ふと交わる視線の綺麗な蒼の瞳の奥を覗き込めば、その瞳の中の想いも伝わるようになった。でもそれはお互い様というもので。
ただ、この関係性を問われると何も言えなくなってしまうのが事実だった。
タイミングがなかったわけでもない。何度かチャンスは巡ってくるというものがこの世界の理というものだ。
だけど、その度に考える。
もし失う日がくるのだとすれば、それは自分の破滅の日だ。
それを巻き込んで良いと思えない。
言えば彼女のことだ。必ず寄り添って側にいてみんなで解決策を見つけ何があっても離れないというだろう。でもそれじゃあ困る。破滅すると分かっていて、愛しいと思える女を側に置く事なんてできない。
それがあるからこそ一歩踏み出せずに踏みとどまっていた。喉からでかけた言葉は固唾と一緒に飲み込む。それを繰り返してここまできてしまったのだ。
「最低ね」
「お嬢さんがかわいそうだ」
「言いたい放題言いやがって…」
「アニエスさんの気持ちも考えなさい…ってそれは考えているのよね」
「当たり前だろ…大事なんだよ」
「ふぅ…。拗らせもここまでくると重症だな」
「本当に。まぁ、相談するだけ成長したわ」
「ぐっ…」
相談と言って良いものだろうか。ヴァンは棘のようにちくちくとお小言を言う幼馴染の二人を横目にため息をついた。
そもそもこれの始まりはアニエスと街へ出かけ買い物をし別れ際、転びそうになったアニエスを支えて、そのまま抱きしめた。のをみられていたところからだ。
なんて確率だ。二人まとめてみられているなんておかしいだろ。
いじらしくも頬を染めていたら思わず体中がカッとなり抱きしめてしまっていた。まあ別に悪いことはない。むしろ良いに決まっている。
と思っているがヴァンはこの言葉が矛盾していることに気がついている。大切だから最終的には側に置けないのに、側にいたいだなんて。
エレインに言ったらビンタどころでは済まない気がする。グーパンもしくは身をもって味わえとかで剣の乙女よろしく使い慣れた手捌きで切り刻まれるかもしれない。
「何か?」
「い、いや。なんでもない」
「お嬢さんを諦めるという選択肢はないんだろう」
「それは…できそうにない」
ふと陽だまりのような彼女の笑顔を思い浮かべる。彼女の包み込むような暖かさは自分はまだここに居て良いのだと許されている気分になるのだ。それはヴァンにとってこの世界に繋ぎ止めてくれている楔と言っても良かった。
「じゃあ腹を括りなさい。ヴァン・アークライド。アニエスさんがなんと言おうと貴方が良いんだから…って嬉しそうにしないで気持ち悪い」
「おい」
「お嬢さんの護衛をしているときは彼女からヴァンの話は出たことはないがな」
「あら」
「…」
「何をうかない顔しているんだ。彼女はお前の恋人でもなんでもないだろう」
「うるせえ…」
「はぁ…。言い返せないのが情けないわ…。私はそろそろ戻るわよ。ルネ、後はよろしくね」
「分かってるさ。こんな未熟児置いておけん」
「誰が未熟児だ!」
ガタンと席を立ち呆れたようにこちらをみるエレイン・オールクレール。
彼女も忙しいのは身をもって知っている。それでもこうして来てくれるのだからまあお小言だったがありがたいことでもある。
「それはそうとお嬢さんの卒業後はどうするんだ?」
「卒業後?」
「後数ヶ月だろう?」
「知らねえ。何も聞いてない」
「まあ恋人でもない男に話しても意味はないか」
「お前さ…」
「こうして何も言わずに側に居てくれるのも学生のうちだから出来ることだろう。彼女は要人の娘だ。そこは忘れてないな?」
「…わかってるさ」
「動かないと何も変わらないぞ、ヴァン」
そう言ってルネはグラスに入っていたワインを口につけた。一番良い方法なんてわかっている。
「全部、わかってるさ…」
________
時は移ろいアラミス卒業式の1週間前ー
「アニエスさん、そこはこうした方が立ち回りやすいですね」
「あ…なるほど…」
「アニエスー!これ!」
「え?ど、どうされたんですか?こんなにたくさん化粧品…」
「映画出た時に使ってたコスメとかCMとかの!貰い物ばかりだけど。卒業式はメイクするでしょ?」
「え、えーと…良いんですかね…?」
「まあメイクしなくても十分可愛いけど。後フェリちゃんも興味持ってたからこっちはフェリちゃんのね」
「え!ありがとうございます!」
「アーロン見返してやりましょ!」
「もちろんです!!」
「あはは…ほどほどにしてくださいね?」
