鬼ごっこ「カリムさんなら寮に戻られましたよ」
さりげなくさまよわせたつもりの視線をあっさりと絡めとられた少年は言葉を失ったようにアズールを見た。
「おや、違いましたか?」
続けた質問にもなにも言わない。けれどもそらされた視線が答えのようなものだった。おそらく客を装うつもりだったのだろうが、そのつもりもなくなったらしい。端的に礼を述べてすぐに背を向けて出ていってしまう。
今にも走り出したそうな動きに合わせて流れる黒髪は踊っているように見えた。スカラビア寮ならもう走り出しているのだろうが、流石の彼も他寮では遠慮しているらしい。通路の遥か遠く、背中が見えなくなってやっと視線を中に戻す。アズールが経営するモストロ・ラウンジは今日も盛況で売り上げも上々だ。空席もほとんどない。隅の一角を除いては。
「カリムさん、ジャミルさんが帰られましたよ」
最初からからっぽのカップが置かれたテーブルに声をかけるとひょっこりと机の下から顔を出した同級生が困ったように眉尻を下げる。
「アズール、ありがとな」
「いえいえ、何か事情がおありのようですので。よろしければVIPルームの方へご案内いたしましょうか?」
一度探した場所を二度探さない確証はない。ラウンジ利用者にはスカラビア生ももちろんいるし、後々目撃情報がジャミルに寄せられてしまうかもしれない。
「いいんだ。今日はもう探しに来ないと思う」
「……そうでしょうか?」
クラスメイト程度の付き合いでもジャミルがさっぱりとした諦めの良い男ではないことは感じ取れる。ことさら主人、カリムのこととなると執念深い。正直、カリムにGPSをつけているんじゃないかと疑ったこともある……いまもその疑いは晴れていないが、こうやってカリムを探して学園中を走り回ってるのを見るのは初めてではないので疑いは疑いのままになっている。探しているからと言ってついていないと断定するのは早計だ。奥の手というのは常にかくしておくことに意味がある。
「そういう約束なんだ。一度探したところは探さない。だから今日はもう大丈夫」
「……かくれんぼでもなさってるんです?」
かくれんぼ、という言葉を反芻したカリムが困ったように笑った。また、この表情だ。
「かくれんぼ、ではないかな。見つかったら終わりでもないしオレも移動しなきゃだし。ありがとう、今日この場のお代はオレにつけといてくれ。騒がせたお詫びだ」
「はあ」
この程度のやりとりなら騒ぎのうちにも入らない。そんなことなら機嫌の悪いときのフロイドのほうがよっぽど、と考えるのはやめた。接客中に渋い表情をするのは良くない。
「なあに、ラッコちゃん。まだあの遊びやってんの?」
「フロイド」
背後から覆いかぶさるような声がして、思わず遮るように名前を呼んだ。きょうは機嫌がよさそうとはいえ、厄介ごとを持ち込んでくる気配をびしばしと感じる。
「あの遊び、とは?」
関わらない方がいいとは思うものの好奇心が勝った。フロイドがやたらめったら楽しそうにしていることが拍車を掛ける。なによりジャミルとカリムが普段どんな遊びをしているのか気になった。
「まだやってるっていうか、やめどきが分からないっていうか」
「うける。勝敗どんぐらいなわけ? 五分五分?」
「八割オレの負け。ジャミルはもういいだろって言うんだけど、でもさあ」
「ほぼウミヘビくん勝ってんじゃん。おっかねー」
「話が見えないのですが。おふたりでゲームをなさってるんですか」
盛り上がりかけたところで割って入ると、カリムが困ったようにフロイドを見上げた。にやにやと笑うフロイドは楽しそうだ。そんなに面白いゲームをしているんだろうか。
「ラッコちゃんとウミヘビくんはあ、鬼ごっこしてんの」
「鬼、ごっこ?」
「そー、制限時間内に捕まえたらウミヘビくんの勝ち。逃げ切ったらラッコちゃんの勝ち」
「それは、やめどきが分からなくなるようなものなのですか?」
フロイドの説明を聞く限りでは時間制限も付いているしやめどきが分からなくなるような遊びだとは思えない。赤い顔をしたカリムがうつむいて、普段のはつらつとした雰囲気からは想像も出来ないか細い声を出す。
