11/11だったんだよ 酔狂なものだと思う。
鏡越しの相手との橋渡しに、一本の細長い菓子を銜える。
何故そうなったかと言えば、食べていた菓子と日付による事であった。
残念ながら、映し身である自分にとってそれはさほど興味の対象ではない。相手だってそうだ。
ただそういう暇つぶしである。
「踊らされてみるのも良いではありませんか」
紅茶のお供にチョコレート菓子を銜えたまま、相手は手札から凶悪なコア除去のマジックを放っていた。
手を使わぬまま、唇に挟んだ菓子を噛んでは長さを縮めていく。口に吸い込まれていくのを見て、器用だなと思った。
勝ったら、世間と共に踊ってみる。負けたら、これまで通りお開きに。
そんな賭けにもなっていないような事を、否応なしに乗せられて、贋物である紫電は、本物の紫電に今日も今日とて敗北したのであった。
記念すべき百五十敗目である。
あと一息だったのに、何がいけないのでしょう。
相手方のライフカウンター上で、一番星の様に煌めく青を見て漏らす。
何も、いけないわけではない。あと一息だけの事。
愛しい大事なカードたちを一枚一枚集め、相手は微笑む。
その一息が、あとどの位掛かるのだろうか。
ようやく追い詰める事にも慣れてきた身。それでも彼の相棒が出た瞬間には、全てが逆転されてしまう。究極の力とは恐ろしい、と彼の手によって山札へ重ねられていくカードを見て思った。
それよりも、と紫電は鏡越しの世界から声を掛けてくる。手にした菓子を振り、こちらも同じ物を用意するように促してきた。
「本当にやるのですか」
「ええまあ、勝ちましたから」
「負けましたので」
勝者には逆らえない。自分もその菓子を、深層の海より呼び出す。
この世界で出来ない事は、彼らと比べればほんのちょっと多いかもしれない。それでも、菓子を瞬時に用意する事は容易かった。
金色の箱に収められた、チョコレート菓子。
紫電は、自分の元にあるのとは違う金色の箱に、軽く肩を竦めた。まだまだだという事らしい。
「しかもそっちの方が何となく贅沢じゃありませんか」
相手が口に新たな一本を銜え、噛み砕いていく。
自分も外箱を開け、菓子を包んだビニール袋を破く。
相手の菓子が一袋に八本入っているのに対し、こちらは一袋に四本。クッキー部分が太く、纏わり付くチョコレートもぼってりとしていた。
似ているけど違う。あからさまと言う程ではないが。
とりあえず、一口食べてみる。
硬いのかと思い噛み付いたが、思いの外柔らかなチョコレート層に歯が埋まっていき、そのまま太めのクッキーを挟み砕いた。
砕かれた瞬間からクッキー地のブラックココアがほんのりと香り、咀嚼すれば、チョコレートも甘みがありながらも口の中で優しく溶け、上品に味を舌へと残す。
美味い。これは味わいながら食べていきたい。
「……」
一口ずつ慎重に食べていくのを、紫電は頬杖を突きながら退屈そうに眺めていた。こちらとは反面の、小気味良い細い木の枝を折るような音が聞こえてくる。
ようやく一本目を食べ終わった頃、二本目に手を伸ばそうとした時、紫電は鏡面をこつりと指で弾いた。
「試してみましょうか」
「ああ、そうですね」
互いに新たな一本を銜え直す。
椅子から立ち上がり、鏡台へと身を乗り出した所で、あっと声が漏れる。
「特に気にはなりませんが。鏡、衛生上どうなのでしょうか」
「ウェットティッシュで拭きましょうか」
優秀な僕達が、間髪入れずに鏡面をアルコールに濡れた不織布で拭った。
アルコールによって濡れも蒸発した所で、対角線上になるように相手と向かい合う。
倒れ込まないよう、鏡面に手を突き支える。丁度、鏡合わせになるよう、紫電の手も同じ位置に触れてきた。
寸分の間違いがないように、菓子の位置も合わせるが、太さが二回りは違った。だが、向かい合えばあまり気にする所でもないだろう。
