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    karrruko

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    karrruko

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    革命軍でレノとファウスト二人への恋心にあがいて疲れ、南に逃れたフィガロの話。
    着地はビターなレノフィガですがファウスト←レノックスの執着と、ファウスト←フィガロの執着が話のベースにあり、ファウストとの未来こそが自分の運命だとフィガロが語る描写が多いです。ファウストは理想に邁進していて、二人の真情が見えていません。

    アレクの話し言葉を捏造、モブ娼婦がレノとフィガロと親しげに会話する描写があります

    あがき(レノフィガ)2020年に開催されたレノフィガワンドロライ様お題「羊」に提出したものをベースに加筆修正しています。


     フィガロは最初、レノックスという男の存在を概念として捉えた。
     ファウストが弟子入りを願い出たとき、レノックスはその傍に控えていたらしいが容貌がまったく意識にのぼらない。なんだか岩石みたいなやつがいるなと感じたことだけは覚えている。魔力がすこぶる弱いくせに鉄心石腸というやつか、一度こうと決めたことは絶対に揺らがせにしない怖い心根のやつだとも意識の端にちらっと思ったがそれも一瞬だった。
     石が備え持つ不屈の精神の艶めきは、ファウストという華やかで明るく、柔らかな輝きの前にあっさり消え失せてしまった。だがレノックスは、ファウストの口を借りてフィガロの前に存在を絶えずほのめかせ続けた。
     何せ、己が初めてとった弟子にして恐らくはこの世で唯一になるであろう愛弟子は、親友であるらしい人間アレクの名に次いで、やたらとこの〈同士〉の名を話に出すのだ。
    「レノックスが……」
    「レノックスは……」
     ある冬の一夜なぞ、ファウストはレノックスのことを何度も〈レノ〉と呼び、そうしてそのこと自体に気付いていなかった。
    『きみは愛称で呼ぶほどレノックスを近しく思ってるけど、相手にとってのきみは、いつまでたっても崇めなければいけない存在なんだね』
     意地悪な指摘を控えて、にこにこ笑って最後まで弟子の話を聞いてやったフィガロは自室に戻り、ひとりになって考えた。
     ファウストが最も口に名を上らせる、アレクのことはどうでもよかった。
     人間なんてものは図太く短く生きる分、印象が強く残りがちだ。ファウストが雑談でやつの名を出すのも、今までのファウストが人間に近すぎたためだ。己とこれから一緒に過ごす永遠の時の中では、アレクなんて存在は一時差し込んだ光に過ぎない。いずれファウストは、その顔と声を、思い出しもしなくなるだろう。
    〈だって俺ももう、故郷のひとたちのぼんやりとした温度は思い出せても、顔も声も忘れてしまったし〉
     問題は、同じ魔法使いのレノックスだった。
     交わした徒弟期間が明けた後、己の居場所はファウストの隣になる。レノックスは、まさか主の師を無下にすまいが、あのひとめでわかる――というか、その印象しか覚えていない堅忍不抜の精神で張り合われたら鬱陶しくて仕方が無い。石にするのは簡単だが、愛弟子の目を曇らせるのは本意では無いから〈再会〉の最初に力関係を思い知らせてやるとしよう。
     そう心に決めたフィガロを革命軍で待っていたのは、傷病兵の天幕に横たわり、死にかけているレノックスだった。
     偵察任務が失敗し、しんがりをつとめた彼は同輩を庇って深手を負った。看護兵の魔法や薬草の手当で傷は塞がっているし血も止まっているのに、顔色は戻らず息も絶え絶えで、目が開かない。どんな無知な輩にもわかるほど、彼は刻一刻と死に近付いていた。
     必死に魔法を掛け続けるファウストの後ろで、弟子の腕前を呑気に見学と決め込んだフィガロは、意外に思った。
    〈こんな顔をしていたのか〉
     横たわる怪我人は目を瞑って無言でいるせいか、無精髭に覆われていても想像以上に幼く見えた。こしの強い黒髪が乱れてしだれる額の形が秀でていて、この中に強情な心が詰まっているようにはとても見えない。
    「……駄目です。諦めましょう」
     ぼうっとしているとファウストが言い、立ち上がった。フィガロのもとで腕を磨いたファウストの治癒魔法でもレノックスは回復しなかった。なぜ、と見守るみなが混乱に陥っている只中で、平然として見せているファウストの秘する嘆きは凄まじかった。
     指導者の立場に相応しく、表情はおさえて冷静に振る舞ってはいたが、菫色の瞳には抑え込まれた感情がめらめらと燃えさかっていた。
     それでいながら彼は、正式な歓待の儀もないままに帰営早々に陣中を引き回してしまった師への詫びをした。
    「フィガロ様、申し訳ございませんでした。どうぞ、あちらへ。ささやかですが、酒を用意させてあります」
     そう言って先に立ち、天幕の入り口に誘おうとする彼の目には、もうひとつの情念が揺れている。
    〈どうかレノックスを、たすけてください〉
