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    sakura_bunko

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    2021.11.28発行予定の環壮R-18本の一部分

    序章感謝愛情序章

     環と壮五が交際を始めてもうすぐ六年。三ヵ月目の倦怠期や三年目の浮気といった、いわゆる〝危機的状況〟に陥ることなく、順調に愛を育んでいるといっていいだろう。
     もちろん、なんの問題もなかったわけではない。今となっては笑い話だが、声の相性がいいと謳われている自分たちはセックスで躓いた。挿入時の圧迫感に気を取られて快感が得られないからと、壮五が〝セックスで快楽を得ている演技〟をしていたのだ。圧迫感に苦悶する声で環に嫌われたくないという気持ちからくる行動とはいえ、それを知った時はかなりのショックを受けた。しかし、自分たちは交際を始める前――もっといえば、出会ってすぐの頃から――大抵のことを〝雨降って地固まる〟法則で乗り越えてきたから、セックスに関するもめごとも、その次のセックスで和解に至った。今では、演技などする余裕がないくらい、壮五も快感を得てくれている。それ以外は、遅くとも翌日にはどちらからともなく謝罪の言葉を口にするような、軽微な言い合いくらいしかしていない。
     交際当初は周囲に秘密だった二人のことも、三年ほど前に、事務所とメンバーに打ち明けた。何人かは既に察していたらしく、思っていたほど驚かれなかったのには拍子抜けしたが、誰一人として別れろと言わなかった点はありがたい。
     お互い、他の誰かと恋をする気なんてないし、これだけ順調なのだから、あの人とはこれからも一緒にいるのだろう。
    (……別々に住んでんの、やっぱ、さみしいな)
     一織と環が成人したのを機に、小鳥遊プロダクションの寮は取り壊すことになった。リノベーションして住んでいたとはいえ元々古い建物だったことや、IDOLiSH7の知名度が上がるのに比例して近隣住民からの苦情が増えたことが理由だ。ファンや雑誌記者がうろついて困る、事務所が契約した警備員の存在が閑静な住宅街には相応しくない……そんな声が寄せられると同時に、本音を言えば未成年の子を追い出すような真似はしたくないという意見もあった。最終的に、メンバー全員の成人までを猶予期間とし、その後は彼らに自立した生活を送ってもらうということで、近隣住民との和解に至ったのである。
    (防音の部屋と、風呂はでかいのがいい。それから……)
     今は別々に暮らしているが、やはり、一緒に暮らしたい。二人で暮らすならどんな部屋がいいかと、壮五との甘い生活に想いを馳せることが増えた。賃貸契約の更新まであと一年。契約期間の折り返し地点になったのもあって、同棲への憧れは強まる一方だ。
     個人の仕事がある時以外は、一緒に食事をとって、風呂に入り、ひとつのベッドで眠りたい。できたらいちゃいちゃもしたいなぁと考えていると、脳内の恋人が「僕たちは生活リズムが不規則なんだから、ベッドは分けたほうがいいよ」と言ってきた。
    (や、でも、そーちゃんなら……)
     ああ見えて案外甘えたがりなところがあるから、眠る時にあたたかくていいねと頬を染めて喜ぶだろうか。喜んでほしい。
     交際当初のような、心臓が破裂するのではと思うほどのどきどきはないものの、小さな花が綻ぶように微笑む壮五は何年経ってもきれいで見飽きない。一晩に何度もがっついてしまうことは減ってきたが、その代わり、じっくりと時間をかけて、全身をくまなく愛するようになった。
     これまで演じたドラマや映画で描かれていた恋愛模様から考えると、恐らく、理想的な恋愛をしているのではないかと思う。壮五としか恋をしていないから、実際に比べる対象なんていない。いなくていいし、いらない。
     一緒に暮らしたいと、いつ言おうか。どんな言葉でお願いしよう。ストレートに「一緒に住みたい」と言うのがわかりやすくて一番だろうが、せっかくだから、もっと格好よく言いたい。男は、好きな相手の前では、何年経っても格好つけていたいのだ。
    (……プロポーズ、とか)
     正装で、薔薇の花束を用意して壮五の前に跪いたら、驚くのでは。長く一緒にいてわかったことだが、彼はムードに弱い男だ。誰が見てもときめくようなシチュエーションで迫れば、瞳を潤ませて頷いてくれるかもしれない。