モンマルトでリゼットに勉強を教わるアニエス。と、仕事が終わったのかジュディスが両手に紙袋を持ちながらフェリーダとやってきた。女4人集れば少し騒がしくなるのも仕方がないと思えど、どこか品があり場所を弁えている。後はモンマルトなら誰もが知る裏解決屋の花として密かに人気があるということも認められている要因だ。
「カトルもくれば〜?って聞いたんだけどね」
「なんでしたっけ…。レポート?があるからとかなんとか…」
「私たちとの大事な時間よりレポートの方が大事なんだって」
「ま、まあまあ。カトルくんも忙しくしてるみたいですしね?」
「そうですね。私の方には質問等でたまにきてますね」
「全員で集まるのって中々ないですよね。ベルガルトさんは何処にいるかわからないですし」
この時間がいつまでも続くだなんて誰も思っていない。裏解決屋は続いていくがあくまでもサポートの立場にいるメンバーだ。すでにマルドゥック社に所属しているリゼットはともかく、裏解決屋に居続ける、ことはできないのだ。
自分の道を見つけるために日々生きている。
「はーい休憩にしましょう〜」
ことんとテーブルの上に置かれたカップに全員どこか下がっていた意識を戻す。
ふわりと微笑むポーレットを見てこちらまで笑顔になる。
「あ、私手伝います」
「それだと休憩にならないでしょ…」
「ではアニエスさんは座っていてください。私が…」
「いや、あんたもよ…」
「あ!ジュディスさんと買って来たケーキあります!」
「それをお店で広げるのはまずいわよ!」
「そうなんですか?」
ジュディスはたまに少し世間に疎いフェリーダにいろいろ教えているらしい。フェリーダはアーロンにも教わる時はあるのだがとても聞いてられない言葉が飛び出る時があるので、教育によくない、と判断したのだという。
ティーカップに注がれた紅茶に口付けるとほんのり甘い茶葉の味がした。
「アニエスさんはまだどうするか決めてないんですか?」
「決めかねてる、っていった感じでしょうか…卒業式までには答えを出すって決めていましたけど…難しいですね…」
ゆっくりソーサラーにカップを置き、アニエスは考える。正解不正解なんてものはないけれど、自分がやりたいこと、したい事、どうすれば良いのか、ずっと考えていたが答えは出なかった。
しんみりとしてしまった空気になってしまいそれとなくアニエスは話題を変える。
そうすると3人とも察したのかそれ以上突っ込むようなことはなかった。
______
卒業式。
それは旅立ちの日である。答辞の言葉を聞きながらアニエスは自分がまだ旅立つ準備すらできていないことに気がついていた。
ずっと、とか、永遠なんてものはこない。
だから今をしっかりと大事に持っていたいのだ。
学園生活を楽しんだのもある。誰かが口酸っぱく言ってきたから。今しかないものはちゃんと楽しんでおけと。
涙流しながら帰っていく生徒を見ても自分が卒業したのだと未だ実感はない。
オデットやアルベールと話をしてレンとも合流して、送別会のようなものもした。
途中裏解決屋の面々もきてとても賑やかになっていた。ジュディスはなぜだか涙ぐんでるしカトルはお花を渡してくれた。リゼットも通信ではあったが祝いの言葉を。フェリーダが少しおめかしをした姿を揶揄うアーロンはいつものことで可愛い妹みたいな少女を抱きしめながらお礼を言う。
楽しかった送別会は暗くなった頃にお開きとなった。結局姿を見せなかったのはただ一人であった。それが悲しいとか寂しいとかそういうのはなかった。これからそれが当たり前になっていくのだから。
別々の帰り道で手を振り別れる。
本当に卒業してしまったのか。帰路についても明日また学園へ行く支度をしてしまいそうだ。
夜道を歩いていると前から走ってくる人影が見えた。少し構えたが近づくにつれ誰かがわかりアニエスの緊張も解ける。
「遅くなるから連絡しろって言っただろ」
「ヴァンさん…」
「こんな暗い中一人で歩くなっての」
「途中までは一緒だったんですよ?」
「それでもだよ。ルネのやつは?」
「それが急用入ってしまってようで、護衛はつけるからと仰っていたのですが」
「…なるほどな」
「ヴァンさんもお仕事お疲れ様です」
「悪いな。卒業式行けなくて」
「いえいえ。みなさんきてくれましたし。あ、後エレインさんからも素敵なお花もらいました!」
「これは…」
「プリザーブドフラワーっていうんですよ」
「へぇ」
手にとってそれを見せるアニエスに少し屈んで覗き込む。アニエスはその距離の近さに驚きはするがこの距離は割と慣れていた。
