本編前の話ここシィガード連合国に所属するクラーキョの魔法師であるカサリカ・フーコは、突如連合国の代表統治者であるイトーザァからの呼び出しを受けた。
彼はこの地に献身する“聖人”として持て囃され、若くして連合国の代表統治者とされ、体のいい“お飾り”として、人身御供の如く使われている。
それに対してカサリカは特別な感情は魔法師としては持ち合わせていない。だが個人としてはそんな“使われ方”をしても、ただ純粋で在るその姿は、少し悲哀を覚えていた。
そんな彼からの呼び出しというのはおそらく、いや十中八九、先日連合議会から出された婚姻……もとい体のいい政略結婚についての話だろう。
そんな使い方もするのかとカサリカは嘆息したが、不幸中の幸いにもその議会で話題が出されたのみに留まった。まあ、彼の姉であり主の君主が強い牽制をしたのもあるのだが。
「……カサリカ・フーコ、推参しました」
通された彼の自室で一礼をする。
普段から彼の側にあるはずの邪紋使いが不在なことに気付いた。あまり政には巻き込みたくないのか、だとしても相談するにせよ自分のような魔法師も如何なものかと内心溜息を吐いた。
視線を上げるとイトーザァの煌びやかな祭服から覗く華奢な身体は震え、その瞳を不安げに潤ませていた。
「先日、政略結婚の話が出たのはカサリカお兄様も承知しておりますよね……」
やはりその話か、とカサリカは眉を顰めた。こうして個人的に話をするのだ、それに対する拒否感や戸惑いといった思考の吐露ではないか。
そう考えてここに来たのだが、彼の続けた言葉めその考えは停止した。
「……僕、その、……好きな方がいるんです。だから……」
まさかの方向に数秒間時間が停止した感覚に襲われた。いや、だがその可能性は確かにないと言えば嘘になる年頃だ。
いやだが、本当に何故自分にその相談をするのか。不名誉なことに自分はそのような事柄からは無縁だ。過去だって片想いがせいぜいだ。大抵の魔法師もそうだろう。……いやよくわからないが。
「……そう、なの、ですね……」
苦しく出た言葉が虚しく響く。思わず下を向いてしまう。
いやだが、イトーザァはまだ若い。だとするならば一時の気の迷い、若気の至りの可能性も一応あるかも知れない。そもそも軽く軟禁されており、異性との接触も少ない。だとするならば、それゆえに効果的に働く可能性も捨て切ることは難しい。
「あの、お相手は……どちら様で……」
なるべく平静に答えようとしたが、イトーザァの答えは予想の範疇を超えていた。
「その、……チェルお兄様、です……」
イトーザァは頬を赤らめて、恥ずかしげに身を寄せている。髪に触れる手は落ち着きがなく、視線も揺れていた。
成る程、あの邪紋使いが不在の理由はこれか。
立ちくらむような感覚にカサリカは眉間に皺を寄せた。一時の迷いであって欲しいと思ったが、存外にこれは危ないのではないか。そもさん、これはどう主に説明すべきか。そもそも説明をすべきか。
いやまだ話が持ち上がった段階であり、婚姻話はほぼ流れてしまうだろう。だとするなら、まだこれは機を見ていいはず。
「あの話ならたち消えるでしょう……。イトーザァ様はまだお若いです……。なので、その……それなりの年齢になったら、思いをぶつけるといいのでは……ないですかね……」
「そう、ですか……?」
イトーザァの表情がぱっと明るくなる。輝くような笑顔が眩しく直視できない。
その後はよく覚えてはいないが、ひたすら「大丈夫ですよ」と言った気がする。自室に帰る足取りは理由があからさまに重かった。
おそらく、時の流れがどうこうしてくれるだろう。カサリカはそう願った。