     もしくは、この部屋でセックスをした翌朝、壮五より早く起きて朝食を用意してやるのはどうだろう。三月には敵わないものの、こう見えても、料理のレパートリーは増えたほうだ。セックスで体力を使い果たして眠った壮五には、優しい味の朝食がいい。甲斐甲斐しく世話を焼き、俺がついてやんねえとなと言って〝お泊まり〟から〝同棲〟に持ち込むのがいいかも。寝間着だと格好がつかないから、自分だけでも着替えておきたい。
     一生に一度のプロポーズだから、なにがあっても、絶対に、成功させなくては。頭の中で壮五とのやりとりをいくつも想像しては、らしくもなく、にやにやと口許をゆるめてしまう。
     時刻がわかるようにとつけていたテレビでは、アナウンサーが淡々とニュースを読み上げている。環が壮五との結婚を考えるようになったきっかけに関するものだ。
     勉強があまり好きではなく、時事ニュースにあまり興味を抱けなかった学生時代の環でも、日本における同性結婚が法的に認められていないことや、パートナーシップ宣誓制度が各地で開始されていることは知っていた。婚姻を平等にすべきとの法案が衆議院に提出されたことまでは知らなかったが、その法案が参議院本会議で可決されたというニュースが飛び込んできた頃にはとうに成人していたから、大人として、少しは時事問題に関心を寄せるようになっていたのである。そのニュースを知って環の頭に真っ先に浮かんだ言葉は「じゃあ、そーちゃんと正式に結婚できるんだ」だった。
     画面の向こうでアナウンサーが読み上げているのは、これまでパートナーシップ宣誓制度を利用していたカップルの喜びの声。映像が、そのカップルへのインタビューに切り替わる。
    〝婚姻に相当する関係〟と〝婚姻〟は、似て非なるものだと語る二人の左手薬指がきらめいている。パートナーとなった際に贈り合ったものとは別に、今回の結婚を機に改めて買い求めたそうだ。重ねづけできるようなデザインにしておいてよかったと笑っている。
     自分たちはアイドルだから、法律で結婚が認められたからといって、じゃあ今すぐに結婚しよう! と役所に駆け込むわけにはいかないことくらい、環だってわかっている。ホウレンソウが大事だと、学生時代から耳にタコができるくらい言われてきた。
     プロポーズのシミュレーションに、前もって事務所に相談しなかった場合と、相談した場合を組み込んでみる。まずは、事務所に相談しなかった場合。
    〝まずは社長やマネージャーに相談しないと、僕からはなにも言えないな。もしも僕たちのことが世間に知られたら、メンバーや事務所に迷惑をかけてしまいかねない。事務所の反応次第では、結婚まではしなくてもいいんじゃないかな〟
     だめだ。雲行きが怪しいを通り越して雨が降ってきた。次、相談した場合。
    〝えっ、社長やマネージャーはいいよって? そうか……マスコミや、僕たちを応援してくださってる人たちへの対策も問題ないなら、僕も、環くんと一緒になりたいな〟
     ――これだ、と思った。心配の種を先に取り除いた状態で、最高にロマンティックなシチュエーションで結婚しようと告げる。これなら、壮五も瞳を潤ませて頷き、嬉し過ぎてしがみついてくるはずだ。彼のことを六年も見てきた自分の判断に間違いはない。新婚初夜はまだだというのに、熱い夜になるだろう。もっとも、壮五との夜で熱くなかったことなんて、今まで一度たりともなかったのだが。
     そうと決まれば、善は急げ。テーブルに置きっぱなしだったスマートフォンを手に取ると、着信履歴の上から三番目にある電話番号をタップした。ほどなくして、鈴を鳴らしたような可憐な声が鼓膜を震わせる。
    「……あ、マネージャー? あのさ、引っ越しの相談乗ってほしいんだけど。マネージャーだけじゃなくて、ボスも。うん、そう、なるはや」
     あっという間に話が終わった気がする。画面を確認すると、なんと、一分と少ししか経過していなかった。しかも、通話中に音晴の予定を確認してくれたらしく、明後日の夕方なら問題ないらしい。出会った頃は世間知らずだった環が社交辞令を覚えたのと同じように、あの頃は新入社員だった彼女も、今ではすっかり仕事のできるマネージャーだ。
     社長と、紡。まずはここからぶつかることに決めた。


    感謝

    「壮五さんと結婚、ですか?」