     そう叫んでしまいたいのに、大勢の兵を束ねる彼は私情で動くことを己に許せないでいる。ひとりを助けて、もうひとりを助けないなんてことはあり得ない。レノックスを情によって救うなら、今ここにいる傷付いた大勢の兵士も、これから未来で傷を負う兵士も等しく、救われなければいけない。
     その負担を師に強いるわけにはいかないと信じる彼は、一言頼めば救える親しい命を見殺しにしようとしている。そうしなければ、思想によって結びついた軍は瓦解する。馬鹿馬鹿しいほどすべての待遇を平等にして接しなければ、烏合の衆は長くは保たないのだと、ファウストは理屈でない部分で感づいているようだった。
    〈可愛らしくて、愚かな子だ〉
     遠巻きに眺めてくるぐるりの視線を痛いほど感じながら、フィガロは魔道具のオーブを取り出した。
     千六百年の時間が、一人の魔法使いにどれほどの知恵と力をもたらすのか。その一端に触れる栄誉をやろうと、天幕のみならず陣内すべてに癒やしの力を注ぎ込む。
    「《ポッシデオ》」
     淡い光が痛んだ命を包み込み、肉体と精神に健やかな巡りをもたらす。永遠の苦痛から解き放たれた歓喜の声が天幕のあちこちから上がった。
    「足が動く! また走れるんだ!」
    「手が……! 俺の手が戻ってきた!」
     僥倖に湧いた一同は、自分たちの英雄が彼の師の傍らで恭しく跪く姿を見た。それに倣って、天幕は跪く者と拝跪する者とで一杯になる。誰かが名を囁き、それは瞬く間に拡がって感謝のうねりとなった。
    「フィガロ様、ありがとうございます」
    「フィガロ様……!」
     フィガロはその声を聞いていなかったし、足元に這いつくばらんばかりの熱狂の渦がいとわしくて仕方がなかった。
     自分を置き去りにして、なかばで放り出されてしまったオズの世界征服。その過程でいやというほど聞いた声が、今また新たに己を取り囲もうとしている。革命という名で若者たちが正そうとしているこの地の混乱も、本を正せばオズと己が好き放題に暴れ回り支配者の系譜を根絶やしにしたせいなのに、ファウストもアレクもそれは過ぎ去った遠い昔の話だとして〈常世を生きる魔法使いのお考えは、計り知れないものなのでしょう〉の一言で済ませてしまった。革命軍は彼らの苦の元凶である魔法使いのフィガロを糾弾するどころか敬って迎え、現在、彼らの目の前で悪政をほしいままにする権力者たちを敵と見なしている。
     そんなやつらがはびこる苗床を作ったのだと古い罪で裁かれるべきは俺なのに、若者の興味関心からは捨て置かれるのかとフィガロは甘い感傷に浸り、ものごとの本質を捉えきれない彼らを哀れんだ。
     その憐れみをもっとよく味わうために、いまだ起き上がらないただひとりの兵士――レノックスの傍らに立つ。
     そうして、フィガロは弟子を戒めた。
    「ファウスト。治癒すべき本質がどこにあるのか、きみは見誤っている。新しい傷が彼を伏せさせているんじゃない。これまで彼が大勢の魔法使いや人間を庇って受けてきた痛みが積み重なって沈み込み、がんじがらめの苦悶の巣を作って心臓を締め付けているんだ。傷は神経の奥に染み渡り、時に目には見えない病巣となって兵を苦しめる。それを覚えておきなさい」
     フィガロはレノックスに向き合い彼の中に沈降すると、若い命を苦しめる傷を取り払い、すべて癒やしてやった。真っ青な顔で、師の行いをくいいるように眺めるファウストの息が解けたとき、レノックスの瞼が震えて目が開いた。
    「……」
     ファウスト様、と彼は声なき声で呼んだ。その眼差しにも、声にも、素直な敬愛が溢れている。
    「レノ!」
     蘇生した仲間の手を取り、ファウストは一声だけ名を呼んだ。震える肩にどれほどの喜びが籠もっているのか、情に疎いフィガロにも見て取れるほどそれはあからさまだった。この光景は喜ばしきものの筈なのに、フィガロはまるで面白くなかった。
    〈俺は良いことをしたよね〉
     そう自分に言い聞かせたとき、ファウストが言った。
    「レノ。フィガロ様がおまえを癒やしてくださったんだ。正式な礼は回復してからで良いが、今はまず、感謝を」
     いらない、というより先にレノックスが動いた。
    「……」
     声はまだ出てこないから、顔だけが動く。
     笑顔を作ろうとしてうまく出来なかったのだろう。
     表情の筋がぐちゃっと乱れて奇怪な引き攣れ顔になったが、いやというほどよく知る弟弟子に色が似ている紅い瞳の奥には――オズには似ていない温かな炎が燃えさかっていた。魅入られたフィガロは思わず応じていた。
    「どういたしまして」
     豪気な男は心情を明かさない者だと思い込んでいたが、レノックスの目には隠しようのない情の深さが潜んでいた。
     最初の印象と、思いがけない邂逅と、そこでふいに見せられた真情の不均衡さに先制を受けたフィガロは、己の中にレノックスが棲み着くことを許した。愛弟子の従者、という顔のない肩書きではなく、レノックスというひとつの名を持つ個として彼を認識した。
     レノックスの方では、主の師であり古代の魔法使いであるフィガロを畏敬し、滅多なことでは近寄ってこなかった。あの笑顔も――耐えることの多い半生だったためか、彼は笑うことが不得意らしかった――病から癒えたばかりの無防備さが見せたものらしく、偶に面と向かって話す機会があっても、いつも彼は跪き、顔を上げようとはしなかった。



