いつの間にやら月日は巡り、今日は文化祭当日。
斗和のクラスの出し物は、喫茶店。
まあ、文化祭の定番だ。
「ねー、見てこれ!」
「え、メイド喫茶?楽しそうー」
「行ってみよっか?ご飯食べたくなってきたとこだし!」
楽しそうな来訪客の話題の中心は、残念ながら斗和のクラスではない。
斗和のクラスの前の廊下に貼られたポスターの、二年生のクラスの出し物であるメイド喫茶に、先程から随分お客を持って行かれている。
「いっちょん客の来ん……」
斗和と同じクラスのカタナは、悔しげにポスターを睨みつけた。
「まあまあ、カタナくん。そりゃあメイド喫茶と普通の喫茶店なら、メイド喫茶の方が人気でちゃうって」
斗和は笑っている。
ライバル意識など全くない。
斗和のやりたかった紅茶専門のティーサロンが予算の関係で却下されてしまったため、斗和は初めからクラスの出し物にさほど熱意を示していなかった。
「あ、交代の時間だ!オレ、校内回ってくるね!」
斗和は何の変哲もないシンプルなエプロンを外して、弾む足取りで教室を出た。
目的地は、大好きで大尊敬している幼なじみの蒼のクラス。
ひとつ階段を登り、廊下を進んで行くと、やけに人が多いことに斗和は気づいた。
「…?」
きょろきょろと見回すと、人だかりがとあるクラスの前に出来ていることに気づく。
そのクラスに入る為の長い行列も。
興味を引かれた斗和は、廊下の窓から中をちらりと覗いて見た。
フリフリの白いエプロンに、頭にもフリフリ、ハート型の名札を着けた集団。
「メイド喫茶……ここだったのかぁ」
呟くと、ひとりのメイドとふと、窓ガラス越しに目が合う。そのメイドは、ぱちんとウィンクをこちらに送ってきた。
「……あれって、野球部の…八二嶋先輩?」
野球部の試合を見に行った時、一際斗和の目を引いた長身の生徒が、お世辞にも似合うとは言い難いメイド服を着て愛想良く給仕をしていた。
「あのサイズのメイド服、よくあったな……いや、作ったのかなぁ…」
すごいものを見た、と目を丸くする斗和。
そして、そのまま歩き去ろうとした。
しかし。
「斗和」
「え?あ、蒼兄様!?」
メイド喫茶の行列に、斗和の慕う蒼が並んでいたのだった。
「蒼兄様、メイド喫茶に行かれるんですか?」
「そう、面白そうでしょう?」
にっこり笑う蒼に、斗和はさっきまでとはころりと態度を変えて、
「オレもメイド喫茶に行ってみたくて来たんですよー!」
なんてしれっと嘘をついた。
「一緒に入る?」
「いいんですか?嬉しいです!」
蒼に誘われ、上機嫌に斗和は列に並んだ。
きっちり、列の最後尾に並び直したのだが、蒼と話していると待ち時間はあっという間に過ぎていき、すぐにメイド喫茶に入ることが出来た(実際は結構待ったのかもしれない)。
「八二嶋くん、来たよ〜」
蒼はひらひらと手を振り、全身フリフリの八二嶋を上から下までじっくり眺めた。
「うーん、似合わないねぇ」
「当たり前だろー、このガタイなんだから!……って、なんか後ろにくっついてるな?」
八二嶋はにぱっと笑って蒼に答えた後、蒼に隠れるようにしている斗和に視線を移した。
「ああ、この子?幼なじみで、いっこ下の、斗和って言うんだ」
「佐藤斗和と申します。八二嶋先輩、野球部の試合とか、練習されているところとか、お見かけしたことあります!」
蒼に促され、斗和は腰を曲げて深々とお辞儀をした。
頓狂な格好をしていても、相手は歳上、先輩なのだから礼儀正しくせねば、なのだ。
「よろしくなー、斗和くん!なんか、いつも蒼くんにくっついてるから、俺も見たことあるよ」
「あ……お恥ずかしい限りです……蒼兄様は、兄のようなものなのでつい…一緒にいると安心しちゃって」
てへへ、と斗和は照れた笑いを浮かべる。
「へぇー。仲良いんだなぁ。蒼兄様、だって」
八二嶋は興味津々な顔で斗和を見た。
「あ……小さい頃から兄様って呼ばせて貰ってましたから、抜けなくて……蒼先輩、って呼ばないと駄目ですよね」
「いやいやいいんじゃない?好きに呼べばいいと思うよー」
「うん、呼びやすいように呼んでいいよ」
二人に口々に言われ、斗和は安心してほっと息を吐く。
そんな緊張しきった斗和を、八二嶋はにこにこと見ていた。
「八二嶋ー、サボんな!」
八二嶋と同じくフリフリのメイド(♂)に注意され、八二嶋は片手を上げて悪い、とメイド(♂)に苦笑いを向けて、斗和たちを席に案内した。
「えーっと、オーダーは何になさいますか、ご主人様がた♡」
人懐こい笑顔で、茶目っ気たっぷりにメニュー表を差し出す八二嶋。段々可愛く見えてくるから慣れとは凄いものだ。
「えーと、オムライスをひとつとー、コーヒーをひとつ、食後に。オムライスって、お絵描きしてくれるんでしょ?」
