あまいひととき想い人にチョコレートと共に気持ちを贈る、人によっては一大イベントでもあるバレンタインデー。
その決戦の日が近付きグランサイファーも甘い香りで包まれている。
そんな中エルモートは普段から厨房やラードゥガなどで色々と作ったりしているせいか、数人の女子団員に捕まり一緒に菓子作りをする羽目になっていた。
「これは?湯煎?お湯で溶かせばいいの?」
危なっかしい手付きで砕いたチョコを入れたボウルを手にイオが手順を確認に来る。
「あー、今行ってやるからちょっと待ってろ…、ヤイアそれはもう少し薄くしねェと上手く抜けねェぞ」
「は〜い!」
傍らでクッキーの生地を伸ばすヤイアに声をかけてクッキー型の入った籠をテーブルに置く。
「あっ!それ、こむらがえりみたい!ソレにする!」
乗っている踏み台で爪先立ち、身を乗り出してクマの型を取ろうとヤイアが手を伸ばすのを危ないからと優しく制す。
「オラ、取ってやるから生地に手をつくんじゃねェって」
言ってはみたがすでに遅く、柔らかなクッキー生地には小さな手形が出来上がっていた。
「…あー、えへへ」
「まァ、どうせもう一回丸めるから大丈夫だろ」
そのまま焼いても可愛らしいとは思える。子供だから許される可愛げというやつだ。
「エルモートまだ〜?!」
ヤカンで湯を沸かしながらイオが呼ぶ。
「今いくから火ィ消しとけ!火傷すっから1人でやンなよ?」
型抜きを始めたヤイアから離れ、黙々とカップケーキを飾り付けるアンナの様子を見る。自分で服を作ったり、カシマールを治したりするだけあって器用な手付きでくるくるとクリームで花を作っている。
「上手いモンだな」
「そ、そう?良かった…こういうの、楽しいね」
「モットホメテモイイゼ!」
嬉しそうに笑うアンナの横で小さなエプロンを付けられたカシマールが言うので、料理をするからと三角巾を付けた頭を軽く撫でる。
「後で…エルモートさんにもあげるね」
手伝ってくれたお礼にと小さく耳打ちしてから、アンナは花が咲くように笑った。
「エルモート早く〜!お湯冷めちゃうわよ!!」
「そんなすぐには冷めねェよ…」
こっそりとため息を吐き、待たされてむくれるイオの所に大きめのボウルを手に合流すると隣のテーブルの見慣れた人影が目に入る。
「つか居ンなら手伝えよスフラマール」
「いえ、ちょっと…エルモート君の手際に見惚れてしまって…」
エルモートが女子団員に呼ばれたのを聞きつけ同じく監督として参加していたはずの彼女は、調理には関わらずターニャと共にラッピング用のリボンを作っていた。
「確かに…隙が無かった…」
「そォかよ」
きりりと真面目な顔でターニャが言う。あちらに呼ばれこちらに呼ばれ忙しなく移動しながら的確に指示をし時には手を貸す彼を見て、下手に手伝ったら逆に邪魔をしてしまうのではないかと気後れしてしまっていたらしい。
「アンタは作ンなくていいのか?」
「私はいいのよ、有名店のやつを予約してるの!」
大人の特権よね!とスフラマールがころころと笑い、ターニャは既に作り終えたチョコレートを袋に詰め可愛らしいリボンでラッピングしていた。
「そういうエルモート君は…」
スフラマールがどこか含みのある笑顔で聞いた時、背後で何かがガシャンと落ちる音がして小さな悲鳴があがる。
「ヤイア!大丈夫か?!」
「ごめんなさぁい!お片付けしようと思って…」
小さな腕いっぱいに調理で使った器具を抱えて洗い場に行こうとしたところで転んだらしく、ひっくり返ったボウルに残っていた粉で白くなった床にヤイアが半べそで座り込む。
「あらあら、怪我はない?先生も手伝うわ」
パタパタと駆け寄っていく小さな背中を見送って、やれやれとため息を吐く。