     ワインレッドの瞳をこぼれんばかりに見開いた紡に対し、音晴は目を細めたままだ。
    「一応、マネージャーとボスには、先に相談しとこうと思って」
     世間に公表できない、公表するつもりもない関係だから、事務所にも内緒で結婚することだってできるが、それではだめだと思った。壮五に後ろめたさを感じてほしくない。それに、自分たちが出会えたのは、小鳥遊プロダクションにスカウトされたからだ。結成してすぐの頃からみっともなく衝突し、胸の内に抱えているものを黙っていた自分たちに呆れることなく、立派なアイドルへと育ててくれた事務所には、感謝してもしきれない。その事務所に黙って結婚するということは、事務所を裏切るようなものではないか。
     環は恩義を感じた相手を裏切ることが嫌いだ。仲間や事務所を裏切る真似は、地球が引っくり返ってもしたくない。だから、真っ先に、紡と音晴への相談を決意した。
    「……壮五くんは、なんて言ってるのかな」
     穏やかな声音の中に、ぎらりと光る刃物のような恐ろしさを感じる。一瞬だけ怯みそうになったものの、環はまっすぐに音晴を見据えた。
    「まだ、言ってない。いきなりそーちゃんに言ったら、たぶん、ボスとかマネージャーは反対するかもって気にしそうだと思ったから。バンちゃんにも俺から先に言う」
    「外堀から埋めようというわけか。環くんもなかなか考えたね」
     相手が目上だから黙って受け止めたが、そうでなければ、ばかにするなと言い返していたかもしれない。
    「外堀っつーか……そーちゃん、付き合う時も、いろんなこと心配してたから。俺、そーちゃんともっと幸せになりたい。今も幸せだけど、幸せだなっていう、目に見えるものがほしい」
     自分はよくばりではなかったはずだが、もしかして、壮五がよくばりな男だから、似てしまったのだろうか。恋人は似てくると言うし。
    「婚姻関係にこだわる理由は、それだけかい?」
     音晴の質問に、答えられなかった。それだけではないが、では、他にはどんな理由があるのかと尋ねられたら、うまく説明できないから。
     沈黙が苦しくて、喉が渇きを覚える。環の想像では、大歓迎とまではいかずとも、マスコミやファンへの対策を相談するだけで済むはずだった。話の初めから、刃先でゆっくりと皮膚に切れ込みを入れられるような痛みを感じっぱなしだ。
    「社長、……」
     環に助け舟を出そうとした彼女を、音晴は視線ひとつで制す。
    「悪いことをして怒られそうな子どもの顔だ。きみのそんな表情は久しぶりに見たよ。壮五くんとの関係を報告してくれた時以来かな」
     環が成人してすぐ、壮五とともに事務所を訪ねた。ちょうど、寮を出る話が持ち上がった頃だ。交際の事実を黙っていて申し訳ありませんでしたと頭を下げる壮五の隣で、悪事がばれた犯罪者みたいな顔をするなよと思った。交際しているのかと問い詰められたのではなく、自分たちから、事務所や仲間に打ち明けようと思ってのことなのに。
    「……あの時の俺、そんな顔してた? そーちゃんのほうが、裁判で死刑って言われた瞬間みたいな顔してたけど」
    「壮五くんより、青い顔だったよ。自分よりも、壮五くんが悪く言われたらと怯える顔だった。こんなことを言うと、いじわるに聞こえるかもしれないけど、僕はそれを見て、きみたちの交際を黙認しようと判断したんだ」
     人類をSとMのふたつに分類するなら、この人は絶対にSだと思った。百人いれば百人がそう答えるだろう。この世の終わりみたいに真っ青な顔をする二人を見て交際を認めるなんて、正気の沙汰ではない。――と思ったが、さすがに、口に出すのは憚られた。環はぐっと息を詰め、音晴の話の続きを待つ。
    「きみたちが寮を出た時、一緒に暮らしたいと言い出すと思ってたんだけど」
    「それは……俺は、そうできたらいいなって、ちょっと思ってた。でも、その前に、ボスとかマネージャーに、俺らが付き合ってること報告しようってなって……なんか、あの時のそーちゃん、それだけでいっぱいいっぱいだったから」
     仕事とプライベートはしっかりと切り分けること。メンバー全員が二十歳を超えて仕事の幅が今まで以上に広がるからこそ、自分たちを守れるよう、言動には今まで以上に気を付けること。――音晴にそう言われて、緊張から額に汗を浮かべていた壮五は〝一応は認めてもらえたのだ〟とわかるや否や、その場でへなへなと腰を抜かしてしまった。これまで以上に気を引き締めなければと顔をこわばらせる恋人に、甘い同棲を持ちかけられるほど、環は空気の読めない男ではない。一緒にいたいと思う気持ちをぐっと堪え、壮五にもっと頼ってもらえるようにならなければと、別々に暮らすことを選んだのだ。
