これまでに培ってきたカンか、無傷では厳しいなと思って引き受けた任務があった。血生臭い戦闘に巻き込まれ当たり前に返り血も浴びれば刺されて流した血も服にこべりついていた。応急手当てはしてもらったがしばらくは安静だなとどこか他人事に自分の体を見て思う。
何も言わずに出ていくと仲間のことだ、後から逐一文句を言われるに違いないし、説明したところでついていくなんて言われかねない。
しばらく留守にするという置き手紙だけ残しておいて来た。まあそれでも当たり前に言われるのだろうけど。
そんなことを考えながら重い体を引きずるようにしてようやく拠点へと辿り着く。
視界がモンマルトを捉え後少し、後少しとゆっくり近づいていく。すると店の前近くに来た時に扉が音を立てて開いた。
「おやっさん」
「…なんだその身体は」
「まあ色々あったんだよ」
「ふん。まあここで何言っても無駄だろうから上がってから反省しろ」
「へいへい」
「明日起きれるようだったら顔はだしな」
「…へいへい」
店もとっくに閉めていた時間だろうに少し申し訳なく思ってゆっくり階段を登っていく。気が抜けてきているのか視界がぐらぐらし始めてきた。
別にここで終わればそれまでだし、生きていたらそれはそれで不運。壁に手を当てながらやっと扉の前まできて気配に気づいた。
その気配に数秒気を取られているとガチャリと目の前の扉が開き金髪の頭部が見える。
なんでいるんだとか何してるんだとか考えていたことはたくさんあったが無意識に手を伸ばしていた。
「おかえりなさい、ヴァンさん」
「…ただいま」
柔らかく優しい声が耳に響き暖かい体温が冷えた自分の体を包み込むように支えられていた。
自分がまた帰ってこれたと実感できた瞬間だった。
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ピピと小鳥の囀りでゆっくりと意識が浮上した。昨日の記憶を探っていくが自力でベットで転がった記憶はない。
そういえば、と、昨日は衝動的に縋りついてしまったが今になって羞恥心が込み上げてくる。
のだがその本人がどこにもいない。今は何時だとか仕事かとか数秒のうちにいろんな可能性を考えたが怪我を負ったせいか頭がいつもより回らない。くしゃりと前髪をかきあげて情けなさにため息を吐いた。
「あ、ヴァンさん。おはようございます」
「は、お、おぉ?」
「身体は大丈夫ですか?」
「まあ、だいぶ回復はした…」
「もう。酷い傷だったんですよ。導力魔法である程度の傷は塞がったんですけど体力がまだ戻ってないと思うのでしばらくは安静です」
「記憶にねえ…」
「すぐ眠っちゃいましたからね」
「…ありがとな」
一泊間を置いてアニエスはいいえと笑った。心配かけてるのも自覚してるし説教された記憶もある。前までは綺麗なブルーの瞳に涙を溜めていたのに今はただ悲しそうに揺らいでいる。隠れて泣いているのも知っている。目が腫れて目元も赤くなっているのだって気づいている。
それでも何も言えない。
「起き上がれますか?」
「あぁ、問題ない」
ゆっくりと起き上がれば昨日の身体の痛みがほとんどなく、ふわりと鼻をかすむ良い匂いに反応した。
「パンケーキとコーヒー用意してますよ。移動できそうなら向こうで食べますか?」
「ん、動けるからそっちで食うわ」
「じゃあ準備してますね。ゆっくりきてください」
にこりと笑うアニエスを見て形容し難い気持ちになる。
ただ側にいるだけで良いと言われて本当は断るべきだったのに何も言えず受け入れてしまっていた。
いや、どこかでこうなることを望んでいたんだと思う。無条件で側にいてくれて、自分を受け入れてくれる存在を。
部屋を出て用意されている食事を前にお腹から音が鳴る。
「っふ、ふふっ…」
「…仕方ねぇだろ。昨日から何も食ってないんだよ」
「そうですよね…ふ、」
「おい…」
「ごめんなさ…あ、どうぞ」
肩を震わせて我慢しているのがわかるが楽しそうな顔を見るとどうにも言えなくなってしまう。というかアニエスに関することは言葉を詰まらせることが多いのかもしれない。
思ったことを口になんて出すほど子供でもないし、笑った顔が可愛いなんて今更だっていうのに。
アニエスが還る場所になっているのは否定しない。実際そうだからだ。死んでも良いと半ば諦めながら任務も全部過ごしてきたがここに帰ってこれたことで、まだ生きていると実感できる。
「…っ!?え、え!?ゔぁ、ヴァンさん!?」
「は?」
「な、涙、が…」
ぽたり、机の上に一つ雫が落ちたことで気づいた。視界がぼやけている。目の奥が熱い。
なぜなのか、どうしてなのかわからない。
目の前のアニエスがティーカップを置いて慌てて隣に腰を下ろし、顔を覗き込もうとするアニエスの腕を引っ張り抱きしめた。
「ヴァンさん?」
「ん」
ぎゅっと小さくて柔らかな身体を抱きしめると背中をぽんぽんと叩いて宥められる。
「お前は…」
「はい?」
「あったかいな」
「そうですか?ヴァンさんも暖かいですよ」
"困ってる人を放って置けなくて必ず手を差し伸べてくれる暖かくて優しい人です"
それはどっちだ、なんて思いながら少しだけ強く抱きしめた。
夜明けの景色