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    karrruko

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    karrruko

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    2022年2月発行のオズフィガ本〈おまえの名と力にかけて〉より、フィガロが見ていた夢としてのパラロイ部、オズフィガがいちゃついている部分の再録です。

    ・二人は「北の国」の孤児院で育った幼馴染みで、色々あって義兄弟になり、シティに引きとられた設定です。

    ・オズにとってフィガロの夢を叶えることが第一義で、そのためにまずはハッカーとして金を稼ぎ、それを元手にして武器商人になろうとしています。

    「おまえの名と力にかけて」より一部再録 日曜日の早朝、午前五時十五分。
     オズは滲む涙と共に目を開けた。
     視界には夢がなまなまと鮮やかで、我知らず手を差し伸べる。救いたいのは砕けた欠片、ひとりの男の残骸だ。
     ありし日そのままの微細なきらめき。きめ細やかな乳白色とくすんだ青、血の色の赤、冬の海の灰色と大地の緑。正気ではうまく知覚できない奥底に、それら破片たちは荒れすさびぶつかりあって、大きな渦を巻いている。互いに身を砕き、磨り潰しあって、少しでも早くこの世から消滅しきってしまおうとしている。
     だが、そんな凄絶さと裏腹に、あたりには何の響きも聞こえてこない。一切の介入は静寂により拒絶されている。
     無音の内に滅していくのは、望みか意地か絶望か。
     オズにはそれがわからない。
    「フィガロ」
     唇から男の名が零れる。
     行き着く先を知りようもなかった二千年の日々。
     無数の記憶が迫り、慟哭が胸を焼く。

