あの子 虎の子 逃走中!その日、五条悟は酷く疲れていた。悠二の元へと早く帰りたい。その一心で任務をこなし、ようやく家に帰ってこれた!と思いきや、部屋の中は既に真っ暗だ。寝ているのか?と思い、とりあえずリビングへと足を向け灯りをつける。するといつも食卓を囲む机に紙切れが置いてあった。
「探さないでください。」
それだけ書かれた紙にをポカンと見つめる五条は「へ?」と間の抜けた声を思わず出してしまった。「探さないで、ください?」なんだそれは、何か嫌な気持ちにさせてしまっただろうか。この間、間違えて食べた悠二のプリンはあの後、ちゃんと謝って許してもらったし、アイスを食べた時も、靴下を裏返して脱いだ挙句、ソファに置きっぱなしで怒られた時もしっかりとその後、機嫌を直して貰ったはずだ。いや、どれだけ自分は悠二に迷惑をかけているのか…?思い起こせば思い起こすほど嫌になってきた。
ここで五条の恋人、虎杖悠二の話をしよう。虎杖悠仁とは男のような名前だが歴とした女性である。特級呪物の両面宿儺の指を飲みこみ、宿儺をその身に宿す女子高生で時折、身体に出てくる宿儺との言い合いや喧嘩を見た周りの者達は気が気でなかったが、悠二のその朗らかな性格と明るく可愛らしい笑顔に絆されていくのがわかった。
閑話休題
その手紙を見た五条はひたすら家の中を探した。しかし「探さないで」って言った者が家の中にいるわけもなく、よく見れば、いつしか休みをとって二人で旅行に行こうねって話していた際に購入していた大きめのキャリーケースすら無くなっており、クローゼットを開ければ悠二の服は数着残っているものの、殆どが無くなっていた。
「おいおい、マジか…」
逃げられた、その言葉しか頭に思い浮かばなかった。本当に何か心当たりは無いのか?と自問自答してみるが全くわからない。昨日までいつも通りで、朝も仕事に行く自分を見送ってくれたし…
「いや、あの子は隠し事が上手だ」
虎杖悠仁は隠すのが上手い。怪我も、寂しさでさえも…。
「クソッ、何が探さないでくださいだ!ゼッテー逃がさねェ…!!」
斯くして五条と悠二のドキドキ鬼ごっこは幕を開けた。
***
「ふー、良い空気!やっぱり田舎ってのは良いよなぁ!」
本当なら地元に帰りたかったけど!と悠二は唯一の肉親である祖父の墓参りにすら行けないことが寂しかったが、今の自分の状況、身体からするに無理は禁物、逃亡先に何事もなく来れただけでも良かったというものだ。そう、簡単に言うなれば悠二は妊娠している。
誰の?と聞けば当たり前に「悟さんのだけど?」と明日の天気を答えるように軽くいうだろう。しかし事態はそれほど軽くなかった。元々、格式ある五条家は一般人、ましてや宿儺を身に宿す悠二を五条の番として迎え入れたくない、というのが本音だろう。それを五条が家の煩わしい人間を黙らせている。何も言わないが悠二はそれを知っていた。
宿儺の指を飲み込んだ自分には子供なんて縁のない、もしかしたら永遠に手に入らない幸せかと思っていたのだ。しかし宿ってくれた小さな命はどうやら悠二の胎の中で育まれているらしい。逆算して数えると、ある日、出張を極める五条が難しい任務から戻ってきた時、お疲れ様、という意味も込めて悠二が五条をお誘いしたときに出来た、ということがわかった。
そこから五週間後、悠二は何だか調子が悪いことに気づく。倦怠感や吐き気、それを隠しながら任務をこなす日々についに痺れを切らしたのか、泥のように眠った夜。眼を覚ましたら宿儺が眼の前にいて「うわっ!?」と悠二が声を上げると宿儺は「ケヒッ!」と笑った。
「宿儺か…!どうしたんだよ、寝かせてくれ…」
「お前、その様子だと気づいていないようだな」
「は?何に?」
宿儺はケヒヒッと奇妙に笑うといつの間にか手に何かを持っていたらしく、それは淡い青い光だった。それを宿儺は悠二に見せびらかすように笑う。しかし悠二には何を持っているのか、宿儺が何をしたいのか全くもって分からなかった。
「お前、あやつと契りを交わしただろう?」
「契り?って何?」
「お前の頭は空っぽか?今でいうセッ「わー!!わかった!なる、なるほどね!?」
「うるさいぞ、大きな声を出すな。揺らいでしまうだろうが」
揺らぐ、とは何が?本当に意味がわからない。宿儺にどこか優しく、そして恭しく淡い青い光を両手で包み込む。
「なぁ、本当になんなんだ?そんな赤ん坊みたいに持って……え…?」
「おぉ、ようやく気づいたか。鈍感なことだ」
もしかして、その宿儺が持っているのは…
「俺の…赤ちゃん…?」
「それ以外ないだろう」
「悟さんと、俺の…?」
それを悟った瞬間、悠二は声を上げ泣き崩れた。
***
悠二には夢があった。好きな人と暮らし、子供を作って幸せな自分だけの家族を作ることだ。