「オレはケーキセットを。ガトーショコラと紅茶で」
「かしこまりましたー♡」
オーダーを取り、くるりと背を向ける八二嶋の短いスカートが翻った。
ぱんつ見えちゃう、と斗和はハラハラした。
「うーん、いい脚してる。筋肉が綺麗だね」
蒼は至極真面目に、美術館の彫刻を愛でるかのようにそう口にした。
蒼に褒められる八二嶋が、斗和は羨ましくなった。
「ご主人様ー、こちらの体験はいかがですかー?」
オーダーをキッチン係に伝えた八二嶋はすぐに戻ってきて、メニュー表の裏を示した。
そこには“メイドさんとチェキ♡”だとか、“メイド服にお着替え♡”だとかのメニューが並んでいた。割といい値段である。
「え!お着替え!」
「お?ご主人様興味おありですかーぁ?サイズはメンズも揃えてありまーす♡」
「斗和、メイド服着たいの?似合いそうだもんね」
蒼がにっこり笑う。
しかし斗和は、特にメイド服に興味はない。むしろ、蒼にメイド服が似合うと思って食い付いてしまったのだ。
……似合いそう、と言われたのが嬉しいのかなんなのかはよく分からない。蒼に褒められるのは嬉しいのだが、メイド服…。
「オレはいいから、蒼兄様メイド服着ませんか!」
「えぇー?」
「いいね!蒼くんも斗和くんもどっちも似合いそう」
八二嶋が囃し立てる。
「いや、僕はいいよ、」
「ええー、ヤダヤダ蒼兄様のメイドさん見たいー!」
「見たいー♡」
「八二嶋くんは売上を上げたいのか本当に見たいのかどっちなの?」
「え、両方♡」
ふぅむ、と蒼は顎に手をやり、考える仕草をした。
「……蒼兄様、お着替え代とデザート代、オレ持ちで」
斗和は真剣な顔をして、両手を合わせて蒼を拝んだ。
「……うぅん。なら別にいいか。減るものじゃなし…八二嶋くん、お着替え二人分と、デザートにいちごパフェ追加ね」
蒼はあっさりと首を縦に振った。
「やった♡蒼兄様のメイドさん!」
「更衣室はこちらです!」
喜ぶ斗和と蒼を、八二嶋はカーテンで簡易に仕切られた場所に案内する。
そこには数着のメイド服がハンガーに掛けられ、ディスプレイされていた。
「わ、かわいーい!」
斗和は目を輝かせた。
そして、真剣に悩み選んだ。
蒼に着せるメイド服を。
「蒼兄様はこれにお着替えしてください」
結局、フリフリ控えめで清楚なロングスカートの、クラシカルなものを斗和は選ぶ。
「じゃあ斗和はこれね」
蒼が斗和にと選んだのは、ピンク色でフリルが何段にもなっているものだった。
内心、ちょっと斗和は、えー、と思った。
絶対蒼兄様と職場違うじゃん、このメイドさん。
斗和は、お屋敷に仕える正統派蒼とメイド喫茶できゃぴっとする自分とのギャップにちょっとしょんぼりした。
「ご主人様ー、お着替え終わりましたかー?」
カーテンの向こうから、八二嶋の声が聞こえた。
「わっ、まだです、すぐ着替えます!!ごめんなさい!」
斗和は焦って制服を脱ぎ、ワンピースに着替える。
胸当てのないエプロンを着け、もふもふのパニエも穿いて、準備が出来た斗和は振り返った。
クラシカルメイドな蒼は、既に着替え終わっていた。
眼鏡がなんとも言えずメイド服にマッチしていて、斗和は思わず胸の前で両手を組んだ。
感動していると、「お着替え終わったみたいですね、開けますよー」と、八二嶋にカーテンを開けられた。
明るい、人の多いところに出てみると、あちこちから「おぉー」とか「きゃぁ、」とか、色々と聞こえてくる。
「…恥ずかしいですね、蒼兄様」
「お姉さまとお呼びなさい、斗和」
蒼はすっと背筋を伸ばして、周りの好奇の目をものともしていなかった。
「やっぱり良く似合う」
八二嶋が、すいっと蒼に顔を近づけてそう褒めた。
あっ、顔近い…っ!と、斗和は間に割って入りたくなる。しかしその衝動は我慢した。
「斗和くんも。似合ってるよ」
にこっ。
向けられた笑顔は屈託なく、そんな相手に敵意を向ける訳にもいかなくて、斗和は短いスカートの裾をぎゅうと握った。
「…ありがとうございます…?いや、似合ってもいい事ないんですが、オレ」
「そんなことないでしょ、ほら、お嬢様方が喜んでる」
八二嶋が振り返ると、確かに女性客がこちらに釘付けになっていた。
女の子にモテるなら、メイド服でもいいかなぁ、と斗和は少し表情を和らげ、蒼を見る。
蒼は、すぐに視線に気づき、にこっと綺麗に微笑んでくれた。
「蒼くん」
ヒソヒソと、青の耳元に八二嶋が何事か吹き込む。
斗和には聞こえない。
蒼はこくりと頷き、斗和の方を向いた。
「斗和…タイが曲がっていてよ」
そう言って蒼は、斗和の乱れてもいないリボンを直す仕草をした。
きゃーっ!
