祝福を貴方にその話を聞いたのは、たしかマナリアで彼が臨時講師をしていた時。
ちょっと寝坊をしたら授業の開始時間に間に合わず、開き直って堂々遅刻した所を炎獄先公に見つかり悪党めいた笑顔で追加の課題を出された日だった。
親友たちの手を借り足りない知識を寄せ集め、どうにか空欄を埋めた課題を提出すべく夕陽の差し込む校舎を歩いていると、通りかかった資料室から話し声が聞こえツバサは足を止めた。
「炎獄センセーって誕生日いつなんですか?」
きゃらきゃらと聞こえる数人の女子の声は落級の生徒ではなく普通科の生徒のものだろうか。
廊下に居たツバサはバレないように資料室に近づき、会話の相手の返答に息を潜めて聞き耳を立てる。
「ンなの聞いてどうすンだァ?」
面倒くさそうに、でもどこか穏やかに返す言葉に先程とは違う女子生徒が応える。
「ウチらでお祝いしてあげるよ〜!」
ね〜!と数人の声が重なり、はしゃぐ声が廊下まで聞こえてくる。他の教師とは明らかに違っていた彼は臨時教師という札も相まって落級以外でも生徒に懐かれているらしい。正直なところ、女子生徒に構われているのは少しだけ羨ましく思えてすらいた。
若干の悔しさを覚えそっと覗いた資料室で、女子生徒に囲まれた赤いエルーンがその大きな耳を少し下げて
「知らねェ」
そう、きっぱりと言い切るまでは。
その後女子生徒たちはわずかに驚き適当にあしらわれたと笑っていたけれど、ツバサにはもう何も聞こえず夕陽を背に受けてただ笑うエルモートの顔だけが忘れられなかった。
誕生日を知らないなんて、そんな事あるのだろうか。両親が居た時はもちろん、祖母と2人きりになってからもツバサの誕生日には祝いの言葉やプレゼントがあった。
「なぁ、どう思う?」
グランサイファーの格納庫でツバサと同じように自身の単車を弄るショウに問いかける。マナリアでは色々あったが今ではもう同じ艇に乗り同じ釜の飯を食う騎空士見習い兼同級生は、問いかけにしばらく黙ってからようやく口を開いた。
「I See…そうだな、この艇に乗ってから世の中には本当に色んな奴が居るんだと知った」
「おう、まさかヒトじゃないのも仲間に居るなんてなぁ」
どっかの国の騎士団長やお偉いさん、星晶獣に果ては天司とかいう種族?まで。グラン率いる騎空団の団員は驚くほどに多種多様だ。
「だから、そういう奴も居るんだろうサ」
指先で転がしていたネジを工具箱に放り込み、グリスで汚れた手を拭きながらショウが言う。
「そういう奴って…」
出会った時はいけ好かない担任と生徒の関係で、それ以上でもそれ以下でもなくて。むしろあまり関わりたく無いとすら思える様な人物だったのに。
助けられて救われて、同じ艇に乗って…。まだ仲間としては扱って貰えなくても、少しぐらい彼自身に踏み込んでみたいと思い始めていた。
「個人のそういう部分はdelicateだからな…」
気を付けたほうがイイ、と続けるショウがどこか大人びて見えて
「分かってらぁ!」
ついぶっきらぼうに言ってから、ツバサは子供じみた自分に小さく舌を打った。
ある日の事。俄に浮足立つ艇内の空気に、ツバサが何事かと近くの団員に声をかければもうすぐ団長の誕生日なのだと言われた。自分より年下でありながらこれだけの大所帯を纏めるだけあって団員からの信頼も厚い団長の、一年に一度の大切な日。華々しく祝おうという思いは誰しもが同じ様だった。
(そうだよホントはこう、喜ばしい日だよな)
艇内を歩くツバサの足取りは何かの決意に満ちていて、勢いそのままに目的の部屋の扉を音を立てて豪快に開け放った。
「ショウ!!」
「?!」
突然の乱入者に分かりやすく驚いた部屋の主は手にしていた書類を取り落とし、バサバサと床へと散乱させた。
「…あ〜、ワリィ」
「せめて、knockしてくれ」