     すべてを任せてもらえるほど頼りがいのある男になれたかどうかはわからないが、この三年あまりで一人暮らしがすっかり板についたと自負している。三月の手料理で舌が肥えているメンバーがおいしいと言ってくれるくらいには、自炊もできるようになった。寮を出てすぐの頃は散らかしがちだった部屋も、名前すら言いたくないあの虫と遭遇してからは、散らかさないよう心掛けるようになった。数ヵ月経って生活に慣れ、壮五を部屋に招いた日には、まるで別人の部屋みたいだと目をまるくしていたのを思い出す。
    「あの時の壮五くんに、同居を持ちかけたら、混乱してしまっただろうね」
    「そう。だから、そーちゃんには、絶対に心配ごと抱えてほしくない。なぁ、ボス、マネージャー。俺、そーちゃんと、一緒になりたい、です。お願いします!」
     髪が乱れるほど勢いよく頭を下げた。
    「どうして、壮五くんと結婚しようと思ったのか、訊いてもいいかな」
     酒は絶対に飲まないと決めていたのに、いざ大人になってみると、避けては通れなかった。覚悟を決めてグラスに口をつけたのは、おべっかを使うためではなく、壮五を守るため。そうでなかったら、場の雰囲気をぶち壊してでも、酒を断っている。いくら強く決意したことでも、自分の優先すべきものが変わると、簡単に覆るものなんだと知った。
     ノースメイアにいた頃から酒を嗜んでいたというナギに協力してもらい、酒に呑まれない方法を学びながら、これで壮五を守ってやれると思った。慣れるまでは、自分の口から酒のにおいがするだけで実父を思い出して吐きたくなったが、壮五を守れるならそれでいいじゃないかと、水を飲んで乗り越えられた。
     十代の頃も、実父のような恐ろしい人間になるかもしれないと怯えるたび、壮五が抱き締めては「絶対にそんなことはない」と言い聞かせてくれていたが、さすがに、初めて酒を飲んだ日は恐怖心に苛まれた。ナギによる特訓の成果が出て、酒を飲んでも実父を連想しなくなっていき、ようやく、自分はあいつとは違う、あいつのようにはならないと、心の底から思えたのだ。
    「親父みたいになるかもって思ってた時は、男同士で結婚すんの無理だったし……パートナーとかいうのも、考えてなかった。でも、そーちゃんとか、ナギっちとか、みんなのおかげで、俺は親父とは違うんだって自信持てるようになって」
     そうなると、以前よりも周りが見えてくるようになった。恋人として壮五と一緒にいるだけでもじゅうぶん幸せだが、ふとした時――たとえば、施設にいた頃に遊んだ同年代の男から結婚したという連絡を受けたり、顔馴染みのスタイリストがパートナーと同居することが決まったと教えてくれたりといった時――に、果たして、恋人との幸せは、今のこの状態が到達点なのかと、疑問に思うようになった。
     作曲で煮詰まると食生活が疎かになる壮五が心配だ。合鍵を交換しているから、様子を見に行って世話を焼くことはできるけれど、環がしたいのはそうではない。今も甘えるのがへたな人だから、今日も一日お疲れさまと言って頭を撫で、ぐっすり眠れるよう、毎日あたためてやりたい。
    「一緒の家に住みたいってのが、最初に思ったことで、でも、それだけじゃやだ。本当の意味で、そーちゃんの帰る場所は俺のとこなんだって、教えたい。なんの心配もいらないから、安心して、好きな音楽と向き合ってほしい。だから、あの人と結婚しようって、思った」
     環の言葉を受け、音晴がちらりと紡を見遣った。
    「きみはどう思う?」
    「へっ? 私ですか? ……私は、素敵だと思います。もちろん、ファンのみなさんへの報告時期や、マスコミへの対応はどうするのかなど、考えるべきことはたくさんありますが、私は、IDOLiSH7のみなさんには幸せになっていただきたいです。だって、アイドルである前に、一人の人間ですから」
     迷いのない声。音晴は、娘を新入社員として迎え入れてからの日々を思い起こす。