     おまえの手は虚無に繋がれ私を求めることもない。
     それでも、これは確かに愛だとおまえは言った。
     だから私は泣いているのだろうか。

     目尻から涙が溢れた刹那、宙に伸ばした左手首のブレスレットが鈍く震えた。連動して寝室に灯りがともり、カーテンが開く。小さなあくびと共に熱い雫を拭ったその一瞬で、オズは夢を見たことさえ忘れてしまった。習慣化した無意識で腕輪のプレート部に目をやると、メッセージの標題に続き、送り手の署名が浮かび上がった。唇が綻ぶ。仕掛けは上々で、ターゲットは罠に掛かった。それでも念には念を入れようと、自作の機械知能に呼びかける。
    「コンピュータ」
    『――おはよう、オズ。待望のお返事が届いたよ。読み上げようか』
    「送信元の検証が先だ」
     笑顔さえ見えそうな声調で、機械は答えを寄越した。
    『心配無用だよ。今のは間違いなく、海の向こうからのお届けものだ』
     この世で一番愛おしいものの振る舞いを模倣させているとはいえ、これはいかにもやり過ぎだ。オズは溜息と共に問いただした。
    「具体的に言え」
    『通信経路が偽装された痕跡はない。正真正銘、中央連邦の政府支援室が送り手だ。狙い通りに進んでよかったな』
    「データはどうだ?」
    『問題ないよ。センターと各人の端末にお邪魔してるけど、セキュリティの根っこを押さえてるからテキストも映像も取り放題だ。手書き文字についても動作からの推測トレースを実行してる。おまえに役立ちそうな文脈が幾つかあった。マークしたから見ておいて』
    「それは後回しでいい。現時点までの記録を対象に横断解析を行い、私に繋がりそうな情報だけを抽出しろ」
    『……了解。ハッカーの《オズ》の話題はオッケーで、武器商人のオズについてはアラートを出すってことだよな。量が少し多いから……処理に三分はかかるけど、いい?』
    「かまわん。やれ」
    『はーい。じゃあ顔を洗っておいで。待ってるからさ』 
     どちらが主人かわからない馴れ馴れしさに辟易しつつ、オズはバスルームに向かった。機械知能は恐ろしいほど人間の意識を再現し、時には〈ひと〉らしい思考の歪みさえ生成してみせる。特に明確なモデルがいるせいかもしれないが、肉体を持ったアシストロイドがもてはやされるのもこういう理由かと、今更ながらにオズは技術の肝を噛み締めた。
     ゆっくり手入れをして戻ると、〈待ちくたびれたよ〉というノイズとともに虚空にディスプレイが起動し、ワードマップが表示された。
    『はい。どうぞ』
     オズはざっと目を走らせた。こちらからのメッセージを受信して以降、かの国の中枢で武器商人オズに繋がりかねない会話は出現していない。滑り出しは上々という所だろう。
    「結果を保存。メッセージを開封し、読み上げろ」
    『了解。……〈親愛なる博士。この度は、我が国を未曾有の危機より救ってくださりありがとうございます……〉』
     ターゲットは、セキュリティ研究の第一人者であるボーム博士へ熱烈な賛辞を寄せている。
     二日前、オズはその道では名の知れた《ハッカー・オズ》として中央連邦政府に全インフラの統御を乗っ取ると脅しをかけ、莫大な身代金を要求した。既にオズの制御下にあった連邦下の機械知能たちは、人間から解決策を求められると口を揃えて「南共和国のボーム博士へコンタクトをとれ」と提言した。通信を窃取し、博士になりすまして依頼を受けたオズは、防備と称して連邦中枢部に取引の種を仕込んだ。そうして迎えた期日、ハッカー・オズとの攻防の末、ボーム博士はボットが管理する架空のアドレスを〈これがハッカーの正体だ〉として雇用主に提出し、勝利を宣言した。
     そんな自作自演の一幕に、標的が気付いた様子はない。本来の目的を果たすべく、計画を進めても何ら支障はなさそうだった。ちらっと時計を見る。中央連邦との時差は十五時間。あちらはまだ昼の二時で、本会議の散会まであと一時間半というところだろう。
    「コンピュータ。次のオーダまで待機しろ」
     吐息に似た電子音とともにシステムが停止する。
     オズは髪に手を差し入れた。ふくらはぎまで届く髪はずっしり重たい。うなじで一つに結び、そろそろあいつの望む長さになっただろうかと顔を思い浮かべた途端、彼一人のために敷いた回線に着信が入った。
    「フィガロ?」
     慌てて応答する。宙にディスプレイが再び開き、模倣物とは比べようもないほど情感に満ちた声が名を呼んだ。
    「おはよう、オズ」
     オズは息を呑んだ。薄暗い画面の中、恋人の顔が大写しになっている。強張った頬と汗に濡れた前髪が、彼が起き抜けに己を求めてきたことを知らせる。
     息を潜めて、オズは窓を見やった。朝ぼらけの街は厚い雲に覆われ、ビルの谷間に淀んでいる。月が今、どんな有様なのかはまるでわからない。状況が掴めない事への苛立ちをオズはそのまま声に塗した。
    「おまえ、まさかまた夢を――」
     問いかけは、ざらざらした笑い声に阻まれた。
    「何でもないよ。せっかくの休みなのにすっかり目が醒めちゃっただけ。おまえも、もう起きてるだろうなと思ってコールしてみた」
     フィガロの両目は、声を後押しするかのように笑みの形に閉じている。
     寝室の様子をオズは脳裏に思い描いた。光度を絞ったフロアランプが照らすキングサイズのベッド。独り寝には大きすぎる寝台の真ん中に、恋人はぽつんと仰向けになっている。その横に居てやれたのなら決してこんな顔はさせないのだが、このツールでは音声と映像だけが通じ合い、肉体同士の接触は叶わない。
     オズはもう一つの懸念を切り出した。
    「薬はどうした」