驚きに早まった心拍数を落ち着かせる様に深く息を吐き、落とした書類を拾おうとするショウを手伝うべくツバサも同じ様に屈む。床に散らばる紙は勉強していると言っていた商売についてのものらしく、色々な数字が書かれていて見てもよく分からなかった。
けれど、その中の数枚に見慣れた書式と赤色で書かれた癖のある字を見つけ思わず手を伸ばす。
「コレ…」
「あぁ。先公から出された課題のプリントだ」
そんな所にあったのか、とショウの長い指が大事そうにそれを受け取り集めた紙束の一番上に重ねた。
一時留学という形で艇に乗っているので、学園から定期的に課題が送られてくる事がある。それとは別に2人の苦手な部分や気になった所などをエルモートが分かりやすくプリントにまとめてくれたりするのだ。
艇ではもう教師では無い筈なのに、面倒見の良い彼はやはりどこまでも"先公"だと思う。
「…なぁ、オレさ、ずっと考えてて」
「先公のコトだろ?」
集めた書類を渡しながらここに来た訳を話そうとするとあえて言わなくても分かる、という風に返される。
「俺もあの人には返しきれねぇ恩がある。何か策があるなら乗るが?」
「策ってほどのモンじゃねぇけど…」
とりあえず思いついていた事をショウに伝えてみれば少し考えるような仕草をしてから、書類の束の中から徐に1枚を選びぺらりと床に置いた。先程見た商売に関する書類と思われるそれを覗き込み、書かれた内容に提案を理解する。
背中を丸めて部屋の床に座り込んだままイタズラを企む様にこそこそと話し合い、顔を見合わせて笑う。
そうして時間も忘れかけた頃、あらかた決まった作戦を紙に書き出し最終確認をする。あとは上手いことやり遂げるだけ。隣に座る悪友と目配せをしてから作戦の成功を祈りお互いの拳を軽く打ち合わせた。
それから数日後。グランサイファーの甲板ではグランの誕生日会が開かれ、たくさんの団員達で賑わっていた。真ん中で埋もれるように囲まれたグランはたくさんの贈り物と祝福の言葉を貰い、いつもよりもきらきらとした笑顔を見せている。
そんな団員達の集う甲板の片隅で、ツバサとショウはきょろきょろと辺りを見回して目的の人物を探していた。
「…居ねぇな」
あんな目立つ赤髪を見つけられない訳がない、ということは甲板には居ないのかもしれないと艇の中へ戻ろうとすると
「探しもの?」
本日の主役でもあるグランが両手いっぱいにプレゼントを抱えていつの間にか背後に立っていた。
「っ団長?!」
持ちきれなくなったので1度部屋に戻ろうと、あの囲みを抜けてきたらしい。
「探しものっつーか…」
「no problemだ、俺たちで探せる」
「そう?」
花の首飾りをつけ頭にも花冠を飾られたグランが首を傾げるとひらひらと花びらが溢れる。
それならと部屋へと戻ろうとするグランは2人の間を抜けて数歩進んでから、思い出した様にくるりと向き直るとにこにこと微笑んで。
「エルモートならラードゥガに居るよ」
そう言って、手を振って廊下の奥へと消えていった。その小柄な背中を見送ってから、残された2人は思わず顔を見合わせる。
「…俺ら、言ってねぇよな?」
「あぁ…」
自分たちよりも年下の団長に計り知れないものを感じたがそれはそのうち考えるとして、今は得られた探し人の居場所へと向かうことにした。
開店前のラードゥガ、夜に賑わうらしいこの場所も日の高い今は静かなもので。始めて訪れる緊張感も相まってか上手く進まない足を苦々しく思ったけれど、それは隣のショウも同じらしく涼しい顔をしている様に見えて眉間に皺が寄っているのが分かる。
険しい顔の悪友を盗み見て心の内で笑ったツバサは、目的の部屋の方からふわりと甘い香りが漂っている事に気がついた。
「なんか、いい匂いすんな」
ツバサがくんくんと甘い匂いに釣られる様に入口へと吸い寄せられるのに、昔飼っていた大きな犬を思い出しながらショウが付いていくと
「ガキどもが連れ立って何の用だァ?」
見慣れた悪党めいた笑顔を浮かべて、先に気づいていたらしいエルモートから声がかかる。
