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    せいへき

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    せいへき

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    一郎を忘れた零の話
    ※簓零風味

    ##簓零

    忘れないで「えっと……一郎くん、で良いんだよな」
    その言葉を、その言葉を聞いた瞬間息ができなくなった。簓さんから聞いていた。聞いていたのに。
    「悪い間違ってたか?」
    簓さんに呼ばれたマンションの一室。親父がいると聞かされていた。記憶を失った——いや、記憶を失ったというより、認知症に近い症状を持った親父がいると。
    ある程度覚悟はしていた。顔も名前も何もかも忘れられている。そう覚悟して来た。
    「……一郎で合ってます」
    それでも名前を確かめられたという事実に混乱した。絶望したのかもしれない。
    「山田一郎、です」
    「良かった。俺は天谷奴零だ……って俺は自己紹介しなくても良いんだったか」
    〝山田零〟ではなく〝天谷奴零〟
    記憶を失う前も天谷奴零と名乗っていた。でもそれは意図的なものだ。今は違う。〝山田零〟を忘れ自分を〝天谷奴零〟だと認識している。
    「そう、そうです……ね。俺は、覚えてるんで……」
    『初めまして一郎くん。天谷奴零だ』そう言われなかっただけマシか。
    「二郎くんと三郎くんはまだ来てないのか?」
    聞いたことのない穏やかな声。見たことのない穏やかな顔。痩せ細った体。立つことのできない体。車椅子。
    知らない男がいる。
    「今日は三人とも別の依頼に行ってからここに来る予定だったから……もうすぐ来る、と、思います」
    どうしてもこの男を親父だと認める事ができない。だって、こんな、こんな姿を、認められる訳が、受け入れられるはずがない。
    「依頼?」
    「三人で萬屋やってるんで」
    「兄弟で萬屋やってるのかすごいな一郎くんは」
    少し、昔の親父の面影が見えた気がした。
    「萬屋なんて誰にでもできるものじゃないだろ。凄いなぁ」
    昔は俺が何かできるようになる度こうやって俺が照れてもうやめてと言うまで大袈裟に褒めてくれた。
    それでも、あぁ、駄目だ。認められない。こんな、こんな姿を。
    「お、一郎もう来とったん。えらい早かったな」
    静かな部屋に明るい声が響き渡った。
    「簓さん……依頼早く終わったんで」
    「そーか。俺はみんな呼んどるのに飲みもん買ってないのさっき気付いてな、買いに行っとったんや」
    「わざわざありがとうございます」
    ギ、と後ろから音が聞こえた。細い腕で車椅子を進めようとしていた。ほとんど進んでいなかった。
    「零! 俺が行くから待っといて!」
    親父は車椅子が動かない事を気にしている様子は無かった。一体いつから受け入れたのだろうか。——いや、この現状に違和感を覚える事すらもう無いのか。
    「おかえり簓」
    「ただいま! 体しんどくないか? 頭痛ないか?」
    「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。十分も離れてないだろ」
    簓さんに対しても話し方が前と少し違っていた。親父は簓さんの事も忘れていたのだろうか。忘れていたのなら、今の簓さんは親父の中でどんな立ち位置にいるんだろう。
    「ちょっっっとの間やったとしても離れたないのに……」
    「過保護だな」
    楽しそうに嬉しそうに、少し照れた様に笑う顔。そんな顔俺は知らない。
    「一郎二人は? 一緒じゃなかったん?」
    「もうすぐ来ると……ってちょうど来ましたね」
    部屋にチャイムの音が鳴り響いた。
    「はいはーい。お、弟くんらよぉ来たな上がり上がり!」