するとヴァンが何かに気づき視線を背後へとやると通行人が後ろから来ていた。ヴァンはアニエスの腕を引き自分の方へ引き寄せる。
「乗れるか?」
「え?」
「車。荷物もあるみたいだしな」
「え、あ、じゃあ…お言葉に甘えて」
「おう」
少し体を離すとヴァンはアニエスから荷物を取ると、空いている手でアニエスの小さな手を包み込み、歩く速度を落として停めていた駐車場に向かう。
いつもなら繋がない手に驚きはすれど、いつ最後になるのかわからないのなら振り解く理由はない。きゅっと握り返せばほんの少しヴァンが手を握る力が強くなった気がした。
車が見えると助手席のドアを開けてエスコートされる。それが妙にカッコよくて顔には出さないが高鳴る鼓動を必死に抑え、小さくお礼を言いつつ乗り込んだ。
ヴァンは荷物を後部座席に置くと運転席に乗り込む。すぐにエンジンをかけるわけでもなく一旦何か悩んで居る様子でアニエスが声をかけようとした瞬間にタイミング悪くエンジンをかけた。
「あの…ヴァンさん」
「ん?」
「何処へ行かれる予定ですか?」
「あーディルク記念公園」
「?」
「まあ、ゆっくり話せるだろ」
ゆっくり話す内容。
普段繋がない手。
妙に優しい思い人。
もしかしてこれが本当に最後かもしれないな、とアニエスは心の中でひっそりと思った。
ヴァンが何も言わない間は側に居続ける。そう決意したのはだいぶ前のことだ。
それまでは何があっても離れないし無茶すれば怒るし寄り添うつもりだった。
もしヴァンがそういう意味でアニエス自身を拒絶するならそれを止める権利はない。自分は誰かの代わりでもなんでも良いから彼が世界から自らを切り離すのだけはやめて欲しかった。
だから、それ以外の理由であればアニエスは身を引くつもりで居た。
流れる沈黙を破るものはいない。気がつけばディルク記念公園へ到着していた。
「ん、ドア開けるわ」
「え?で、出来ますよ?」
「いーから」
どうしたというのだろう?困惑気味に首を傾げるアニエスにヴァンは柄ではないことは分かっているしこういうことをするタイプでもないのは自負している。若干の羞恥はあるのだがそんなものは構っていられない。
今日、この日、告げるのだ。
ドアを開けると制服姿の少女が映る。先ほどまで隣に座っていたというのに見下ろす形となるのは新鮮だった。アニエスは少し恥ずかしそうにして、差し出された手を取る。
「ヴァンさん、なんだか大人っぽいです」
「俺は大人だっつーの」
「ふふ、そうでしたね」
「まったく」
車から出るとあたりは暗く街灯と星空が辺りを照らす道標だ。繋いだ手は離さずに公園内に入る。
「えっと…勝手に入って良いのでしょうか?」
「いいんだよ」
「…良くないことしてますか?」
「バカ。んなわけあるか。ちゃんと正規ルートです」
「それにしても…」
もしなんらかの理由で開放されているのであれば人が誰もいないのもおかしいし、アニエス自身情報が入ってきそうなものだ。
やはり依頼か何かなのかもしれない。身を引き締めていこうと、緊張が顔に出たのかそんなアニエスを見て、頬をふにっと掴まれる。
「ふぇ?」
「依頼じゃねえよ。なんでもない。俺がお前とここに来たかった」
「は、へ?」
ゆっくり離れていく手に掴まれていた箇所は熱を帯びる。痛くもなかったのに。熱い。
あたりは暗くて顔はおそらく見えてないだろうけど、照れて顔をあげることは出来なかった。
繋いでいる手に力がこもった気がして、胸の奥がぎゅっとなる。
静かな夜に自分の鼓動がやけに響いている気がする。もうヴァンに聞こえているのではないかというくらいどくどくといっている。
ゆっくり歩いて沈黙も心地よくて手を繋いで隣にいることがこんなにも嬉しくて、どうしてか目頭が熱くなった。
「アニエス?」
「い、いえ、なんでもないです…」
「なんでもないわけないだろ」
溢すまいと我慢していた涙は目にいっぱいたまっていて、急にこんなことになって当たり前に心配される。
「ちが、違うんです。別に何かあったとかそういうのではなくて、ただ…」
「ただ」
「ただ…すごく嬉しくて、熱くて、幸せで。なんかもうどうしようもないぐらい…」
好き、という言葉は出なかった。繋いでいた手を引かれたかと思うと、暖かい温もりに包まれて、その先の言葉は阻まれていた。少し強いぐらいの抱擁にアニエスも身を預けていた。
「アニエス」
「はい…」
「俺の問題は、まだ何も解決した訳じゃない。この先だってこのままでいられると思ってない。それでもお前と、あいつらと出会って、…まだここに居たいって思えた」
