2.5話インターバルまるで監獄だと思った。厚い鉄の扉には何重にも魔術による強化が施されている。所々には召喚された投影体たちが、監視をするかのようにこちらを見やる。冷たい石造りの床に、嵌め殺しの窓。陽が差すことのないこの空間は異質で、ただの地下ではなくもっと奥深くにあるのではないのかとさえ錯覚するほどに。
ここはエーラムがとある人間を管理する施設。とある人間、つまりは『エーラムにとって都合の悪い人間』あるいは『何らかの罪を負って管理しなければならないと判断された人間』である。
それは邪紋使いであったり、魔法師であったり、──あるいは聖印保持者である。
ここに入れられた人間はだいたいエーラムのいいように使われるのが常だ。人らしい権利なんてなく、道具のように扱われる。恩赦をチラつかせては危険な魔境に派遣をしている、というのがここの常套手段だ。
それを自分はどうこう思ったことはない。上の判断に従うのみだ。それがエーラムの魔法師の役割なのだから。
だが、そう思わなかった友人が居た。
彼──ヒューバートはあるエーラム管理のロードと共に2年程共に仕事をこなしたという。それだけならまだ普通なのだが、あろうことか彼は、そのロードに対しての待遇を改善するようにという嘆願書を書いて提出したという。
ここで問題だったのは、何よりもそのロードの評判だった。
『他者を惑わす魔女』『ファム・ファタール』。彼女はそう呼ばれていた。所詮は根も葉もない噂なのだが、彼女が君主として治めていた国を滅ぼした。という事実はその噂に不可思議な魔力を帯びさせており、また彼女の美しい容貌も相まってか、特異な神秘性を醸し出していた。誰もがそれを遠巻きに見やるが、神秘に惹かれるのが人間の性というものだった。
やがて噂は独り歩きをし始め、大きく育っていった。このエーラムの職に就く誰もがそれを一度は耳にしたことがある程に。それ故に、彼女を過度に危険視する者たちも少なくはない。
そしてそんな彼女への嘆願書を書いた友人はと言うと、まさにその噂の火種に焼べられた薪でしかなかった。
やれ「ハルカス家の男が傾国のロードに誑し込まれた」だの「魔性の女の信奉者になった」だの、周囲は好き勝手に面白く騒ぎ立てられていた。それよりも過激な下世話な噂話も多々あったが、広まりに広まってついには上層の耳にも届くようになった。
丁度その頃に彼から、かのロードについての相談を受けた。だがその話を受けたタイミングは既に遅かったのだ。
当時、渦中の彼は自身の置かれた状況というものが見えていなかったらしい。当然と言えば当然だ。彼は台風の目であったというだけで、周囲で取り巻く嵐など見えはしない。直接その噂を確かめようとする馬鹿な輩だって多い訳ではない。それらが少しでも届かなかったという点では、彼にとって幸いだったのかも知れない。
自分はいくらなんでもそのやり方はまずい、と嗜めようとした。どんなに遅くともまだ彼がそれを取り下げたら、少しはマシになるだろうと思って。だが結局そのまま言い合いの喧嘩へと発展してしまい、碌に口を利かないまま今に至る。あの時見せた彼が心底落胆した表情は、しばらく忘れられそうにない。
そして彼は数日前、ダルタニアの僻地トトリへ派遣されて行った。本来ならアカデミーを卒業した新米が派遣されるような案件であり、彼のような実践経験豊富な行く場ではない。そのはずなのだが、何故か彼が選ばれたのだ。あからさまな厄介払いなのが見て取れる。
彼の家門であるハルカスの当主もあの噂話をたいそう気にしていたようで、二つ返事で了承したとかなんだとか。派遣される期限が不明なのもその所為なのだろう。
本来なら友人として何かしら声を掛けるべきなのだろうが、喧嘩別れをしてしまった今はそれが得策でないことも理解していた。何より、このエーラムなんて忘れて過ごして欲しいという気持ちもあった。