     一織と環の高校卒業を数ヵ月後に控えた頃からIDOLiSH7の仕事が急激に増え、紡と万理の二人でも仕事のマネジメントで精一杯になり、心のケアまで追いつかなくなってしまったことがあった。グループ全体に一人のマネージャーではなく、一人一人にマネージャーをつけたほうがいいのではと悩んだ時期もある。
     結果として、演技の仕事が圧倒的に多い大和、兄との関係が良好になりノースメイアと日本を行き来する機会が増えたナギに、専属のマネージャーをつけた。環と壮五は、かねてからMEZZO"のマネージャーを務めている万理が、二人の個人マネージャーも兼任している。いくら事務所の人間といっても、環は人見知りをするタイプだし、壮五は、慣れない相手には自分を誤魔化すところがあるからだ。一織、三月、陸の三人は、紡が個人マネージャーを担当している。一人一人にマネージャーをつけるという案は実現に至らなかったものの、これがもっともいい状態なのではないかと、今の音晴は考えている。
     最年少の環が成人して三年、事務所としては、スキャンダルで彼らや彼らのファンが傷付かないよう、より一層、気を引き締めていかなければならない時期だ。そのタイミングでの、環と壮五の結婚。
    「社長……」
     恐る恐る声をかけてきた紡に、音晴は「あぁ」と声を上げた。
    「そんな顔をしないで。少し、昔を思い出していたんだ。きみも立派なマネージャーになったんだなぁって。――環くん」
    「はい」
     熟成されたワインレッドの瞳が、今度は環を射抜く。
     演技の仕事が増え、オーディションをいくつも経験してきた。しかし、今の環は、過去に受けたどのオーディションよりも、緊張している。音晴の口から出るのが、いい答えでも、悪い答えでも、どんな大役のオーディションの結果より、過剰に反応してしまうだろう。
    「僕個人としては、婚姻関係に進むことで、きみたちのこれからがよりよいものになればいいと思っている」
    「ボス、それって」
     結婚していいってこと? と、大きく身を乗り出した環に、音晴は言葉を続けた。
    「話は最後まで聞くものだよ。いつ、どのタイミングで、どの媒体を使って対外発表をおこなうか。発表前に、マスコミに嗅ぎ付けられても厄介だ。このあたりのことは、紡や万理くんとも、よく話し合ってほしい。きみたちを応援してくれている人たちが傷付くのは回避したい……これは僕の本心だけれど、結局はきれいごとだ。きみたちが愛されるアイドルである以上、誰かは傷付く。でも、まるで父親のような……というと、きみは複雑な気持ちになるかな」
     瞳を潤ませてぶんぶんと首を横に振る環を見て、音晴も安堵の息を漏らす。
     環も壮五も、父親との確執がある。特に環は、実父のことを今も強く憎んでいる。そんな彼の前で、恐らく嫌悪されない使い方とはいえ〝父親〟という単語を出すことに、音晴は少なからず、申し訳なさを感じたのだ。
    「ありがとう。……僕は、まるで父親のような気持ちで、きみたちが幸せになってくれたらと考えているんだよ。もちろん、壮五くんの意思を確認しないといけないけれどね。二人で一番いい答えを見つけて、二人ともが、幸せになりなさい」
     環より先に、音晴の傍で話を聞いていた紡が洟をすすった。
    「環さん、お二人のことは……いえ、七人とも、私たちが守ります! いたずらに傷付けられないように、今よりもっと幸せになれるように」
    「ありがと、マネージャー。ボスも、ありがとう、ございます!」
     第一関門突破であり、同時に、これで壮五との結婚が叶うと思った。事務所の了解を得ていると言えば、プロポーズを快く受け入れてくれるに違いない。
    「俺、そーちゃんにプロポーズする。そしたら、また、報告するから」
     ここに訪れてきた時とは打って変わって、表情を明るくした環に、紡もつられて微笑んだ。しかし、音晴だけは、表情を変えなかった。

    (中略)
    愛情

     うちでソウと飲み会してるから。――環のもとに連絡がくるのは、暗に、酔った壮五の介抱を頼みたいということだ。
     予定より早く収録が終わって、壮五の予定が空いていれば食事に誘おうかと思っていたのに。ラビットチャットの通知には、大和の家に呼ばれたという壮五からのメッセージもあった。
     いい加減にしろよと思いながらも壮五の介抱を引き受けるのは、相方で、恋人で――酔って周りに甘える壮五を他人に見せたくないという――独占欲があるからだ。いくらメンバーであろうと、いやなものはいやだ。大和もそれを知っていて、環の予定が空いている日を狙って飲み会を開いているのだと思う。確かめたことはないけれど、仕事があるから無理だと断ったことがないから、たぶん、そうなのだろう。