    オートロックを開いた簓さんはまた親父の元に戻り少しずれた膝掛けを直し目にかかった髪を払い、愛おしそうに頬を撫でた。——まるで、まるで愛しい恋人に触れるかのように。
    「簓、迎えに行ってやってくれ」
    「エレベーター乗るだけやし必要あるか?」
    「ここ少し離れてるだろ。迷ったら可哀想だ」
    「え〜、まぁ、行ってくるわ」
    渋々、といった感じで簓さんは部屋から出ていった。
    二人残された部屋。沈黙が続く。
    「……髪が長い方が二郎で、短い方が三郎です」
    沈黙に耐えられずなんとか言葉を搾り出す。
    どうせ覚えていないと分かっていながら、知っていると答えてくれるかもしれないという期待を少し込めて。
    「助かるよ。ありがとう」
    まぁ、そんな期待はあっさりと裏切られる。分かっていた。それなのにまた、息が吸えなくなった。
    「一郎くんは簓の知り合いなんだったか?」
    追い討ちをかけるように親父はそう問いかけてくる。
    違う、違う俺は、
    「俺は、あんたの」
    「二回目のただいま〜!」
    「はいはいおかえり。一郎くん今何か言おうとしたか?」
    「いや……なにも」
    言ったところで何になる。混乱させるだけだ。
    「兄貴」
    「いち兄」
    簓さんの後ろから恐る恐る、という風に二人が顔を覗かせた。
    「もう来てたのか」
    「あぁ。二人は一緒に来たんだな」
    「途中でたまたま一緒になって。所でそこにいるのが、天谷奴、ですよね?」
    二郎も三郎も親父の姿を見て戸惑っていた。やっと天谷奴零という存在を認める事ができたというのに。
    その天谷奴零もいなくなってしまって、また知らない人間になってしまった。
    「……天谷奴さん、二郎と三郎です」
    声は震えていなかっただろうか。親父を天谷奴さんと呼び、初めて会う人間であるかのように紹介するなんて。
    「二人とも挨拶、」
    「那由多……?」
    「……ぇ、」
    震えた声、見開いた目の先は二郎。
    那由多、お袋の名前。
    「あ、いや……違う、よな。悪い」
    「零?」
    俺の事も、二郎も三郎のことも思い出さなかったのに。
    いつもお袋の事だけ。俺の、俺達の事なんか。
    「二郎くん、だよな。悪い。なんでだろうな、顔見た時那由多だと……」
    何かを考え込むようにして親父は黙り込んだ。その横に簓さんは立って少し体を震わせ始めた親父の体を落ち着かせるように背中をさする。流れるように行われたその行動にこれがいつもの流れなのだと分かった。
    「あぁ、そうだ。俺にも息子が居たんだな」
    額に浮かんだ汗が床に落ちた時、外から聞こえてくる風の音にも負けてしまいそうなくらい小さな声で親父が呟いた。
    「そう、そうだそうだ。三人と一緒で綺麗なオッドアイで顔に黒子があって……名前も一郎と二郎と三郎だ」
    徐々に大きくなる声。変わる顔つき。思い出した、と思った。
    やっと俺たちの事を思い出したのだと、そう思った。これで元通りになれる。そう期待した。
    「あいつらが成長したらきっとそっくりなんだろうな」
    でも、思い出しはしても、目の前にいる俺達がそうなのだと気が付いてはくれなかった。
    「今度は息子達がいる時に遊びに来てくれよ。あいつらに会わせてやりてぇ」
    きっと次来た時にはもう俺たちの事なんて忘れていて、今日みたいに思い出す保証も無い。
    「また、遊びに来ます。約束です。だから、今度は直接天谷奴さんが誘ってください」
    「あぁ。約束だ」
    もう二度と会えないかもしれない。そう思うと胸が酷く傷んだ。
    「約束、守ってくれよ……頼むから」
    もう立っていられなくてその場にうずくまるように座り込む。
    「頼むよ、親父」
    頭を撫でてほしい。抱きしめてほしい。大丈夫だと言ってほしい。一郎とあの日のように呼んでほしい。
    あぁ、もう何も、何一つ叶わない。
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