅を口許に差し出される。小腹は空いているし美味しそうだが、のんびり食べている気分じゃない。三郎は八左ヱ門の手を押しのけた。そもそもなぜ食べさせようとするのか。
「おまえに比べれば細身かもしれないが、そんなにやわじゃない。なんでそう、世話をやこうとするんだ。」
八左ヱ門はぽかんとほうけた後に、はたりと瞳を瞬かせた。不思議そうな顔で三郎を見つめている。三郎は苛立ちを隠さずに対峙する。八左ヱ門の眉が困ったように下がって、三郎はぐうと喉を鳴らした。どうにも八左ヱ門のこういう顔がかわいくて、いつもならばすぐに許してしまう。三郎だって言い合いなどせずに、穏やかな会話を楽しみたい。けれど、と思い直して頭を振った。こういうちょっとした違和感を放置するといつか関係が綻んでしまう。それは嫌だった。
三郎はおのれの体を見下ろす。骨はしっかりしているし、筋肉隆々とはいかないがそれなりだ。変姿の術を得意とするためにいくぶんか細身であることは否定しないけれど、それだってほどだろう。色気のある体つきではないことを詰られるのならば甘んじて受け入れる。言葉を重ねようと口を開いた隙に、わらび餅が三郎の口の中へ押し込まれる。煎ったきなこの香ばしさと、ほんのりと甘みを感じるわらび餅の柔らかい歯ごたえに三郎は思わず、美味いな、と呟いた。
「俺のとっときだよ。三郎、好きだろうなと思ってさ。」
八左ヱ門もおのれの口にわらび餅をほうり込むと、美味い、と笑う。もうひと口、とわらび餅を差し出されて、今度は素直に口を開けた。はくりと箸ごと噛む。三郎の口から箸を引き抜いた八左ヱ門は、わらび餅を突きながらぐるりと考えを巡らせているようだった。
「三郎の体つきがしっかりしていることと、俺がおまえを大切にすることは、まったく別の話だろう?」
そうか、大切に想ってくれているのか。絆されて苛立ちが和らいでしまう。意識して出した冷えた声で意味を問えば、八左ヱ門は不自然に視線を逸らしてもごもごと口ごもる。なぜか八左ヱ門の頬が赤い。
「いや、だからさ、」
「はっきり言え。」
納得できるまで引くつもりはない。三郎がぐいぐいと迫れば八左ヱ門はずるずると後退する。八左ヱ門が手に持つ皿が傾いて、きなこがこぼれ落ちた。膝のうえをきなこまみれにしている八左ヱ門は、まったくその状況に気づいていないらしい。慌てて三郎が皿を取り上げる。皿に残るわらび餅の無事を確認していると、八左ヱ門がおもむろに三郎の肩を掴んで引き寄せた。そうっと耳打ちをする。
「……だから、俺は三郎を恋仲扱いしかしていない、という話をしている、んだが……。」
気恥ずかしいのか、八左ヱ門の声は少しずつ小さくなっていく。三郎はぽかんとほうけた後に、はたりと瞳を瞬かせた。思考があちらこちらへと取っ散らかって、言葉を理解して、咀嚼して、それから顔を真っ赤に染めた三郎は居た堪れなさをごまかすために、残りのわらび餅をすべておのれの口のなかへ押し込んだ。