     フィガロは、他者が己に服従することに慣れている。己がひとり、高みにおかれて崇められることにも慣れている。けれど今まで、その逆の立場に置かれたことはなかった。
     ファウストの人生における第一義が、〈古代の偉大な魔法使いフィガロの愛弟子〉という地位ではなく〈盟友アレクと立ち上げた革命軍の指導者〉に戻ったのだと気付いたとき、フィガロは己の愚かさを嗤い飛ばしたくなった。
     ファウストがひとこと己に頼んできさえすれば己は革命軍に敵対する者ども全ての命を葬り去るなり、得意の魔法で思考を支配するなりして、この軍を三日と空けずに完全なる勝利に導いてしまえる。そのために、己は呼ばれたのだと思ったのに幾ら待っても彼はそうしない。責任感が強いところも気に入っているから、ファウストが軍に戻るといったときもフィガロは反対しなかった。愛弟子は、己で立ち上げた軍での役目をさっさと終わらせてしまい、後は二人で生きるための時間に飛び込むつもりだと思ったのに、ファウストはあくまで、実地で学び続けるために客将としてフィガロを招いただけのようで、こちらからすれば無駄な時間の浪費だとしか思えない戦いを延々と続けている。
     その間、こちらが完全に除け者でいることに、愛弟子は気付いていない。
     フィガロはうそぶいた。
    「あーあ……馬鹿馬鹿しいな」
    「あら、フィガロ様。難しい顔をしてどうなさったの」
     賑やかな声で我に返る。目の前には、商売を始める前の景気付けなのか、空にしたグラスを持った娼婦が三人、立っていた。フィガロは気安く笑って見せた。
    「何でもないよ。ちょっとした考えごとだ」
    「そう? それならいいけど……」
     そういった彼女たちはおかわりを求めにカウンターに向かう。改めて見回せば、初夏の夕間暮れの酒屋には他に客の姿が無かった。実際家のアレクは商人と契約を結び、陣内に酒保を構えさせていた。その一画が酒屋になっていて、これまた実務的な契約によって軍に雇われ、戦場に同行する娼婦たちも暇なときは顔を見せに来る。フィガロは彼女たちに関心が無いから向こうの方でも客にならないこちらを構う理屈は無いはずだが〈いつもひとりで呑んでいる色男は訳ありの難物だとわかっていても、構いたくなるものです〉とか何とか言われて、まめに話しかけられる。きっと商売上、力と金を持った存在を見抜くのに長けているのだろうし、何の関わりもない筈の彼女たちのお節介を受け流すのも、フィガロは嫌いではなかった。
     おかわりを注いで戻ってきた彼女たちは、元の席に戻らなかった。
    「ここ、座っていい?」
    「こんなにがらんとしていると辛気くさくて嫌なものね」
    「おしゃべりをしようよ、フィガロ様」
     良いという前に隣に座り込んだ彼女たちは、二つの卓をくっつけてしまう。この場の酒代は自分が払わせられるのだろうなと思いつつ、生気に溢れた図々しさに免じてフィガロは求められるがまま、乾杯をした。
     そのうちのひとりが、ふいに言い出した。
    「フィガロ様はすごく長生きのおじいちゃんなのに、そんな風には全然見えないよね。あたし、別に魔法は使えなくていいんだけど、そこだけはうらやましいな」
     そこから互いの誕生日と運勢の話でひとしきり盛り上がり、突然、フィガロの誕生日を当てる遊戯が始まった。
    「フィガロ様は北の魔法使いでいらっしゃるのだから、きっと冬の生まれでしょう? いざってときは冷たい顔をしていらっしゃるもの」
    「意外と春なんじゃない。寒がりみたいだし」
    「案外真夏なんじゃない? ね、フィガロ様。どう? 当たってる?」
     好奇心に満ちた六個の眼が見つめてくる。フィガロは、こんなときのために用意している笑顔を浮かべた。
    「さあ、どうだろうね。本当に知りたいなら教えてあげるけど、きみたちは俺をだしにして遊んでるだけだろ?」
    「遊んでないって! こういうのは真剣にやらなきゃ」
    「それで見事勝利者がいたら、みんなにもう二杯ずつおごってよ。いいでしょ?」
    「そうだなあ。俺はきみたちが言うとおり、ずっと長く生きてるおじいちゃんだからさ。自分で覚えてる誕生日が正しいのかどうか怪しいんだよね」
     ずるいだとか、何それだとか、黄色い声が飛び交う中、
    「フィガロ様。よろしいでしょうか」
     と低い声が背後から飛んできた。
     振り向いて目をやれば、テーブルの傍につつましく、一人の男が跪いていた。
    「レノさん!」
     娼婦のひとりが華やいだ声を上げた。フィガロは伏し目のレノックスに横顔を向けたまま、ぞんざいに応じた。
    「なに? 今、いいところだから後で聞くよ」
