四日前から俺は仕事で国外にいる。
エーリッヒと何日も遠く離れてまでする仕事は、正直それほど面白くはなくストレスが溜まるばかり。
毎日仕事のスケジュールはぎっちりだった。ランチも仕事相手と。ディナーもそうだ。それが終わったらさっさとホテルに帰って寝るだけ。
ああ、エーリッヒの淹れてくれるホットミルクがない夜の、なんと味気なくて寝苦しいことか!
──なんて。思ったところで誰にも言えるわけがない。それはそうだ、俺はもうこどもではない。
ホットミルクが飲みたければ自分で作れという話だし、それ以前にホットミルクを飲まないと眠れない、なんてこどもみたいなことも言えない。
それでも。
やっぱりエーリッヒが恋しくて。
ホットミルクを飲みながら、今日あったことを互いに話して笑い合う時間が、どれほどの癒しであることか。
今日も寂しさを紛らわすために必要以上に仕事に打ち込み、仕事の延長のような、楽しくもないディナーとついでの酒の相手を済ませて、やっとホテルに帰ってきた。ドアが閉まる音を背中で聞き、ぐいとネクタイを緩めてジャケットをソファにぽいと脱ぎ捨てると、そのままリビングを通り過ぎベッドルームまで進む。引き寄せられるままに自宅のものより二回りほど小さいベッドにダイブした。
脱いだジャケットはきちんと掛けておかないと、なんて小言は聞こえてこない。
顔を埋めた枕からエーリッヒの香りはしない。部屋の中に人の気配も勿論ない。
この国での仕事はあと三日もある。
「はぁ……」
溜息をつきながらも明日の予定を確認しないと……と、スマホの画面をタップする。
ロック画面にメッセージの受信通知が何件も出ていてげんなりした。送信者は部下や仕事相手ばかりで。仕事、仕事、仕事!と俺を追い詰める。
「こっちは朝から晩まで目が回るほど忙しかったってのに……まだ俺を煩わせるのか?くだらないことでいちいち連絡してくるなよな、まったく………」
ひとつひとつ、一応確認していき、緊急性のない問い合わせばかりなことにほっとしつつもうんざりして………
気分転換がしたい俺はスマホを放り出して、シャワーを浴びることにした。
熱い湯を浴び、汗を流してさっぱりして、パジャマに着替えてさっさと寝ようとしたのだが……酒を飲みすぎたのか、変に覚醒していて眠気が来なかった。
ごろん、ごろん、と何度も寝返りをうつ。
無理をして目を閉じるが、脳裏に今日の仕事のこと、明日の仕事のことが浮かんで落ち着かない。
エーリッヒがいてくれたら、うまく緊張を解してくれて疲れも吹き飛ばしてくれて、リラックスして眠れるだろうに。
「エーリッヒ……ドイツはいま、…いや、連絡なんてしたらますます…」
呟きつつ眠ることを一旦諦め、時間を確認しようと俺は枕元のスマホに手を伸ばした。
そこで、さっき全部既読にして消したはずのメッセージ通知がまた来ていることに気づく。
シャワーを浴びている時に来ていたのか?とアプリを開いて、俺は目を見開いた。
心臓がどきんとなる。
エーリッヒからだ!
【誕生日おめでとうございます。今年もあなたの生まれたこの日を祝えて嬉しいです。帰ってきたら、ふたりで改めて祝いましょうね】
それを読んで俺は自分が今日、誕生日を迎えていたことに気づいた。
そうだ、エーリッヒはこどものころから毎年、この日を忘れたことはない。
堪らず俺はパジャマの胸元をぐっと掴む。会いたさが一気に募って胸が苦しい。
自分で選んだ仕事だ、誇りはあるし投げ出すつもりなんかない。
それでも、エーリッヒと天秤にかけて、エーリッヒの方を選んで今すぐドイツに帰りたい!と思ってしまった。
電話なんてしたら、本当に耐えられないかもしれない。
だから、時間をかけて、言葉を選びながら文章で返信をすることにする。
【ありがとう、エーリッヒ。今年も誕生日を覚えていてくれて、祝ってくれて、嬉しい。早く帰りたい、お前に会いたい】
そこまで書いて、迷って最後の「帰りたい、会いたい」を消して……それでも、エーリッヒ相手に強がっても仕方ないと思い直し、もう一度「お前に会いたいよ」と書いてから、送信した。
あと三日。
………エーリッヒに、たくさん土産を買って帰ろう。エーリッヒはどんなものでも喜んでくれそうだ。
そう思いながら再び目を閉じると、エーリッヒの体温、優しい声、穏やかな息遣い、そんなものがありありと思い浮かんで、まるでエーリッヒに抱きしめられているような幸福感に包まれた。
明日からも頑張れそうだ。