「風が気持ち良いねー。」
「そうですね!」
夕暮れ、海沿いの道路。ご褒美の時間は、穏やかに過ぎていった。
花園百々人は幸福を噛みしめる。
現場への移動時間のおかげでぴぃちゃんと長く過ごせた。撮影のお仕事をいっぱい褒めてもらえた。ご褒美に散歩をねだったら付き合ってくれた。
それは、彼の考える最高の一日を満たすに十分だった。
「今日がずっと続いて欲しいなぁ」
「そうですね……。ずっとこうしていたい気分です」
「ぴぃちゃんもそう思ってくれたの?嬉しいなぁ」
しかし、それは叶わぬ願いである。
若干の名残惜しさを感じたとて、プロデューサーはこの場の終わりを告げる必要があった。
「あまり遅いと親御さんを心配させてしまいますね。日が暮れる前に帰りましょうか!」
刹那、百々人の笑みは消え、困惑を露にする。
「『親御さんが心配』しなかったとしたら、ずっと帰らないで、ぴぃちゃんと居ても良いの?」
プロデューサーにその言葉の意味を理解することはできなかった。
目の前の彼が帰宅をただ憂鬱な責務として捉えていること、先の言葉がそれを揺るがしうるものであることなど想像だにしていないのだ。
「えっと……」
生まれた空白は大した長さでは無い。
ただ、長年懐疑と失望の眼差しを向けられ続けた少年と、困惑の表情の相性は、最悪だった。
「……ぴぃちゃんを困らせるつもりじゃなかったんだ。ごめんなさい、おかしなこと聞いちゃった……」
目の前の人間が傷ついている理由。プロデューサーがそれを推し量ることはできない。
それでも、誠実であろうと必死だった。
「……いえ、百々人さんの疑問はもっともです。『心配をかけたくない』というのは、帰る理由の一つにはなるかもしれませんが、本質では無いですから……」
落ち込んだ表情は少し晴れたが、少年はまだ困惑したままだ。
「私の考えですが、『帰る』ということは、より良い自分を作るための準備だと思っています。
人間が頑張るためには、休息が必要です。ですから、心も身体も安らげる場所へ『帰る』必要があるのだと、そう考えています。」
「それが、帰る理由?」
「はい。休んで、頑張って、また休んで……。そうして、百々人さんとずっと上を目指していけたら、と思っています。」
「ぴぃちゃんは、これからもずっと僕と過ごしてくれるの?」
「もちろんです!それで、もし百々人さんに帰る場所が見つからない時は、一緒に315プロダクションに帰りませんか?」
「315プロに?」
「はい。315プロは、いつでもみんなの帰る場所ですから。寮もまだまだ空いてますし、住みにくいところが有ったら改造しちゃって大丈夫ですよ!社長に許可はいただいています。」
「そっか……。」
百々人は何かを思案する。それをプロデューサーが知ることはやはりできない。
しかし、その表情は決して暗いものではなかった。
「うん、今日はもう遅いから、帰る準備をするね」
「はい!行き先はどうしますか?」
「今日はおうちまで送ってほしいな。置いてきたものがいっぱいあるから。でも、今度315プロダクションに帰るから。その時はぴぃちゃんも、一緒に帰省、してくれる?」
「もちろんです!」
そう話す二人は、社用車のある駐車場へ向かって歩いて行った。