襲さんは抱かれたい お初にお目にかかります。私、花山院侯爵家が一人娘、花山院襲と申します。特技は歌詠み、趣味は華道を嗜んでおります。……と堅苦しい挨拶はさておいて。本題ですが私には想い人がいます。お医者様をしている周馨さんです。彼はわがままな私のことを、出会ってきた異性の方の中で唯一、認め受け容れてくれた方です。穏やかで、聡明で、大抵のことは出来てしまう。私は彼に、恋に落ちました。
欲しいものは手に入れたい。愛しいものは手元で愛でていたい。そういう性質だった。だから、私のこの欲望もあって当然なのだと思うのです。
「馨さんって欲が無いって言われません?」
「……どうしたんですか、いきなり」
馨さんの自宅で、私たちはいつも通り他愛のない会話をしながら創作をしたり食事を取ったりしていました。今は昼食を終えて、読書をする馨さんのことをそっと眺めています。
「ずっと思ってたんです。こうなりたいとか、何かしたいとか、聞いたことないなって」
「私だって欲のひとつくらいは」
「言ってみてくださいよ」
「襲さんとこうしてのんびり過ごしたいです」
聞きたいのはそういうことではないのですが、と思いつつ私はそうなんですかと返しました。自分の気持ちは、彼に対する下心は、やはり適切なものではないのでしょうか。彼に出会う前からずっと考えていました。
「そういう襲さんはどうなんですか……って聞くまでもないでしょうけれど」
「ふふ、内緒ですよ」
こんなことを、こんな人に明かしてはならない。私にとって彼は清い存在であり、眩い光のような存在です。綺麗なものを自分の所為で汚したくない、とは思うけれど、でも自分の色に染められたならと期待してしまう私もいます。そんな自分でも、それでも好きでいてくれるのでしょうか。そんな思いが奥深くにありました。
「私のことは置いといてですね、馨さんのこともっと知りたいので答えてくださいね」
「答えられるものなら答えましょう。……どうぞ」
「馨さんて自分から欲求することないですよね。どうしてですか?」
「改めて何故かを聞かれると返答に困りますね……」
そう呟いて馨さんは真面目に回答を考えているようです。そこまでしなくていいのに、と思いつつ私にはそれが嬉しくもありました。自分に対して、真剣に、誠実に向き合ってくれる。それだけで嬉しかった。
「そう、ですね……大抵の事は自分で何とかしてしまうので、人には言わないのでしょう」
「そういうものですか」
「私は一番したいことが出来れば十分ですから。なので父から軍医総監になれと言われても私はなろうと思えないというか」
「馨さんは小さなことでも幸せ感じられそうですね」
「そうかもしれませんね。……安い人間なのでしょう、私は」
「善いことですよ。……また質問ですけれど、馨さんは私のお願い事、何でも聞いてくれますか?」
「……今更何を」
「確認です。どんなお願いでも、聞いてくれますか」
「私が叶えられるものであれば」
彼ならそう答えると思っていました。出会った時なんかは、出来ることがあれば言って欲しいと申し出てくれたくらいでしたから。叶えられるものならなんでも。私にはそれだけで十分な回答でした。
夜。馨さんのお部屋にお邪魔して、私は寝込んでいる所を襲いました。眠っている馨さんはどこかあどけなくて、可愛らしいと寝顔を見て思わず笑みが零れます。普段はあまり見えない肌も、着物の袷から見えていると少し邪な気持ちが芽生えてしまいます。
「ごめんなさい、馨さん。私、ちょっとわるいことしちゃいます」
眠っている彼には聞こえないでしょうけれど、私はそれでも構いません。自分がこれからどうなるかなんていずれ分かるのですから。馨さんの身体に跨り、布団を少し捲りました。寝相が良いとはいえ、着流しも多少は着崩れるもの。少し前をはだけさせて、中々見ることのない身体を堪能しました。抱き寄せられた時を想像するだけで、身体の熱が燻りそうです。別に身体目当てとかではないですけれど、好いてしまった以上は期待もしてしまうわけで。