     寮を出て三年。一人で寝起きすることには慣れたが、やはり、メンバーがばらばらになって暮らしていることへのさみしさが完全に消えたわけではない。寮生活の頃は、メンバー間の飲み会といっても共有のリビングか、寮の近くにあるこぢんまりとした居酒屋であることがほとんどだったのに、ばらばらになって、行動範囲も広くなってしまった。
     それでも、飲み会の開催地がメンバーの自宅というのは、まだ、ありがたいほうだ。店の名前や場所を訊き、地図を見る……なんてことをしなくても、勝手知ったる顔でエントランスのインターホンを押せばいいだけだから。
     前回、大和のもとを訪ねたのはいつだったか。……あぁ、そうだ、確か、千が主演の映画『Mission』のスピンオフ作品で主演男優賞を受賞してすぐの頃だ。遺体の手首を収集する殺人犯を演じた大和に照準を当てたスピンオフ作品は、本編以上に猟奇的なシーンが多く、本人曰く、まさかこの作品で主演男優賞に選ばれるとは思ってもみなかったとのことだった。
     酔った壮五を回収したらどうしよう。大和ならここまま泊まっていけばいいのにと言うだろうが、できれば、壮五の部屋でゆっくりと休ませてやりたい。環自身は明日仕事があるから、あまり遅くならないようにしなければ。――そこまで考えて、一緒に暮らしていれば〝自分たちの家に帰る〟と迷いなく決められるのになという、将来への渇望が湧いてしまう。最近、壮五と一緒に暮らす生活を想像する癖がついた。
    『そーちゃん回収しにそっち行く』というメッセージを送り、既読マークがついたのを確かめてから、変装用の帽子を深く被り直した。

     ◇

    「たぁくんおかえり~」
    「うっわ」
     環が到着した時には、壮五は完全にできあがってしまっていた。なにがおかえりだ、ここはヤマさんちであってあんたんちじゃないだろと言ってやりたいが、酔っ払いになにを言っても無駄なので、やめておく。冷静になってからこの発言を指摘したところで、青い顔をして謝るだけだ。それよりは、べろんべろんに酔ってもこんな発言が出ないよう、自分たちの帰る家を同じにしたほうが建設的だと思う。
    「おかえり~タマ」
    「ヤマさんもかよ……俺の家じゃねえっつの」
     大和の部屋は、整頓されているはずなのにものが多くて、寮生活を始めた結成当初とは大違いだ。なんでも「復讐さえ終われば出ていくつもりだったから。でも、本当は、ちまちましたもの並べるのが好きでさ」ということらしい。言われてみれば、彼が父と和解してから、寮の部屋も生活感が増していったように記憶している。
    「まぁまぁ。自分の家だと思って。ソウも半分おねむだし、泊まっていけば?」
     壮五はしたたかに酔っているが、大和はほぼ正常な状態だ。
    「……や、そーちゃん送ってくから。俺も明日仕事あるし」
    「そ? まぁ好きにしなさいな。ただ、こうやってゆっくり話せる機会なんてそうそうないしさ。……相談、したいことあるんじゃないの?」
     眼鏡の奥にあるヘーゼルアイ。冷たいのか、あたたかいのか、どちらともつかない色を滲ませている。
    「……いおりん? それとも、バンちゃん? ボス? マネージャー?」
     一体、誰から聞いたのだろう。何年も付き合いのあるメンバーで、IDOLiSH7のリーダーなのに、警戒するような声色になってしまった。
    「そう怖い顔しなさんな。お兄さんよりタマのほうが『Mission』向きじゃないかって思えてきちゃうからさ」
    「ねえよ。俺にそういう役きたの、一回だけじゃん」
     六年前、オンラインゲームの日本プロモーションとして配信された連続ドラマ『ダンスマカブル』で、破壊主義者で快楽主義者の役を演じた。幼少の頃、酒に酔って暴力を振るっていた父を思い出してしまい、撮影中は何度も落ち込んだものだ。役と本人は違う、父のようにはならないと思えたのは、役者としての経験が多い千と、いつも自分を見てくれている壮五が支えてくれたから。
    「そうだっけか? ……まぁ、タマにサイコパスな犯罪者は向かないか」
    「そうだよ。やれって言われたら、頑張るけど。っつーか、話変えんなし」