しかしそれは悠二にとって無理だと分かっていたことでもある。宿儺の指を全て飲み込んだ悠二はいつか処刑されてしまうからだ。自分の選んだ道、納得したことに不満はない。だけどやはり、野薔薇と買い物に行くために休日、街へと繰り出ると両親と手を繋ぎ楽しそうに笑う子供を見て「良いなぁ」と思う。いつしか野薔薇の前で小さく声を漏らしたことがあった。
「良いなぁ…」
「ん?何がよ?」
「…っ!いや、なんでもない!!」
野薔薇は今さっきまで悠二が視線を向けた先を見るとそこには幸せそうな、幼い子供を連れた家族が笑いながら買い物をしている姿だった。
「今日何食べたい?」
「カレー!」
そんな会話を聞いて「あれか…」と悠二に聞こうとした野薔薇は悠二に向き直り、「ねぇ、あれのどこが…って!え!?」と声を上げる。野薔薇の眼にはいつもニコニコと笑顔の悠二が、静かに一筋の涙を流していたからだ。
「アンタ…」
「へ?え、え??なんで俺泣いてんの?」
「……」
「ははっ、疲れてんのかな俺…先に帰るね!!」
野薔薇に別れを告げ出口へと走ろうとした瞬間、「アイス食べるわよ」とその腕を強く掴まれ、逃がさない、と言わんばかりの圧力を感じた悠二は「はい…」と頷いた。
「………で、アンタは泣いてたのね」
「恥ずかしいなぁ…」
今にも消え入りそうな悠二に野薔薇は黙って悠二の頭を撫で続け、肩にもたれかかり「アンタは……幸せになるわよ」と小さく、だけどしっかりと呟いた。
「ははっ、そうかな?」
泣き腫らした赤い目元を擦りながら笑うと野薔薇は悠二の頬を軽く抓った
「この私が、おまじないをかけたのよ!なるに決まってるわ」
「釘崎、ありがとう」
幸せの形は、人それぞれ、だけどその形が本心だとは限らない。
悠二は自分に凭れ掛かる野薔薇の体温が、ただただ温かくて有難かった。
***
買い物から高専へと戻ると校門の所に悠二の恋人である五条が立っていた。
「ゆーじ!どこに行ってたの!!」
「へ?釘崎と買い物だけど?」
「うわ、重い男は嫌われるわよ」
「シャラップ!!」
「はいはい、邪魔者は退散するわよ。ありがとね虎杖、買い物に付き合ってくれて」
「あ、うん!」
そう言って先に女子寮へと戻った野薔薇の背中を見送りながら悠二は五条の方へと向き直ると五条は心配そうな顔で悠二を見つめていた。
「…最近、調子悪いんだって?」
「え、でも動けるし」
「悠二、何か不安なことない?」
「なんで?」
「悠二は隠すのが上手いからね」
悠二を真っ直ぐに見据える五条の圧に負けそうになった悠二だが「大丈夫だって!」といつもの様に朗らかに笑った。その顔の真意を確かめようと悠二に近づこうとしたところで、五条の携帯が鳴った。
「…ッチ」
「伊地知さんじゃん?また車待たしてるの?」
先生、だめだよ、と微笑む悠二の心境は「助かったー!」という気持ちでいっぱいだった。五条は伊地知との電話を終えると悠二に向き直り、
「悠二、だめだ、一緒に住もう。じゃないと僕が安心できない。」
と有無を言わさない声色で悠二に言葉をかける五条は本当に不安な顔をしていた。そんな顔されたら「うん、いいよ」としか言えなくなる。
「うん、良いよ、先生がそれで落ち着くなら」
「悟」
「え?」
「二人きりの時は悟って呼んで」
「わ、分かった」
そうして悠二は翌日、女子寮を出て五条の家へと居候することになった。どうやって周りを言いくるめたのか未だに悠二には謎だが、大好きな五条と暮らせるのなら悠二としては不満などは無く、幸せで順風満帆だった。
閑話休題
悠二は順風満帆なまま五条とこのまま幸せに暮らしていくはずだったのだが、まさか自分が身籠るとは思わず、しかもそれを宿儺に指摘されるなんて…宿儺のことだ。弱っている自分の身体を乗っ取り、そのうち暴虐の限りを尽くすことだろう。その心情を宿儺に見透かし、「お前の懐妊をあの五条の小僧に言ってやろうか?」と悠二の不安定な気持ちを更に揺すってくる。それが悠二には酷く腹立たしい。
「お前には絶対この子は渡さない!」
宿儺が持っていた青い光、つまりは宿ったばかりの我が子を引ったくるように奪う。その光は温かく柔らかく、どこか簡単に壊れてしまう。そんな気がした。姿は見えない、だが確かに感じる鼓動に悠二は覚悟が決まったように宿儺をまっすぐ見つめ
「俺、この子を産む。誰にもやらない。五条家にも、勿論、お前にも」
「ほう?」
宿儺は不敵に笑うと「俺ほどお前の身体の中を熟知している者もおるまいに」と言い放った。確かに、そうなのだ。悠二の身体にいる宿儺は悠二の身体を熟知し、何なら外側にも出てくる。そんな宿儺から胎で頑張って育とうとしている我が子を守れるものか?外側からの敵からなら守れるかもしれない。しかし内側からは無理だ。自分の身体からどうやって我が子を守れるというのだ?