    「飲んでる。この間、おまえに散々叱られたから新しいのも出して貰った。でも習慣の力って根強いじゃないか」
     同意を求めるようにフィガロが唇の端を釣り上げる。日々この時間に嫌でも目が覚めるのはお互い様なのだが、オズは自分を棚に上げ、ぶっきらぼうに言い捨てた。
    「処方を増やしてもらえ」
    「そんな大げさな話じゃないって。良質な生命活動の維持に足る睡眠は確保してるし」
     からかうような微笑の消え際にフィガロは言った。
    「一つ訊いていいか」
    「なんだ」
    「おまえの伝手って、堅気にも繋がってる?」
     唐突な話題の裏を、オズは注意深く探った。
    「……辿れば行き着く。それがどうかしたのか」
    「九才の子供が大人とどういう話をするのか、集団のサンプルが欲しいんだ。当てがあったら紹介してくれない?」
    「なぜ」
    「ちょっとした仕事の下準備に使いたいんだ」
    「ラボの従業員にアンケートでもとればいい」
    「それも考えたけどさ。サンプルにしちゃ属性が偏りすぎるかなって」
     フィガロはもどかしそうに首を振った。
    「地域教育を支援してるボランティアとか、そういう団体が一番ありがたいんだけど……心当たりない?」
    「ないな」
    「あ、そう……」
     あーあ、と彼は大きな溜息を吐いた。
    「世界最強のハッカー・オズ様なら何でも叶えてくれると思ったんだけどな。しょうがない。リサーチ会社に発注かけるよ」
     勝手にモデルにした機械知能を本人の前で披露するのも気がひけて、オズはデスクにつき、キーボードを叩いた。議会のデータベースをハックし、内部資料をざっと眺める。
    「ひと月前に、プレップ・スクール三学年の生徒が議事堂の見学を行っている。この記録で事足りそうか」
     大きな瞬きの後、フィガロは満面の笑みを浮かべた。
    「もちろん! いやー、助かるよ。悪いけど、いつものアドレスに送ってくれる?」
    「……わかった」
     恋人のことは信用しているが〈仕事〉の作法として、小さな生徒たちに累が及ばないよう声紋を取り除く。そうしながら、オズはフィガロの急所を突いた。
    「渡す前に目的を聞かせろ。まさか、あの二体を完全な子供にしてしまうのではないだろうな」
     硬質な空白の後、フィガロは仰々しく目を泳がせた。
    「なんのこと?」
    「とぼけるな」
     問い詰めると、彼は両眉を上げた。
    「スノウ様とホワイト様には関係ないよ。あの二人の見かけをいたいけな子供にしたのは余計な詮索を躱すためだし、二人の中身は死に際の大人そのものじゃなきゃ、意味がないからね」
    「では、なぜこんなものが要る?」
     じっと睨む。フィガロは根負けしたように目を伏せた。
    「テレビの新しい企画だよ。おまえは観てくれてないんだろうけど、俺はフォルモーント・ニュースへの月イチ出演を地味に続けてるんだ。記事執筆との相乗効果か、最近特に出演回の評判が良いらしくてね……子供向けに新しく始める教育番組に出て欲しいって、理事会経由で話があったんだ」
     と、彼は二度目の溜息を吐いた。
    「うちの理事長のこと、おまえもなんとなくは知ってるだろう?」
    「……ああ」
     オズは小さく頷いた。直接的な親交はなく、行きつけのバーで時折見かける程度だが、それでもあの奇才は強烈な印象を与えてくる。
     稀代の天才科学者にしてハイクラス随一の資産家であるムル・ハート。フォルモーント総合研究機関の理事長を務める彼はアシストロイド研究の祖でありながら、生身でのコミュケーションが何よりも好きでアシストロイドには興味がないと開けっぴろげに語ってやまない。
     まさしくフィガロにとっては天敵のような相手だが、研究者としては尊敬の念を抱かざるを得ず、無下には出来ないのだろう。そんな事情が、人付き合いに疎いオズにも想像は付いた。
    「最悪だったよ。役員専用の会議室に生身で呼び出されてさ。頑張って行ってみたらあの人は不在で、理事のお歴々がずらっと並んで俺を待ってた。〈番組に出るかどうかはガルシア博士の気持ちで決めて良いよ!〉っていう言付けは受けたけど、あの人は根回しってものを一切しないから、無言の圧力が凄くて……」
     はあ、と恋人は三度目の落ち込みを見せつけ、派手な告知ビジョンを画面の縦半分に写しだした。
    「ラボがスポンサーにつくとまで聞かされたら……もうやるしかないよなあ。表向き、俺は広報活動を楽しんでることになってるしさ」 
     オズは信じられない思いで、番組タイトルと思しき一文を読み上げた。
    「〈ガルシア博士の! 好き好き大好き! アシストロイド!〉」
     フィガロはぷっと吹きだした。
    「おまえの声だと、お気楽な文章でも難解なコメディに聞こえるね」
    「……どういう内容なんだ、これは」
    「えーっと……はい、ここ。番組概要だって」
     長細い指が動き、下部の段落が拡大された。
    『記者に扮した子供たちが博士を取材し、アシストロイドにどのような技術が使われているのか、解説を受ける形で番組は進行します』
    『初回は特別三十分編成! ガルシア博士はどんな人なのか、前半で特別インタビューを行います。そこで番組では、出演者を大募集! 博士とお話しが出来るチャンスです!〈僕たちぐらいの年の頃、博士はどんな風でしたか?〉とか〈未来の自分について、その頃はどんなことを考えていましたか〉などなど、聞きたかったことを聞いちゃいましょう!』
     オズはゆっくり首を振った。
    「今からでも断れないのか。深入りされると厄介なことになるぞ」
     シティのID所持者なら誰でもアクセス可能な名鑑に記載されている〈フィガロ・ガルシア〉の経歴は嘘ではないが、その来歴の背後に何が潜み、何が今の彼を形作っているのかは二人しか知る者がいない秘密だ。
