煙立ち去らでのみ香に火をつける。一筋白い煙が立ちのぼる。
あの人の部屋は本棚から溢れるくらいたくさんの本があったのに、それすら整然と並べられていていて、いつも紙の匂いとうっすら香と煙草の匂いがした。
人通りのある場所に住まいは構えられていて、外はがやがやとしているのに、壁一枚隔てたその部屋には何か静謐な膜が張られているようで好きだった。
いつまでもその居心地のいい場所にいられると思っていたから、今になってその香の名前すら聞いていなかったことに気がついて、探し出すのに苦労した。このつまらない部屋の中でも、この香りがする間は、あの風が吹き入れれば紙同士が擦れ合ってかさかさと鳴る音も思い出すことができた。
「又方士をして霊薬を合し、玉釜に煎錬し金炉に焚かしむ。九華の帳深きところ夜悄悄たり」
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