「どうすれば…」
「……これはただの提案だ。しかし二度は言わない。俺は人間というものは捕食対象でそれは赤子でも同じことだ」
しかし、と宿儺は続け、
「俺は五条の小僧が気に入らん。家ごと、だ。邪魔をしてくる五条家をお前が生死問わず倒していく覚悟があるのならば、お前の胎にいる赤ん坊を守ってやる」
「……っ!?」
「悪い話ではなかろう?」
悠二は少しの間、黙る。だが覚悟は決まっていた。何か裏があったとしてもこの子を守れるというならば何にだってする。例え、愛する人を裏切ることになったとしても…。
***
斯くして悠二は五条家そして愛する人から我が子を守るために逃げることを選び、出ていく前日はとても優しく甘いひと時を過ごし、そして朝見送りの後に直ぐ荷物を詰め、鍵をポストに入れて出ていった。
時折、自分の中にいる宿儺が我が子に悪さをしないか心配なところはある。しかし、今は宿儺に我が子を任せるしか他ない。行くアテはない。しかし地元に帰るなどすぐにバレるような所で産むなんて何が起きるか分からない。悠二は生まれ故郷の正反対、南の方へと移動することにした。
「海が綺麗なところがいいなぁ」
地方に行くには新幹線や飛行機を使う人が多い中、悠二の移動手段は電車を乗り継いで行くことだった。行くアテもないなら、と行けるところまで行こう。誰にも報せず、誰も自分を知らないところへ。
平日ということもあり、電車内の乗客は悠二以外いなかった。すると頬から宿儺の口が出てきたのか笑い声が聞こえた
「ケヒヒッ、本当に行動に移すとはな、お前にそこまでの度胸があったとは驚きよ」
「うるさいな、…赤ちゃんは今どうしてる?」
「相も変わらず揺かごの中で眠っておるわ」
揺かご、とは悠二の子宮のことを指す。悠二は「そっか」と少し安心をする。「どこで降りようかな」と悠二は新しい携帯の地図を見て「次で降りようかな?」とブツブツと呟くが、乗客は自分一人なので誰も不審な眼で見る者はいない。悠二が最初にとった行動は携帯を解約し、新しいものへと変えて全ての連絡を断つことだった。
「海が綺麗なところがいいなぁ。自然の中で沢山遊ばせてあげたい。」
「好きにしろ、だが忘れるなよ。五条の小僧は恐らくどこまでもお前を追い詰めるだろう。気を抜くなよ」
「なんだ、宿儺優しいな、なんか食った?」
「フン…ただの気まぐれよ…」
そう言って宿儺は大人しく体内へと引っ込んでしまった。実を言うとアテはないと言いつつも悠二は目星を何点かつけており、主に海の近く、診療所あり。山の中、診療所あり、海と山に挟まってる少しの都会で大きな病院あり、の三つに絞りながら電車に乗っていた。
「あ、海!」
空と海の境目が分からないほど青い海、空。そして綺麗な真っ白い雲。車内で次の駅の名前を聞くと、響きもよく「海の近くに決めよう」と決心し、電車を降りた。
「あっつ!!」
十月でセミも鳴いていないのに残暑、という言葉があるようで汗をかくような暑さに悠二は先程までクーラーの効いていた車内に直ぐ戻りたくなった。
「十月になったらスパッと涼しくなってくれたら良いのにな」
小さな声でお腹に話しかける。まずは不動産会社へと行き、手狭でも良いからとアパートを何軒か内見へ行かせてほしい。と適当に見て周り、契約をした。その日はネカフェでも泊まるか。ということで、まだ動けるうちに散歩がてら病院、スーパーなどを見て回る。偶然にも契約した家の近くに産婦人科があると知り、予約なしで入り、妊娠を確定付けてもらう。その他諸々の手続きも済ませると悠二は酷く疲れてしまった。
「あー…疲れた…こんなんでやっていけるのかなぁ」
怒涛の一日に悠二はネカフェで一息つく。無事育ち生まれ、育てたら更に大変な日常が待っているのだ。それでも悠二には後悔のようなマイナスな気持ちはなかった。宿儺との契約はあれど、誰からの監視もない、自由な生活に心躍る。それでも五条への裏切りで心痛んだり、理解者の伏黒や野薔薇を置いていった寂しさは拭えないが、それでも自分より優先したい、そんな存在ができた悠二には感傷に浸る時間などない。明日はアパートへ引っ越しや買い物をし、大量に下ろした全財産を新しい銀行へと移したりベビー用品を買ったり等やることは多いのだ。辛い時にこそやる気が増す悠二は「うっし!やってやるぞー!」と心の中で叫んだ。