     告知が消され、画面の比率が戻る。前髪を手櫛で梳かしつつ、フィガロはぼんやり笑った。
    「まあね……でも、俺のやりたいことをやるにはラボが最適なんだ。それに次の人事で部長昇格も見えてきてるし、スノウ様とホワイト様の器もようやく出来た。いよいよ準備が整ったっていうのに、ちっぽけな過去のために大きな未来を手放すなんて馬鹿げてるじゃないか」
     吐き気のようにこみ上げてくる叱責を呑み込み、オズはフィガロの望むデータを無言で送った。
     あ、と驚きの声を上げてフィガロが俯いた。
    「ありがとう。おまえのそういう、なんだかんだ言って優しいところ、すごく好きだよ」
     軽い調子で好意を口にした彼は、カメラの前に右手首をかざして見せた。
     オズが着用しているものよりも一回りは細作りなブレスレット。そのプレート部が淡く光っている。白い指先が触れ、音声が画面越しに響く。個性を奪われ均一化された声は、高い周波数のわりに味気ない。早々にフィガロは再生を止めた。
    「思ってたより会話が幼いなあ。俺たちがこれぐらいの頃って、何て言うか……もっと深刻ぶってなかった?」
    「さあな。覚えていないがこんなものだろう」
    「へえ? 一時的な混乱はあっても、記憶の一貫性は保ってると思ってたけど。スノウ様から忘れるように言われたのかな」
     彼がからかうような声を出す。口にする野心と裏腹に、背後からのしかかる過去にフィガロが溺れていくような気がして、オズは強い口調で言った。
    「終わったことだ。今更振り返っても意味はない」
    「意味はあるよ。育った場所って意味なら、あの孤児院こそが俺たちの故郷なんだし」
     ふっと、彼は笑いを崩した。
    「崖の上にあって、海が近かっただろう。夜の海は真っ暗で何も見えなくてさ。あそこに呑み込まれさえすれば何もかも終わりに出来るんだって気付いた瞬間、俺は安らぎってものを知ったね」
     指の腹が、服越しに硬質な感触にぶつかる。オズははっとした。無意識でまさぐっていた左鎖骨の下。どうやっても消えない黒い痣は、まさにあの場所で刻まれたものだ。
     自身の思いに魅せられているフィガロは、オズの狼狽には気付いていないようだった。
    「……俺たちの他にも生存者って居るんだっけ?」
     二十年以上も経ってからようやく、そのことに思い至ったかのように彼は眉を顰める。
    「いや」と、オズは声のかすれに気付きつつ、どうしようもないまま続けた。
    「私とおまえだけだ。詳細を知りたければニュースのログをあされ。幾らでも記録されている」
    「ふうん……? ちょっと見てみようかな」
     うつ伏せになったフィガロがもう一度端末を操作する。センセーショナルな見出しが画面を所狭しと泳ぎ回り、アクセントも完璧な合成音声が記事を読み上げた。
    『……月……日、共和国連邦北部管轄区レディヤノイの孤児院にミサイル弾が落下』
    『生存者である孤児二名はいずれも瀕死の重傷を負い、国際機構の支援により、フォルモーントシティに亡命。培養臓器移植のエキスパートであるスノウ・……と、神経調整学の権威であるホワイト・……の両博士が専任で治療に当たることが公表された。なお両博士の所属先であるフォルモーント総合研究機関広報部は〈社会貢献の一環として二人の治療費や社会復帰にいたるまでの生活費を全面的に負担する〉と声明を発表した』
    『中央連邦北部第一基地は会見を開き、発射されたミサイル弾は同基地より交戦区域の燃料倉庫を狙ったものであると発表。区域外の民間施設への落下については、共和国軍防衛部が飛行中のミサイルの航行システムに介入し、経路補正を行ったことが原因だと主張した』
     舞い踊る情報の嵐がぴたりと制止し、かき消えた。
    「なるほどね」
     フィガロはそれっきり黙り込んだ。オズは唯一、過去を分かち合う者として、彼の心中を見たように思った。
     広がり踊る文字のひとつひとつに、まだ始末し切れていない感情が絡まりもつれて埋まっている。その途方もなさが自分たちから声と言葉を奪ってしまう。
     物心ついたときには、傍に戦争があった。
     この孤児院にいる子供はみんな、中央連邦という国が仕掛ける〈世界征服〉という企みにより故郷も家族も奪われて、ここに来るしかなくなったのだと周囲の大人たちから何度も何度も聞かされた。
     だがオズはその事実に何も感じなかった。記憶の始まりがフィガロの顔とともにあり、それ以外は何もわからぬ身にとっては、顔も知らない親や居たかも知れない家族よりも現在の暮らしの方が大切だった。
     忘れもしないあの日の朝――講堂の裏窓に突如刻まれた妙な模様を誰の仕業だろうかとフィガロと二人で眺めていた刹那、冬の雷を何千倍も強くしたような光の塊が落ちてきて、オズは咄嗟に虚空に手を伸ばした。そこにある筈の何かを掴めれば、今ここにあるものを守り切れるのだと、刹那の内に妙な実感が湧いた。
     前触れもなしにふりかかってくる理不尽な暴力、圧倒的な力の奔流に一方的に焼き尽くされるのではなく、この身をもって立ち向かえるはずだと思った。
     本当の自分なら、出来るはずだと――。
     結果はニュースが伝えるとおりでオズは何もなせず、死にかけの子供として意識のないままフィガロと二人、フォルモーントシティに運ばれた。降り注いだ光量と影の具合か、孤児院の窓に出現した妙な模様――百合の花を模したとおぼしき紋章は二人の体に黒い痣として焼き付いてしまった。
     得体の知れないものが己の意思とは無関係に身体の一部となっているのにもオズはいまだに慣れないのだが、フィガロは気にしないようだった。