そんな友人の一件があり、噂話はどうであれ彼の仕事が実際に左遷されるべき内容だったのか、というのは確かめなければならない。そして、何より渦中のロードがどのような人物であるかも気になったのだ。それもあって色々難癖を付けたりコネを使ったりし、面会する運びとなった。
ついでにお前の所為で友人が左遷されたのだ、と嫌味の一つは言うつもりで。
いや実際に言ってしまったのだが。
言い訳をするとかのロードの反応が見てみたかった、というものだが実際に言おうとすると感情が露わになってしまったのが現状だ。本来であれば冷静にこなすべきなのに、これではエーラムのメイジとして立つ瀬がない。
かのロード──フリチラリアはそれに対して言葉数は少なく、だがその僅かに揺れた表情が何よりもその心の内を雄弁に物語っているように思えた。カルペディエムという国の末路は知っている。魔女とも、聖女とも、魔性の女とも謳われたその噂も。
だが、彼女は取り巻く噂の数々とのかけ離れているように見えたのだ。そこに居たのは、友人への悲しみを見せるただの一人の女性だった。
そう考えていると、こちらへと近づく足音に我に返った。
「そんなところで立ってると迷惑だよぉ」
と間伸びした声のする方を見やると、兄であるシーカー・ガルスが立っていた。機嫌の良さそうな赤ら顔の笑みを浮かべ、酒気の臭いを漂わせていることから、また昼間だというのに酒を飲んでいるのは明白だった。本来なら飲酒を嗜めるべきだが、今回使ったコネの一つでもあるため強く出ることはできない。
「兄貴、居たのか」
「そりゃあ別室で見てたからねぇ」
と言うのも、今回の面会が叶ったのはここエーラムで薬品類の研究をしている兄の実験の経過観察という名目があるからだ。なので事前にフリチラリアには試験薬──兄曰くただの整腸剤を服用してもらい、それの経過を生命魔法師である自分が状態観察をするという。というのが今回面会を行う上で使った反則技である。
おおよそ人道的な手段とはかけ離れているが、それでも知りたかったのだ。無茶なことをしたし、周囲に迷惑をかけてしかいない。人のことを言えないな、と遠くの友人を思い浮かべた。
「で、どうだった?」
「どう、って……」
「きみの所感だよぉ。あれが本当にヒューくんを誑かしたと思う?」
変わらない調子で兄が問いかける。“あれ”というのは、おそらくフリチラリアのことなのだろう。エーラムの魔法師らしい問いだと、心の隅で考えた。
まあ、あの感じだとヒューバートがいつものお人好しを発揮したのだろうな。というのは理解できた。先程のフリチラリアの様子からも察するに、そうなのだろう。そう考え、頭を振って見せた。
「いや。……兄貴はどう思う?」
「んー、きれいなおねーさんだな〜とは思ったよぉ」
ふにゃっとした笑顔で兄は答える。そういう意味で聞いたわけではないのだが。そう思い、少し頭を掻いて改めて視線を向けた。
「……そうじゃなくてだな。シーカー・ガルスとしての所感が聞きたい」
そう告げると、兄は少し難しい顔をして腕組みをした。
昔からこのシーカー・ガルスという人間は、あまり自分に対して魔法師としての側面を見せたがらない。いつも一線を引いて、自分と友人の前ではただの困った兄で在ろうとする。
「……聖印や身体状況に特質した異常初見はない、のだけれど」
「だけど?」
言葉を返すと兄は大きく一呼吸した。すぅと目を細めて、眼帯を指でなぞる。こうやって、シーカー・ガルスという魔法師は思考を切り替えている。
「聖印の成長速度、報告書の割には異様とも取れるね。かの地の混沌濃度は低度で比較的安定しているはずなのに。つまるところ見合ってないんだよ、混沌濃度と成長速度が」
その着眼点に舌を巻いた。一体いつ、そんなところまで見ていたのか。報告書だって自分から見せたことはないし、フリチラリアと会ったのだって今日が初めてで僅かな時間だったはずだ。それだと言うのに。
本当に嫌になるくらい、“才”というものを見せつけられる。今も昔も。
だが言われてみると確かに、その観点から見ると異様とも取れる。