こんなに近くで顔を見るのも中々出来ません。馨さんは平気だそうですが、私が耐えきれずに目を逸らしてしまうからです。自分の容姿に関しては特に言及はされていませんが、馨さんも中々良い顔立ちだと思うのです。睫毛もそこそこ長いと思います。起こさないようそっと手を伸ばして、顔にかかる髪を払い、指の腹で唇をなぞりました。こうして触れていると、口付けのひとつやふたつくらいは許されそうな気がします。ということでまずは額にひとつ。相当お疲れのようで目覚める気配もありません。もうこのまま、唇にもしてしまいましょうか。唇を重ねた途端、動く気配がありました。少し離れて馨さんの様子を見ます。
「……襲さん?」
半覚醒状態で私を見る馨さんはとても扇情的で、性別が逆であったなら私は迷わず抱き潰していたところでしょう。私だけかもしれませんが。
「こんばんは、馨さん。月明かりの下で逢瀬なんて、とても素敵ではありませんか?」
「…………すみません。理解し難いのですが何が、」
「貰いに来たんです」
そう告げて貪るように口付けました。愛する人の唇の、なんと甘美なことでしょう。でも流石の私も馨さんの抵抗には勝てませんでした。
「……っ、ちょっと待って欲しいんですが」
「ごめんなさい、欲情しました」
「突っ込みどころが多くて……整理しきれないのですが」
「ねえ、馨さん。貴方は私のどんなお願いでも、聞いてくれるって言ってくれましたよね」
「……言いました」
「じゃあ、その」
抱いてほしいと言えばいいのに、恥ずかしくて口に出せません。ああ、私ってば、本当にいくじなし。当の馨さんといえば、私の言葉を真面目に待ってくれています。私が着崩したせいで色々危ういのですが、寝起きのせいかそれともいつもの天然なのか自分のことには気づいていないようです。そんな姿で待たれると、余計に恥ずかしくなってきます。
「……い、一緒に、」
「……寝ますか」
「へっ?」
私の考えてることが分かってしまったのでしょうか。まさかそんな、馨さんがここまで許してくれるなんて、いえ、逆に何でも言うこと聞きすぎて心配にもなるのですが。
「まだ時間ありますし」
「そ、そんな……いいんですか」
「いいですよ」
布団を捲り、馨さんはご自分の隣の床をぽんぽんと叩きました。
「冷えますから」
「あ、えと……し、失礼します」
「狭くてすみませんね、腕使っていいですから」
「……は、い」
差し出された腕を枕に、私は横になりました。……え、ちょっと待ってください。
「かおる、さん……」
と声をかけた時にはすでにまた眠りについていました。至近距離で寝顔を見ることが出来るのは嬉しいのですが、寝るってそっちでしたか。そうですよね。これはこれでいいのですが、これじゃ私が据え膳じゃないですか。私が男の人だったら迷わず抱き潰していたところです。どうして性別が逆なのでしょう。一番解せません。それにしてもこんな特等席で馨さんの寝顔を見れるなんて最高ですね。私しか体験出来ないですよ、これ。役得です。何だか今はこれでもいい気がしてきました。私の心の準備的な意味でも。翌朝が楽しみです。
翌朝。馨さんが私の目覚めを待ってくれていました。
「……あ」
「よく眠れました?」
「え、はい……おかげさま、で」
それはよかった、と馨さんは微笑んで言いました。そういうところがずるいな、と思いつつ私はゆっくり起きあがろうとしましたが、また引き戻されてしまいました。予想外のことで私の理解力が追いつかないのですが、これはもしや……?
「二度寝しませんか」
「いいんですか」
「私、今日休みなので」
これはこれでとても魅力的なお誘いです。こんな風に誘われると、私も乗らない訳にはいきません。いえ、馨さんのお誘いであれば何でも受けますが。
「……珍しいですね、そんなこと言うなんて」
「ふふ。いいでしょう、こんな日があっても」
そう言う馨さんの頬が少し赤いのは気のせいでしょうか。お言葉に甘えて、一緒に二度寝を極め込むことにします。共寝ならまだ出来そうだから。これから段階を踏んで行けば良いのです。そうすれば私の心の準備も出来ますし。
「ですね。それじゃあ」
おやすみなさい。