不意打ち1
燃えるような朝焼けに目を細め、フィガロは森を飛翔した。こんな時間に野外をうろつくなど人間に傅かれて暮らしていた幼い頃以来だったが、ある意味で状況は当時より悪化していた。何せ師匠二人から〈オズの成人を祝う〉という無茶な仕事を命じられているのだ。一度は石にするべきだとも思った弟弟子が、今どこでどうやって暮らしているのか、己は全く知らないと言うのに。
この厄介な話は、昨晩唐突に降ってわいたものだった。
高弟の義務というか二人からしつこく躾られた義理というかで、スノウとホワイトの館から出でて暮らして五年が過ぎても、フィガロは月に一度は彼らの前に顔を出すようにしている。昨晩もその習慣に従ったのだが、食堂に足を踏み入れた途端に嫌な予感に襲われた。彼等好みの皿ばかりが並ぶ普段と違ってテーブルには極上のマナ石と、己の好物であるジンジャースパイスを利かせたケーキが精霊の手によって給仕されている。きな臭さを感じ取ったフィガロは念の為マナ石には手を付けず、ぴりぴりとした刺激が後を引くケーキを少しずつ口に運んだが、奇妙な晩餐はいたって和やかに進んだ。
今夜の品揃えはただの気紛れで、用心も無駄に終わったかと思いきや――辞去の挨拶をしようと口を開きかけた瞬間、スノウがいかにも〈今、ひらめいた〉という体でホワイトに話しかけた。
「ホワイト。我らがオズちゃんを捕まえてから、今夜で丁度十四年が過ぎた。あやつは今年十八歳……成年を迎えて二年が経ったと言うに、我らは祝いも何もしておらぬな」
「むむっ! しまったのう。あやつが二年連続でやらかした季節終盤猛吹雪の後始末に追われて、うっかり放置しておったのか」
「そうじゃ。善は急げと言うし、早速取りかからねば」
「じゃが、スノウ。こういうことは当人に一番年が近い身内がやるものじゃろう?」
息ぴったりの動作で頷きあった二人はこちらをじいっと見つめた。
「というわけでフィガロちゃん、我らの代理でオズちゃんの成年祝いに言ってきて!」
「贈り物は我らが用意するから、直接オズの顔を見て〈おめでとう〉と言うだけで良い。兄弟子として腕の見せ所じゃぞ」
双子の〈頼み〉は実のところ抗えぬ命令である。獣があぎとを閉じるまでむざむざ居残った間抜けな己に腹が立ったが、それでも一矢報いようとフィガロは訊いた。
「承るのは良いんですが、一つ気になるんですよね」
「なあに?」
「そんな勿体ぶらずに教えて?」
「一体、何をもってあいつの年齢を計っていらっしゃるんですか? やっと言葉を覚えたかと思えばすぐ外に出て行っちゃったからいまだにあいつの詳しい素性は知れないし……誕生日にしたって、あなた方が勝手に定めてあいつに押し付けただけじゃないですか」
指摘すると二人は左右対象の動きで首を傾げた。
「勝手じゃないもん。星を読んで決めたんだもんねー」
「年齢も、ちゃんと見定めてるもんねー。ていうかあやつの生まれる前と後じゃ我ら魔法使いと精霊の関わり方がまるっきり変わってしまって間違えようがないのじゃ。そなただって、あの晩は妙な声が聞こえると言っておったが、その実はびくついていたじゃろう?」
言った傍からホワイトが、あっと眉をしかめた。
「ごめん! フィガロちゃん。こんな昔話、恥ずかしかったよね?」
「この世にオズちゃんが生まれ落ちた瞬間に、あやつの存在を感じ取って怯えてしまったなんて、傲岸不遜な魔法使いとして売り出し中のフィガロちゃんには相応しくない逸話だもんね」
双子の遠回しな脅しに、フィガロはうそぶいて微笑んだ。
「……なんのことでしょう?」
「ほう……忘れたふりときたか。素直じゃないのう」
「本当じゃ。オズちゃんはすぐ顔に出るからまだ可愛げがある。フィガロちゃんはすぐそうやって格好つけるから可愛くない」
フィガロは重たい瞬きの内に、
大きくなることの何が良いんです?
マナ石として立派に育ってるとか、そういうこと?
