記録1
探そうと思ったことは正直無かった。前の人生での記憶は鮮明なはずなのに、成長とともにまるく、なんの感慨もない記録になっていく。父を殺した自分も弟を殺した自分も、母を失った自分も今は「あった」ことしかわからない。
そこに何か感情があるかと言えば「無い」のだ。弟はどうだか分からないが、いつぞや「俺がお前を殺したのを覚えてるか」と聞いた事がある。(今にして思えば、この頃から自分には前世の魂の一片も残っていなかったのだろう。)弟は「覚えてる」とだけ答えた。「でもありゃあ、俺が悪いな」とも。(なんとも他人事に語るので俺も笑ってしまったものだ。)
そうして愛してるぜ、ロシー。そう伝えると俺も愛してるよ、ドフィと当たり前に返ってくる。
ただデータを引き継いだ端末が機械的に人生を紡いでいるような気さえした。今の人生には、前世のような鮮烈な望郷が、暴力への渇望が無い。そして、居ない者も多い。
9月から弟が通う大学の下見に行った時だ。その日はいつも通りの曇り空、弟のカレッジはキャンパスにコーヒーショップのある短大だった。
俺の車で帰る途中、グレーの空が少し裂けた。薄くなった雲からところどころ青が覗き、光を落として海を照らす。カーブの向こうにはゴミの埋め立て処理場があって、四角く固められたゴミが山と積まれていた。隣でロシーが「デジャ・ビュ」と言ったのを、ただひとこと、「ああ」と笑った。
ドライブはたっぷり半日使った。あまり乗らない車のバッテリーを動かしてやらないと、と言う言い訳もあったが、弟とのドライブは好きだった。何も喋らず、ただ通る道道に現れる郷愁に思いを馳せることが出来る。
この街は似ている。北の海に。寒くて、乾いて、海がある。もはや感傷の褪せた記憶でも、そのまばゆさが恋しくなることはままあった。弟はどうだったか聞いたことはないが。
ただの記録になっていく。愛しく、ひどく暴力的で、ひどく血腥い、愛に見放された者のよるべ。ゴミの山とグレーの空。これだけ無感動に思い出せるくせに、忘れたくないと思う。郷愁のただなかにいる誰か。
探していた訳では無い。誰をも。
ただ居れば良いと思った。誰が?自身の片割れのような、魂の半分のような、幼く弱い自分たちが鮮烈に生きたゴミの山のなかで、なにか大切なものを分かちあった同胞(はらから)。
ああ、誰だ?