いつもは自然に任せたままの長い髪を後ろでくるりと丸め、見覚えのある白いシャツに黒いエプロン姿。外まで漂っていた甘い匂いはエルモートが作っている菓子のものらしい。
「鼻がイイなァ、ちょうど焼き上がったとこだぜ」
菓子の匂いに釣られて来たのだと思ったのか、ニヤリと笑ってから焼き立てのカップケーキを取り出しカウンターへと置いた。目の前に置かれた色よく焼かれた焼菓子の甘い香りの誘惑にツバサは当初の目的を忘れかけたが、ショウが肘でそっと小突き奪われた目を取り戻す。
はっ、と我に返り焼菓子からカウンター向こうの赤いエルーンへと向き直り、ツバサはびしりと姿勢を正した。
「…っ先公!」
元教え子のおかしな行動に怪訝そうな顔を見せた元教師に、何言か言われる前にと勢いよく飛び出した声は少し裏返ってしまった気がする。何でもない事なのに心臓がばくばくと鳴っているのがわかるがココで止めるわけにはいかない。
「これ、先公にっ!」
背中に隠して持っていた物をずい、とエルモートの目の前に差し出す。いつもは鋭い猫の様な目がくるりと丸くなり赤い耳がびくりと小さく揺れる。
「……手紙?」
皆で書いた手紙を赤い紐で纏めた物を両手でしっかり掲げるように持つ。何度も結び直したせいでちょうちょ結びは少しだけよれてしまった。
「オレとっ、親友たちとっ、ショウから」
「ハァ?なンだよ改まって…」
「いいから受け取れよ!!」
ぐいぐいと押し付けるようにすると、わかったわかったと根負けしたエルモートがソレを受け取る。
「俺からは、これだ」
やり遂げた顔のツバサを横目に、ショウも同じ様に後ろ手に隠していた花束を差し出す。
「…なんなンだお前ら」
大きさはないものの小綺麗に作られた青い花の花束に、エルーンの赤い耳がじわりと後ろを向いていく。
「そんなに警戒しないでくれ、ただのpresentだ」
思わず苦笑いしながらショウはそっと花束を渡す。
青いバラの花束はぎこちなく受け取られたものの、意味がわからないと2人を見る金色の眼が揺れる。
「マジで、なんなンだよ」
困惑をそのまま表したような声が小さく言うのに、ツバサはショウと目配せをしながらもぞもぞと話し始めた。
「先公、自分の誕生日知らねぇっつーから」
「団長さんの誕生日に合わせて祝えばいいか、という事になって」
「…ハ?」
金色の眼がもう一度くるりと丸くなる。確かに突発的な思いつきではあったけれど、いつかは何かの形で礼をしたかった。それがちょうどこうなっただけ。
「俺なンか、祝わなくても…」
俯いてぽつりと呟くエルモートの内でじわりと揺れる炎の気配がする。大きな赤い耳もいつの間にかぺたりと伏せられ、何かに怯え震えている様に見えた。
その姿になんだかひどく寂しさを感じてツバサはぐっと拳を握りしめてから。
「そー言うと思ったぜ!」
伏せられた耳にも届く様に、俯いた顔を上げてもらえる様に。わざとらしく声を張り、ため息混じりに言い放つ。口を開けば悪態ばかりのこのエルーンが素直に受け取らない事なんて想定内だ。
「アンタ、自分の事は大抵二の次だからな」
隣に立つショウも大げさに肩をすくめ苦笑いを浮かべてそう告げる。感謝される事も何かを与えられる事も苦手らしい彼には押し付けがましいくらいでちょうど良い。
「何があったのかは知らねーけどさ、今ここに居んだからよぉ」
「アンタが生まれた事、俺達にも祝わせて欲しい」
少し照れ臭くなりながらも言い切った元教え子の言葉に、受け取った手紙と花束を抱え2人を見つめたまま固まるエルモートの金色がゆらりと揺れた気がして
「先公?!」
「…っ違ェ!!」
驚いて声をあげたツバサが駆け寄るより早く、慌てたようにエルモートはぐるりと背を向ける。
「……ちょっと、待て」
「おぉ…」
「OK…」
表情は隠せても、その行動と上擦った声で隠したいものはバレているのだけれど。ツバサとショウは思わず目を見合わせて、わずかに震える背中から目を逸らす事にした。
