花屋の君①「七海、お客様に渡す花束を受け取って来てくれ。会社名言えば店員さん分かるから」
そんな指示を受けて七海は先輩に言われた花屋の前に居た。いつもはその先輩が受け取って来るのだが、上司の急な呼び出しで自分が行く羽目になったのだ。
いつも注文しているという花屋は思ったより、広く生花だけではなくグリーンや多肉植物などバラエティに富んだ品揃えだった。
まともに花屋に来た事がない七海が物珍しく見ていると奥から物音がした。
「いらっしゃいませ!」
奥から出てきたのは自分より痩身で黒いアンダーリムの眼鏡をかけた男で胸元の名札には「伊地知」と書かれていた。
「すみません、注文の品を取りにきました」
「はい、お名前をよろしいですか?」
会社名を伝えると奥の大きな冷蔵庫の様な機械から箱に入った花束を取り出す。
「お二つで間違いなかったですか?」
「えぇ、間違いないです」
「リボンを付けるので少しお待ちください」
ピンクの布を指に巻きつけ、輪っかを作る。素人の自分では分からない素早い動きでリボンをあっという間に二つ作り上げていく。
「凄いですね…」
思わず声を漏らすと「ありがとうございます」と笑いリボンを花束に巻いていく。
ひとつひとつの所作に無駄がなく、綺麗だ。
「終わりました。お支払い金額こちらです」
電卓で出された金額を支払いお釣りを貰う。
「ありがとうございます…いじち、さん?」
「はい、伊地知です。変わってますよね、この苗字」
名札に触れて照れ臭そうに笑う。いつの間にかこの人から目が離せないでいた。
名刺入れから名刺を取り出し、彼に差し出す。
「七海と申します。今後ともよろしくお願いします」
普段、お客様以外の付き合いでは名刺など渡さない。だが、なぜかこの人には自分を覚えていて欲しいと思った。
彼は少しぽかんとしていたが、すぐに机の引き出しを開けて名刺を取り出した。
「改めて、伊地知です。またよろしくお願い致します」
その名刺を受け取り、店を後にした。鼓動が早い、彼の笑みが頭から離れない。
会社に戻ると先輩が「お前顔真っ赤だぞ」と言われたが「外が暑かったので!」と誤魔化した。
〜伊地知視点〜
初めて見た社員さんだった。とても礼儀正しくて、名刺までくれるとは思いもしなかった。
「七海…建人さん」
名刺に書かれた名前を読んでみる。自分より体格が良くて綺麗な金髪を持った人。
いつも来る社員さんは自分がリボンを組んでいる間、外に出られたりスマホを触られたりしているのに対して彼はずっと自分の手元を見ていた。
『凄いですね…』という言葉なんて久しくかけられた事なかったので、早々に「ありがとうございます」と言ったが内心めちゃくちゃ照れ臭かった。
「七海さん、また来るかな」
なぜか彼に会うのが待ち遠しくなった。