「そら、行きな」
「大般若…あなた……」
驚きに見開かれた女の独特な瞳が大般若を見つめる。
儚く散ってしまいそうな女の身体を、彼女の父であり大般若の主人が作り出した結界の外へと押した。
「大丈夫さ、俺は主人のお気に入りだからな。また会えるさ……」
穏やかな笑みを浮かべて、大般若は女を見送った。
「大般若長光。主の命に背いた罪により、お前を拘束する」
へし切長谷部の凛とした声が背中に届く。振り返って見れば長谷部の他に数振りの刀が立っていた。
抵抗しないでくれ、とでも言うように眉を潜めて唇を噛み締めた燭台切の姿に大般若は肩を撫でさせて両手の平を見せた。
身体を拘束される。抵抗はしなかった。燭台切の為ではない。行く末など命に背いた時から決まっているのだ。
「僕からも、主に話をしてみるから…」
絞り出すような声と手の震えが伝わる。
なぁ、あんたも分かってるだろ。あの子が生まれた時から、見守ってきたんだ。ここにあの子の幸せはないよ。
大般若は燭台切の手に軽く己の手を重ねて笑んだ。
「逃げやしないさ」
大般若長光、と怒気を孕んだ低い声が名を呼ぶ。
「おや、主人自らわざわざ来てくれたのかい?」
「残念だよ。貴重な一振であるお前を手放さなきゃならないとはな…」
落胆なのか、軽蔑なのか冷たい視線が貫く。元より堀の深い精悍な顔立ちで、経た年の年数刻まれた皺と固く一文字に結ばれた唇が殊更に威圧感を放つ。
大般若の薄い唇から、はくっ、と唇から息だけが溢れた。
「待って!話を……」と、燭台切が懸命に許しを乞う声が聞こえる。
止めな、燭台切。この男には何を言っても無駄さ。あんたまで刀解されちまうって……
大般若の手が燭台切の袖を摘んだかと思えば、赤い瞳はゆっくりと目を閉ざされた。
あぁ……きっと、あんたの子もかわいいんだろうな。
一目見たかったな、叶うならば……その子もこの腕に抱いてやりたかったなぁ。
以来この本丸に大般若長光の顕現報告はないーーー・・
「貴方には貴方の霊力で顕現した男士が側にいた方がいいでしょう」
そう言って翁が用意した顕現の儀の一振の依り代刀。
審神者の霊力を加え、刀剣男士としての顕現を願うもの。
是常が刀に人形の札を置く。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、手を刀へと翳す。
少し後方で見守っていた翁の初期刀、山姥切国広が小さく声を上げる。
優しく甘い桜の香りが鼻を掠める。
「お初にお目にかかる。俺は大般若なー・・って、おーい、聞いてるかい?」
穏やかな声色が紡ぐ言葉とは裏腹にきらびやかな姿に呆然とする布に覆われている是常の顔を大般若長光は覗き込む。
「……すみません、俺みたいなのがお呼びして…」
呟くように紡がれた言葉に仮面の向こうの赤い瞳が見開かれる。少し間を置いて大般若は腹を抱えて笑う。
「あははっ、あんた面白いなぁ。まぁ、これからよろしく頼むよ」
どうしてここまで愛おしいのか、と思う日が来ようとは、どちらもこの時…思いはしなかった。