    「だって、そんな昔のことはどうでもいいからさ」
     そんな口癖の裏にあるものを、オズは既に知っていた。
     フィガロは自己を脅かすものすべてを〈昔〉の一言に押し込めている。大きな力が企んだ世界征服とやらに巻き込まれて故郷が失われてしまったことも、新しい居場所を与えてきたのに、互いに殺し合っていなくなってしまった養親である双子たちのことも、すべて同じ〈昔〉の言葉の元に葬られている。
     過ぎ去った時間のことなどどうでもよく、今ここにある自分の思いだけが大切だと言わんばかりの振る舞いと、過去に生じた欠損を埋めるためだけに未来は存在するのだと固く信じる虚しい情熱。そんな二重性に目が暗み、自分を突き動かす衝動がどこから来るのか、見失った彼は自らの命をぼろぼろにしていく。
     フィガロの行き着く先はどこなのか。わからないが、それがたとえ地獄でも彼と共にあることをオズは正義とした。
    「……オズ。眠いのか」
     呼びかける彼は怪訝な顔をしている。物思いから醒めたオズは首を横に振った。
    「俺の話は退屈?」
    「そうではない。ただ、久しぶりに考えていた」
    「何を」
     オズは咄嗟に、偽りを口にした。
    「あのとき二人とも死んでいたら、どうだったかと。生死の分かれ目はなんだったのかと思う」
    「――死ぬ? おまえが? ありえないよ」
     何が気に食わなかったのか、フィガロは妙にうわずった声で言い換えた。「私が死ぬ」のではなく「私とおまえが共に死んでいたら」という仮定の話だと言い返そうとして、オズはやめた。それを伝えてしまうと、じっと瞠られた眼の中、緑色の瞳孔がぴしぴしとひび割れていきそうだった。
     オズが躊躇した一瞬で、立ち直ったフィガロは唇いっぱいに笑いを湛えていた。
    「まあ、でも、そうなってたらこの街にとっては痛手だったね。世界最強のハッカーと新進気鋭のアシストロイド研究者はどっちも耳目を集めるし、そもそも俺たちはこれ以上ないほどいい実験体として滅茶苦茶有意義なデータを残せただろうし」
     どんな無茶な治療をやったって、縁もゆかりもない死にかけの孤児には文句を言ってくる人間がいないものなと、フィガロは言い、おまえも笑えと誘うように見てくる。
     オズは再び黙りこくった。声を引き出したいのか、フィガロは益体もないことを問いかけてきた。
    「ニュースで見る限り、おまえのターゲットって中央連邦絡みが多いよな。それってやっぱり恨んでるから?」
    「違う。栄えている国は蓄えている情報も多い。それだけだ」
    「そっか。まあ、俺もそこはどうでもいいんだけどさ。俺の分もおまえが感傷的になってくれてたら釣り合いがとれるかと思ったのに」
    「おまえの気持ちの始末を私に押しつけるな」
    「えぇ? つれないこと言うなよ」
     フィガロのおしゃべりはまだ続きそうだった。ディスプレイを宙に残したまま、オズは通話機能をブレスレットに振り替えてクローゼットルームに向かった。シティのメインシステムより日々勝手に拝借している天候運用データを眺めて薄手のニットを手に取る。今日から明後日にかけては例年並みの気温が設定してあり、雨は予定されていなかった。
     選び終えるのを見透かしたようにフィガロが言った。
    「おまえ、〈オズの魔法使い〉はもう読んだ?」
    彼は答えを知っているくせに訊いてくる。灯りに組み込んだマイクロスピーカーから降る響きには余裕がありすぎて、何を仕向けられているのかが見抜けない。
     彼に届かないのを承知で、オズは天井を睨んだ。
    「読んでいない。これから先もその気はない」
    「ふうん……じゃあ、あれがシリーズものの話ってのも知らないよな。実験の待ち時間にちょうど良いかと思って手を出してみたんだよ。オズって男は一巻目では情けないけどそこそこ良いやつそうに思えるのに、二巻目で性悪な面も描写されて一気に悪者みたいになるんで驚いた」
     それで調べてみたんだけどね、とフィガロは話を継いだ。
    「オズって響きは、古代の言語では曙光をもたらす女神を指したんだって。そこから枝分かれした語族でオーロラを指す単語として定着したり、先祖帰りしてもっと汎用的な神の意を得るようにもなったらしい。そんな複雑な由来だから〈魔法使いのオズ〉にはつかみ所がないのかなって思ったんだけど、そこのところはどうなんですか、オズ様?」
     問いかけを無視してオズは訊いた。
    「その物語は二巻で完結するのか」
    「ううん。まだ続くみたい」
    「では最後まで読め。それから考えろ」
    「はいはい。……でもさ、オズ。おまえ、死んだ母親に少しも興味が無いわけ?」
    「なんだ、突然」
    「俺は乳児院の前に棄てられてて、フィガロって名前も福祉官が人名辞典から適当にとったそうだけど。おまえは違うだろ? ワークハウスでおまえを産んだ母親は、おまえに名前を贈って死んだって聞いたよ。多分だけど、この物語なり映画なりが好きな人だったんじゃないのか」
    「だとしても、私には関係の無い話だ」
    「そう? 人となりを掴むいい手がかりなのに」
     フィガロは急に話題を変えた。
    「名前と言えばだ。おまえ、なんで本名丸出しでハッカーやってるんだっけ? オズといえばみんなあっちの魔法使いを連想するから、まさかそれが本名だなんて思われてないだろうけど……そういう算段だったりする?」
     むっとしてオズは答えた。
    「違う。私は、私自身の名を出しているのに、それを通称だと受け止める人間が多いだけだ」
    「まあね。普通、悪事は身を隠してやるものだから」
     恋人は苦笑した。 