「ヴァンさん…。ヴァンさんが…そう言ってくれるだけで私は」
「最後まで聞けって。この数年側に居たのもさ、わかってただろ?互いに」
「…」
「俺はお前が…あー…好き、で、アニエスもそうだってわかってたから、その関係に甘えてたんだ。でもな、卒業っていう一つの区切りを考えた時にこの先も同じようにって訳にはいかないだろ」
「え…あ、あの…」
「だから、この先何があるかわかんねえけど、お前には側に居て欲しい。迷惑だってかける。弱気にもなっちまうと思う。でもお前が居てくれたら何か変われるんじゃねえかって思えるんだ」
「ヴァン、さん…」
「好きだ。この先も側に居てくれ」
「は、い…」
抱きしめられていた腕が肩におかれ、まっすぐな瞳に見つめられ、アニエスは唇が震える。声を出すのが精一杯だった。言葉を紡ぐのも難しい。恥ずかしくて視線を逸らしても名を呼ばれてかち合う視線に戸惑いながらこくりと頷く。
伏せられていく睫毛に合わせてアニエスも瞼を閉じると、優しく唇が重なった。
顔がゆっくり離れていくと、腕を回されてまた抱きしめられる。
「卒業おめでとう」
そう耳元で囁かれた。
_____
「え!?あんた気付いてなかったの!?」
「は、はい…」
「ヴァン様もそうですがアニエス様まで…」
「私でも分かってました!」
「フェ、フェリちゃん…」
時は流れ今でも頻繁に連絡を取り合っている裏解決屋のメンバーと久しぶりに会っていた。
とはいうものの。
「まっさかヴァンが外堀埋められてると思ってたけどアニエスが埋められてたわね」
「う、」
「気がつけばお父様ともお話しされていたようで…」
「うぅ」
「だからアニエスさんのおめでたい事もスムーズだったんですね!」
「私もヴァンさんも話し合って決めた事ですがまさかお父さんにまで話してるなんてもう…もう…」
「?でも人はそうして産まれるものなので何も恥ずかしがることでは…」
「フェリちゃん〜…」
「フェリの教育間違ったかしら」
首を傾げるジュディスに連動するかのようにフェリーダも首を傾げる。
「そういえばヴァンは?」
「お仕事ですよ」
「ふふ、ヴァン様早く終わるものばかり受けられているようですね?」
「私は大丈夫ですって言ってるんですが…」
「まだ妊娠したってわかっただけでしょ?」
微笑んでそう告げるリゼットに呆れた顔になるジュディス。
左の薬指に指輪を嵌めるようになって数年後、お腹にもう一人の命が宿った。
プロポーズの時もそうだったが色んなところに連絡しようとしたところ、父はすでに知っていたり、周りは護衛を固めたりとなんだかもういつのまにか逃げることは叶わないように囲われていた。
元より逃げるつもりなんてないのだけど。
「なんだ。お前ら来てたのか」
「はや。まだ昼過ぎよ」
ガチャリと扉が開くと、仕事帰りのヴァンがいる。玄関の靴は棚にしまっているからわからなかったのか、そこまで興味を示さずアニエスの元まで歩いてくる。
「うるせえな。アニエス、ただいま。調子はどうだ?」
「もう、まだ全然そんなんじゃないので大丈夫ですって」
「良くない。命が宿ると体調の変化も起きやすくなる。そんな時誰かいなかったら困るだろ」
「何この過保護…」
「仲良しです!」
「おっ、なんだみんないるじゃねーか」
「お邪魔します」
「アーロン様にカトル様。一緒だったのですね」
「おっさんが早く終わらせたいから手伝ってくれって言ってきてよ」
「そうそう。ちょうど空いてたから良かったけど…」
ジト目でヴァンを見るに手伝ってもらうことは何度かあるようだ。
「ふふ、お疲れさまです。今お茶いれますね」
「お、気が効くじゃねーか奥さん」
「手伝うよ」
アニエスが立ち上がるとすかさずヴァンが詰め寄ってくる。
「アニエスは座ってろ。俺が入れる」
「ヴァンさん…前も言いましたがずっと座ってるよりも少し運動した方が良いんです」
「転ぶと大変だろ」
「…ヴァンさんが手伝ってくれたら問題はないですね?」
「そうじゃない」
「ヴァンさん」
「はい」
「うるさいです」
「…はい」
アークライド夫婦。ふわりと靡く金髪の容姿端麗の妻。物腰柔らかい彼女と会話した人間の中に良い匂いがすると発したものは何故かしばらく見なくなった。
夫が余りにも過保護なためメンバーが時々様子を見にきていることが有名である。
外に出ている時は仲良く手を繋いで歩いている姿を目撃でき、密かに憧れている人たちがいるのを彼らは知らない。