    「あぁ、悪い悪い。質問の答えな。答えは〝誰でもない〟だ」
    「は? ……っ、そーちゃ……」
     自分の肩にもたれさせていた壮五の体から力が抜ける。ソファーから転がり落ちないよう慌てて支え、仕方なく、自分の膝を枕代わりに寝かせてやった。筋肉質でかたい枕だけれど、なにもないよりはましだろう。
    「寝たか」
    「寝た。けど、ちょっとしたら連れて帰る」
    「そんなにお兄さんの家に泊まるの、いやなわけ?」
    「いやっつーか……この人、酔ったまま家に泊まったってなったら、朝起きた時に後悔する人じゃん。だから、だめ。そーちゃんが素面の時に、二人で泊まりに来るから」
     壮五の髪を指先に絡めながら話している自分に気付き、慌てて手を引っ込める。しまった、つい、二人きりの時の癖で、壮五を甘やかす仕草を。
    「……見た?」
    「そりゃあ、目の前ですから。仲がよろしいことで」
    「うるせえ」
     壮五の髪に触れていた指先が熱い。まるで、酒を飲んであたたかくなった壮五の体温がそのまま移ったみたいだ。
    「イチに訊いたわけでも、マネージャーたちが教えてくれたわけでもない。詳しい内容だって知らない。ただ、ソウは気にしてたぞ。タマが最近悩んでるみたいだって」
     壮五に気付かれていたとは。気にかけてくれているのが嬉しい反面、壮五との未来を考え過ぎて現在の壮五を見るのが疎かになってしまっていたかもしれない。直接訊いてこないのは、壮五なりの気遣いだろう。気付いているなら、直接訊いてくれても……いや、訊かれたところで、たぶん、適当な言葉で誤魔化していた。
     だって、せっかくなら素敵なシチュエーションでプロポーズしたいじゃないか。誤魔化しなんて最低だと思う気持ちもあるけれど、それ以上に、恋人の前ではできるだけ格好よくありたいと思っている。こんな時、自分のプライドの高さがいやだなと思う。
    「俺、さ……」
     壮五の頬に触れ、彼が眠っていることを確かめる。狸寝入りではなさそうだ。
    「……話す順番、変えていい?」
    「お好きに。タマがそう言うってことは、よっぽど悩んでるんだろうし」
     悩んでいるんだろうと指摘された手前、今から言うことは、それがそのまま自分の悩みだと打ち明けるようなものだ。会話の遠回りをするだけとわかっていても、あからさまな言葉から切り出す勇気が出なかった。
    「ヤマさんは、俺たちが、その、結婚、とか言い出したら、どう思う?」
     膝の裏と手のひらに汗が滲む。大和の顔を見るのが怖くて、視線を落とした。ソファーカバーにできた皺の数を数えたり、皺がつくる模様をぼんやりと辿ったり……こういうことって気を紛らわせる時にしかやらないよなと、どうでもいいことまで考える。
    「昔のタマなら、俺たちに言う前に、ソウに言ってただろうなって」
     確かに、壮五に告白した頃のことを思えば、いくら格好つけたいとはいえ、なにを尻込みしているんだと、自分でも歯がゆくなる。ロマンティックなシチュエーションでプロポーズしたいと思っているなら、さっさとそういう準備をすればいい。それすらできないのは、恋人と家族とでは、相手に抱かせる言葉の重みが違うと感じているからだ。
    「……そーちゃんの分まで悩みの種、みたいなの、なくしてから言ってやりたくて」
    「タマ一人であれこれ画策練っても意味ないでしょ。他人に根回ししたところで、最終的に決めるのはおまえさんたちなんだから」
    「そう、だけど」
     質問の答えは得られないのかと、大和の顔を盗み見る。数分ぶりに見た大和の顔、眼鏡の奥のヘーゼルアイは、相変わらず、温度がわかりにくいままだった。
    「メンバーが結婚、ねぇ……。俺たちの中ではタマが最初に結婚しそうだとか、ソウみたいなのは意外と結婚するの遅そうなんだよなとか……そういう、ふんわりとしたやつなら考えたことあるよ。でも、メンバー間でってのは考えたことなかった」
     かたい声色に、雲行きの怪しさを感じる。
    「一緒に暮らすんじゃだめなのか? ……まぁ、だめだから、結婚とか言ってるんだろうけどさ」
     大和はそこまで言うと言葉を止め、空いたままのグラスに水を注いだ。そういえば、環がここに着いてから、彼は酒を一滴も飲んでいない。壮五が飲んだらしいウイスキーの瓶と、ミネラルウォーターのボトル、二人分のグラスが並んだローテーブルを見渡し、もしかしたら、大和はほとんど酒を飲んでいないのではと思い至る。