    「あら、酷い。そんな姿勢で放っておくなんて可哀想よ。レノさんもこちらにお座りなさい」
    「いや、俺はファウスト様から言付かった伝言をフィガロ様にお届けに来たんだ。勘弁してくれ」
     また別の一人が、恐るべき積極性を発揮してレノックスの腕を引っ張り、空いた椅子に無理矢理に座らせた。
    「こっちだって真面目な大仕事をしてるんだからね。フィガロ様のお誕生日を誰も知らないなんて軍の一大事だから、みんなで当てようとしてるの。ね、レノさんはいつだと思う?」
    「……困ったな」
     フィガロは頭上で飛び交う賑やかな会話を聞き流していたが、レノックスのぼやきには心底困り果てた者の響きがあって、久しぶりに加虐の心が疼いた。
    「――レノックス。きみの主の師である俺をもてなすのも、あの子の従者を自称するきみの大事な職務じゃないの。きみがこの遊戯に参加しないなら、俺はこのまま楽しい酒盛りを続けるからね」
     要求を突き付けると、レノックスは顔を上げた。
    「はあ……では失礼しますが、あなたの誕生日は六月の五日ではないでしょうか」
    フィガロの息の根は、驚きで止まりそうになった。
     娼婦たちは不満でいっぱいの声を上げた
    「ええ! それって今日じゃん。見損なったよ、レノさん。適当にも程があるって」
    「いや、これでも俺なりに考えた結果なんだ」
     かまびすしい弾劾にもたじろがず、レノックスは淡々としている。フィガロは改めて彼の姿をちゃんと見た。
     瀕死の彼に感じた幼さは、今はもうどこにも見えない。腹に抱え込んだ不屈の精神は表には出てこず、ありふれた二十代の青年の面影にしまい込まれている。
     魔力は弱い――というより、ほとんどないと言って良い。生命活動を長らえさせるには充分だが力の幅は全くなくて、魔法使いというよりも人間から少しはみ出しているぐらいの不憫ないきものだと思った。
    〈こいつ、これから先も苦労するだろうなあ〉
    そんな印象がどこからともなく浮かんできて、フィガロの心はほろっと解けた。
    「レノックス」
     呼ぶと、彼は律儀に立ち上がって跪こうとした。
    「いいよ、そういうの。一々鬱陶しいから止めてくれ」
    「はい。申し訳ありません」
    「それより教えてよ。どうして、今日が俺の誕生日だって思ったの」
    「フィガロ様は中庸を守っておられる印象が強いので、生まれの月は一年の真ん中ほどかと思いました」
    「俺が? そんなにきみたちと折り合って見える?」
    「あなたならアレク様やファウスト様から実権を奪うこともたやすいのに、そうはせず、あくまで客将の立場を貫いておられるでしょう。そんなことは、なまなかな心では出来ません」
    「……あ、そう。じゃあ、日付は?」
    「それは……」
     言い淀んだレノックスをどやしつけるように、大声が轟いた。
    「レノ! フィガロ様!」
     戻ってこない従者に焦がれたのか、酒保の戸口にはファウストが立っている。自分よりも先にレノックスの名が呼ばれたことにフィガロは嫉妬し、その炎を笑顔に包んで弟子に差し出した。
    「やあ、ファウスト。レノックスを借りてるよ。みんなで楽しい夕べの語らいとしゃれこんでいたんだ。きみも参加するかい」
    「冗談はお止めください。急を要する軍議です。どうか、あなたもご臨席を」
    「いやだ。今夜はむさくるしい連中と顔をつきあわせる気分じゃ無いんだ。きみの望むとおりに魔法を使ってあげるから、してほしいことを後で教えて」
     言い切って席を立ち、踵を返す。
    「お待ちください……!」
     食い下がろうとするファウストをレノックスが止める気配があった。気にせずフィガロは外に出た。己の天幕に戻ろうとしたが、気が変わって久しぶりに箒で夜空を駆ける。陣内には松明がちらちらと燃えているが、それ以外は闇の底に沈んでいる。月は厚い雲に閉じこめられている。夜はどこだって同じ筈なのに、中央の夜闇の手触りは北に比べるとふわふわと柔らかかった。
    〈帰りたい〉
     そんな思いが湧き出てくるが、どこに帰りたいのかはわからなかった。ファウストが訪れてきたあの家は消してしまいたいし、師匠の片割れの死に衝撃を受けて、己ごと侵略行為を投げ出したオズにもあわせる顔がなかった。なにせ棄てられた腹いせに、自分には弟子が出来たと幸福を見せつけに行ったのだから、その弟子にも棄てられたなんて言える筈が無かった。師匠たちのもとはもっと嫌だ。
     どこか遠くへ。遙かな北でも生ぬるい。寂しいと感じることも考えることも止められるような、もっともっと遠い場所へ。