    「スノウ様とホワイト様の遺産は俺と仲良く半分こにしたし、それがなくたっておまえはフリーのエンジニアとして引く手あまたなんだから金には困ってないだろう。どうしてわざわざ危ない橋を渡るんだ」
     やけに回りくどい話の目当てはこの問いだったらしい。履き慣れたレザーローファーに足を滑り入らせて、オズは言い捨てた。
    「説教なら不要だ」
     フィガロはのんびりした口調で言いつのった。
    「そんなんじゃないって。俺のやりたいこともぐちゃぐちゃして汚いからね。穢れたもの同士、なんでかなって興味があるだけ」
     姿の見えない恋人の代わりに、鏡に映る己自身をオズはねめ付けた。
    「――私が真にやりたいことをやるためには、シティの統制外で流通する金が必要だからだ」
     へえ、とフィガロが身を乗り出す気配がした。
    「それ、初耳だな。やりたいことって何」
    「……おまえの……」
     答えるべきなのか、生じた迷いを救うかのように、壁に設置したアンティーク調の有形ディスプレイが起動し、明るい女性の声を響かせた。
    『ハーイ! ヂェンです。素晴らしき日曜日の朝、市民のみなさんはいかがおすごしかしら。フォルモーント・ニュース特別編、今月は沢山のリスクエストにお応えしてアシストロイドの権威、フィガロ・ガルシア博士のインタビューを四週にわたって振り返ります』
     情報警邏用にセットしているキーワード〈フィガロ・ガルシア〉に反応したシステムをオズは即座に停止させたが、渡していた緊急時用パスワードでフィガロが回線に割り込んでくる。止める間もなく、彼は自分の手元で着けたテレビをオズのディスプレイへ投影させてきた。
    『これまでの出演回数はのべ八十回! 今日は初回から二十回目までの選りすぐりです。初めてこの番組に出てくれた十年前、彼はまだ博士号課程の学生で、商用アシストロイドもいまだ存在しない時期でした』
     顔立ちが幼く、今にも失神しそうなほど血の気が引いている大学院生時代の恋人が映る。情動刺激が過大な負荷となる彼の持病を知りながら、当時の指導教官が〈行動こそ薬だ〉と言い張り、論文受領と引き換えにこの番組への出演を引き受けさせた――そんな古い記憶がオズの脳裏に浮かび上がった途端、投影が止んで現在のフィガロが画面に戻った。
     枕に右頬を埋めた彼は大きく眉を顰めた。
    「……なんかさ……十年前の方が疲れて老けて見えるって言うか……今の俺の方が元気だよな?」
     テレビに割り込まれる前の会話は途切れたまま、いずこかへ消えたようだった。装われた快活さにオズは身を任せて言った。
    「おまえは年をとった。だが、顔色は今の方が良い」
    「褒め言葉として受け取っておくよ。あーあ……〈再放送時は許諾をとること〉って、契約に盛り込めば良かった。それなら補正を頼めたのに」
    「今からでも交渉したらどうだ」
    「うーん……でも昔と今と大きなギャップがある方が〈塞ぎがちだった学生がアシストロイドという理想の友人を手に入れて、こんなに元気になりました!〉って説得力が出るかもな……ていうか、オズ。俺の出てるニュース、チェックしてくれてたんだ。なんで黙ってたの?」
     オズは画面を横目で眺めた。今度はこっちが急所を衝く番だとばかりに、フィガロの唇の端はにやにやと釣り上がっている。
    「見ていないとは一度も言っていない。おまえが誤解していただけだ」
    「ふーん。でもおまえ、訂正しなかったんだから誤解も何もないだろ。照れ屋だなあ……」
     楽しげな微笑みが消えないうちにフィガロの瞼が合わさる。今更、睡眠薬の効果がぶり返したのだろうか。部屋に差す暖色の光がかえって彼から生気を奪い、青ざめて見えている。
     彼が眠るまで通信はこのままにしておこうと、オズはしまい込んでいた薄灰色のマフラーをとりだし、ブラッシングに励んだ。それはフィガロからの何度目かの贈り物で、端に赤い糸で刺繍してあるイニシャルがいつまでも見慣れないのだが、何より肌触りが気に入っていた。
     ディスプレイの向こう側は静寂に包まれている。
     もう眠ったかと画面を見上げたとき、ぱちっと目が開き、先程より随分ぼうっとした声でフィガロは訊ねた。
    「今日、来るよな?」
     オズはためらいのあとに答えた。
    「――いいのか」
    「いいから誘うんだよ。恋人との甘い逢瀬に面倒な話をしたくないから今のうちに片付けておいた俺のいじらしさ、伝わらなかった?」
     冗談めいた言葉をオズは受け流し、身仕舞いを終えた。
    「ひとつ、仕事の始末を付けてから行く」
    「どれぐらいかかりそう?」
    「二時間ほどだ。出るときに連絡する」
    「ありがとう。二度寝して気付かなかったら悪いから、解錠コードを送っておくよ」
     と、フィガロは腹ばいになって左腕を伸ばした。灯りがついてまばゆい光が室内を照らす。
     カメラの追尾設定がおかしいのか、一瞬の乱れの後に画角が広くなり、彼の首から下が映り込んだ。
     衝撃で歪んだ視界を、オズはぐっと唇を噛みしめて正した。子供のように叫ぶのでは駄目だ。落ち着いて、指摘しなければいけない。
     心の中で三つ数えて口を開く。吹き上がった途端に凝固したマグマのように、でこぼこした赤黒い声が喉を擦りながら出て行った。
    「薬を変えても、駄目だったんだな。夢は続いているのだろう」
    「ん?」
     慌てた声と共に、フィガロがレンズをのぞき込む。幼い頃からの癖で、彼は窮地に陥ったとき、苦しげに顔をきゅうっとしかめて微笑する。その顔が虚空に咲いた。
    「ばれた? おまえが来るまでに隠すつもりだったのに」
    「誤魔化すな」
    「大丈夫だって……だいたい、こんなの見かけ倒しなんだよ。本気でやるなら首の骨を折れば良いのに、毎回そうはなってないだろ?」
