自慢とお弁当休前日、仕事終わりに泊まりに来ることが当たり前に感じるようになった頃のある日、村雨が世界の終わりのような顔をしてやってきた。
「獅子神」
「ど……どうしたんだよ村雨、なんかあったのか」
仕事終わりに来るため、疲れを見せていることは珍しく無い。それにしてはありえないほどの曇りきった表情で首を振る。
「私は、あなたに謝らねばならない」
「センセ」
かなりの負けず嫌いで意地っ張りの村雨礼二が謝るなど、何があったのか。
頭の中が高速で回転する。関係の解消?女性との過ち?村雨程の人間ならば引く手数多なのは仕方の無いことでそれならばオレは――
「何を考えている。全てハズレだし勝手に私のあなたへの愛情を甘く見るな。失礼だ」
先程謝ったとは思えない傲慢な態度で愛を説いてくる。
「はぁ?」
「あなたの考える事よりも現実はもっとくだらなくて狂っている。説明は――夕食を取りながらしよう」
ぐう、と薄い腹が空腹に鳴いた。
村雨の働く大学病院はこの国でも有数の規模を誇っているらしい。友人としての付き合いが始まってすぐの頃、皆で遊ぼうと言い出した真経津に言われるがまま、終業後の村雨をピックアップしに行ったときは予想よりも大きな建物に驚いたものだった。
そして、それほどの病院なら働く人間の数も多く、様々な人がいると言う事で――
「つまり、仲人役をしたい、と」
直接の上司では無い、別の科のベテラン医師Aがとにかく若手医師に見合いを取り持ちたがる、のだそうだ。
その医師Aというのが断っても断ってもしつこく迫って来る。あまりのしつこさに(この)村雨が直接上司に掛け合いに行ったが上司自身の仲人でもあるため強く物も言え無いのだという。
「病院て、昭和の人間関係がまだ生きてんのか?」
「昭和程ではないだろうが、未だに一部古い関係性が幅を利かせているのも事実だな」
あれこれと説明をしながらとは思えないスピードで夕食を平らげてゆく。
「この、冬瓜のあんかけは美味い。また食べたい」
「おう、冷やした鶏あんかけさっぱりして美味いな。冬瓜とスペアリブの炊き合わせとどっちにしようか悩んだけど、コレ正解だった。また作るわ」
「スペアリブ……」
「OK、今度な。……んで、ええと」
「見合いはきっぱり断ったのだが、それを見ていた人間がいた」
「はぁ」
医師Aの同期だと言う医師B、それがまた曲者で、とにかく人の話を聞くのが好きなのだと言う。「ゴシップマニアと言っても言いタイプだ。マシなのは噂話を広げない所だな。兎に角人間関係を把握したいだけの様だ」
それもまあ結構なクソ野郎ではないかと思うが、その医師Bに『パートナーがいる』の一言を聞かれたのだと。
村雨先生のプライベートに踏み込むわけじゃないけど、と前置きした上で踏み込み放題根掘り葉掘り聞かれたのだと言うが、
「……正直、舐めていた」
ベテラン医師の話術は中々の物であったらしく、つい口が緩んだ、と言う。
「世間の人間が恋バナと盛り上がるのをバカにしていた筈なのに、いざ話しだしたら止まらなかった。あなたの事を他人に知られるよりいっそ隠して私だけの物にしておきたかった筈なのに、赤の他人への恋人の自慢話がこんなにも高揚する物だとは……クソっ……」
若干仄暗い感情が見え隠れしていたが、まあそれは置いておくとして、オレの同意も無く色々と話したらしい。そして、
「なんで弁当なんだよ」
「あなたが料理上手でいつでも美味い食事でもてなしてくれることを私が微に入り細を穿つ様に聞かせたせいだ」
「オマエのせいかよ!」
「確かに一度弁当を作って差し入れて欲しいと考えている事は言ったが」
「むしろオマエの希望じゃねーか!」
「恋人に弁当を持ってきてもらっている姿を見たいと言われた」
「そのセンセは覗き趣味なのか」
「挨拶したいのなら止めないが」
「いや流石にしたくねーよ」
天を仰ぐ。
全く何なんだ。他人に向かってオレの話をして、褒めそやし、料理の腕を自慢したのだそうだ。そしてそれが楽しかったと言っている。目の前のこの男が!
「村雨」
顔が火照る。どうせ言わなくても通じているのだろうが、それでも視線をあわせて。
「オレの事、その」
村雨はきれいな所作で箸を置き、緩く口角を上げる。
「あなたの事を、人に自慢したい。あなたが私の為にわざわざ時間をさいて作ってくれた弁当を昼に食べたい。恋人の自慢をしたい俗物根性が自分にあるなぞ納得し難いし最悪だとは思うが、満たされてみたい。どうか、私の為の茶番に付き合ってくれ」
後でなんか色々お前が言われるんじゃねえの、とかイジられる原因になりたくねぇけど、とか言いたいけど、そんな言葉は出なくて、そのかわりに出た言葉は
「…明日、弁当箱買いに行くからな」
くらいだった。
後日、昼休みに訪れた大学病院の屋上庭園は、イベントでもあるかのように医師と看護師に溢れていた上、現れた村雨に弁当を手渡した際には何故か拍手迄起きたので一悶着あったのだが、それはまた、別の話になる。