    〈海……〉
     心に浮かんだその場所へ、ついっと首を巡らせたとき
    「フィガロ様」
     低く艶やかな声が、遠慮がちに名を呼んだ。
    「レノックス」
     風に乗せて言葉を届けてきた彼は、馬のように鞍を置いた箒に乗って、遠く離れた下空に留まっている。砂粒のように小さなその一点へ、フィガロは声を投げ落とした。
    「……何してるの」
    「お迎えに参りました」
    「嘘」
     こみ上げるまま、フィガロは歪な笑いに唇を歪めた。
    「きみが俺を、わざわざ探しに来る義理なんてないじゃない。どうせファウストから命じられでもしたんだろ」
    「いいえ。あなたを軍議につれて行くことがファウスト様から言いつかった俺の役目です。ですから、俺はそれを果たさねばなりません」
    「――ああ、うん。それじゃ、ここまで上がってきたら」
    「恐れ多くも、あなたは我が主の師でいらっしゃいます。視線を同じにすることは出来ません。どうかご容赦を」
    「おまえ、誰に向かって口を利いてるんだ? おまえとの距離をどうするかは、俺が決めることだろう」
     腕を組んで見下ろしていると、レノックスはゆっくりと上がってきた。こざかしい時間稼ぎかと思い、フィガロは頬を張るつもりで彼の周りに光を飛ばした。照らし出されたその姿は、全身が季節外れの薄氷に覆われていた。血の巡りも絶えようとしているのか、氷の下に透けている肌は青黒い。なぜだと不審に思って、やっとフィガロは思い出した。
    「《ポッシデオ》」
     高く飛べば飛ぶほど宙の温もりは消え失せていくため、空を飛ぶには厳重な守護が必要だ。もはや無意識の習慣になっておりそのことを忘れていたけれど、彼のように弱い魔法使いにとっては、最初の高度が己を守れる限界だったらしい。呪文で庇護して体を温めてやると、濡れ犬のようにレノックスは体を震わせて、大きな息を吐いた。
    「ありがとうございます。死ぬかと思いました」
     奇怪な笑顔には他意がない。こいつはどこまで純朴なのだろうかと、呆れながらフィガロは笑った。
    「〈殺されると思った〉の間違いじゃないのかい」
    「なぜですか」
    「無茶を言ったのは俺だから」
     ごめんね。
     己の喉から滑り出た言葉に、フィガロは目を剥いた。自分が誰かに謝るなんて、ここ数百年のうちにはなかったことだ。そんな奇跡をものにしたとは知らないレノックスは、ゆるやかに頭を振った。
    「役目をやり通そうとしたのは俺の勝手です。あなたは、何も悪くありません」
    「……そう? じゃあ、いいや。それで」
     フィガロは、弟子の居る地上を目指して下降した。慌てて先導しようとするレノックスを片手で制して背後に追いやる。今は顔を見られたくなかった。自分は甘やかされているようで突き放されている。レノックスは、ファウストだけを見つめている。死ぬかと思うほどの無理難題への挑戦も彼への忠義のためで、決して己の機嫌を取り、怒りを解くためではない。
    〈何が偉大なる古代の魔法使いだ〉
     あまりの嫌気で薄ら笑いが滲み出る。己はこんなにも弱い魔法使いひとりの心を魅了することも、真の意味で従わせることも出来ない。親代わりの師匠たちの諍いに気付くことも出来なかったし、一番近くに寄り添ったと信じていたオズの心の穴を埋めることも出来ずに放り出された。唯一無二の存在になる筈だった愛弟子は大勢の人間や魔法使いに慕われ、それに相応しい立派な思想をもって、ごく自然な振る舞いとして、英雄然として生き続けている。
     自分は、誰の行動の動機にもなりえない。
     ファウストやレノックスのように誰かのために命を賭けて、何かをしようとしたこともないから。オズのように、近しい者を失った衝撃で全てを放棄し立ち止まったこともないから。スノウ様やホワイト様のように、相手を失うぐらいなら殺してやると振り切るぐらいの熱烈な慕情を抱いたこともないから。それらすべての愛を注げるはずだった、故郷の村を雪崩から守り切れなかったから――だから、いつまでもひとりで、なぜだれも俺を選んでくれないのかと醜い恨み言だけを吐いている。
     地表がぐんぐん迫り来る。フィガロは勢いを落とさなかった。
    「フィガロ様?」
     後ろから痛いほど伝わってくる、心配が温かかった。今だけは彼の眼差しと心遣いとを独占しておきたかった。
    「大丈夫」
     それだけ言って、激突する寸前でひらりと身を躱し、地面に着地する。降り立ったのは狙い通り、司令部を兼ねた天幕の前だ。
     気配を捉えたのか、ファウストが転がり出てきた。
    「フィガロ様!」