    「ヤマさん、俺のこと呼ぶために、そーちゃんに酒飲ませた?」
     全然酔ってなさそう。――環の言葉に、大和の瞳が初めてやわらかな色に変わった。
    「さあな。ソウは飲むの久しぶりだとかで結構ハイペースだったけど」
     やっぱりほとんど飲んでいないんじゃないか。
    「……一緒に暮らしたら、今日みたいにこの人が酔い潰れても、俺と帰るとこ同じになるのになって、さっき、思った。一緒に暮らすんじゃだめなのかっての、バンちゃんにも言われた。楽しくしたいだけなら、それでもいいと思う。でも、俺は、しんどいのも、そーちゃんと一緒がいい。それに、口約束しかできない恋人だと無理で、法律ってやつが証拠になってくれる家族ならできることあるじゃん。俺は、それがほしい。俺……まだボスとナギっちにしか言ってなかったけど、あの親父は、正式な家族じゃなかったし」
     パスポートをつくる際に知った自身の戸籍のことを、簡単に話す。自分の出自に苦しんだ過去を持つ大和に打ち明けるのは怖かったが、独りだからこそ、家族にこだわっているのを知ってほしかった。
    「なるほどねぇ」
    「なんか……ごめん。空気重くした」
    「あぁ、いい、いい。気にしなさんな。タマも知ってるとおり、今はあの人と結構うまくやれてる自信あるしさ」
     この酒もあの人が贈ってきたんだぜと笑いながら立ち上がった大和は、キッチンに向かい、すぐに戻ってきた。
    「メンバーとはいえ、客人に飲みものも出さないで悪いな。おまえさんが真剣だったから忘れてたわ」
    「や、別に……」
     とぷとぷと軽い音とともに注がれたのはただのミネラルウォーターで、環とじっくり話したいという意思が見てとれた。
    「俺がだめだって言ったら、タマの考えは変わるのか?」
     ボトルを置く微かな音にはっとして、グラスを満たす水に気を取られていたことに気付く。
    「……変わらない」
    「だろ? 本人の意思は変わらないのに、俺があれこれ言える立場じゃないよ。いい意味で、俺とタマは他人だ。タマとソウも、な。そこは間違えるなよ」
    「わかってる」
     千葉志津雄のことで悩んでいたと思われる時期の大和は、優しい中にも他人行儀な面があり、ふとした拍子に近寄りがたさを感じていた。悪い意味で、自分とそれ以外は他人なのだと、線を引いていたように思える。しかし、その実、大和は非常に愛情深い男だ。
    「俺、ヤマさんがリーダーでよかったって思った」
    「なに、褒めのターン?」
     気分がよくなってきたから水より酒かなとおどける大和に、自分の心がやわらいだ気がした。
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    sakura_bunko

    MOURNING最初ははるこみ新刊にしようと思っていたのが、別のを書きたくなったので続きを書くのを一旦白紙にしたもの
    ただ、これの着地点も考えてはいるので、どこかで本にするか、短編集に入れるかなりしたい
    無題 十八年近く生きてきて、何度か「変なところで勘がよくて怖い」と言われることがあった。そのたびに、失礼なやつだなと笑い飛ばしたり、どこが変なんだよとむくれたりしたけれど、自分の勘のよさに鳥肌が立ったのは、たぶん、これが初めて。
     それでも、勘がいいイコール正しいルート選択ができるとは限らないから、世の中って難しい。もっとこう、勘のよさを活かして、正解だけを選べないものだろうか。
     こんなときだけ、普段は信じてもいない神様に縋りたくなってしまう。あぁ、神様、今すぐ俺とこの人だけでも五秒前に戻してください! ……なんて。
     手のひらがしっとりしてきたのは、自分の手汗か、それとも、腕を掴まれているこの人の汗か。汗なんてかかなさそうな涼しい顔をしているくせに、歌っているとき、踊っているとき、それから、憧れの先輩アイドルに会ったときは、見ていて心配になるくらい汗をかく。ちょっとは俺にも動揺して、同じくらいの汗をかいてみればいいのに。そう思ったのが、最初だった気がする。なんの最初かは、恥ずかしくて言葉にしづらい。
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