と、今度は紫電が口に菓子を銜えたまま、声を上げた。
「反対にしてしまいました」
菓子の向きの事だった。唇を動かす度、鏡面に茶色の汚れがこびり付く。
「拭いて正解でしたね」
「せめて笑う位はして下さい」
冷静に返されると悲しくなる、と言われてしまう(笑う所、だったのだろうか)。
その内、紫電がやりますよと声を掛けてくる。真剣な顔になっていた。
一口目の音が鳴る。自分もそれに合わせて歯を合わせる。
二口目。噛む。三口目、四口目。顔が近付く。音はどれだけ進んでも、同じ距離から聞こえてくる。
紫電の顔が近い。だが、鏡に映る自分の姿のようにも見えて、一瞬混乱する。独りで何をやっているのだろうとすら思えた。
だが、相手の細まった瞳やら桃色の頬やら、それが自分とは違う物だから”二人”でやっている事なのだと思い出す。
だが(だがと続いてしまうが)、自分が紫電と全く同じ姿をしているのだから、自分もまたそういう顔をするのだろうと錯覚の迷路に再び落ちる。
距離はもう、五センチもない。互いの一口で、冷やかな鏡面へと頭突きをする。
”二人”とは言え、鏡越し。独りであるのは変わりない。
同じリズムで口を進めてきた。先程と同じ一拍を置いてから口を開こうとする。
「!」
突如、頭を鷲掴みにされる。その力に引かれるまま、鏡台へと額をぶつけ――ず、わたしは鏡の向こうの世界へと引き上げられた。
鏡面に当たる筈だった唇は、温かい別の物へと迎えられた。妙に柔らかく、ぬめっている。唇に触れた軟体が、口をこじ開け、銜えていた菓子を奪っていく。
たまたま舌に当たったざらつきと、口腔に残された香りから、ああ、紫電に口付け、あるいは食物を奪取されたのだと気付いた。
数秒の触れ合いが解かれた後、紫電側の鏡台から肩から上を覗かせた状態で暫く呆然とした。
相手は目当ての獲物をじっくりと咀嚼し味わい、やがてこくりと喉を鳴らす。
「そちらの方がわたくし的に好みですね」
「はあ」
「どれ、貴方もお一つ」
「むぐ」
細身の方を口に銜えさせられ、飼い主の手からジャーキーを貰う犬のように食んでいく。
ぽきぽきと先程とは違う小気味良さと食べやすさ。そして少量ながらもこってりとした味を残していくのは、中々に好ましい。
「わたしはこちらの方が好きかもしれません」
「ならば交換しましょう」
「はい」
手元にあった金色の箱を相手に渡し、こちらも赤色の箱を受け取る。既に封が開いて半分なくなっているが、無尽蔵に取り出せるから問題はさほどない。
それよりも、と相手が顔を離した時に唇を汚したチョコレートを指で拭う。直後白い手袋に染みを作り、うっかりに気付く。
「結局の所、何がしたかったのでしょうか」
「単なる好奇心からです。ああ、あと、これも味見したくて」
わたしから受け取った新たな菓子を口に運びながら、紫電は椅子に腰掛けた。足を組み、端を指で押し込んでいく手には、こちらと同じような小さな汚れが付着している。
そろそろ前のめりの体勢が辛くなり、引き返した所で、向こう側で待っていた僕達が背中にチョコレートの染みがあると教えてきた。
戻る際に、紫電の鏡面に付いた汚れまで持ってきてしまったのか。
上着を脱ぎ、彼らにあとを任せる。原因の紫電はすみませんと肩を竦ませただけであった。
「わたしをわざわざ巻き込むならば、貴方のスピリットに頼んだ方が良かったのでは?」
「それも考えましたが、所詮気まぐれですので。一口で食べて顔齧られたりの可能性も捨てきれませんからねえ。相手も嫌がりそうですし」
わたしが嫌がるとは考えなかったのだろうか。
悪友故に、主であってもはっきり言われる事は言われるのだと、紫電は鼻を鳴らす。
それに、と最後の一欠けらを食んで、相手は満足げに菓子を腹に収めた所で小首を傾げた。
「蝿にチョコレートはちょっと……」
2015.11.12