     彼は悪ふざけのように人差し指で首筋を叩く。そこに鬱血して残る手の形と血の滲む爪痕。夢に蝕まれた彼が自らの手で自らの息の根を止めようとした証だ。
    「……いつか、やり遂げるかも知れない」
    「いつか、ね。そう言い続けて二十五年ぐらい経ってない? おまえ、昔から心配しすぎ。これは周期的なものだから、上手く付き合えば問題ないって幾ら言っても聞かないし」
     オズは息を荒げた。先程眺めた天候データ――目をそらしていた部分が、意識の底からくっきりと浮かび上がってくる。シティを守る天蓋の外で巡る太陽と月。今夜は月齢十五の満月だ。人工の空には夜明けまで雲一つなく、忌々しい月がよく見えることだろう。
    「今日は泊まる。いいな」
    「いいよ。明後日まで休暇をとってるし、好きにして」
     ブレスレットに柔らかな光が灯った。
     鍵が保管されたのを見届けて気が済んだのか、フィガロは「じゃあ」と右手を上げた。気が気でないこちらの心中を見抜いたのか、彼はあくびまじりに一つ頼み事をした。
    「ついでにって言ったらなんだけどさ。コーヒーフィルターが切れちゃった。八時半になったら店も開くから、お使いを頼むよ」
     つまり、その時間までは来るなと言うこと――宣言通りに予定をこなしてからにしろと言うことだ。オズは、仰臥した恋人の目を凝視した。長く密に生えそろった睫毛が咬み合って、心の内を湛える眼球を肉の薄い瞼に閉じ込めている。神経の交叉が描くのは生と死のどちらなのか知りたいと希求した瞬間、骨の目立つ尖った肘が宙に突き出て、前腕が唇に被さった。
    「なに?」
     くぐもった声と同時に顔がこちらを向き、目が開いた。
     見たいと願った眼球がすぐそこにあるのに、オズはそれを見なかった。
     血の色が透けた薄桃色の下瞼しか見なかった。
    「抱くぞ」
     粘膜のぬるみ潤むような色味は、平常で露わな部分も、隠されている秘部も同じだ。口腔の中も、深い抜き差しの度に裏返しにしてしまいそうなはらわたも。
     うわあ、と賑やかな声が上がり、画面の中でフィガロがまた腹ばいになった。
    「どういう心変わり? おまえ、いつもそういうこと言わないじゃない」
    「口にしたくなった。駄目か」
    「……駄目とかじゃなくて。柄じゃないよなって」
     長々しい溜息を吐き、フィガロは枕を顔に押し当てた。そのままじっとしていられると、拒否されているようで怖くなる。
    「死ぬな、フィガロ」
    「――死なないよ。第一、月と夢に殺されるなんて死因として馬鹿馬鹿しすぎる」
     枕を跳ね上げ、機嫌の悪い猫のように彼はのっそりと寝台から下りた。
    「びっくりしたおかげで目が覚めちゃった。少し泳いでくるよ。その後うだうだしてるから、連絡は要らない。着いたらさっきの鍵で勝手に入って来て」
     喋りながらフィガロはコンシェルジュ・ツールを呼び出した。彼が暮らすペントハウスは、住人専用のスイミングプールを屋上に設けている。そこで過ごした夏の夕暮れは確かに快適だったが、今は寒くて堪らないだろう。
    「本気か? 凍えるぞ」
    「大丈夫。今は屋内仕様になってるんだ」
     フィガロは泳ぎが特別得意な訳ではないが、水に沈むのをやたらと好む癖がある。不安に駆られてじっと見ているこちらにはおかまいなしに、プールの貸し切り予約を終えた彼はドレッシングルームの扉を開けた。追尾設定の範囲を狭くしているのか、レンズはその背を追わない。主が消えた寝室の奥で、衣類がかすかに肌と擦れて滑り落ちる音がする。カメラのマイクと彼の右手首に嵌まったブレスレットの二つが集音するそれは遠いようで近く、見知らぬ蝶の羽ばたきのように聞こえる。
     オズは音を追って、恋人の姿を想像した。隣接するバスルームの、洗面台のボウルにフィガロは水を溜めている。
     水音の挾間で彼は言った。
    「まだ見てるの? 仕事、するんだろ」
     ここが潮時だと悟ったオズは通話を切ろうとし、ふと思いついて訊いた。 
    「他に必要なものがあれば言え。買ってくる」
    「そうだなあ……」
     水音が止まった。歩き慣れていない幽霊のようにスリッパを引き摺る足音が近寄ってくる。何事かと待っていると、ナイトガウンを両肩に引っかけた裸体のフィガロが現れ、右膝をついて寝台に乗り上げてきた。四つん這いに似た体勢で、彼はレンズを上に向けた。軽くなった音圧と対照的に、フィガロが動く度、マットレスが僅かに沈む音は鮮明に響いた。どうやら今はブレスレットのマイクだけが生きているらしい。
    「必要なものは沢山あるけど」
     かすれ声と共にぐっと、画面に影が落ちて唇が近付く。レンズに触れるぎりぎりまで顔を落としたフィガロは虚空に口付けをして、体を離した。カメラは彼の裸体を映し出す。首に赤く浮かぶ、彼自身による扼殺未遂の痕と、右の肋骨の上に焼き刻まれた、黒い百合の烙印。己の手で追い払おうとしてもどうしようもなく居座るそれらを目にし、負けぬよう衝き上げているとオズはあの日の血煙に取り憑かれ、狂ったようになってしまう。その乱れが好きだと言うフィガロはわざと傷を見せつけるのが常だった。
     情欲がしたたり落ちたかのように画面が暗闇に塗り潰される。オズは反射でコンソールを眺めた。カメラが切断されているが、通話ランプは緑色に点ったままだ。
     どうしたのかと問いかける前に熱い吐息が流れた。
    「俺が欲しいのは、おまえだけだよ」
     嘘か本当かわからない言葉を最後に、通話は終わった。
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    karrruko