    「悪かったね、ファウスト。きみの忠実な従者にほだされて帰ってきたから許してよ」
     背後に立つレノックスをファウストが見て、安堵したように眉を下げた。二人のうちに取り交わされる交感とまたはぐれてしまったフィガロは、肩で風を切るようにして先んじて天幕に入った。招かれるがままアレクの隣に腰を下ろすと、客将とはいえ勝手は困ると、アレクは面と向かってこちらの我が儘を叱責してきた。
    「フィガロ様。あんたはファウストが選び抜いた魔法の師だ。あんたの魔法の腕前には俺たちみんな感服してるし、強い魔法使いが束縛を嫌うことも知っている。だが、俺たちは志を一つにした軍隊なんだ。師の軽率な行いひとつで弟子の面目も潰れてしまう。どうか今後はそこを頭に入れて動いてくれないか」
    「ごめんごめん。恥ずかしながら俺はこの年まで弟子を取ったことが無くてね。俺の言動に、あの子の評価が引き摺られるなんて思ってもみなかったんだ」
     フィガロは嘘を吐くとき特有の軽くなった舌で、彼らの気が済むように詫びの言葉をあれこれと述べた。レノックスは外で歩哨についたのか、ひとりで入ってきたファウストは末席に着いた。アレクとこちらを交互に見て、己が言えることは何もないと悟ったらしく、じっと背筋を伸ばして座っている。
    「さて、じゃあお説教も済んだことだし……ファウスト」
     弟子の名を呼んで、フィガロは彼と席を入れ替えた。
     待っていた間に一通りの根回しが済んでいたのか、軍議はさほどの議論も呼ばずに終わった。
     釈然としない様子のファウストをアレクがなだめ、二人は連れだって退出する。彼らに追いつかないだけの間を置いてフィガロが出ると、天幕の横に立っていたレノックスがすぐさま後を追ってきて、呼び止めた。
    「フィガロ様、少しお時間をいただけますか」
    「いいよ。けど、膝を折ったり跪いたりは無しにして」
     古代の魔法使いを歩き様に呼び止めるなど、まるで人間同士のような気安さだ。そこは遠慮がないくせに、態度に敬意をあらわそうとする不均衡さがおかしかった。
     振り向くとレノックスは、その手に質素な紐で括られた小さな白の花束を持っていた。まさかと思った矢先、彼はそれを両手で差し出してきた。
    「お誕生日、おめでとうございます」
    彼は哨戒の合間に、足元に咲いていた花を摘み取ったらしい。松明の光に照らし出された野の花たちは華やかなわけでもとびっきり美しいわけでもないけれど、見たこともない光彩に縁取られているようで、フィガロにはまぶしく見えた。しかし、性分か喜びより先に猜疑が先に出てしまう。フィガロは質素な贈り物を受け取らず、じろじろと眺め回して詰問した。
    「何だい、これ」
    「あなたは俺の命の恩人ですし、今日という日にあなたの口から誕生日を知れたのも縁だと思いました。ささやかですが、どうかお受け取りください」
    「そうじゃない。えーっと……」
     と、遠い昔のような今夕の会話を思い出してフィガロは言った。
    「誕生日がいつなのか、俺は正解を話していないよね?」
    「ええ。ただ、あのときあなたのお顔には〈どうしてわかったんだろう〉って驚きが浮かんでいたんです。俺の予想は外れていますか」
    「――いや。当たってる」
     やっと受け取りはしたものの、フィガロはそれをどうしたらいいのかわからなかった。とりあえず握り締めて途方に暮れてしまう。祝いの意を伝えることだけが目的だったらしく、レノックスは丁重な礼の後に踵を返そうとした。
     今度はフィガロから呼び止めた。
    「待って。きみが俺の生まれ月を六月だと考えた根拠は聞いたけど、日付の理由は?」
    「……すみません。そっちは勘です」
    「勘? あんなに自信満々だったのに?」
    「はい、フィガロ様」
     あまりに堂々と言い放たれて、フィガロは思わず吹き出した。
    「いいね。そういう大胆なやつって俺は好きだよ。――名前、ちゃんと教えてくれよ。レノックス」
    「ラム。レノックス・ラムです」
     フィガロの中で、かちりと道理が噛み合った。
     名前は呪文のひとつでもあって、きっと彼の家系には羊みたいに純朴で、なおかつどんな環境でも忍耐強く生き抜いていこうとする強靱さが脈々と伝えられているに違いない。そのうちひとつの生命が、うっかり魔法の力を湛えてしまったのだ。
     力の弱さとは不釣り合いの鉄の心を持ってしまった魔法使い。
     一本気な彼の目にはファウストしか映らないのだと思ったばかりなのに、夜の闇に花を探す彼の心のひとかどに、己だけが蠢いていた瞬間が確かにあった。
     フィガロは口の端を釣り上げて、大きく笑った。