聖印を強くするには、大きく3つの方法がある。一つ目は、他のロードから得ること。二つ目は、混沌を浄化すること。三つ目は純粋な経験。今回の場合はどの条件を満たしていないように思える。
シーカーをちらりと見やると、それに気づいたか頷いて続けた。
「うん。今回のは多分聖印が強くなるに値しない案件だと思うんだよね。本来は」
「それが実際には違う……」
腕組みをして考える。三つ目の方法、要は遭遇した敵などのことだが何かが引っかかる気がする。だが、それが何かまでは上手く言い表せない。そこから何かがある気もしたが、その思考を一旦隅に追いやり視線を戻した。
「他に気になることと言えば、低度で安定しているはずなのに、投影された魔物のレベルが高いこと。混沌濃度が急激に上昇して現れた謎の『白い投影体』……」
「あの地、何かあるのか?」
その問いにシーカーは困ったように首を振った。
「わからないなぁ。ただあの地の伝承はちょっと興味深くはあるけど」
「ああ、『双子星の国』の伝承か」
大まかにか知らないが、二人の君主がかの地を治め、片方の君主が裏切り今では二つの国に分かたれたという。
その伝承で気になる点と言えば、一つある。
「二人の君主、という点か?」
「そう、『どちらが君主でもなく、従属でもなく、二人でひとつの君主だった』というのが気になるよね」
君主というのは本来その地に一人のみだ。従属でもなく両者が君主のまま成立するというのは、少々難しい。様々な観点から見て、伝承が成立したであろう時代であれば尚更そうだろう。片方が自由騎士ならともかく、余程の事情かそれとも──。
「片方がロードでない、か」
「まあ私的には投影体じゃないかと思っているけどね」
シーカーがこちらを見やる。
確かに、投影体であれば先ほどの気になることの共通点である“混沌”に繋がる可能性が出てくる。
伝統的に言えば、アスター、オラクス共に深く、起源を遡ればおおよそ秩序回復戦争時代の後にあたる戦乱の時代になるだろう。であれば、今伝わっている伝承も時代と共に移り変わっているのも考えられる。
「だが、確証はないな……」
そう、あくまでその確証はないのだ。それは報告書を見た上での推論でしかない。今は外側ですら曖昧な箱の中身を当てようとしているだけの行為なのだ。それに、自分たちはその当事者ですらない。
しばしの沈黙の後に、シーカーは眼帯で覆われた右目に手をやって口を開いた。
「多分それが根幹な気がするんだよねぇ」
不思議と断定するかのような言い方に、思わず「何でだよ」と返すと兄はいつものように柔らかく笑った。
「うーん、何となく?」
そう言われると返す言葉はなかった。
今までも兄の言う「何となく」には多少の意図は含まれていたが、その考えが間違っていたことはほぼない。ならそうなのだろう、と腑に落ちた自分も居るのも事実だ。
「まぁ、僕に考えられるのはこれでおしまいかな」
兄はそう呟くと大きなあくびをした。まだ仮定を重ねての推論でしかないが、彼が訪れた地というのは少々“何か”があるらしい。であれば、お節介な彼のことだからまたそれに関わる可能性があるかもしれない。厄介なことでなければいいのだが。そう思い、少し嘆息した。
ちらりと兄の方を見やると、既にこちらを見つめて楽しそうに微笑んでいた。思案していたのを見られていた所為か、何となくばつが悪いように感じて頭を掻いた。
「ありがとな兄貴、助かった」
「ふふ、じゃあ帰ろうか」
そう言って兄はこの話は終わりと、こちらの手を引いて歩き出した。もう互いにいい大人なのだが、と文句を言おうと思ったがそれも野暮な気がして息を吐くだけに留めた。
つられて歩き出しながら後ろを振り返った。厚い鉄の扉。監視をする投影体たち。冷たい石造りの床に、嵌め殺しの窓。陽が差すことのないこの空間をもう一度見た。
まるで監獄のようだ、と改めて思った。
だが再びこの場を訪れる日は、そう遠くはない気がしていた。その時、自分と彼女はどのような立場で互いに立っているのだろうか。どうか今日のことが謝罪できたらいいのだが。そう思いながら、その場を後にした。