ジャンプスケア土屋田には絵のことはわからない
だから、新しく担当権を得たギャンブラーの事も良く分からなかった。初対面の時にどう言葉を交わしたのかも今となっては定かでは無い。彼の担当になってからの土屋田は序破急の勢いであったので。
「土屋田さん、あの、……これ」
おどおどと小声で話し、要領を得ないもたついた態度の彼に優越感と庇護欲を覚えたのは確かだ。一旦賭場に出て調子が上がれば沈んだ眼は爛々と輝きだし饒舌に語り相手を翻弄することもあったが、そんな時は大抵担当行員との会話もままならない様なゲームルールで、後になれば「恐ろしかった」とぐったりしていたので、土屋田にしてみれば自分がカバーしてやらねばならないと思っていた。
「なんだぁ?こりゃ」
紙の手提げに素のまま入っていたそれは画家がいつも持ち歩いていたスケッチブックよりも一回りほど大きい、ノート程度のカンヴァス。
「……担当になってくれた……ので……」
「お?礼って事か?まぁ殊勝な心がけだな」
検分すると、その分厚く絵具が重ねられた絵は暗い中にひとりの男の顔が浮かび上がるものだった。
猛々しく、歯をむき出して周囲を威嚇するようなその姿は確かに土屋田に似ていた。
「あ?こりゃあ俺か?へぇ!お前にゃ俺がこう見えてるのか?随分頼りにされてんだな」
画家は目を伏せて、はい、ともはあ、ともつかない音を零す。
目の前に居る楚々とした画家が描いたとは思えぬ力強い筆遣いと色選びに詠嘆の声をもらす。
「ほぉ……まぁ、うん。お前は頼りないやつだがギャンブルの腕はあるし、俺が付いててやるからな。まあ、俺の言う事聞いてりゃ間違いなく勝てんだよ!」
画家はひっそりと小さく頷き、その姿に土屋田はまるで守るものを得た主人公の様な心持ちになってばんと自分の胸を叩く。
「俺がお前を一流のギャンブラーにしてやっからな!」
試合は漸く終わりを告げた。主任に強かに殴られ、気絶した後、意識を取り戻して久方ぶりの自宅へ戻る。
寝室の壁、額装された絵を手に取り、項垂れる。「……」呟いた筈の名前は音にならずに霧散した。
「あっ?」
厚く盛られた絵具に微細な罅が縦横無尽に入っている。額装してもらった時には確かに無かった筈のそれに土屋田は動揺する。
土屋田は絵のことはわからない。
それが当たり前に起きることなのか、自分の管理不足が起こした劣化なのかも見分けがつかない。
「おい、おいおい、おい」
慌てて言葉をかけても絵は答えることが無い。「やめろよ、おまえ」
返事の無いことをわかっていながら声を掛ける。留め具を手探りで外し、慎重にベッドの上に置く。アクリル製のパネルを外すと、飛び立つのを待ち構えていた蝶のように一面に絵具の破片が舞う。
猛々しく吠える男の顔を模した絵具がひび割れ飛び散り、――その下から酷薄な笑みを浮かべる画家の自画像が現れた。
「へ?」
あまりの出来事に腰が抜ける。
アクリルパネルを両手で抱えたまま、ズレた眼鏡も直さずベッドにある絵を見つめた。
「雛形……おまえ、おまえ……」
絵は答えることはない。
「おまえってやつは……雛形よぉ……」
最後の試合まで一度も見せることのなかった笑みを向ける画家の顔。
土屋田には絵のことはわからない。
描いた画家の事だって、何もわかっていなかった。
「俺は……雛形、俺は……」
続く言葉も無く、ただ、画家の名前を呼んだ。