デフアロ　初書きどうしてこうなったんだ。
心の中でひっそりと溜め息をついたのが実際にも出ていたらしい。そろそろ店仕舞いの時間だということもあり、賑やかだった酒場も閑散としてきた。こちらも清算をして出たいと言うのに、自分の腰に抱きついて離れようとしない酔っぱらいにはほとほと困り果てる。
それが密かに想いを寄せる相手ならなおさら、どうしたらいいのか…女性ならばスラスラと美辞麗句も出てくるというのに、この体たらく。伊達男の名が廃るぜ。人の気持ちも知らず、ヘラヘラと笑いながら抱きつく男が可愛くて、憎らしい。複雑な想いを込めつつも髪を少々乱暴にすいた。
「おら、いい加減出るぞ」赤く染まった頬を軽く叩きながら促すと、ふにゃりと笑っただらしない顔がこちらに向く。酒気をおびてトロリと潤んだ瞳は、とても美味しそうで折角正した理性がグラリと傾く。いかんいかんと自制を呼び起こしていたのに、思いがけない言葉が俺を襲った。「チューして…」
「………は？」静寂に満ちた店内は時が止まったようだが、生憎そんなことを気にする余裕が俺にはなかった。動揺をできるだけ悟られないように細心の注意を払う俺に対し、無情にもこの厄介な男は追い討ちをかける。「チューだよチュー。チューしてくれたら起きる！」チューチュー連呼するな。
口を尖らせて催促する様は誘っているようにしか思えない。可能であるならば、今すぐにでも瑞々しい果実のような艶のある唇に齧り付きたいところだが、ここは公衆の酒場だ。雰囲気を大事にする俺としても一応は人目を気にする。二日酔いでもないのに頭痛がする…こいつ後で絶対に啼かす。
「なぁチューしてくれよ～」などどまだほざいているやからには溜め息しか出ないが、いつまでも留まっているわけにはいかない。マスターにはいつものツケでお願いすると、心得たように頷いてくれる。ツケで罪悪感など沸かないが、今日ばかりはその心意気に感謝する。あとは帰るだけだ。
「いつまでもチューチュー言ってんな。お望み通りくれてやるよ」そう、態とらしくぞんざいに言ってやれば、不満そうな顔をしながらも瞳が期待に輝く。こんな顔をさせるのが自分だけなら…と醜い独占欲が顔を出す。そんなはずはないのに…期待させるような態度をしないでほしい。我ながら女々しいわ。
そこには目をつぶり、先ずはこの酔っぱらいを黙らせるのが先決か。奴の顎に指をかけ持ち上げると、先程まで忙しなく動いていた口がピタリと止まる。まったく、そういうところだけは素直だ。いつもはあんなに俺を翻弄するのに、不思議なもんだよな。自嘲や酒の高揚も手伝い、自然と口角が上がった。
そのまま親指で唇を擦れば、わずかに口が開き蠱惑的な舌が覗く。分かってはいたが、女のように艶やかで柔らかな唇ではない。だが、切れてはいないがかさつきが目立つこの唇こそ俺を捉えて離さない麻薬のような存在なのだ。今度、リップクリームでも贈ろうと頭の隅で考えながら顔を近づける。
互いの睫毛が触れそうなほどに顔を近づければ、目元が赤く染まる。何今さら恥ずかしがるんだか…それ以上のこともやってるのに。若草色の瞳を覗きこめば耐えられないとばかりにぎゅっと瞼が閉じられる。かすかに震えているのが伝わり、思わず吐息を溢して笑ってしまう。本当に馬鹿で愛おしい奴。
その距離を保ったまま、顔をずらしてむき出しの額にキスをしてやる。思いがけない場所に感じた人の体温に驚いただろう奴が信じられないとばかりに目を丸くして見つめてくるのが可笑しい。「約束のチューをしたんだ。とっとと帰るぞ」キスの拍子で緩んだ腕から抜け出し、強引にたたせる。
文句を言いたげな奴が何かを言う前に肩に手をまわして耳元で囁く。「続きは帰ってからな…？」とどめとばかりに息を吹き込めば、府抜けたようにしゃがみこもうとするので急かさず腰に手を回して支える。「おいおい、家路はまだなんだぞ。しっかりしろよ？」笑いだしたいのを堪えながら献身的に接した二人ぼっちの帰り道。