HoneyMoon
「デイビット、明日からしばらく空いてるよな?」
玄関口で、ブーツの紐を結び直していると、突然後ろから確認のように声をかけられた。思い立ったら即行動、人の都合なんてお構い無しの自由人から、突如として問われた予定。
珍しいと心の底から驚いて、聞かれた本人、デイビット・ゼム・ヴォイドはその大きな瞳をこれでもかと見開いて、「どうしたんだ?」と問いかけに質問で返した。
今、ここを出なければ、乗る予定の電車に間に合わなくなるというのに、ドアも開かずに進む気配のない両足はデイビットの動揺を教えてくれる。
「……空いてるんだろ?」
「しばらくというのがどれくらいかは分からないが、大学に行くことを除けばほとんど予定は無い。それよりもテスカトリポカがこちらの都合を気にかけることが出来たんだと驚いていた。」
「オレをなんだと思ってるんだ、オマエは。」
「自分勝手で、ワガママで優しい恋人。」
「よし、最後だけは合ってるな。」
迎えに行くから、いいこで待ってるんだぞ、とデイビットの額にキスを落とすと、満足そうにリビングへと戻っていく恋人の後ろ姿を数秒見つめて、はたと腕時計を見れば、確実に予定よりは遅く着くが、約束には間に合いそうだと小さく息を吐いた。
◇
「えー!!!!それ絶対ホワイトデーだからじゃない!?」
賑やかなアフタヌーンティーの場で、妙蓮寺の声が盛大に響いた。一斉に集まる視線に声が大きいことに気づいたらしく、こほんと咳払いをすると、目の前のキッシュにザクッとフォークを突き刺した。
「あの男、珍しくお行儀が良くて逆に不気味ね。」
心底信じられないとこちらに向けられるスカイブルーの瞳にデイビットも同意しつつも、惚れた欲目か「テスカトリポカは、意外と真面目だから。」と言えば、はいはいと流されて、妙蓮寺はデイビットの為に可愛らしく盛り付けしてきたケーキをずいずいと押し付けてくる。
「まぁ、アイツの話は置いといて。時間は有限なの、ほら、ここのケーキとっても美味しいからもっと食べて〜!」
目の前に差し出されたスイーツたちは、可愛らしい白うさぎのチョコレートが乗った苺のタルトであったり、桜と苺のムースには、ホワイトチョコレートで作られたうさぎの耳が飾り付けられている。パウンドケーキもうさぎの模様、桜ゼリー、ショートケーキと、存外に可愛らしいものばかりで、自分たちは浮いているのでは?という疑問もあるが、それなりの金額を払っているので気にせずに食べることにする。
どうしても一人では行きづらいから、付き合って欲しいと言われたアフタヌーンティービュッフェは、ほぼ女性しかおらず、先月のチョコレートの祭典を思わせた。
あの時、最初は怖気付いてしまいそうだったが、結果的にはテスカトリポカに喜んでもらえたし、良い経験だったなと改めて思う。
ここで出される食事もスイーツも予想よりもはるかに美味しいので、今回はあくまでも付き合いで来たが、季節によって内容が変わって来るとキラキラした目で妙蓮寺が言っていたから、今度は恋人と来てもいいかも知れない。
そんな事を思いつつ、楽しげに話す妙蓮寺の話に耳を傾けてながら、黙々と食事をしていると、騒がしかった店内に不意に、小さな悲鳴が上がった気がした。
どうしたのだろうと、頬張ったケーキを咀嚼しながら、顔を上げる。と、視界に見慣れた骨ばった白い指と、綺麗に整えられた黒い爪が目に入る。
「迎えに来たぞ、デイビット。」
声のした方を反射のように向けば、いつもはさらりと揺れる金髪を一つに結い上げて、普段あまり着ることは無いだろう、裏地が深紅の、薄くストライプが入ったスリーピースのブラックスーツ、グレーのシャツにこれまたご丁寧に黒のネクタイまで締めた美丈夫が目の前に立っていた。