少ししてから何かを拭う仕草をしたエルモートが背を向けたまま長い爪の指でカウンターの椅子を指差したので、2人は大人しく椅子に座り赤いエルーンの行動を見守る。
ずっと持ったままだった手紙と花束を大事そうにカウンターの隅に置いたエルモートは、頑なに顔を背けたまま銀色のケトルに水を入れぼわりとコンロに火を灯した。
しゅわしゅわと音を立て始めた口の細いケトルから2つのマグに乗せたカップに湯が注がれ、ふわりと珈琲の薫りが漂う。
「…カフェオレでイイな?」
やっと発された言葉はまだ少し鼻にかかったもので、思わず笑いそうになったツバサを赤髪の間の金色がじとりと睨む。砂糖は勝手に入れろ、とシュガーポットがごとりと置かれ、たっぷりのミルクが入ったカフェオレが2人の前に並ぶ。
「俺はBlackでも良かったんだが…」
「うるせェ黙って飲め」
ぴしゃりと言い切られたショウを3つ目の砂糖を入れながらツバサが笑う。適当に言い合った元教え子達が飲み始めるのを確認してから、エルモートはまた背を向け使った道具を洗い始めた。
「……ありがとうな」
ざぶざぶと水音にかき消されそうな程の声がぽつりと感謝の言葉を伝え、赤い耳がゆらゆらと揺れる。
聞き逃す事なく受け止めたその言葉はじわりと胸に溶けて、2人は思わず頬が緩むのを感じた。
照れ臭くなってしまってお互い適当な相槌を返したあとに、そういえば大事な事を言っていなかったのを思い出しツバサはショウの脇腹を小突く。
残りのカフェオレを飲み切ったマグをほぼ同時に置き、まだ何かあるのかと身構えるエルモートに向けてせーので声を合わせ─
「誕生日おめでとう!」
「Happy birthday!」
タイミングは合ったものの、言葉までは揃わなかった。
「っテメェ!合わせろや!」
「What?そっちが合わせるもんだろ?!」
上手くいかずバラバラになった祝福の言葉をお互いのせいだと言い合い始める2人に、エルモートは堪えきれずに笑い出す。
「クハ、ハハ、お前らっ…!」
ぷるぷると肩を震わせどうにか抑えようとしているのか腹を抱えて丸くなっているが、全く抑えきれていない。
「先にっ、決めとけよ、ン、ハハハ!!」
だいぶツボに入ったらしく目尻に涙まで浮かんでいる。
「くっそ締まらねぇー!!」
「Mistake…」
悔しそうに叫ぶツバサと落ちこみ俯くショウ。
ひとしきり笑ったあとエルモートは大きく息を吐き、改めて2人へと向き直りふわりと笑って見せた。
「ホントに、ありがとな」
いつもの人の悪い笑みでも、炎の奥に揺れる笑いでもなく、ただただ柔らかい優しい笑顔。
始めて見るその顔にショウは静かに息を呑み、ツバサは前に見た夕陽を背にして笑っていた教師の顔を思い出す。
(そうだ、こういう風に笑って欲しかったんだ)
嬉しそうに、幸せそうに、年毎に祝福を受ける自分たちと同じ様に。
「これも大事にする」
そう言ってカウンターの隅に置かれた手紙と花束へ目を向けそっと優しい指先で触れた。
カウンターに置かれたまますっかり冷めたカップケーキが育ち盛りの胃袋に消える頃、2杯目のカフェオレを飲みきったツバサはびしりと指を差し勢いよく宣言する。
「来年も、期待しとけよ!」
「あァ、分かった」
抜け駆けするなと、わずかに鋭くした視線でツバサを睨んでから固く拳を握りショウが約束を告げる。
「今日よりもSpecialな日にしてみせるサ」
「おー、無理はすンなよ?」
その両方に応えながらエルモートはしっかりと頷いて、またふわりと笑ってみせた。
その笑顔に次こそはきちんと最後まで格好良くキメようと誓い、悪友達はカウンターの陰で静かに拳を打ち合わせるのだった。
今までの分とこれからと。
居場所が変わっても、たとえ遠く離れてしまっても。
抱えきれないほどの祝福を貴方に。
(青いバラの花言葉:神の祝福)