    PAST2022年2月発行のオズフィガ本〈おまえの名と力にかけて〉より、フィガロが見ていた夢としてのパラロイ部、オズフィガがいちゃついている部分の再録です。

    ・二人は「北の国」の孤児院で育った幼馴染みで、色々あって義兄弟になり、シティに引きとられた設定です。

    ・オズにとってフィガロの夢を叶えることが第一義で、そのためにまずはハッカーとして金を稼ぎ、それを元手にして武器商人になろうとしています。
    「おまえの名と力にかけて」より一部再録 日曜日の早朝、午前五時十五分。
     オズは滲む涙と共に目を開けた。
     視界には夢がなまなまと鮮やかで、我知らず手を差し伸べる。救いたいのは砕けた欠片、ひとりの男の残骸だ。
     ありし日そのままの微細なきらめき。きめ細やかな乳白色とくすんだ青、血の色の赤、冬の海の灰色と大地の緑。正気ではうまく知覚できない奥底に、それら破片たちは荒れすさびぶつかりあって、大きな渦を巻いている。互いに身を砕き、磨り潰しあって、少しでも早くこの世から消滅しきってしまおうとしている。
     だが、そんな凄絶さと裏腹に、あたりには何の響きも聞こえてこない。一切の介入は静寂により拒絶されている。
     無音の内に滅していくのは、望みか意地か絶望か。
    14231

    karrruko

    DONE①7/24無配をベースに、11000文字追加したものです。
    ②フィガロがモブの男娼を買い、彼に抱かれて満足している描写があります。
    ③フィガロがオズの前で酒の印象を伝えようとし、遠回しな性行為の隠喩を行う描写があります。
    ④スノホワ様のキスシーンがあります。
    ふいうち

     燃えるような朝焼けに目を細め、フィガロは森を飛翔した。こんな時間に野外をうろつくなど人間に傅かれて暮らしていた幼い頃以来だったが、ある意味で状況は当時より悪化していた。何せ師匠二人から〈オズの成人祝いを渡す〉という無茶な仕事を命じられているのだ。一度は石にするべきだとも思った弟弟子が、今どこでどうやって暮らしているのか、己は全く知らないと言うのに。

     この厄介な話は、昨晩唐突に降ってわいたものだった。

     高弟としての自覚というか二人から躾られた義理というかで、スノウとホワイトの館から出でて暮らして五年が過ぎても、フィガロは月に一度は彼らの前に顔を出すようにしている。昨晩もその習慣に従ったのだが、食堂に足を踏み入れた途端に嫌な予感に襲われた。テーブルには極上のマナ石と黒みがかったケーキが給仕されている。石はともかく、素朴な見た目のケーキが大いに問題だった。
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