うぉーっ!
女性客ばかりでなく、男性客の歓声も上がり、斗和は戸惑った。
「な、なに!?」
「君たちがお似合いってこと」
「メイド服がですか?それはもういいですよ」
「うーん、そう言うことにしてもいいけど」
八二嶋は可笑しそうだ。
「八二子ー、料理運んでー!」
別のこのクラスのメイドが、八二嶋を呼んだ。
はにこ……と斗和がぽかんと口を開けていると、八二嶋は「はーい♡」と裏声で返事をしてくるりと方向転換をした。
「飽きたら適当に着替えていいからね。撮影は専用スペースで。着たまま教室の外に出る時は、うちのクラスの宣伝用看板かチラシを持って行ってね!」
振り向きざまにウィンクを飛ばし、八二子こと八二嶋は仕事に戻った。
「えーと……せっかくなので、お写真撮っていいですか……?」
斗和は恐る恐る蒼に訊ねた。
「いいよ」
蒼はあっさり首肯し、少し斜めに構えてすっと立つ。
ポーズを付けるでもなく立っているだけで絵になる蒼に、
「蒼兄様美人ー!最高!」
カシャカシャカシャカシャ……と、斗和はスマホで蒼を撮りまくる。
いつの間にかスマホを手にしたギャラリーが周りに居て、このクラスのメイドさんが「ご本人様グループ以外無許可の撮影は禁止でーす」とアナウンスしていた。
「あのっ、お写真、撮らせて頂けませんかっ?」
女性客のひとりが、意を決したように声をかけてきた。
蒼はうーん、と一瞬考えて、「ひとり許可すると、キリが無さそうなので…すみません」と断った。
つまり、斗和は唯一蒼のメイド姿を写真に収める権利を貰えたことになる。
よっしゃ!とガッツポーズをとる斗和に、蒼がスマホを向けた。
「斗和、笑って?」
「え?え!!?撮るんですか?」
「当たり前でしょう」
「えー、恥ずかしい………」
「大丈夫大丈夫。ほらほら」
蒼に促され、斗和は渋々ポーズをとる。
媚びた衣装と対象的な、不満げな表情が却って良いのだが、本人に自覚などない。
「可愛いよー、斗和」
「思ってないでしょ、兄様」
「今はお姉さまだってば」
「失礼致します、ご主人様…お嬢様……?あれ、今はメイドだから、敬語いらなかったか?」
唐突に、八二嶋が現れ、二人に声を掛けた。
「八二嶋先輩!蒼兄様を止めてください」
ふぇーんと泣き出しそうな様子で、斗和が八二嶋に縋った。
「おっとぉ。お触りは別料金です」
「そういう冗談もういいんで!」
「あはは。蒼くん、オムライスできたよ」
「オムライス…!」
蒼は構えていたスマホをすっと下ろすと、「着替えてくる」と簡易更衣室のカーテンの向こうに消えた。
「兄様、お腹すいてらした…?」
残された涙目の斗和は、一瞬ぽかんとした後に、慌てて蒼の後を追い、更衣室に入った。
「それではご主人様、行ってらっしゃいませ!」
八二嶋に見送られ、斗和と蒼は、メイド喫茶を出た。
「楽しかったですか、蒼兄様」
「うん、美味しかったね、オムライスとパフェ」
満足気な蒼に、斗和は笑った。
ちなみにだが、この日のこのクラスの売上MVPは、八二嶋だった。
女装の似合わなさが、一部の層に非常にウケて、リピーターまでいたらしい……という話を、後日斗和は蒼から聞いた。
なんで、蒼兄様が、八二嶋先輩のことをそんなに楽しそうに話すの。
斗和は八二嶋を、要観察の要注意人物欄にカテゴライズした。
でも、嫌いじゃないんだよなぁ。あの人。
蒼への幼い独占欲と、人としての八二嶋の魅力の間で揺れる斗和であった。