    「ありがとう、レノ。お礼におごるよ。酒保に行こう」
    「お待ちください。ファウスト様に伺ってきます」
    「あの様子じゃ、あの子はアレク相手に一晩中疑問点やら何やらを問い詰めるに違いないよ。従者は論議の手伝いまではしないんだろう?」
    「はい……」
    「なら決まりだね。この年になると誕生日がどうしておめでたいものなのかわからないから、きみの視点で教えて欲しいな」
     たたみかけて歩き出すと、レノックスは大人しく着いてきた。こういうところも羊のようだとフィガロは思い、胸の奥がちくちくと痛むのを感じた。手に握られた野生の素朴な花々は古い魔法使いの心の揺らぎに当てられてしおれて散りゆく。散った花弁がひらひらと眼前を流れていくのに、レノックスは文句のひとつも言わなかったし、哀しみも口にしなかった。
     その忍耐を、フィガロはどうすることも出来ない。
     雲が急に晴れて、月の光が天に満ちる。恋心は、夜空に浮かぶ大いなる厄災そっくりだ。時折忌々しいまでに近付いてきて禍を振りまき、己の手で破壊を成し遂げられないまま離れていく。心も体も重なり合えると信じた弟子の眼差しを独り占めできなくなった代わりに、その従者を得ようとしても、静かな拒絶に出会うだけ。
     すべては無駄なあがきだ。
     ファウストとの永遠が潰えるとき、レノックスとの繋がりも途切れる。彼は主人のために最善を尽くそうとする生き物だ。たとえ己がこの軍からいなくなったとしても、必要とあらば主に相応しい魔法使いを余所へ探しに行って、終わりにする。主人のことを〈裏切った〉魔法使いのことは、それきりきっと、考えなくなるだろう。
     そのような言い訳と感情の逃げ道を積み重ねて、フィガロはある日、革命軍を離反した。
     天命とまで感じた弟子との未来はおろか、若き魔法使いたちや人間たちとの縁を最悪の形で絶ちきって背を向け、彼らに纏わる情報すべてから逃げるようにして南へと向かった。
     疲労しきった心を癒やして、誰も自分を知らない場所で、全く新しい生涯を生き直してみたかった。
    〈力が弱いくせに、誰のことも見捨てようとはしない若い魔法使いの振りをしよう〉
    〈レノックスみたいに。純朴な羊みたいに生きよう〉
     神様では無くて、征服者でも無くて、敬われる魔法の師でも無くて、でも大勢に慕われるには医者がいい。
     そうして南の魔法使いとして振る舞うことにも慣れた頃、過去は唐突に、現在の色を纏って姿を現した。
     人気が無くなった診療所の近くで、そのものが空から降り立ったとき、フィガロはなんだか岩石みたいなやつが来たなと感じた。
     魔力がすこぶる弱いくせに鉄心石腸というべきか、一度こうと決めたことは絶対に揺らがせにしない怖い心根の魔法使い――意識の端にちらっと名前がのぼった瞬間、
    「フィガロ様……」
     かすれ声とともに、そいつが扉を叩いた。
    「はーい。どうぞ」
     すっかり使い慣れた呑気な声音で応える。
     ばくばくと早鐘のように鳴る心臓を抑えて、フィガロはその魔法使いを迎え入れた。
     石が備え持つ不屈の精神の艶めきは、孤独と苦悩と罪業に蝕まれていて、見る影も無く荒廃していた。
     レノックスは久闊を詫びることも無く、わっと心を打ち明けた。
    「アレク様によって火刑に処せられたファウスト様を、俺はお救いできませんでした。命は助けられた。でも、御心を守ることは出来ませんでした」
    「あの方は、俺の前から姿を消した。だから、世界中をずっと巡って探しているんです。探して、俺はもう一度あの方のためだけに生きる男になりたいんです。守ると決めたものを守れなかった。本当は、約束破りで死なねばならない命なのに。俺は臆病だから、あれだけ近くに居ながら思いを口に出来なかった。だから約束は約束になり得なかった。今度こそ――俺は、あの方を見つけ出して、あの方だけの魔法使いになりたいんです」 
     フィガロは不思議な思いで、レノックスの告解を聞いていた。この手の激情をぶつけられるのは幼い頃以来だったが抵抗はなくて、むしろ嬉しかった。 ファウストの理想が潰えて、親友であるはずのアレクによって火あぶりにされたと聞いても、レノックスによって救われたファウストが忽然と行方をくらましたと聞いても、愛弟子へ働かれた無体への憤怒も、ずたずたに傷付いたであろう愛弟子への憐憫の情も湧かなかった。
     ただその全てに居合わせたという男が目の前にいて、かつてとはまるで異なる新しい心に生まれ変わっている事実に夢中になった。
     焦がれて得られないものを追い求める様が自分とそっくり同じで〈今なら〉と思った。

