知りたいの理由を 何故あの時、竈門家の者達を救えなかったのが俺だったのだろう。たまたま管轄区域に戻る途中だったからだとか、何かと理由をこじつける事は出来るが、この期に及んで己が無力を思い知らされるのは、あまり良い気分ではない。
俺は無力だった。数えるのも嫌になるほど鬼どもを狩ってきたが、手のひらから取り零してきた命もまた多く、数えきれない。俺の剣に誰かを救う力はないのだと、いつからか気づいてしまった。
竈門炭治郎とその妹、禰豆子を生かしておいた事も、彼らを救ってやったなどとは思えなかった。かつて炭治郎の処分について柱合会議が開かれた折、俺は炎柱の煉獄杏寿郎にこう声をかけられた。
「君は随分、情け深いたちなのだな」
俺は黙っていた。炭治郎を鬼殺の道へ誘導したのは、謂わば流れる血を増やしただけだ。情け深い人間のする事ではない。
「俺と君では、見えているものが違うのだろう。きっと、導き出す答えも違うのだ」
「全ての鬼を滅する。答えなど、それ以外に持ちようがない」
ぼそりと答えた俺に、煉獄はそれもそうだ、と笑った。そんな煉獄も死んだ。俺は煉獄の導き出した答えとやらを聞きそびれたのだった。
鬼殺隊の者は、それぞれの事情を抱え、それぞれの志で戦っている。同じものを見たところで、胸に湧き起こる感情はまるで違っていた。俺は柱でさえない半端者だ。立派な、気持ちの良い男であった煉獄の心など窺い知れない。
どんな半端者にもやるべき事がある。そう思い至って振り返れば、揶揄かと疑った煉獄の言葉も、別の響きを持って思い起こされた。
「若い芽は摘ませないと、以前、煉獄さんはそう言っていたんです」
四日目の夜、俺はまだ炭治郎と共に居た。もうじき足の包帯も取れ、柱稽古に向かうのだという。俺が命懸けの荊道へと誘った少年は、しぶとく、しなやかに生き残ってきた。
「そうだろうな」
俺は相槌を打つ。管轄区域の見廻りへ行く前に、炭治郎は茶を淹れてくれた。朝までには蝶屋敷へ戻るらしい。こうしてゆっくり話が出来るのも、恐らく今夜が最後だ。
「柱であれば誰であれそうする、と。俺にはあの時、俺自身にそれほどの価値があるのか分かりませんでした。今でもまだ、半信半疑です」
縁側の隣で爪先を揺らしていた炭治郎は、くりくりと円らな目をこちらに向けた。
「でも、不思議なんです。義勇さんはどうして、土の中で眠る種でもない俺を助けてくれたんでしょう。義勇さんには、俺と禰豆子がこうなる事、分かっていたんですか」
まさか、と言いかけて、口を噤んだまま熟考する。確かに炭治郎と禰豆子は鬼殺隊の悲願を引き寄せる存在だった。しかしそうでなくとも、俺は禰豆子を殺せなかったような気がする。
打算でないのなら、情けだったのだろうか。はたまた、別の何かか。考えてみても、適切な言葉は思いつかない。
「分からなかったよ」
俺は炭治郎と視線を絡め合わせたまま、答えた。
「俺に、お館様のような先見の明はない」
「じゃあ、どうして……」
「過ぎた事を、どうしてそう気にする」
炭治郎はぐっと唇を噛む。稚い顔は、そういう表情をすると、いつにもまして子供じみて見えた。
「救われたと、そう思ったからです」
高い夜空に抜けていきそうな、澄んだ声だった。
「勘違いだ」
「そうだとしても。俺が今此処にあるのは、義勇さんと出会ったからです。あの雪の日に出会った時だけじゃなく、命を賭して俺と妹を信じてくれました。俺は、貴方の事を知りたいんです」
俺は炭治郎が思うような人間ではない。救いなんて大仰なものは、与えたくても持ち合わせていないのだ。俺が目を細めて炭治郎を見下ろしていると、仄かに赤みがかった瞳が濡れて光った。なんて事のない朧月夜にも、よく輝く目だった。
「茶が冷めた」
俺は手のひらの中でぬるくなった湯呑みを持ち上げ、ひと息に茶を飲み干す。炭治郎がぽかんとした顔をした。
「お前の話を聞いていると、どうも時が経つのが早い」
湯呑みを置いて、俺は庭に立つ。炭治郎はへんてこな顔をしていた。拗ねているようで、何処か俺を甘やかすような、優しい顔だ。
「義勇さん、今じゃなくていいんです。いつか……教えてください。貴方の心を」
俺は傍に置いていた刀を腰に差す。いつしか自分自身の心の在り処さえ見えなくなっていたのに、なんだか今宵は、妙に視界が明るい。月とはこんなに眩しいものだっただろうか。
「そうだな」
いつか、この捉え難い心に触れられる日が来るのだろうか。その時には、炭治郎と陽の下に立ちたいと思った。炭治郎が満足そうに笑う。叶うかも分からない約束を拳の中に仕舞うようにして、俺は鎹鴉の呼ぶ方へ立ち去った。
つづくよ