あの日の箱庭で会いましょう(前) うつらうつら、夢現つのなか。
マイキーが手繰り寄せた布地はいつものタオルケットではなかった。ウゥンと唸りつつ、そういえば場地の母親が親戚から食べ切れない程貰ったという筍を炊き込みお握りにして、幼馴染みんなに持たせてくれた事を思い出す。なんだウチじゃなかった。それからそのお握りを昼食代わりに外で食べた後、睡魔が襲ってきて、それで。
それでどうしたっけ。
常であれば芝生か遊具かを寝具代わりにしたか、誰かが背負ってくれたのだろうけど。いまマイキーが転がっているのはフカフカ柔らかいベッドだ。
「ん……?どこ…?」
随分とリアリティのある夢だなぁ、なんて。まだ眠気の残る少年は暢気に欠伸を一つ落とすと、再度寝転がり惰眠を貪る事にした。
◇◇
誰も知らない三途だけが出入りする部屋がある。
直属の部下や喧しい幹部連中、マイキーにさえ秘密。広くはない。2LDKに納まる小さな秘密。壁紙の色は濃いめのグレーにした。写真を貼る時にその方が映えるから。元々はアイボリーの柔い色合いを自分で塗り替えたせいでフローリングの際が垂れた塗料により汚れてしまっているが、そんな些細なこと三途は気にならなかった。
うっとりした顔で壁一面に飾ったマイキーの写真を見上げる。
幼馴染三人で映ったもの、お互いの兄妹をまじえたもの、成長して東卍や関卍の特服に身を包んだ写真。反社会的組織に身を置く事になってからの写真は安全の為に少ない……かろうじて有るのは三途が個人的に撮った盗撮のような構図の物ばかりだ。
窮屈な背広を放りネクタイを緩めれば、自ずと肩の力が抜けて薄く息を吐いた。
なるべくマイキーの身の回りの世話を焼こうとする三途だが、どうしても仕事の都合ですれ違ってしまう日は寂しさを埋めに此の一室に通うようになった。
無数に貼られた内、子供の頃の写真へ額を合わせると人差し指の爪で自らの口端を強く掻く。ピリリと痛んだ。
ーーでもあの時の方が痛かった。
目に映るどのマイキーも大好きだけど、三途はあの日一生残る傷を付けて自分を塗り変えてくれた幼いマイキーが一等好きだった。在りし日のマイキーを追い掛ける彼には少児性愛の気があった。しかし今を共に生きるマイキーの事が一番大切な存在であるというのもまた事実で。自らの性癖はこうして小さな箱の中に仕舞い込んで時折浸る程度に解消している。こういう二面性を保つのは三途の十八番であった。
この部屋には素人の三途なりにコンセプトがあって、あの頃の愛らしいマイキーと一緒に暮らすとしたら。そう考えてインテリアや雑貨を収集している。当時好きだった漫画。しょっちゅう食べてたお菓子。お気に入りだったプラモデル。
飯事遊びをしているような時間は三途の隙間を馬鹿みたいに優しく埋めていった。
「なぁオマエ昨日の夜何処居た?」
「ア?あー……女のトコ」
「資料読んだらすぐ連絡寄越せよ」
「しただろ」
「今朝にな??すぐって言ってんだろ」
「寝てたんだよ」
「テメェマイキーにチクるからな」
「ッざけんなマジでやめろ」
マイキーが国外に飛び立ち早三日。生活の全てを彼に捧げている三途はどうしようもない虚無感に襲われていた。付き添って行った幹部が実の兄である明司というのも腹立たしく思う。精々一週間。されど一週間。三途はもちろん、後者で捉えてしまうタイプだ。
本当なら自分だって付いて行きたかったのに、此方は此方で重要な交渉事がありワンツー揃って本土を離れるのが憚られた。九井は不安そうにしているが、何だかんだで三途の方は明日には決着がつくだろう。そうしたら電話の一つでも入れたい。連日返事はないものの体調を気遣ったSNSのメッセージへ既読だけは付けてくれていた。恐らく催促しても返信は来ない。今更マイキーに見返りなんて求めるつもりもないが、さみしい事に変わりはなかった。
翌日の夜。怠いと言うマイキーに代わり電話口に出た相談役へ取り引きの成功を伝えて一通りの罵詈雑言を浴びせた後、三途はあの小さな箱庭へ向かった。
◇◇
ぬくい。全身を包む熱によりマイキーの額に薄ら汗が浮かぶ。充分な睡眠をとり、ゆるゆる浮上する意識が改めて不可解な状況を整理し始める。瞼を開いてぼやける視界を馴染ませようと瞬きを繰り返すと、鮮やかな翡翠に気が付いた。
「ひ」
長い睫毛が此方の目に触れそうな程、異常な距離で見詰められている。しかも抱き枕にするよう四肢を力強く絡められており身動きが出来ない。一瞬女かと見違えるような面の持ち主は何処か見覚えのある眼差しでジィとマイキーを射抜く。居心地の悪さと、得体の知れない現状への恐怖で未だ変声期を迎えていないマイキーの声が、はぁ、と漏れた。
男は呆けたように唇を開いてから直ぐに口端を上げはしゃぐ。
「すっげぇリアルな幻覚!」
「なん、えっ、何……!?」
「マイキーって声変わりする前そんなだっけ。可愛い〜♡」
「は!?は!??」
自分の渾名まで認識されている。
「今回のヤクそんな上等だったか……。アハハ、触れる。もちもちじゃん」
頬に両手を添え揉まれた。相手の焦点は合っておらず、幼いマイキーを可愛がる指先に潜む性的な意図を理解してしまえば生理的な嫌悪が募る。欲の滲むどろりとした瞳。桃色の髪がサラサラ揺れていた。
「……はるちよ?」
あれ?と思った。そんな筈はないのに。
しかし男は。あの妹を見る優しい眼と似つかぬ目をした男は「何ですか」と言った。
「マイキー今いくつ?」
「…10」
「じゃ精通はしてんだ」
「……」
「ン?マイキーが教えただろ。毛ェ生えた時も精通したのも」
「そうだけど」
春千夜の名で応答した男の言葉に嘘はない。幼馴染の中では二次性徴の早い方らしいマイキーは鼻高々に自慢話としてそれぞれ語っていた。
「本当に春千夜?なんでそんな格好してんの」
自身の頬に触れていた手を外す。脚は未だに絡められたままだが、彼の胸板を突っぱねて少しでも距離をとろうとする。どう考えてもこの体格差は成人男性のそれだった。今日、場地達と遊んだ時は当然ながら自分と同じくらいの背丈で、髪だって短くて筍のお握りを頬張る口に大きな傷跡もなかった。
「オレからしたら何でマイキー縮んでんのか分かんねぇすけどね。まァいいや、会いたかったし」
そして何より、彼がこんな甘ったるい猫撫で声を自分へ向けた事はない。
「どうせ朝には消えちゃうんだし。楽しみましょマイキー」
「コレ、夢、ってこと?」
「そうなるんじゃないですか?だって、昔のマイキーに会えるとか……そんな、漫画みてぇな話あるわけない」
「何すんの」
「マイキー質問ばっか」
「いいから答えろよ。それに大人の春千夜、なんか近い」
「そりゃ近くもなるでしょ」
マイキーの額を伝う汗を人差し指で三途が拭う。囁かれる声は粘っこくて、体が痺れたみたいに動けなくなった。
「ガキのマイキーと会えた記念に、筆下ろししてあげますね」