可愛がってやっても良いと思っていたのに、勝手に出て行った オズの出て行く自由と己の奪われた故郷の対比 双子が自分たちに落とす影の重み
忘れたどころか、あの春の夜のことはいまだにからだに染み着いている。骨の髄まで染み通る怖気。世界が叫喚しざわめく異様な感覚がひとりの魔法使いの産声だったなど、あまりに神々しく壮大でやりきれない。思い出すと苦痛に唇が歪む。煽るだけ煽った癖にこちらの不調には気付かぬ顔で、双子は空中に古びた酒樽を呼び出した。上質な蒸留酒独特の強い香りに林檎の甘さがツンと立つ。二人は己と違って酒に弱い。けれど年の功というやつか、かなりの目利きであるらしい。
「まあ、それ
++はここだけの話に留めておくとして……フィガロや、これがオズへの贈り物じゃ」
「あやつと共にそなたも祝杯を上げるといい。きっと親密になれることじゃろう」
調子を変えてにこにこと笑う彼等に刃向かってもろくなことにはならない。諦めたフィガロは酒樽を足元にそっと置き、おとなしく訊いた。
「あいつ、飲めるんですか?」
「知らぬ。が、小さな頃から酒に強くなる相は出ておったぞ」
「えぇ……? 適当すぎません?」
「いいのいいの。あと、いかにもな通過儀礼が好きなお年頃じゃろ?」
「我らとそなたからの〈遅れてごめんね!成人お祝い〉だって、ちゃんと伝えるのじゃぞ」
「……〈あなた方からのお祝い〉じゃなくていいんですか。俺、正直お祝いってやつに関心がないというかそういう気持ちが全く持てないんですが。あんなに懸命に世話をしたあなた方や俺に何も挨拶せず出て行ってそれっきりじゃないですか」
前触れもなくオズがこの館を出て行ってからもう八年。双子は何かしら接触を保ち続けているらしいが、一方的に棄てられた気がして気分を損ねたフィガロはそれきりオズの顔を見ていない。生きているのは気配でしれるが、会いにいこうとは思わなかった。
二人は一斉にお説教をはじめた。
「だからこそじゃ!」
「そうそう。こういう細かい積み重ねが命の保証には大事じゃぞ、フィガロちゃん」
「何かと気を配り、大事にしてくれた相手を石にするのは難しかろ?」
「愛も情も、勝手に降ってくるものじゃないからのう。接触と行動あってこそじゃ」
フィガロは今度こそ、皮肉を隠さず嗤った。
「……要するにこれは、善意と愛で装われた命乞いなんですね?」
お仕置き承知の暴言だったが、二人はにっこり笑うだけで答えなかった。
◆
だいたいこの辺、と双子から大ざっぱな助言を受けた森は広大だったが、気配が「ここがオズの居場所」だと確かに伝えていた。精霊たちがオズの魔力に従い、傅いているのが肌でわかる。この場での自分は、彼の許しがないと存在できない些末な命だ。フィガロは箒に乗ったまま、不承不承、魔力を走らせオズに呼び掛けた。
「オズ、私だ。お師匠様方からの使いで来た。迎え入れて貰おうか」
思った通りで応答はない。しばらく待っていると風の流れが変わった。元々が快晴だが、そのうえで微風を抑えつけるほんの少しの痕跡を辿って、フィガロは降り立ち、鬱蒼とした木立を抜けて歩いた。やがて、奇妙な〈小屋〉が見えてくる。板切れや煉瓦が大胆に組み合わさって建てられたそれは、建築知識や構造の理解に疎い者が見本の外見だけをもとに見よう見まねでこね回して作った玩具のようだった。こんな子供の遊びのような家に住んでいるとは思えなかったが、内にオズの気配が濃厚に漂っている。フィガロは扉を叩き、彼の名を呼んだ。
「オズ。私だ。フィガロだ。兄弟子に顔を見せなさい」
きい、と扉が軋んで開く。
現れた見知らぬ〈男〉に対し、フィガロの鼓動は一瞬止まった。
〈……は?〉
ほんの少し、ほんの少しだけだが己より背が高い男の顔をみあげなければならない。陰りを帯びた紅い瞳に、苦しさを抑えるようにぎゅっと引き結ばれた唇が印象的で、長い髪から覗く肩周りはいまだほっそりしてあるが首がしっかりと精悍であり、きっと艶やかな声を出すんだろうと想像がつく。
男が口を開いた。
「……何だ」
「おまえは……オズか?」
馬鹿なことを聞いたものだと思うがそれしか言葉が出てこない。今度は答えがなかった。そうだとは言われず、ただ眉間に深い皺が寄る。早鐘のように鳴る心臓を兄弟子の誇りと威厳にかけて抑えつけフィガロは微笑した。
「八年ぶりだ。随分大きくなったな」
「……おまえは小さくなったか?」
「そんなわけがあるか。私の外見はもう変わらない。おまえの背丈がぐんと伸びただけだ」
無礼だと怒る気もしない。黙り込むオズの前で空白が落ち着かず、フィガロはまたすぐ口を開いた。
「スノウ様とホワイト様は子供の姿で過ごしてらっしゃるから、こんなに近しく成人姿の同性を眺めるのは新鮮な気持ちだな。すまない」
〈なぜ謝る!?〉
などと己に疑問を抱いてみても始まらない。己は激しく動揺し、混乱している。驚いている。思わぬ再会に耳まで熱くなるほど恥じらい、喜んでいる。歳月がひとを、魔法使いを子供から大人に育てるということをこれほど鮮烈に感じたことはなかったし、恐ろしくて憎らしくてなぜか不憫だと感じさえしていた若い命ーー幼さだけが目立つ子供はもうおらず、魔力の成熟に向かう男がいるだけだと言う現実に心が躍って仕方がなかった。
〈こんな不意打ちもあるものだな〉
フィガロはにっこりと笑みを大きくした。
「おまえは十八歳になったのだろう。十八歳といえば成人だ。スノウ様とホワイト様……それに私からの祝いがあるのだ。儀式も兼ねて共に飲もうではないか」
終