一応、ドレスコードは守るんだな、素直に感心していると、サングラスをずらして、してやったりと笑うテスカトリポカに口元に付いたクリームを拭かれた。
「約束は明日、じゃなかったか?」
「今から空港に行くぞ。」
食べていたものを飲み込んで、無駄であろう言葉を呟けば、予想通りこちらの台詞を無視した返答が来る。
「ちょっと、アンタいつもいきなりなんなの?」
デイビットを強引立たせると腕を引き、連れて行こうとするテスカトリポカに、妙蓮寺は心の底から軽蔑したような顔をして言葉を放った。
「おーおー、これはこれは。ペペロンチーノ伯爵はご機嫌麗しく。」
「ふざけないで、デイビットを放しなさい。」
「はは!それは無理なことだ、もう時間がないんでね。」
挑発するように恭しく腰を折ったテスカトリポカに、更に冷たい声が降り注ぐことは予想の範疇だったのか八重歯を除かせて煽るように笑う。
険悪な二人の間に挟まれたデイビットは大きく溜息を吐くと、「すまない、今度埋め合わせをしよう。」と妙蓮寺に伝える。
そして、自身の腕を引くテスカトリポカに、恐らく最重要事項になるであろうことを確認する。
「パスポートは忘れていないか?」
「おぅ、なんならオマエの荷物も詰めてきた。」
「そうか。なら、行こう。」
冷めてしまっていた紅茶を飲み干すと、ごちそうさまでしたと一言いい、テスカトリポカと連れだってその場を後にする。
嵐が去った後のように少しの沈黙のあと、また賑やかな昼下がりの空間へと戻っていく。
残された妙蓮寺はせっかくの癒しの時間が台無しになったことが悔しくて、オフェリアとマシュに即、夜はいつものバーに集合と連絡を入れた。
「はーぁ、でも悔しいけどお似合いなのよね。」
破天荒なことをするテスカトリポカ、それを受け入れるデイビット、そう見えるがなんだかんだデイビットが随分と甘やかされていることは分かりきっていた。
既にこのホテルを去っただろう二人が無事に目的地へ着くことを祈りつつ、目の前のケーキを口に運んだ。
◇
「……間に合うのか?」
「余裕だぜ、オレの運転なら1時間かからねぇよ。」
スマートフォンに転送されたチケットの詳細は19時5分発ホノルル行き、なぜ突然ハワイ?とは思ったが、いつものテスカトリポカの気まぐれだろうと、画面をスクロールすると帰路の便の日付にまた大きな溜息が漏れる。
「おまえ、仕事はどうするんだ?」
「新婚だからっていって休み取った。」
「え……」
「オレたちはハネムーンなんだぜ、ハニー?」
恐らく高速道路を軽快に走る車の中で無ければ、テスカトリポカに詰め寄っていた。結婚もしていないのにハネムーン?どういうことかと混乱していると、運転している彼の耳が少し赤くなっていることに気付いてしまう。
「プロポーズが先じゃないか?ダーリン。」
くすくすと笑いながら、返事をすれば、「あー」とか「んー、」とか歯切れが悪い返事が続いて、それはハンドル捌きにまで影響して、危なっかしい運転に少しヒヤヒヤしながらもテスカトリポカの言葉を待つ。
「……向こうに着いたら、めっちゃくちゃカッコよくプロポーズしようと思ってたんだが、」
「もう返事をしていいか?」
「そこはオレの顔を立てて欲しいとかテスカトリポカ思うワケ。」
普段と違い少し焦ったように喋るテスカトリポカに今度こそ声を出して笑ってしまう。
少ない荷物の中に、揃いの指輪が入っていることも、人生で一度泊まれればいいほどの部屋を予約してることも、まだデイビットは知らないけれど、最高の気分に運転するテスカトリポカの頬に小さなキスをして。
「オレと、結婚しよう。」
と耳元で先手のプロポーズをした。
危うく事故を起こしそうになったのも、きっと旅の思い出の一つになるだろう。