「アクアリウムとか興味あるか?」
深夜の屋上で煙を燻らせながらキースがこちらを見ずにぽつりと呟いた。
キースから提案されるには想定外な場所の提案に思わず反応が遅れ、2、3回瞬きをしていると携帯灰皿に煙草を押し付けながらキースが振り向いた。
「アクアリウム」
「…いや、聞こえてはいたが…」
「…ん」
携帯灰皿を胸ポケットに仕舞い、スラックスのバックポケットから少しヨレた紙チケットが2枚、無言で差し出される。
受け取って紙面を確認すると、最近郊外に新しく出来たと噂のアクアリウムのロゴがイメージキャラクターと共に描かれている。
「パン屋のオヤジがいつも世話になってるからお礼にって。ブラッドと一緒に行ってこいって、しつこくてよぉ…」
パン屋のオヤジ、とはキース行きつけのバーの常連で飲み仲間の気のいい年配の方だったはず。寒空の下キースが防寒着を貸した事は記憶に新しい。キースが覚えているかは別として。
ただ何度か面識はあるものの個人的に何かをやり取りする程自分とは親しくはない筈だが…。
「なぜ俺に?」
「オープン記念に期間限定で明日からジャパニーズフェアでキンギョ?を展示するんだとよ〜」
「金魚…」
いくつかはニューミリオン内のアクアリウムでも展示しており、見たことはあるが、わざわざジャパニーズフェアと銘打っているのであれば土佐金や出雲南金など日本由来の金魚も見れるのだろうか。
しかし、やはり残る疑問。
「…なぜ俺に?」
「だーかーら、ジャパニーズフェアだって」
「そうではなく、なぜジャパニーズフェアで俺に結びつく」
「あ〜〜…そりゃ大人気メジャーヒーローのブラッドさまがジャパンフリークなのは皆知ってんだろ?…まぁ酔ったオレがそうだって喋ってんのかも…だけど…」
ごにょごにょと語尾を小さく濁してはいるが、きっと後述の理由が正解だろう。
自惚れかもしれないが、普段迎えに行く際に上機嫌に名前を呼ばれて笑顔を向けられたり、周りからのむず痒い暖かい空気を感じれば、交際までは気付かれずともそれなりに仲が良いと見えているのだろう。
「…予定詰まってんなら、無理にとは言わねぇけど」
「いや明後日なら時間が取れる。折角のご好意を無駄にするのは申し訳ない…し、興味はかなりある」
「!、そっか、オレも明後日は午後から半休だから…明後日でいいか?」
「構わない」
「は〜パン屋のオヤジに感想せびられた時に謝らなくて済むわ〜〜〜」
やれやれ、といった感じにキースは歩み出すと「そんじゃまた明後日」とヒラヒラと手を振りながら屋上を立ち去った。
キースの残したビールの空き缶を回収しようとして気付く。空き缶がない。
ほんのりキースの顔が赤らんでいたのは気のせいだったのだろうか?
少し浮き足立つ心に小さく喝を入れ、明後日の空き時間を確実なものとする為に頭の中で効率の良いスケジュールを組みながら自室へと向かうことにした。
オープンしたてとはいえ、アクアリウム館内は事前チケットによる入場制限で人がごった返すことなく快適に見て回れた。
まずは通常展示から観覧していく。
郊外であることに加え、目新しい館内に客達も目を奪われメジャーヒーロー2人のオフには気付かれないようでほっとする。
ゆったりと泳ぐ魚を見て、今夜は胡椒を効かせた白身魚のムニエルが食べたいな、などと思う。正直、食以外の目的で魚に興味はない。
水槽から、隣で爛々と目を輝かせて遊泳する魚を目で追うブラッドに視線を移す。
アクアリウムなんて何が楽しいのか分からないが、好奇心旺盛な恋人の普段見られない表情を見れるのは楽しい。
柄にもなくデートの誘いなんてしたもんだから緊張もしたし、苦労した甲斐があったってもんだ。
苦労と言えば、実はアクアリウムのチケットをパン屋のオヤジから貰ったってのは半分本当で半分は嘘だ。
ネットでたまたま金魚展を知ったがその時には既に事前チケットは完売していた。
まーしゃあねぇか、と諦めていたところにバーでパン屋のオヤジがチケットは取れたのに家庭の用事で行けなくなってしまったと嘆いていた話に思わず飛び付いたら、先日防寒着を借りた礼もあるから、と快く譲り受けられたのは運が良かった。なんだっけ、日本の諺で『情けは人のナンタラ』ってやつだよな。ブラッドが言ってた。
何故かパン屋のオヤジには、いつもお迎えに来てる美人さんにもよろしく、と一緒に行く事を勘づかれてたけど、まぁ別にブラッドがジャパンフリークなのは周知だし付き合ってるとまでは思ってないだろ。うん。
時折足を止めて展示説明を見たり、じっと1個体を目で追ってみたりとブラッドのテンポに合わせて館内を歩いていく。
元々静かな空間ということもあり会話も特に無いが、悪くない。
トンネル状になっている展示エリアでは水面の煌めきがブラッドを四方から包んで何とも言えない幻想的な景色になる。
やたらゆっくりに感じたトンネル状の展示エリアを抜けると、少し照明を落とされた空間に水槽ごとに淡くライトアップされた様々な大きさの金魚鉢が現れた。
「…キース!」
目当ての展示コーナーにブラッドが目を輝かせて袖を引っ張る。
これこれ、これが見たかったんだよ。
肩張って凛と立つ姿も嫌いじゃないが、好奇心に溢れて好きなもんに夢中になる姿が愛おしくてたまらない。滅多に見れないというのもあって、この姿を自分が引き出せたと思うと充足感に満たされる。
「…かわいいな」
思わず零れた言葉にブラッドがこちらを見て目を瞬かせる。
やっべ、折角の上機嫌を損ねるかと身構えると、ブラッドは得意気に笑顔を浮かべた。
「これは蘭鋳と言ってライオンゴールドフィッシュとも呼ばれる。品種改良により日本では明治時代以降から愛でられてきた品種だ」
「あ、そっち」
「?」
「あ〜…気にすんな」
気付かれなくて良かったような、良くないような。
ガシガシと頭を搔くと、ブラッドがクスクスと笑った。
「…ンだよ」
「いや、もしかして俺だけが楽しいのではと思っていたがキースも楽しんでいるのが意外で…安心した」
「あー…まぁ、な」
楽しむ対象が明らかに違うけど、アクアリウムを楽しんでいる、という点では概ね一致しているから嘘ではない。
今もキラキラした目で水槽を見るブラッドの横顔から目が離せない。
「やっぱかわいいわ」
「そうか」
「魚じゃなくてお前が」
「…そうか」
「おっ照れてる。ブラッドのそんな顔が見れるなら、また来ても良いな」
「…また酔ったフリをしてデートに誘うならビールの空き缶も用意することだな」
「ぅ…」
バレてたのかよ…。
お互いに、ちら、と目を合わせて小さく吹き出して笑い、また無言でブラッドが満足いくまで水槽を堪能する。途中で夕食について尋ねられたから、白身魚のムニエル、と答えたら肘で小突かれた。
ムニエルから煮付けに変更するか。
そうではない、と呆れながらオレの料理を美味そうに食べるブラッドの顔を酒の肴にしてやろう。