「…エルモートも誰かに作るの?」
耳聡く聞いていたらしいイオがこっそりと問いかけるのに、赤い大きな耳がぴこりと揺れる。
「俺は今年はいいンだよ、気にすンな」
何言か続けようとする少女の言葉を遮り素早くそう言い切ってから手伝いを再開する。
だって、しょうがない。
渡す相手が今は艇に居ないのだから。
菓子作りの手伝いを無事に終えたエルモートは自室へと戻り、暗い部屋への扉をくぐる。賑やかに過ごしたせいか、ひとりの部屋が酷く静かに感じてしまう。
部屋の天井から下がるランタンにふわりと火を灯し、疲れを吐き出すようについた溜息は部屋の隅に溶けていった。手伝いのお礼にと渡されたクッキーやチョコレートはベッド脇の机に置き、甘い匂いのついたエプロンは椅子の背もたれに。どかりとベッドに腰掛けると勢いに負けてきしむ音がした。
そのまま仰向けに寝転がり灯りの届かない天井の暗がりを見つめる。
(…上手く、出来たんだけどなァ)
イオにはああ言ったけれど、何もしないのも何となく落ち着かなくて前日に既にマフィンを焼いていた。ごくごく簡単な焼き菓子。いつもと違うのはチョコを入れた事くらい。
もらってきた菓子達と同じ机に置かれていたそれをひとつ手に取りくるくると弄ぶ。
(1個は団長にやるとして、残りどうすっかな…)
自分で何個か食べはしたものの、簡素なラッピングのマフィンは未だそれなりの数が残っている。ルリアにもやるか、等と適当にあたりをつけていると部屋の扉を叩く音がした。
ぼんやりと考え事をしていたせいで、普段ならノックの前に気がつく来客に気づけなかったのはまあいい。良すぎる大きな耳も音を拾いきれない事はままある。
──居ないはずの人物なら尚更。
「…なンで居るンだ?」
扉を開けて開口一番そう言ってしまったけれど、それもしょうがないと思う。
「随分な言い様だな」
赤い髪に紅い瞳、思わず零れた言葉に心外だと笑う顔。いつもの仰々しい鎧姿ではなく、白い礼装に身を包んだパーシヴァルがそこに立っていた。
「入っても?」
断る理由もないので、体をずらし狭い部屋へと招き入れる。目の前を通り部屋へと入る長身を思わず見つめてしまうのは、俄に信じがたいこの状況のせいだと思う。
見慣れた背中を眺めたまま後ろ手に扉を閉めると手狭な部屋に沈黙が落ちる。わざわざ来たくせに何も言ってこないパーシヴァルを不思議に思い、様子を伺えば目線はベッド脇の机の上、いくつか置かれた菓子に注がれていた。
「…それは、礼に貰ったヤツで」
「そのようだな、また菓子作りを手伝ったんだろう?」
「まァな…」
分かっているという様に横目で笑いかけてからパーシヴァルはまた机の上へと視線を戻す。
「お前のは…コレだな」
長い指先が迷いなくエルモートが作ったマフィンを選び取ると赤い大きな耳がぴこりと跳ね、それを回答と受け取って当たりだな、と騎士が笑う。
何となく悔しくて、でもどこか嬉しくてエルモートの耳はふよふよと揺れた。
「…好きなだけ持ってけよ」
「ああ、そうさせてもらおう」
その前に、とパーシヴァルはエルモートへと向き直り小さな箱を差し出す。手のひらに乗るくらいの小箱には落ち着いた色合いのリボンがかけられ、分かりやすい高級感が漂う。そのサイズの贈り物にあまりいい思い出の無いエルモートは、少し訝しむ様に見つめたまま騎士の言葉を待つ。
「ただのチョコレートだ」
警戒する様子に苦笑をもらしつつそう言うパーシヴァルに、疑いは捨てずそっと小箱を受け取る。ころりと小さく鳴る音とわずかな重さを感じ、たしかにチョコレートの様だと少しだけ安心する。
何度か渡されたこの手の小箱には高そうな宝石の付いた耳飾りや果ては指輪まで入っていた事もあるので、どうしても警戒してしまうのだ。
