うっかり彼の日記を開いてしまったのは本当に偶然だった。部屋にいると思っていた姿がなく、次の心当たりを考えていると机の上に山積みになっていた留学生として然るべき機関へ提出しなければならない論文が音を立てて崩れていく。肘が掠ったと気づいたのは山が随分と平たくなってからだ。床に落ちず、机上に広がっただけで済んだのは幸運だったとしか言えない。片付けなければという思いと下手に触ってしまうのはよくないという思いがせめぎ合う中で、形だけは整えようとたまたま手に取った手帳が日記だと察したのは大方片付いた頃だ。
先に弁明しておきたいが、開くつもりはなかった。断じて。指が薄い革の表紙だけをすくい取り、勢いのまま持ち上げたそれは何かが書かれているのは分かった。正確には何か、としか言いようがない。まず間違いなく英語ではない、くにゃくにゃと長い紐が文字とも記号とも判別がつかない筆跡が紙面を踊っている。恐らく彼の祖国の字なのだろう。読めなくて当たり前のそれらを識別しようとしたのか眺めていると、これは他人の記した物を盗み見ているのと同義ではないかと気づく。何が書いているのか分からずとも、盗み見は盗み見だ。
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