Our Season in Bloom■ドロシールートEnding I 後の二次創作です。
公式情報にない捏造設定/自己解釈を含みます。
■ゲーム本編、特典CDなどのネタバレを含む可能性があります。
ネタバレを食らいたくない方は閲覧をお控えください。
刑務の旅を終えて二年が経つ。長い間廃墟調査に忙殺されていたユヒルとドロシーの生活もやっとのことで落ち着いて、早数か月。ドロシーが魔女としての通常業務に戻ってからのユヒルは、日本らしく言い表すなら専業主婦である。
意外と不自由はない。不満もない。それに、留守にしがちだった屋敷を綺麗にして回るだけでもかなりの重労働だったし、ユヒルとて役に立っていないわけではない。家電がどれだけ手間を短縮してくれていたのか、どれだけ素晴らしい発明だったのか、骨身にしみてわかるほどには働いている。しかし手のかからない大人二人の生活だ。慣れるにつれて余暇は増えていく。日中に時間が空いてソファでぼうっとしている時など、不意に虚しさに襲われるのだ。もっとドロシーの隣を歩んでいる実感がほしいと思ってしまう。
「……というわけで、ここで働かせてください」
「滑らかなご説明ありがとうございます。ですがユヒルさん、俺の顔見えてます? 呆気にとられて口開いてる間抜け面なんかあなたに見せたくなかったんですけど」
「ここで働きたいんです!」
「ヒルとユヒルの神隠し?!」
「ヒルはちょっと。血とか吸いそうかも」
「あ、すみません。ってそうではなくて」
ドロシーの頭の中に問いただしたい事項があふれかえり、思わず両手で『T』の文字を作ってしまった。タイム、あるいはタンマのポーズだ。優秀な頭脳に絡みつく5W1Hを分解しながら、状況を整理する。
北の魔女の執務室にユヒルが入るのは初めてではない。二人で出かけたついでに書類だけ置きに来たときなど、彼女を伴って城を闊歩することもままあった。周囲からの説得でカイゼが執政に関わっている上、ドロシーは司法をつかさどる役職である。街中よりもよほど安全な場所だ。どうやって来たんですか、なぜここに来たんですか、その二つは瞬く間に解消されてしまった。そういえば今朝、今日は忙しいのかと聞かれ、珍しく会議予定も入っていないのんびりした日だと答えた記憶もある。
残るはいつ、どこで、誰が、何を、の四つである。この城で、ユヒルが、働きたいと言っている。
ドロシーは眉間を揉みながら小さくため息をついた。ユヒルとて、急に仕事場に現れたわけではない。家にいる時に何度かこうした打診があったが、十分以上に家のことをこなしてくれているユヒルにさらなる負担を背負わせる必要性を感じず、ドロシーは毎回やんわりと流してきた。「もしも本当に働くなら城がいいでしょうね」と相槌代わりに嘯いたのもドロシーだ。
ドロシーには、働きたいという欲求が理解できない。仕事なんて面倒なだけである。いろいろな意味でドロシーがまともに生きていくために必要だから身を粉にしているが、そうでもなければ毎日ユヒルの膝に甘えていたいお年頃である。しかしユヒルがこうして押しかけてきてまで某有名作品を演じているということは、彼女は本気で働きたいのだろう。一緒に家計を担いたいと思ってくれている。彼女の願いはドロシーの願い。生きがいと言ってもいい。叶えない選択肢はない。
──だとすれば、残るは。
「……いつから、働きますか」
「お仕事があるならすぐにでも! 雑用とかお掃除とか、なんでもやるよ」
「やっぱりそう仰いますよねぇ」
意気込んだ即答にドロシーは相好を崩した。親しみのこもった呆れの笑顔だ。
ユヒルは利発である。しかし社会人経験はない。仕事というのは独特な不文律を持っていたりもして、結局は人の繋がりで成り立つところも多く、厄介だ。黒目黒髪ともなればもっと苦労するだろう。自分という後ろ盾があれば滅多なことは起こらないはずだが、万が一の可能性も許せないドロシーからすると、彼女に割り当てられる業務はかなり絞られている。給金や承認の問題は後回しにするとして、彼女の配置はひとまず自分の翼下に決めた。
「承知しました。では今日は時間もありますから、職場体験でもしましょうか」
「えっ、本当にいいの? いきなり来ちゃったのに」
「ええ、ねじ込むくらいの権力はありますので。それに以前からお話はしていただいてましたし」
ずっとユヒルの提案を流してきたことをさりげなく誤魔化しつつ、うなずく。ユヒルは眉をきりりとさせて背筋を伸ばした。やる気満々です、がんばります、という雰囲気を全身にみなぎらせている様はまさに新卒といった感じで、ものすごく愛らしい。ドロシーは自分の眦がだらしなく垂れているのを自覚しながら、近くの棚を指した。
「ではまず、こちらの棚の整理をお願いできますか。進行中の審問に関する書類をまとめているので、更新が多くてごちゃごちゃしやすいんですよ」
「わかった! 時系列順に追えるようにまとめ直す感じでいいのかな?」
「ええ、助かります」
これまで共に過ごしてユヒルの適性はあらかた把握している。楽しく働けるであろう仕事を振ってしまうのは、ドロシーにとってはしかたのないことだった。さっそく取り掛かったユヒルが来客用のソファに陣取って書類を広げ始めるのを、つい頬杖をついて眺めてしまう。まるい頭が俯いて真剣に紙を繰る姿は、きっと何時間見ても飽きない。ドロシーの人生の輝きそのもの。もっとも大切な人。家に帰れば彼女が待ってくれているという事実だけで日中どんなに忙しくてもやり過ごせてしまうのに、執務の間も一緒に居られることになったなら、それはどんなに幸せなことだろう。
そう思うと紙のにおいに満ちたこの空気すらも甘くて、呼吸が深々しくなってゆく。はぁ、とこぼれたため息は木漏れ日じみていた。ユヒルがそれを聞きつけて手を止め、ドロシーを見る。
「あ。もしかして私が危なっかしいから見てくれてる? ドロシーの仕事、進まなくなっちゃう?」
「いいえ」
「……もしかして、見てると楽しいからサボってるの?」
「はい。もちろん」
ユヒルが叱るように眉を寄せ、それから顔の全部で笑った。
「もう。あとで一緒に休憩しようよ。それまで集中!」
仕方ありませんね、と渋々の返事をしながら、ドロシーは(これはもう駄目だ)と内心で惚気る。一度この味を知ってしまったら二度と一人では働けない気がする。二人で屋敷を出て、一日の予定を話しながら城に来ては働き、へとへとの帰り道も一緒に歩く。ドロシーの頭が早くも夢想する日常は、彼女が常に隣にいるというだけでふくよかな充実感で胸を満たしてくれる。
机に積まれた書類を手に取って自分の仕事をしながらも、ドロシーは時折ユヒルを盗み見た。侯爵と同等の権威を持つからこそ、貴族たちは魔女の権勢拡大を常に警戒している。身内を仕事場に引き入れれば十中八九つつかれることだろう。若干の前途多難を感じつつも、どれもこれもユヒルと臨むことだと思うと喜びを禁じ得ない。こんな人生が許されるだろうかと心配になるほどに。
満ち足りた微笑みを滲ませ、滴りそうな蜂蜜色が伏せられる。カサコソという音だけが内緒話のように空気を揺らす一室で、また新しい季節が始まった。