「俺も何か作れたらいいんだが…」
そう言いながらエルモートの手に手を添えて、掌に乗る小箱のリボンをしゅるりと解いていく。
パーシヴァルの指先を眺めながら、エプロン姿で菓子を作る炎帝を想像して思わず笑いが溢れる。
「そン時は手伝ってやるよ」
「そうしてくれ」
2人で静かに笑い合って、やっと目の前に彼が居ることを実感できた気がする。忘れていた香水の香りと忘れられない炎の気配がゆっくりとエルモートを満たしていく。身体の真ん中まで染み渡る様にと深く息を吸い込めば、甘いチョコレートの匂い。
「ほら」
掌の小箱から取り出されたひと粒がパーシヴァルの指先に摘まれ目の前に差し出されている。
「………」
無言でじとりと睨んでみても紅い瞳は揺るがず楽しそうなまま。
「溶けるぞ?」
そう言ってもう一度ほら、と口を開ける様に促される。雛のような扱いをされるのは癪ではあるけれど、せっかく用意してくれた物を無下にする事は出来ない。観念してひとつ大きくわざとらしい溜息を吐いてから、噛み付くように指先のチョコレートを奪う。
高そうな見た目を裏切る事なく芳醇なチョコレートの香りと、とろりとした甘すぎないキャラメルが咥内に広がる。
「美味ェ…」
「そうか」
素直に溢れた言葉に満足そうに笑ったパーシヴァルは、更にもうひと粒を摘み同じ様に差し出す。
一粒目を飲み込んでから、今度はすんなりと口を開き甘味を招き入れる。先程とは違う四角い形のチョコレートはざらざらと砕いたクッキーの食感がして面白い。
それをごくりと飲み込んだのを見てから、また次のチョコレートが差し出される。
先程チラリと盗み見た小箱の中にはチョコレートが4つ入っていた。濃厚なミルクの味がする3つ目のホワイトチョコを味わってから差し出された最後のひと粒は赤いハートの形。
「………」
楽しそうに微笑む眼前の恋人を見つめてから指先の赤いハートを唇で受け取り、そっと咥えたまま誘う様にエルモートが目を閉じる。
わずかに息を呑む気配がして手に触れていた熱が頬を撫でるのを感じ、閉じた瞼の裏で気配を読む。
わずかチョコレートひと粒の距離で唇が触れるのに合わせてうすく口を開くと、溶けかけの甘いチョコレートの味と柔らかな唇の感触。一緒に入り込んで来た舌に溶け出したジャムの甘さをなすりつけ、深くなる口づけを味わう。
チョコレートの甘さがすっかり無くなるまで互いに貪り合ってからゆっくりと唇を離し、呼吸を思い出すように静かに息をつく。
「…甘いな」
「…ン」
ぺろりと唇を舐めながらパーシヴァルが溢すのに頬に置かれた掌に懐いたまま小さく同意を返す。
わずかに濡れた金色が猫の様にゆっくりと瞬きをするのに思わず見惚れて、騎士は痩身を包み込むように抱きしめる。いつもの鎧が無い分温かく生命の音が心地良く聞こえる胸元に擦り寄り、エルモートもそっと広い背中に腕をまわす。
思いがけない一時はチョコレートの様に甘く甘く2人を満たしていった。
「無理して全部持ってかなくてもイイのに…」
まだそれなりに残っていたマフィンをいそいそと仕舞い込む背中にそう告げる。
「…残したら誰かにやるだろう?」
家臣までは許す、と言いながらも、声色には難色が滲む。分かりやすい嫉妬に悪い気はしないけれど、食べ過ぎで体を壊しでもしたら申し訳ない。
「ガキどもにもやるからもう少し置いて…」
「断る」
都合よく浮かんだマナリアの悪童達の分を、と思ったのだが、どうやら無理そうだ。
「わーったよ、好きにしなよ炎帝サマ」
肩をすくめる仕草もつけてエルモートがそう伝えれば、にこりと笑った騎士は最後のひとつを仕舞う。
行き場を失いかけた甘い菓子は収まるべき所へ収まって、バレンタインは穏やかに幕を閉じるのだった。