「だって、恥ずかしくて」
「はず、え?」
「オレとジャミル、その……付き合ってて」
「はい?」
「そんでえ、鬼ごっこしてんだって」
「……文脈が繋がってないと思うのですが」
「まったくだ。カリム、お前、一か所に留まるのはなしの約束だろ」
「ジャミル!」
突然降ってわいた声に振り返ると呆れた表情のクラスメイトと目が合う。いつの間に戻ってきたのだろう。全然気がつかなかった。
「フロイドも人のプライベートを勝手に言いふらすな」
「えーいーじゃん。てか一度探した場所は探さないんじゃないっけ」
「制限時間内はな。過ぎたら関係ない」
時計を指さされて見上げる。示されたところでそもそもの制限時間を知らないが、ほっとした表情を浮かべてるカリムを見れば確かに時間は過ぎているのだろう。ということは今日はカリムの勝ち、ということになる。
「そんなあからさまに安堵されると傷つくんだが」
「だって」
困ったように小さくなるカリムとむっとした表情のジャミルは、なんだかアンバランスだ。付き合ってると、言っていなかっただろうか。
「ちょーうける。おあずけ食らった気分はどー?」
「さいあくだ、今の状況も含めて全部」
わざとらしく大きなため息をついたジャミルがカリムに手を差し伸べる。ちらり、と視線を投げたあとおずおずと手を取ったカリムが、ゆっくりとこちらを向いた。
「きょうはありがとな、アズール。お礼はまた改めてさせてくれ」
「そんなことしなくていい。……邪魔したな」
「待ってください、鬼ごっこのルールを教えていただけませんか。僕、ボードゲーム部なので気になります」
「……鬼ごっこはボードゲームじゃないぞ。でもそうだな、検索すればボードゲームも見つかるかもしれないな」
あからさまに雑に言い捨てられて、止める間もなく二人はラウンジから去っていく。気配がすっかり消えてから、フロイドを見上げた。すでに興味を失ったらしい幼馴染はあくびをかみ殺している。
「あれは、どういうことなんです?」
「さっき言ったじゃん、鬼ごっこ。ラッコちゃん、今日は良く寝れんじゃね」
「答えになってません。付き合ってるってどういうことですか」
「だからあそういうことだって。ウミヘビくんとラッコちゃん付き合ってんの。そんでラッコちゃんが照れてる」
「それは理解できましたが」
常日頃、ジャミルのことばかり話しているカリムが付き合っただけであんなふうになるだろうか。そもそも付き合ってるから鬼ごっこというのが分からない。陸ではスタンダードな付き合い方なのだろうか。
「照れすぎてまじでなんも進展しねーから鬼ごっこで勝ったらナニしてもいいんだって」
「……なるほど」
つまりカップルによる壮大な見せつけに巻き込まれただけか。図らずともカリムの勝利に手を貸してしまったことになる。ジャミルには申し訳ないことをした。
「鬼ごっこはどういうタイミングされるんですか?」
「え、しらね。ヤりたくなったらじゃね」
歯に衣着せぬ物言いには眉をひそめた。もう少し言い方というものがあるだろう。
「アズール、なにか企んでる?」
「ええまあ」
定期的に開催されることが予想できる突発イベント、しかも時間制限付きで本人たちも納得済み。ルールが少し曖昧な気がするからそこを整えれば││。
「いいこと、思いついた?」
「ええ、とっても」
仔細は仕事が終わってから考えるとして、まずは詫びを入れなければ。ちょうど都合よく寮長会議が開催されるからその場である程度話が出来れば、あるいは。
こんな楽しい遊びをしていたなんて知らなかった。頭の中で電卓をたたく。
突発的に発生するゲリライベント。ルールは明確。時間制限有。目に見える勝敗。
あとは、どれぐらいの期間、ばれずに行えるか、ですね。
フロイドが「わっるい顔してる」と笑ってくるのでにたりと笑みを返した。
こんなの、笑わずにはいられない。とっても楽しいゲームが出来そうなのだから。