     だから、フィガロは言った。
    「ねえ、レノ。きみ、ここで羊飼いをやる気は無い?」



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    karrruko

    PAST2022年2月発行のオズフィガ本〈おまえの名と力にかけて〉より、フィガロが見ていた夢としてのパラロイ部、オズフィガがいちゃついている部分の再録です。

    ・二人は「北の国」の孤児院で育った幼馴染みで、色々あって義兄弟になり、シティに引きとられた設定です。

    ・オズにとってフィガロの夢を叶えることが第一義で、そのためにまずはハッカーとして金を稼ぎ、それを元手にして武器商人になろうとしています。
    「おまえの名と力にかけて」より一部再録 日曜日の早朝、午前五時十五分。
     オズは滲む涙と共に目を開けた。
     視界には夢がなまなまと鮮やかで、我知らず手を差し伸べる。救いたいのは砕けた欠片、ひとりの男の残骸だ。
     ありし日そのままの微細なきらめき。きめ細やかな乳白色とくすんだ青、血の色の赤、冬の海の灰色と大地の緑。正気ではうまく知覚できない奥底に、それら破片たちは荒れすさびぶつかりあって、大きな渦を巻いている。互いに身を砕き、磨り潰しあって、少しでも早くこの世から消滅しきってしまおうとしている。
     だが、そんな凄絶さと裏腹に、あたりには何の響きも聞こえてこない。一切の介入は静寂により拒絶されている。
     無音の内に滅していくのは、望みか意地か絶望か。
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    karrruko

    DONE①7/24無配をベースに、11000文字追加したものです。
    ②フィガロがモブの男娼を買い、彼に抱かれて満足している描写があります。
    ③フィガロがオズの前で酒の印象を伝えようとし、遠回しな性行為の隠喩を行う描写があります。
    ④スノホワ様のキスシーンがあります。
    ふいうち

     燃えるような朝焼けに目を細め、フィガロは森を飛翔した。こんな時間に野外をうろつくなど人間に傅かれて暮らしていた幼い頃以来だったが、ある意味で状況は当時より悪化していた。何せ師匠二人から〈オズの成人祝いを渡す〉という無茶な仕事を命じられているのだ。一度は石にするべきだとも思った弟弟子が、今どこでどうやって暮らしているのか、己は全く知らないと言うのに。

     この厄介な話は、昨晩唐突に降ってわいたものだった。

     高弟としての自覚というか二人から躾られた義理というかで、スノウとホワイトの館から出でて暮らして五年が過ぎても、フィガロは月に一度は彼らの前に顔を出すようにしている。昨晩もその習慣に従ったのだが、食堂に足を踏み入れた途端に嫌な予感に襲われた。テーブルには極上のマナ石と黒みがかったケーキが給仕されている。石はともかく、素朴な見た目のケーキが大いに問題だった。
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